08.その手を取ると決めたのだ
凪と約束した日曜日、渡がマンションのロータリーに向かうと、ちょうど黒塗りの車が滑り込んできた。
「雨水様、本日はよろしくお願いいたします」
降りてきた猿渡は黒スーツではなく、カジュアルなシャツにスウェット生地のズボンを履いていた。
スーツ姿でも筋肉質だと渡は思っていたが、シャツから覗く腕は太く、みっちり筋肉がついている。
渡はなんとなく自分の細い腕をさすった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。あの……その服は?」
「今回の目的地で浮かない服装を選ばせていただきました。お嬢様より目立たないようにとのご指示でして」
「たしかに遊園地でいつものスーツだと目立ちますね」
渡はドアを開ける猿渡に軽く頭を下げて、車に乗り込んだ。
「渡くん、おはよう」
「おはよう。凪、かわいい格好してるね」
後部座席に座っていた凪は「えへえへ」と顔を緩めた。
最初に会ったときは高校生らしいスカートとパーカー。
次に会ったときはレモンイエローのドレス。
前回と前々回は高等部のセーラー服。
今回は襟のついたシャツとキュロット。膝の上には小さなカバンが乗っている。
「渡くんもかっこいいねえ」
「そう? ならよかった。頑張って選んだから」
渡がシートベルトを締めると、車が静かに動き出した。
「頑張ったの?」
「頑張ったよ。いつも着る服はお手伝いさんにお任せだけど、さすがに女の子とデートでそれはかっこ悪いからさ。といってもかなり妹に手伝ってもらったけど」
「妹さんいるんだっけ。おいくつ?」
「たしか十四。今年十五。来年には凪の後輩になるよ」
「わ、そうなんだ。今度紹介してね」
「もちろん」
最初は渡も凪もそわそわしていたが、話しているうちに次第に落ち着いていった。
渡は多少慣れてきた気がするし、凪が気を遣ってフラットに話してくれているのもわかっていた。
やがて車は、予定していた屋内遊園地の地下駐車場に停まった。
渡が凪の手を引いて車から降りると、猿渡とやはりラフな服装の蟹沢がさりげなく前後を挟む。
猿渡と蟹沢は二人で並ぶと、ちょうど凪の両親のように見える服装で揃えていた。
「私どものことは、どうかいないものとしてお楽しみ下さい」
蟹沢に微笑まれて、渡は頷く。
「はい、ありがとうございます」
渡の手がわずかに引かれた。
見ると、凪がニコニコしながら渡を見上げている。
「行こうか、凪」
「うん!」
並んで入ってチケットを買う。
凪は遊園地に来たことがなく、渡も高校の遠足くらいしか経験がないので、とりあえず片っ端から乗ることにした。
「屋内なのにコースターがあるんだね」
「そうだね。どれくらいの距離を走るのか全然わからないな」
二人は首を傾げつつ、安全バーを下ろした。
すぐ後ろの席に猿渡と蟹沢が並んで座っていた。
「渡くん、手つないで」
「いいよ」
手が重なった瞬間、走り出した。
「う、わ、早いな!?」
「ひゃわ……きゃーー!」
渡の想像よりもずっと早く、コースターが走り出した。
隣の席の凪は半泣きで悲鳴を上げている。
後ろの席から蟹沢が爆笑する声が聞こえて、そっちはちょっとホラーだ。
コースターはグルングルン走り回って、最後に一気に滑り落ちて止まった。
「つ、疲れた……」
「はわ……はわわ……」
渡はフラつきながら、凪と共にコースターから降りる。
近くのベンチに座り込むと、蟹沢が飲み物を買ってきてくれた。
「お嬢様、雨水様、お召し上がりください。毒味は済ませてありますので」
「ありがと……や、怖かったあ」
「凪かなり叫んでたけど、喉大丈夫?」
「だめ、喉痛い」
「のど飴じゃないけど、飴あるよ。蟹沢さん、渡してもいいですか?」
「お品物を確認させていただけますか?」
「お願いします」
間にボディガードを挟んでやり取りするのは、渡からすれば当たり前だし普通のことだけど、一般的にはちっとも普通のやり取りではない。
しかし凪もそれを当たり前だと思っているので、特に気にもせずにやり取りしている。
それならそれでいいか……と渡は流すことにした。
ふと近くのベンチを見ると猿渡が真っ青な顔で項垂れていた。
「雨水様、お気になさらず」
「……はい」
渡は凪と次の乗り物に向かう。
「渡くん、あれ乗ろうよ」
「うん、行こう」
凪がフリーフォールを指差す。
蟹沢が笑顔で頷いたので、渡も凪の手を取って歩き出した。
午前中はひたすらコースター系を回った。
昼を食べたあとはプリクラを撮ったり謎解きをしたりして、歩き回った。
渡が思うよりも凪は活発で、元気にはしゃぎ回っていた。
結婚式で見た月の姫君の面影はどこにもなく、どこにでもいる女子高生そのものだ。
とはいえ渡も他の女性と付き合ったことはなく、通っていた学校も幼稚舎から大学までほぼエレベーター式の、いわゆるご令息・ご令嬢向けの学校である。だから、あまり自分の感覚が一般的かどうかは自信がない。
「渡くん、これ一緒に撮ろう」
「あれ、一度やってみたかったの!」
少なくとも、そう言って渡の手を引く凪はどこにでもいそうなかわいい女の子で、こうやってずっと一緒にいられたらいいのに……と思うくらいには、渡は凪のことが好きだと自覚する。
あちこち回ったあと、渡と凪は併設のカフェで休憩していた。
復活した猿渡と蟹沢は毒味を終えて姿を消した。
たぶん二人の視界に入らない位置で見守っているのだろう。
「渡くん、ありがとね。付き合ってくれて」
「こちらこそ、ありがとう。楽しかった」
「……また、どこか行こうね」
「もちろん」
渡がコーヒーを飲みながら凪を見つめると、彼女は少し照れた顔で手元のメロンソーダをストローでかき混ぜていた。
「あのね、渡くんと出かけると普通の女の子になれたみたいで嬉しいんだ。……今だけだけどさ。それでも、そういうことをしておきたかったから」
「いつか、月に戻るんだ?」
「うん。遅くても大学を出たら戻らないと」
「……俺からすれば、凪は最初から普通の女の子だと思うよ」
「そうかな」
渡はコーヒーのグラスにガムシロップを入れながら、言葉を選んだ。
格好つけてブラックで飲んだけど、苦くて飲み進まなかった。
「一緒に行った水族館も海も楽しかった。……だから……俺がこういうことを言うのは図々しいかもしれないけど、その、俺と一緒に普通の交際っていうの、やってみませんか?」
凪がアーモンド型の目をぱちりと見開く。
格好つけたことを後悔しつつ、渡も凪の瞳を真っ直ぐに見つめた。僅かに赤みがかった茶色い瞳。
月人は一般的に地球人よりも色素が薄い。
低い位置に下げたツインテールも相まって、ウサギっぽく見える。
「渡くん」
「うん」
「それは、私が渡くんの彼女になるってことかな」
「凪がよければ」
「渡くんは私の彼氏になる?」
「なるよ。凪がよければ」
「なりたい?」
「なりたい」
「どのくらい?」
どのくらい?
渡は、凪の瞳を覗き込みながら少し考えた。
「地球の体積くらい」
「月より大きいってこと?」
「そう。地球はだいたい一兆八百億立方メートル、月は二百二十億立方メートルだね」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「渡くん、サクランボあげるね」
「いいの? 一個しかない」
「恋人って、一個しかないものを譲ってあげたいくらい好きな人のことじゃない?」
「……なら、ありがたくもらおうかな」
渡はサクランボを受け取り、そのまま口に運んだ。
シロップ漬けのサクランボは舌が痺れそうなくらいに甘かった。
「ママに渡くんが彼氏になったって言っていい?」
「いいよ。俺も親に言っていいかな」
「もちろん。たぶん大事になる」
「そだね。大事にしちゃおうか。えっと、凪のパパに話がいくなら教えて。こっちも話を通すから」
「どこに?」
「頭領に」
「雨水美佳さんだっけ。背の高い美人のお姉さんだよね。……渡くんの伯母さん?」
凪が首を傾げる。
「父の姉だよ。……怖いけど、ちゃんと話す」
「渡くんのパパさんっていくつ? お姉さんならそれより上ってことだよね。四十超えてるように見えないけど」
「五十過ぎてる。姿勢がいいし、ハキハキ話すから若くみえるよね。怖いんだよ」
「そんなに……。うちのパパとどっちが怖い?」
凪の質問に渡は口を歪めた。
日本人で、月の日本領大使を怖くないと思う者はいないだろうと思ったけど、黙っていた。
それが付き合いたての彼女の父親とくればなおさらだ。
「彼女の父親が怖くない男なんていないと思うし、伯母さんの怖さはまた別だよ。○の錬金術の○ームストロング少佐に似てる」
「読んだことないな」
「おもしろいから、今度全巻持ってくる。でも、怖いけど、銃も剣も持ってないし、話が通じないわけじゃないから、凪のお父さんに話がいくなら、伯母ともきちんと話すよ」
「そんなに……」
顔をしかめる凪に、渡は少し脅しすぎたと反省した。
それでも、渡の伯母が○ームストロング少佐くらい怖いのは事実だ。譲が○の錬金術を読んで、
「どこの世界も姉貴はおっかないな」
とつぶやいていたのを渡は聞いたから、間違いない。
しばらくしてから、凪はニコッと微笑んで顔を上げた。
「そんな人と対決してもいいくらい、渡くんは本気ってことだよね」
「できれば対決はしたくない。怖いし。だから対決せずに済むように、穏便にいこう。別に今々、表立って反対されてるわけじゃないしさ。対決は最後の一歩手前だね」
「一歩手前? 最後は?」
「凪と二人で、どこかに逃げる」
「……渡くん、意外とアグレッシブだよね」
「そうかな……」
「ありがとう。私も頑張ってパパを説得するね」
「……うん」
渡はコーヒーを飲み干した。
凪のグラスも空になったので、渡は立ち上がった。
猿渡と蟹沢がどこからともなく現れたので、渡は凪と共に車へ戻った。
「今度、高校まで迎えに行っていい?」
家に着く直前、渡はふと口を開いた。
「いいよ! 嬉しい……!」
「その、それぞれの親に付き合うって報告して、問題がなさそうならね」
「……わかった」
凪は一瞬ムッと口を閉じたが、すぐに微笑んで渡を見上げる。
「楽しみにしてる」
「うん、俺も」
車がマンションのロータリーに入り、静かに止まった。
猿渡がドアを開け、渡は最後に一度だけ凪の手を握って車から降りた。
勢いで言ってしまった感はあった。
でも、言ったことに嘘も後悔もない。
渡は手のひらを強く握って家に向かった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この作品が面白かったら、☆を★に変えていただいたり
ブックマークやお気に入り登録してくださると、
作者がとても喜びますので、よろしくお願いいたします!




