序幕1 暗黙の三年間
1 アトル出生
外は嵐が吹き荒れていた。
家の裏に生えている木々が風を受けて、ザザッと鳴り響いている。辺り一面は嵐のせいか薄暗く不気味な雰囲気が漂っていた。
「ザーアニア、お腹の子の調子はどうだ?」
エストリは嬉しそうな顔をしてこちらを見つめた。夫はもうすぐ子供が産まれるのを察知しているのだろう。気づけば、エストリと結婚してもう丸一年が経った。妊娠九ヶ月になる私は近日、子供を産むだろう。
「お腹の子は調子いいみたい。さっきから頻繁にお腹を蹴ってくるのよ、早く外の世界に出たいのでしょうね」
「なら良かった。きっと、元気がある赤ちゃんなんだろうな」
私はお腹の子がもうすぐ産まれると思い、誰よりもワクワクしていた。エストリも赤ちゃんが早く産まれて欲しいと願っているだろう。何故なら、私達の子供がもうすぐ出来るからだ。
……だが、その時だった。
私は外の異変に気付いた。今さっき、女の人の悲鳴が聞こえたのだ。
「なっ……何事だ!」
エストリは不意に立ち上がり、外へ出た。エストリは警戒しながら周囲の様子を探っていた。
私のお腹の子はさっきよりも頻繁にお腹を蹴ってくるようになった。お腹の子はきっと、私に何かを伝えたいんだ。もしかして、お腹の子は不吉なことが起きる前兆を予測しているのかも知れない……。
「村の誰かが雷にでも打たれたのかも知れない。今から村を徘徊していくから待っていてくれ」
エストリはそう言って走り去って行った。
……四分の時が過ぎて行った。
エストリがようやく帰ってきた。私にはこの四分が一時間くらいに感じた。根拠は無いが、私は今日一日中何かに追われている感じがして、少し怯えていた。
夫はいきなり私に飛び付いてきた。夫は真剣な顔をし、両手で私の肩をがっしり掴んで来た。
「ザーアニア、お前に今の状況を話さなければならない。今から言うことは全て本当のことだ。聞いてくれ」
[アウキクーナ兵がこの村を包囲している!]
私は驚愕した。敵国のアウキクーナ帝国の兵士が遂に私達の村にまで進撃して来たのである。近年、私達の国である新興アステカ国が隣国のアウキクーナ帝国に宣戦布告された。それからのこと、新興アステカ国とアウキクーナ帝国はお互い領土を獲得するために激しい戦いをしていると聞いた。しかし、アウキクーナ兵がここまで攻めてくることは誰も思わなかっただろう。
この村は新興アステカ国の南西部に位置し、北の方角へ少し進むと東海洋が見える。国の首都とは程遠いが、山などの見晴らしが良く、素晴らしい場所だった。
「あっ!」
お腹に突然激しい痛みが起こった。陣痛が始まったのだ。
「ザーアニア! どうした! もしかして陣痛が始まったのか!」
「そうみたい……」
一瞬の隙で敵に見つかって殺されるかも知れない現状なのに、今頃になって陣痛がきたとは運が悪かった。私はこの時、心底死んだと思った。しかし、我が子だけは守り抜きたかった。
「ザーアニア、お前は必死に痛みに耐えてくれ! 俺が見守っているからな!」
……刻々と時が過ぎて行き、陣痛が始まってから四時間が経った頃。
ようやく、子供が産まれてきたのだ。
「子供が産まれたわ! 私達の家族が増えたのよ!」
「ザーアニア、よく頑張った!これで我が家も前よりも明るくなるだろう」
私は子供が産まれ、驚きと感動で気持ちが一杯だった。エストリも嬉しそうな顔をして、赤ちゃんを軽く撫でていた。赤ちゃんは女の子だった。顔はツヤツヤで光を跳ね返していた。また、肌触り感はプニプニしていて気持ち良かった。
「女の子か。『純粋な心。清らかな水』という意味を込めて『アトル』っていう名前はどうかな」
「とても良い名前ですわ。この子の名前は『アトル』。清らかな心の持ち主になってもらいたいですね」
「そうだな。勇気と優しさを兼ね備えている子に育ってほしい」
『アトル』……。それは奇跡を起こす女の子。
2 アウキクーナ帝国の侵略
アトルが産まれてきて数時間経った。
今もなお、村には緊迫感が続いていた。何故なら俺たちの村はアウキクーナ兵に囲まれているからだ。現状からするに、この村は周り全てアウキクーナの軍隊が包囲している。しかも、運の悪いことにこの村にはアステカの兵士が一人もいないようだ。間違いなくこのまま逃げようとしても殺されるだろう。しかし、俺たちがここにいても、いずれアウキクーナ兵に殺されてしまう。まさに絶体絶命の危機に瀕していた。そして、俺はどのようにして軍隊を回避するか考えていた。
『俺は命を賭けてでもザーアニアとアトルを守り抜くと心に誓った』
朝日が登ろうとしている頃、大きな足音が近づいてきたのだ。これはアウキクーナ兵の出撃の合図だ。俺は我が家に代々受け告げられている槍と盾を持ち、真っ先に家の外へ飛び出した。
「あっ、あなた!」
ザーアニアは俺が死ぬと思ったのだろう。勿論、農民の私が兵士に勝てるわけが無い。いや、勝ってやる。勝って俺たち家族で幸せに暮らすんだ!
「ザーアニア! お前はアトルと一緒に奥の部屋にある大きな壺の中に隠れるんだ! 早く!」
俺がザーアニアと話したのはこれが最後だった。
外に出ると敵はもう村の大半の人々を虐殺していた。敵は推定百人程だ。一人一人倒せばいけるかもしれない。僅かな希望を持ち、俺は敵陣を切った。
敵の兵士はカラフルな服を着ていて、金色の冠をしていた。青銅器の剣や斧を持ち、もう片手には青銅器の盾を持っていた。
敵の兵士は俺に気づいたが、遅かった。俺は一人二人と敵を倒していった。意外とアウキクーナ兵が弱かったのだ。
この時代、新興アステカ国は兵役が義務付けられていた。俺も子供の頃に訓練させられたのだ。多分、その頃の戦い方が未だに体に染み付いているのだろう。一方、アウキクーナ帝国は兵役義務が無いと聞いた。それが原因なのかはわからないか、俺は自分自身が強いと感じた。
それからのこと、俺は遂に半分の兵を倒すことが出来た。しかし、体からの出血や深い傷で体がもう限界だった。数々の兵士が攻めてくるなかで私はもう動くことが出来なくなった。
俺は負けたのだ。
私は壺の中に隠れながら、エストリが帰ってくるのを待っていた。しかし、二時間経っても帰ってこなかった。
その頃、アウキクーナ兵はとっくに村を離れていた。私は安全だと判断して外へ出た。辺りを見回したが、殆どの家が壊滅していた。村には沢山の死体が転がっていた。
「ザーアニアさん、無事だったか」
「まあ、村長さん。村長さんもご無事だったんですね」
その後、この村の生存者が私達を含めて、六人だったと知った。生存者は皆、何処かに隠れて凌いだらしい。殺されなかったのが、ある意味奇跡だと思った。
私はそれよりもエストリのことが気になっていた。まだ、何処かで生きているかも知れない。そう私は信じていた。しかし、村中を探してもエストリは見つからなかった。
「ザーアニアさん、これは貴方の夫であるエストリさんの遺品です」
村長は手に持っている石器で出来た槍と木綿の盾をザーアニアに差し出した。
「そ……そんな……」
私はエストリが死んだと信じられなかった。今でもエストリは私の心の中にいる。永遠不滅の存在だと心で感じていたからだ。今、エストリとの思い出が走馬灯のように蘇ってきた。それは、とても楽しかった思い出。それを一日で失ったように感じた。
「とても悲しいことだが、これが現実なんだ。未来に向かって歩もうじゃないか」
村長の言葉は心に響いた。そうだ、アトルと一緒に未来で歩むんだ!
この後、アウキクーナ帝国が三年間も新興アステカ国に進撃してきたことから、世間では暗黙の三年間と言われるようになった。
私達生存者は北の方角へ避難した。今はもう、あの村はアウキクーナ領になってしまったのだ。故郷を惜しんではいけない、新たな新天地へ向けて羽ばたくんだ!
……そして、六年の月日が過ぎようとしていた。