序章
しょっぱなから説明しきれていない設定が色々ありますが、ゆっくり書いていきます。生暖かい目で見守って下さい。
序章
スローペースで歩くだけでも確実に心拍数は大幅上昇しそうな、急傾斜の長く高く険しい階段の先に、その神社はある。そしてついでに言うと、その心臓破りの坂の如き階段を、無謀にも全速力で駆け上がる無謀な少女もいたりした。
ふわっと肩先でわだかまるような、セミロングに近い内向きのショートボブでまとめたコーヒーブラウンの髪を弾ませ、玖堂皐月は息をせき切らして背中のランドセルを背負い直し、藤色の長大な包みを両腕いっぱいに抱え込んだ体勢で、階段の最後の一段を跳び越える。『直衛神社』と彫られた古めかしい石碑を横目に、彼女は息を整えつつミルクのような朝霧がひしめく境内に視線を走らせた。
姿は見えないけど、多分自分以外はもう全員――いや、少なくとも『巫女』達のうちの誰かひとりは、もうこの境内に来ている筈だ。
だって――
――もぞ。もぞ、もぞもぞ……。
彼ら――今は彼女達が近くにいなければ視えない筈の『この世ならざるもの』達が、ちょろちょろとそこらを動き回っているのが確認出来たからだ。
『それら』はまるで、社会科見学で赴いた美術館の絵巻物のモチーフにあった、地獄の餓鬼のようだった。印象としては気持ち悪いが愛嬌のある――まあ端的に言って『キモ可愛い』というべきか。足もとでチョロチョロと忙しなく動き回る彼らの、一つ目だったり舌先がやたらと伸びていたりするその異様な様相に最初は怯えたりもしたけれど、何分大きさはマスコットサイズだし危害を加えたりしてくることもないので、最近ではもう大分慣れてきた。
《オイ、マタ式鬼人ノ仲間ガ来タミタイダゾ》
《オイラ達ノコト見テルゾ? 退治シヨウトシテンジャナイノカ?》
《大丈夫ダッテ、コノ人間、式鬼人ノ中デ一番弱イ奴ジャン》
《ウンウン、スライム? セントーリョクタッタノ5?》
グサッ、ザクッ。音に例えればそんな感じだろうか。一応戦闘では前衛なのに、傍目から見てあっさり『弱い』と断定されるのは少々キツイ。――いや、実際事実だが。
(……ほんのちょっと前だったら、別に喧嘩の強さとかそういうのなんて気にならなかったのになぁ)
スルッと紐を解いた包みから現れるのは、下手をすれば小学五年生の彼女の身の丈を超えそうな、白塗りの鞘に収まった武骨ながらに清らかな印象のある片刃の大太刀だった。それを静かに引き抜くと、現れるのは己の顔を映せる位に刃幅が広く、鏡のように透き通った刀身。
刀身に映る、いつもは頼りない自分のそれなりに引き締めた(つもりの)顔を眺めてから、釣竿を振りかぶるように大きく太刀を一振り。虚空が裂かれ、参道に落ちた木の葉が刀の風圧に舞った。
何せこんな状況になるまでは生まれてこの方11年と2ヶ月(現在小5)、そもそもあまり身体を動かすこともしない文系少女だったのだ。ある非現実的な摂理による不条理な『底上げ』を受けた今の肉体は、それこそ以前と比較にならないレベルの膂力があるのは確認済みだが、それを使いこなせるまでにはセンスがまだ追いついてはいない。
――いや。
皐月は顔を引き締め、思い直す。
『喧嘩』レベルの意識では、駄目なのだ。つい忘れがちになってしまうけれど、自分達は―――曲がりなりにも、命懸けの戦いに身を投じているのだから。
「おーい皐月ー!大丈夫かー!?」
――と、皐月の精一杯のシリアスを打ち破るみたいに明るいテンションで、先程駆けていった仲間―――仲間というにはあまりにも、自分とは実力差が開きすぎてる気もするが―――のひとりである少年が、白い霧の向こうからブンブンと右手を振り回して呼びかけてくる。
若干逆立っているような癖が目立ち、尚かつ赤味の強い髪が、霧の中からもハッキリ見えた。
スタート地点こそ同じであれど、自分よりも遙かに早く境内へゴールしていたであろうその少年は、息ひとつ乱れた様子もない。相変わらず、小柄な見た目に似合わず恐ろしい程のスタミナである――が。
「よ、吉宗くん……何でそんなボロボロなの?」
髪も服も何だかチリチリと焼け焦げてシュウゥゥゥ……という煙すら放っていながらも、まるで堪えるどころかにへにへと笑っていられるその様に戦慄しつつ、一応皐月は問いかける。
少年――大地吉宗は一応、自分達の中では一番の使い手であった筈だが、その彼がこんな状態になるまで陥るなんて何があったのだろうか。
「……いやー、皐月が来るまで時間潰そうかと思ってちょっと鎮守の森辺りうろついてみたらさ、彼方が丁度」
「――よぉぉぉしぃぃぃむぅぅぅねぇぇぇっ!」
言葉を遮るかのようなタイミングで、鈴の音のように甲高くも雷の如き質量を伴った咆哮が境内を揺るがす。声の残響に耳を押さえてふらつきつつも、皐月が恐る恐る振り向くと―――
状況も忘れ、皐月は口を半開きにして、その艶姿に目を奪われた。
あたかも瞬く星々を思わせるキューティクルが眩い、流れるような夜色の髪に、黒く透き通った硝子のような瞳。そして清水が滲んだかの如く澄んだ艶を帯びた唇や控えめだが筋の通った鼻梁といったパーツが絶妙に配置された卵形のかんばせは、正に清廉なる八重の桜とでもいうべき美しさと可憐さが同居している。何故か水に濡れた白襦袢を纏っており、豊かに膨らんで襦袢の合わせ目を押し上げる柔らかそうな胸といい、余計な贅肉のない絶妙にくびれた腰やキュッと小振りに引き締まったお尻といい、奇跡的ともいえる三次元曲線を描くボディラインがくっきり浮き出ている。スラっとバランスよく伸びた手足と相俟って、清純な色香、という本来なら矛盾した形容が似つかわしい婀娜っぽさであった。
しかし、そんな容姿とは裏腹に――いやなまじ整っているからこそ、バチバチとその全身から『物理的』に火花を散らし、某拳を極めし者も顔負けの殺意の波動を漲らせてこちらを――というか吉宗を睨むその様はひたすら怖かった。
「あ、彼方。あいつは何とかなりそうか?」
「おぉぉぉまぁぁぁえぇぇはぁぁぁっ……! また、余計な、ことをっ……! ――って、皐月?」
そこで初めて皐月の存在に気づいたのか、少女――彼方と呼ばれた彼女は、端整な顔を呆けさせて立ち止まるが、やがて大慌てといった体でこちらに呼びかける。
「危ないっ! そこから離れろぉっ!」
「……へ?」
急展開過ぎて、反射神経や危機意識その他がフリーズしきっていた皐月に降り注ぐ、青天の霹靂とでもいうべき言葉。それに思わず『何ですか』と問い返す間もなく――
「!?」
言葉を失った。上空から、大小様々な黒い石の飛礫が、霰の如く凄まじいスピードで降り注いできたからだ。
突然のことで動けないでいる皐月に、しかし容赦なく弾丸の如き石の数々が飛来して――
そして彼女の意識は、あの懐かしき半年前へと飛んだ。
この凸凹なパートナーや、自分や自分が背中を預けるぶっきらぼうだが優しい『巫女』、そしてこれまた凸凹かつ前途多難な相棒関係を紡ぐ2人で構成される6人――3人と3人の、出会いの記憶へと。