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プロローグ ―魔王と魔女、そして女神と聖女―


 古い聖典に記された存在の中に【影の国】というものがある。

 この世界【ニレ=エルフィシル】の成り立ちを記したと言われる創世詩を読み解くと現れる場所。

 人や動物、虫や植物、精霊や魔物、果てや神々に至るまで、今日の世に存在するありとあらゆる意識がはじめに生まれたとされる地のことである。

 現代に於いて、その存在はもっと分かり易い状態に(なぞら)えて呼ばれている。


 すなわち――【魔界】と。


 物質世界と呼ばれる私たちが暮らすこの世界に重なるようにして存在する、目に見えないもう一つの世界。

 万物の意識が生まれた場所。

 ある意味、万物の根源ともされる場所が、けれども『魔界』などと些か不穏な名称で呼ばれようになったのには、歴とした由縁があった。


 影の国の奥には、七つの意識流の集積地があり、そこに座る意識を〝魔王〟と称するのだと。


 最深に座する魔王

 境界に座する魔王

 先端に座する魔王

 円環に座する魔王

 深遠に座する魔王

 最果に座する魔王

 夢幻に座する魔王


 それは九柱の女神(ハルモニア)が謳う、世界の構造詩によって読み解かれた、魔王の名称である。


 その詳細は不明。

 影の国と意識を接続させ、様々な現象を地表に呼び起こす魔法士たちも、その存在については口を噤んでいる。

 識ること、それ自体が人という意識にとって危険なのだと言われ、九柱の女神(ハルモニア)への信仰を掲げる教会もまた、厳しく接触を制限している。


 現にそれを示すような出来事が、起こっている。

 この世界の長い歴史に於いて〝魔王〟が物質界に召喚されること三度(みたび)

 その三度とも魔王は、世界に尋常ならざる被害をもたらした。


 はじまりはエリン暦八六七年。

 女神に祝福されし大地エリンにて〝語らずの魔女〟と呼ばれた一人の女が、魔界と直接繋がる廻廊を作り出し、〝最深に座する魔王〟ヴァルプを召喚した。

 世界に魔物が溢れ、エリンの大地は滅亡寸前まで追い詰められたのだという。


 二度目はエリン暦九八〇年。

 新大陸歴〇二二年。

 一〇〇年前の伝承になぞらえるように〝無銘の魔女〟と呼ばれた一人の女が〝境界に座する魔王〟を召喚した。

 人々はエリンを放棄し、新大陸に逃れ、それ以後、エリンの大地は魔物の大地となる。


 三度目は新暦二六四年。

 新大陸ヴィンダリアの中央部、かつてエリンを支配した王族の末裔が暮らす国にて。

 〝千手の魔導師〟と自称する魔法士エンデューサと強力な力を持つ幾人もの魔法士たちとが共同で、最強の魔王とも言われる〝最果に座する魔王〟の召喚を試みた。

 結果、召喚は成ったのだが、制御を失った魔王は大陸の中央部を南北に切り裂き、何人たりとも行き来の出来ぬ、歪んだ空間を作り出した。

 以後五〇〇年経った現代に至っても、大陸の東と西は断絶されてしまっている。


 三度の魔王の召喚には、それぞれ別の女の影がまとわりついていた。

 魔王をも召喚しうる女。

 人を大きく外れた魔力を有し、永劫の時をも生きる女たち。

 総じて彼女たちは【魔女】と呼ばれた。


 現在――新暦七六二年にも魔女は存在する。


 赤月の魔女

 銀の塔の魔女

 (くら)き波間の魔女

 風の森の魔女

 流星の魔女


 知られているだけでも五名。

 他にも〝風の森の魔女〟が管理する隠れ里【アヴァロン】には世間に知られない魔女たちが隠れ住んでいるとされるし、大陸北部の秘境にもまた、魔女に匹敵するほど強力な力を持つ魔法士がいるとの噂もある。空間が歪められて流星の魔女以外(ヽヽヽヽヽヽヽ)には行き来のできない大陸東側のことになると、もう何もわからない。


 その中で最大の脅威とされているのが〝赤月の魔女〟リーザ。

 真偽定かではない噂によると、伝説の〝無銘の魔女〟と同一存在だとされる彼女は、大陸西方にあるエリンの大地にて、〝境界に座する魔王〟エシュロンと共にあって魔物の群れを支配している。

 新暦二六〇年頃までは頻繁に大陸へ侵攻してきて、人類の国々と激しい戦争を繰り広げていた。

 近年は滅多に侵攻してくることもなくなったが、それでも十数年に一度は『大侵攻』と称して魔物の群れは海を渡り大陸へと押し寄せてくる。

 ゆえにエリンの大地に面した海岸線から一定距離は『緩衝領域』と設定され、各国は人々の立ち入りを厳しく制限している。


 〝冥き波間の魔女〟オードリーはより日常的な恐怖の象徴として人々に知られている。

 赤月の魔女のように『戦力』を持っているわけではなかったが、一所に落ち着くことなく、流れるように人々の間を渡っては、人の心に『邪悪』を植え付けて去っていく存在として広く忌避されている。

 幾度となく討伐隊が組まれ、今でも最高額の賞金首となっている。

 けれども彼女はその悉くを返り討ちにして、また逃れて、世間の波間に消えていく。


「赤い月に浚われてしまうよ」

「冥い波に呑まれてしまうよ」


 その二つの言葉は、子供のわがままに対し、親が言うことを聞かせるために使う常套句となっている。


 逆に〝流星の魔女〟アリスに対しては世間において魔女の例外のように語られている。

 総じて魔女たちは人類を遙かに超越した魔法力を持ち、ちょっとした行動が甚大なる影響を周囲に与えるために恐怖からはどうしても逃れることはない。

 それはアリスもまた、例外ではない。

 強大なる力を持った何か異質なる存在――。

 現在知られている魔女の中でも特に永い年月を生きているとされる彼女の出自は、誰も知らない。

 一説に寄ると、人々がまだエリン島にいる時代から生きていたとも語られ、今在る魔女たちの最年長とも言われている。

 けれども彼女の名を知る、誰もが知る事実がある。

 アリスは弱き者の味方なのだ。


 少なくとも新暦二六〇年代に起きたいくつかの戦争では、明らかに彼女は強大な『戦争』という名の災禍に対して為す術もなく飲み込まれ、消えていこうとする者たちを護る立場に立っていた。

 戦争の影に隠れて押し潰されようとしている弱者を、どこともなく現れて助け、颯爽と去っていく存在。

 それはまさしく正統派の正義の味方。その採るべき、非常に正しき動作の姿。

 伝説の勇者イブキたちと共に〝最果に座する魔王〟を封じた一人とも言われる。

 二つ名も〝流星の魔女〟の一つではなく〝天翔る光の魔女〟〝幼き魔女〟〝交わる星の魔女〟などと、各地に様々な異名が残っている。

 魔王によって断絶した大陸東側との行き来を、世界で唯一可能とする存在と知られ、今でも頻繁に東西を行き来し、互いに断絶した人類同士の、細い架け橋として活動している。


 〝風の森の魔女〟オーレイディアについては、あまり詳しいことはわかっていない。

 彼女の住む【アヴァロン】は隠れ里ではあるし、管理者ということで名前が表に出てきているが、彼女自身が一体いつどこでどのようにして現れたのか、それを知るのはそもそも【アヴァロン】の内部の住人たちのみだろう。

 アヴァロンは、エリンの時代、当時エリンを支配していたダーナ帝国に於いて『邪悪な存在』として認識されていた魔女たちを、世間から匿う目的で作られた里だという。

 魔女の力によって空間を隔てられた『どにでもない場所』にあるとされる以外、その存在はよくわかっていない。

 長らく隠れていたのだが新暦〇二二年のエリン島崩壊時に、人々を護って新大陸に導いたことを切っ掛けに、以後、時折思い出したように人の世に現れるようになる。

 しかしそもそも、新暦〇二二年当時の【アヴァロン】の管理者は〝風の森の魔女〟ではなかったはずなのだ。

 知られているけれども誰も知らない。

 どこにもあるようでいて、どこにあるのか誰も知らない。

 存在することは知られていても、情報はあまりにも少なく、よってその存在を気にする者はほとんどいない。


 〝銀の塔の魔女〟エルナについても、あまりよく知られていない。

 かの魔女の住む塔は【緩衝領域】の只中にあり、彼女が人々と交流することはない。

 いつしか塔の周りには、亜人たちの棲む街ができていたというが、魔女は街に干渉することはなく、ただ沈黙を守ってずっとそこにいる。

 何をするでもなくただそこにあるだけ。

 いくつかのお伽噺をその存在になぞらえることもあるけれども、彼女は何も語らない。



 魔女とは何であるか?



 魔女とは、邪悪な存在である。


 特にエリン時代に於いては、〝語らずの魔女〟が起こした大災厄のこともあって、その言葉は半ば常識として知られていた。

 大災厄以後の荒廃したエリンを建て直すために、当時のダーナ帝国は人々の目をそらすための仮想敵として、敢えてその存在を利用したのだとも言われる。

 すなわち、世の中に蔓延る幾多の苦難を、魔女の存在に押しつけて、隠してしまったのだと。

 魔女は存在それ自体が世界に仇成す害悪として知られ、魔女のみならず、少しでも力のある魔法士がいれば、たちまち帝国の騎士たちによって狩られ、処刑されたのだという。

 俗に言う【魔女狩りの時代】である。

 ダーナ帝国の動きを早急に察知した一人の魔女が、隠れ里【アヴァロン】を創り人々の目から隠れることによって――後の〝無銘の魔女〟が起こしたエリン島崩壊に於いて、人々を助けるための力を魔女たちが保つことができた――というのは少し皮肉な、歴史の真実なのかもしれない。


 人々を助けて廻り、正義の味方として認知されるまでになった〝流星の魔女〟などという存在もある。


 未だエリンにあって、魔王と共に魔物を支配し、人々に潜在的な恐怖を与え続ける〝赤月の魔女〟という存在もあれば、己の欲の為に世間を渡り歩き、楽しみの為に邪悪を振りまき続ける〝冥き波間の魔女〟という存在もある。


 周囲で何が起きようとも引き籠もりを続ける〝銀の塔の魔女〟もいる。


 魔女と言ってもその実態はどれもバラバラで、人類に色んな人々がいるように、その存在のあり方もまた様々だ。


 魔女の定義は少ない。


 人の枠を遙かに外れた強力な魔力を持つこと。

 その魔力によって寿命すらも超越し、永劫とも呼べる時を生きること。

 影の国へ意識を潜らせ、魔王の座とのコンタクトを可能にすること。


 一度魔女が暴走すれば、それを止める者はどこにもいない。

 〝流星の魔女〟という存在もあるが、それは個人の例外だ。

 そもそもいくら弱き者の味方を標榜していたとしても〝流星の魔女〟はやはり〝魔女〟なのだ。

 いつその膨大な魔力を暴走させて人々に牙をむくか、知れたものじゃない。


 魔女という存在自体に対する不信は根強く、完全に消えることはない。

 それは呪いのように世界に広がっている。


 魔女に対抗する力を、人々は祈りに望むようになる。

 祈りは力となり、女神へと届く。

 いと高き地にあるという女神が住む世界【高天原(オーゥテラ)】へ。


 九柱の女神(ハルモニア)と呼ばれる存在があるという。

 天に()りて、世界を支える九つの姉妹神。

 いつの間にかこの世界にあり人々を見守っていたというその存在の、はたしてその由来は、不明である。


 そもそもこの世界を見守っている神とは、()()の女神のみのはずだった。

 その力はエリンの時代の遥か昔から世界にあり、人々を助けていたのだから、間違いはない。

 けれどもいつの間にかニレはこの世界を去り、その存在は九柱の女神(ハルモニア)へと置き換わっていた。

 いつ光と闇の女神(NIRE)がこの世界を去ったのか、その詳しい年代は知られていない。

 少なくともエリン暦九八〇年、新暦〇二二年のエリン崩壊時には、すでにいなかったと思われる。

 神学者たちはエリン暦九〇〇年前後だろうと語っているが、その根拠は薄弱としたものであり、確定には至っていない。


 ならば九柱の女神(ハルモニア)が今の形になったのはいつなのか。

 その詳しい年代はやはり明らかにされていないが、人類がその存在を確たるものとして知ったのがいつなのかはわかっている。


 新暦二五八年――この年に起きたエリン島からの魔物の侵攻に対して、各国連合軍の先頭に立って戦った、二人の女性の名が、知られている。

 九柱の女神(ハルモニア)より祝福を受けし【聖女】として――。


 〝優しき風の乙女〟エアリエル


 風の国シルウェスト、現代のファーザス王国にかつてあった国で生まれた一人の少女。

 幼い頃から剣技に優れ、女でありながら近衛騎士団長を務めたという。

 王宮を襲った魔女の刺客との戦いの中で、神剣〝テンペスト〟を見出して、女神の祝福を受け聖女となった。

 以後、剣と共に魔物との戦場に立ち続け、人々を護ったという。

 日常では歌を好み、花や木を育てるのが好きだったという女性らしい一面も広く知られ、自然と語られるようになった異名が〝優しき風の乙女〟である。けれども戦場では【嵐】を冠する剣と共に猛々しく戦ったことから別名として〝猛る嵐の騎士〟とも呼ばれた。


 〝大地の聖女〟カティア・エヌ・ヨミ・イグス・グリース


 聖王国レジーナの王族でもあった彼女は、幼き頃から聖女と呼ばれ、事実成長するに従って女神の声を聞き、強力な神通力を示すようになった。

 エアリエルとはまた別の形で、彼女もまた魔物との戦いに参加していた。

 聖王国を離れ、前線となっている土地を渡り歩き、傷ついた者たち、悲しむ者たち、苦しむ者たちをただひたすら癒して廻った。

 時にはエアリエルとも肩を並べて戦い、その強力な神通力で魔物の群れを薙ぎ払ったとされる。

 当時彼女を援助した民間の組織が、後の九柱の女神(ハルモニア)教会の母体となったのは、よく知られている話。


 エリン島からの魔物の襲撃が最も激しかった時代。

 その後、新暦二六四年には東方にあった(ヽヽヽ)ヌェル・ダーナという国にて、自称〝千手の魔導師〟エンデューサとだけ名の残っている魔法士が〝最果に座する魔王〟を地表に召喚し――世界の東西は【歪曲境界】によって断絶することとなる。

 自然消滅的にエリンからの魔物の侵攻も止まり、勇者たちによって〝最果に座する魔王〟ファーも討たれた。

 風の国シルウェストやヌェル・ダーナなど、幾つもの国が滅びて世界は形を変えていく。

 二人の聖女たちも姿を消して――女神のある国〝高天原(オーゥテラ)〟へと行ったのだと噂された。

 幾つもの謎が隠され、事実が明らかになることはない。

 人々はわずかな情報の中から、それぞれが取捨選択した事象を基に、真実を創っていくのだ。


 そうしてひとつの真実が浮かび上がってくる。


 人の世が強大な力を持つ者によって脅かされる時、九柱の女神(ハルモニア)が【聖女】を遣わし、世を救ってくれるのだ。


 その言葉に呼応するように、新暦五四三年、一人の聖女が現れる。


 〝碧の巫女姫(アクアマリン)〟レティアーナ・ブラングリム


 聖王国レジーナの大神殿にて、幼い頃から神童として称えられていた彼女が、いつどのようにして【聖女】となったのか、記録はどこにも残っていない。

 どんな歴史書を紐解いても、その存在はある日突然何の前触れもなく【聖女】として活動を始めたとしか思えなかった。

 けれども彼女の存在が何に呼応したのか。

 それは歴史を読めばはっきりと書かれてある――と人々は考えた。


 その年、一人の魔女が、聖王国レジーナをはじめとした大陸西方五国に対して、宣戦布告を行った。

 魔物のみならず、亡者や亜人をも引き連れて、その魔女は世界に対して戦いを挑んだ。


 〝堕ちた泉の魔女〟ユーフォリア


 嗤いながら人を殺したというその狂った魔女は、かつての魔女の脅威を切っ掛けに結ばれた国際条約である『対魔女盟約』により終結した五大国の軍を圧倒し、打倒しようとしていた。

 それを封じ込めたのが〝碧の巫女姫アクアマリン〟レティアーナ・ブラングリムである。

 聖女は己の魂の力をも利用して魔女のすべての力を封じたという。

 激しい戦いの末、魔女は捕らえられ、短い裁判の後に火刑に処された。

 しかし魔女を封じることに魂すらも消費した聖女もまた、魔女を追うようにしてその三年後、新暦五四六年の春、静かに息を引き取ったという。


 この一件をもって、人々はある確信を持ったのだという。


 聖女とは、魔女のような人を遙かに外れた者が暴走した時に現れる、対抗者(カウンター)である。

 ゆえに彼女たちは、敵対者が消え去ると、同じように消えていくのが定めなのだと。


 そうして時は、新暦七六二年を迎える。


 〝騎士姫〟ネーデリア・フォトン・ノワ・イーディリス


 ヌェル・ダーナの地に興ったアエテルニア帝国。

 その内乱の最中に現れた一人の少女騎士。

 皇女ソフィア、ブルートゥリ子爵と共に内乱を終結に導いた立役者。

 この時代に生きる彼女もまた【聖女】と呼ばれていた。


 しかし彼女の名が知れ渡ったそれは、人と人との間の戦い。

 確かに弱き者たちが虐げられた悲惨な内乱ではあった。

 たくさんの悲しみが溢れた、決して許容してはならない出来事であった。

 けれどもそこには人を超越した破壊者など、存在していない。

 この時代に於ける彼女の【敵】は――、まだ明らかにされていない。

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