ヘル・ハンド・ノック
死後の世界と現実世界、この二つが繋がることはそう珍しいことじゃない。
例えばそう、歴史あるこの国の由緒ある行事、お彼岸。
彼岸といえば三月十七日から三月二十三日までの春彼岸と九月二十一日から九月二十七日までの秋彼岸と二種類あるが…おっといけない。
脱線してると自覚はできるんだ申し訳ない。
ただ気付くのがその最中と少しの誤差ができてしまってね、今の一拍は籠った熱を冷ますために必要だったと分かって欲しい。
改めて話を本題に戻すとしようか。
この彼岸だが、噓か真か《《彼岸は海に入るべからず》》。《《一度入水すれば足を引かれ帰ってこれない》》という迷信のようなものがある。
悲しいことに現代は身内でさえ人間関係が希薄でね、代々受け継がれてきたことがある代でバッサリと途切れることだって珍しくない。
「捨てたものだと思うだろう? 私もそうだ。いや、だったという方が正しいかな? 時代にそぐわない過去が好きな私にとってはやや複雑だが、電子機器という人類の英知の結晶が私の趣味断念を繋ぎ止めたんだ。世の中捨てたものじゃないと思ったさ!」
寺院などは昔と比較して増えつつあるという記事を目にすることもあるが、やはり全体的に見れば過去を象徴する遺産は減少傾向にあると個人的に思う。
古事記や和歌集、古文書が好きでたまの休日に足を運んだりもしてみるが、博物館という建物自体が現代風で今一つ没入感がないというか、年代物を展示しているのなら建物自体もコンセプトを決めて統一して欲しいと思うことがしばしばある。
そんなこんなを経て最終的に行きついた今の趣味は博物館の展示物が発見された場所に旅行するという、趣味と息抜きの両取りだ。
元々身体を動かすのは嫌いじゃないし、休日を利用して聖地巡りをするときの内心図は好き×好きで、それが=マイナス感情になるなんて夢にも思っていなかった。
――――そう、この時までは。
事の発端はほんの些細な好奇心だった。
それも趣味から枝分かれして行き着いた心霊関係を題材とした、ある一つのネット掲示板。
違和感も、引き返すチャンスも今思えばいくらでもあった。
例えば興味のある日本妖怪や怪談話とは明らかの異なるカタカナ表記のタイトル。
無駄に凝った動画調の画面演出や血液を連想させる、それでいて恐怖一色とならないようにという配慮が見え隠れする赤い肉球のタイトルロゴ。
(……言っていて思うが本当にそうだろうか? ポップなロゴで親近感を煽る一種の集客戦略のような気もする)
しかしそれら全てを凌駕する圧倒的な魔性の魅力、さしずめ妖刀と呼ばれる忌み物が発する目には見えない《《何か》》と同質のものが画面を通じて私に流れ込んでくるのを感じた。
その時点でもう手遅れだったんだ。
「【ヘル・ハンド・ノック】直訳で《《地獄の手がノックする》》か。気になる詳細は……」
怪しいサイトをクリックしてパソコンが乗っ取られるという話はよく耳にするが、怪しいサイトをクリックして自分自身が乗っ取られるというのは私が史上初ではないだろうか。
これが憑依なのか何なのか、その真実を確かめるべく、無駄に多く表示されるクリックを繰り返して辿り着いたネットの奥地。
まるで封印されていたかのような地図を何の疑いもなく印刷した私は財布や携帯、それどころか鍵をかけることすら忘れて家を飛び出した。
(身体が場所を知っている? 臓器移植で意思が乗り移るみたいな話は聞いたことがあるが原理は一緒だろうか? 思えばなんで得体の知れない怪現象を現実に当てはめてるのだろう?)
――――いや、本当はもう分かってる。
人間の心理や防衛本能として、得体の知れない事柄や事象を目の当たりにした場合、体験談や知識を総動員して何とか納得しようと試みる。
そうして理解に落とし込み、拠り所を作らなければ生理現象から来る恐怖に飲まれるのだと。
(――――ハッ! 私は何を…ここは……まさか地図にあった例の地点? そうなのか??!)
私の自宅から地図の地点までは距離にしておよそ五百キロメートル。
この距離を例えるなら大阪から東京までの距離に相当する。
驚くほど恐怖を感じていないことといい、まるで全身麻酔をかけられたような気分だ。
いや、もし仮に全身麻酔をされて昏睡状態にあったとしても、この距離を徒歩で移動しようがない。
それどころか車や交通機関を使っても数時間はかかる距離だ。
まるで神隠しに…いや、状況的に言えば憑依型邪神による邪神隠し被害に遭ったという方が正しいかもしれない。
(意識だけがあり、身体は自由に動かせない。私は一体どうなってしまうんだ)
ここで気になる現在地だが、自由が利かなくとも置かれた状況を知る手段は多くある。
引きの目線でも月が見えなかったことから今宵は新月であること。
真っ暗闇だが音と感覚と通気性から立てた推測は、ここが《《樹海》》ではないかということ。
(身体の自由が利かない中、意識と五感だけはしっかり生きている。金縛りの一種で、霊体に備わった特殊能力のようなものなのだろうか? いいや、それは考えても仕方ない。重要なことはいつだってそこに在る、思い出すんだ)
さっきは全身麻酔で感情が麻痺しているのかと仮説を立てたが、思考を巡らせている内に他の可能性にも気が付いた。
それは恐怖という感情自体は存在していて、それが一周して冷静になっているだけの可能性。
この思考を準備運動に、順を追って目的の某ネット掲示板の内容まで遡る。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
【ヘル・ハンド・ノック】
閏年と新月が重なる珍日。
地獄に一縷の蜘蛛糸が垂らされ、登りきった者には二度目の日の目が約束されるという。
そう、地獄発祥の都市伝説がこの掲示板だ。
私はヘル・ハンド・ノックに成功し、現世に再び舞い降りた者としてここに武勇を書き記す。
地獄の引力はブラックホールに匹敵する。
違いがあるとすればそう、地獄の引力に殺傷性はなく、その分逃れる手立てが皆無だということ。
その引力を利用して人間界側の扉を開けさせる《《繋ぎ》》という役割が毎回一人の人間に与えられる。
私はそんな無差別を誘導し、いつでも介入できるようネット掲示板という形で観測体制を敷くことにした。
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(介入? 介入と言うのなら助けてくれよ! 身体の自由が利かないんだ!!)
今のでおおよそ理解した。
この身体の自由が封じられている金縛りのような状態が地獄の引力によるものだと。
そしてこの状態は地獄と現実とを結ぶ《《繋ぎ》》の役割を果たすまで解除されることはないということ。
(あれが地獄門というやつか?)
鳥類は恐竜の生き残りと言われている。
その泣き声が聞こえてくるとより不気味さが増して、現代から切り離されたような感覚に陥る。
その恐怖心が今にも地獄門から這い出さんとする死霊の恰好の糧となり、生者の施しが防腐効果を齎した頑強な鉄の鎖を徐々に侵蝕し始める。
(開け………開け……開け…開け!!)
(開けろ………開けろ……開けろ…開けろ!!)
(出せ………出せ……出せ…出せ!!)
地獄門という最後の大砦を貫通して流れ込んでくる死霊の怨念。
それは人間としての欲望か、はたまた――――。
どちらか片方だけでも十分すぎる地獄の引力と死霊の二つに当てられた私に最早抗う術などなく、地獄門を開門する様子が嫌でもこの目に焼き付いた。
次の瞬間、この世のものとは思えぬ断末魔のようなうめき声が引力解除の号令となり、ゴゴゴという爆音が《《繋ぎ》》としての役割、その完遂を最悪の形で告げた。
「おいおい、嘘だろ嘘だろ嘘だろ!!」
地獄門を内側から押してこじ開けようとしていた無数の実態のない手。
それらが一斉に現実世界に飛び出してきたことで実体を帯び、掴んだものを問答無用で地獄に引き入れるかの如く、無数に伸びる手が私を襲う。
「……チッ、遅かったか。おい、何してる! 現世に出てきたことで実体化したんだ。木を盾にしてこっちに来い!!」
「あんたは?」
「あの掲示板の掲載主だ。一夜明ければここを出ろ、そしてここで見た全てを忘れるんだ。いいな?」
「わかった」
踏み込んではいけない領域というものがこの世にはある。
それは一種の境界であり、そこから先は人ならざる者の管轄領土となるからだ。
そして今、この世ならざる地獄の側に足を踏み入れた主人公。
「安心しなよ、夜が明けるまで俺が付き添ってやるから。ところであんた、名前は?」
「私? 骨透とでも呼んでくれ。ほら、見ての通りの痩せ型体型」
「あだ名か? なら俺は……牛馬とでも呼んでくれ」
無数の手は触覚だけを頼りに私達を捜索している。
このままこの場に留まっていれば、見つかるのも時間の問題だろう。
夜が明けるまではまだ数時間もある。
同時進行で樹海を出るという目的も持った方がいいという牛馬の提案で私達の目的は概ね決まった。
一方その頃、陽光に耐性を持つ人間を贄とすることで同様の耐性を獲得しようと考える無数の手はタイムリミットが夜明けという焦りから、掌に出現させた目を光らせると視覚と触覚、二つの五感で《《繋ぎ》》の捜索を効率化する。
そうして死霊が優勢に出ると、間もなくして発見した二人に向かって無数の手による拳の雨が降り注ぐ。
(チッ! 分断されたか。だが選んでいる素振りはない。同胞はまだ真実を知らないということか)
「牛馬!」
「俺なら大丈夫だ、どの道ここから出られない。先に行け!!」
情報格差とはかくも無情なものなのか。
無知な私からしてみれば、それっぽいことを言われただけでも一定の説得力を感じてしまう。
真偽の判断がつかなければ自身の取る選択が正しいのか、あるいは間違っているのかすら分からない。
そして留まり見届けるという選択肢を捨て、逃げた日には一生消化されることのないモヤモヤが心の一角を占拠する。
「……ッ! 後で必ず落ち合おう!!」
この時の言葉ほど後悔したことはない。
樹海の入り口まで命からがら逃げてきた私は「必ず落ち合おう」と自身が発した言葉に縋るように、唯一の接点で夜が明けるまで待ち続けた。
いや、例え夜が明けて朝日が昇ろうと、待ち人が現れるまでずっと待ち続ける気でいた。
しかし日の出とともにそこに在ったはずの樹海は存在ごとなかったことになり、私はただ人里離れた標高の低い山にある神社。
そこにある賽銭箱の前にただ茫然と突っ立っていた。
(あれは一体、なんだったんだ? 夢? そんなはずない。だってあんなに鮮明に、でも現実だと言われても百信じられる自信もない)
「ん? あれは絵馬? この規模の神社にしては珍しい」
ふと目に入ってきた絵馬。
その中でも一つだけ特に目を引くものがあり、人の書いた盗み見ることに多少の罪悪感を覚えながらも私は無意識のうちに読んでいた。
――――弟を救えない、弱い兄ちゃんでごめんな。お前に全てを背負わせない、一緒に背負って歩くから。
話は変わるが、何も持たずに無一文で大阪から東京と同様の距離を移動したという事実を未だに受け入れられてない自分がいる。
しかし我が家に帰るために行った苦肉のヒッチハイク。
その繰り返しが何度もその悩みを突きつけてくる。
そうして乗り継ぐこと実に十数回、自宅のある市内にようやく入って最後に選んだ運命の一台。
(ようやく帰れるんだ。これで――)
何度も回数を重ねて今ではすっかり慣れたもんよ、なヒッチハイク技術。
そうして呼び止めた車の運転手の顔を見た瞬間、これまで曖昧だったモヤモヤが晴れる感覚を覚えた。
「早速ですが目的地はどちらまで?」
「ここの住所に…ってあっ! あんた!!」
「ん??」
見覚えがあるどころの話じゃない。
牛馬と完全に瓜二つな顔立ちをした運転手は私がこのテンションな訳を理解していない様子だったが、私にはそんなのどうでもよかった。
事実でないのなら、ないでいいからとにかくこの心のモヤモヤを解消したい。
そんな思いで車に乗せてもらうと助手席に座り、目的地に着くまでの暫しの間、それとなく雑談を振ってみた。
「ああ、さっきはどうもすみません。貴方に似た方が知人にいるものでつい」
「気にしないでください。不躾かもしれませんがどちらから来られたんですか?」
「東京から」
「奇遇ですね。私の地元も東京なんですよ。《《向こう》》には兄もいましてね、何世紀も前に亡くなっていますが」
(えっ?)
その後、二人を乗せた車は目的地を通り過ぎてそのまま消えていき後日、消息不明のニュースだけが短期間、メディアで取り上げられるのだった。




