06.この子の隣にいたいと願ってしまったのだ
結婚式の翌朝、渡は父の譲から午前中いっぱい詰められた。
「……まあ、いいか」
「いいんだ?」
「一応、頭領には非公式だが報告するが、構わんな?」
「うん。向こうも月詠の頭領には伝えてないけど、母君の了承は得てるって言ってたから」
譲がため息をつくと、すかさず蛙前が緑茶を差し出す。
渡の分も用意してくれたので、ありがたくいただく。
「とはいえ、先方と具体的な待ち合わせはしてないんだろう?」
「してない。……俺からは動けないって分かってくれたんだと思うんだけど」
「逆に気を遣わせてしまったな……先にこちらからお声掛け……はできないし、うーん」
「凪は……月詠様は『普通の女の子として』ご一緒したいと仰っていたし、うちから声をかけるとなると、頭領から月詠様の頭領に正式にお時間をいただくことになって……ってなるよね? 全然普通じゃない」
「そもそも月詠様が普通のご令嬢じゃねえからなあ。だからこそ、お前が気負わず並んで歩いたのが目新しく映っただけだとは思うが」
自分の息子を捕まえて、目新しいとか言うなよ……と渡は言いたいが止めておく。
譲の言うことにも一理どころか百理くらいあるのは渡も分かっていて、まあたぶんそんなところだろうな……と自分でも思っているのだ。
何度か会ううちに、きっと飽きて誘われなくなるだろう。
それを想像するのは渡にとって辛いことだが、仕方がない。
「ともかく、しばらくは待機だな。ま、首を洗ってるんだな」
「うーん。まあ……仕方ないか……」
「ところでお前大学は?」
「午後からだよ。親父こそ仕事は?」
「さっきから、姉貴から怒りの電話が来まくってるから行ってくるよ」
「何してんだよ」
譲はぶつくさ言いながら立ち上がった。
蛙前が手早く譲にスーツのジャケットを着せ、滝草が待つ玄関へと送り出す。
歌帆が頭を下げて見送った。
「お坊ちゃまの朝食もただいまご用意いたしますね」
「ありがと。雫は?」
「とっくに学校に行ったわよ。凪ちゃんと進展したら教えてね」
ニコニコしながら、歌帆は書斎へと消えていった。
彼女も彼女で仕事らしい。
……月詠のお嬢様を「凪ちゃん」だなんて、渡にはとても呼べないが、母からすれば凪は「月詠のお嬢様」ではなく「息子の彼女候補」なのだろう。
渡は出された朝食を摂って学校に向かった。
夕方、授業を終えた渡は、一緒に授業を受けていた宗輔と別れ、校門に向かった。
宗輔は山岳サークルに入っているので、この後サークル仲間と登山グッズ専門店へ行くと言う。
渡も入学時に一緒にサークルに勧誘されたが、「雨男はちょっと」と丁重に断られた。
一人で校門をくぐり、駅の方へ顔を向けた瞬間、呼び止められた。
「雨水様」
「ん?」
振り向いたときには、両脇から腕をつかまれていた。
渡が抵抗する間も、声を上げる間もなく車に連れ込まれた。
咄嗟に能力を発動させ、渡の上空にだけ雨を降らせる。
これで雨水家、蛙前、滝草のどれかの家の人間なら足取りを追えるはずだ。
「申し訳ございません、雨水様」
謝るくらいなら拉致なんかするな! と言い返そうとしたが、運転席から聞こえる低い声に聞き覚えがあった。
渡は広々とした車の後部座席に座らされていた。運転席にはサングラスに黒スーツの分厚い体格の男性。助手席にも同じ格好の女性。どちらも姿勢が良く、どう見ても一般人ではありえなかった。
「これなら、少なくとも雨水の落ち度にはならないと思ったの」
続く、高く透き通るような声音は、覚えがあるどころか、渡が求めていたものだった。
「……月詠様……?」
振り返ると、口をへの字にした凪がセーラー服姿で脚を揃えて座席に座っていた。
「次に私的な場で私のことを『月詠様』なんて呼んだら怒りますよ」
「もう、怒ってるじゃないですか」
渡が笑うと、凪も笑った。
「当たり前でしょう。凪って呼んで。敬語も禁止。渡くん、私より年上だし学校の先輩でもあるんだから」
本当にいいのだろうか。
渡が戸惑っていると、運転席から再び声がした。
「申し訳ございません、雨水様。お嬢様たっての願いですので、どうか」
「……そういうことなら。えっと、なんで凪は俺を拉致したんだっけ?」
「拉致だなんて失礼な。デートの誘いに来たの」
普通の女の子は意中の男の子をデートに誘うのに、ボディガードを使って車に連行したりはしない。しかも月詠家の車だから、防弾仕様で窓ガラスもスモーク仕様の高級車だ。
これが拉致でなくなんなのか……という台詞を、渡は二秒かけて全部飲み込んだ。
「デートは構わないけど、家に帰りが遅くなるって連絡していい?」
「もちろん。ついでに雨も止めてもらえる? 昨日、結婚式の前に猿渡が熱心に車を磨いていたの」
「それは申し訳ないことをしました」
猿渡と呼ばれたボディガードは構わないと笑って首を振った。
渡はスマホを取り出して、ニャインの家族用グループにメッセージを送っておく。
雫と歌帆から一瞬で『詳しく』と同じスタンプが送られてきたが、無視した。
渡が雨を止めると、車が音もなく走り出した。
「どこに行くの?」
「海。また一緒に月を観よう」
「……わかった」
「ねえ、渡くんも附属高校だったんだよね? 生物の依乃先生って知ってる?」
「知ってるよ。生物室の骨格標本に死んだ恋人の魂を憑依させてる先生だろ?」
「あ、そういうことなんだ? この間、骨格標本に話しかけててね……」
二人は高校の先生や授業内容といった共通の話題で、それなりに盛り上がった。
凪が学校では「明月」を名乗っていること、先日デートした同級生が謎の圧力で転校していったことなどだ。
外は梅雨明けの夕暮れ時で、透き通るような青空がオレンジ色を挟んで濃紺へと色を変えている。
いつの間にか車は海岸線を走っていて、渡は暮れなずむ空をぼんやり眺めた。
ゆっくりと海岸沿いの駐車場に車が停まる。
凪が先に降りて、渡の手を引き歩いていく。
空はまだぎりぎり夕方だけど、それでも月が明るく輝いていた。
砂浜に人影はなく、二人の足音と波の音だけが聞こえた。
二人が立ち止まると、女性のボディガードである蟹沢がサッとビニールシートを敷いた。
凪が先に腰を下ろし、手を引いて渡も隣に座るよう促す。
月は半分より少し大きいレモンのような形で、明るく光りながら浮いている。
プリーツスカートのヒダを崩さないように、片手でそっと膝を抱えて凪が渡を見上げた。
「……あのね、渡くんはきっと『お嬢様の気まぐれ』とか『興味本位』とかそんな風に思ってると思う。それはきっと的外れじゃないよ」
凪は暗くなってきた水平線を眺めながら言った。
「でも、だからこそ私は渡くんのこと知りたいな。たくさんお話して、渡くんのこと知って、ちゃんとあなたのことを好きになりたい」
それに渡はなんと答えるべきか悩んだ。
家柄だけで言えば、きっと雨水本家の長男の方がふさわしい。
雨水本家の頭領は、現頭領の長子である従姉が継ぐと聞いているし、その弟である従兄なら世代的にも家柄的にも問題ない。
でも……渡は唇を噛んだ。
今手をつないで渡に寄り添う彼女が、従兄と並ぶ姿を想像したくない。それはたぶん、他の誰でも。
「渡くんは、どうかな」
静かな声が渡の耳に響いた。
つないだままの凪の手が、キュッと強く渡の手を握る。
小さくてか弱く、渡が握ったら見えなくなって潰してしまいそうな手が、渡の手に食い込みそうなくらい強く掴んでいた。
「俺も男だからね、かわいい女の子に誘われて嫌なわけがない」
渡はなんとか言葉を選ぶ。
じわじわと辺りが暗くなり、空と海の境がぼんやりしてきた。
でも、そこに確実に境界線がある。
「もちろん何の気負いもなくとはいかないよ。家のことがある」
そのことはきっと凪だって分かっていて、その上でこのお嬢様は自分の手を掴んで離さないのだと思いたい……ただの願望だけど、と渡は目を伏せた。
「でも、俺だって凪とまた会いたかったし、並んで歩いて、他愛もない話をして、最後にキスして別れを惜しみたい」
凪が渡の方を向いた気配がした。
渡もゆっくり、隣に座る凪を見た。
赤い目が月の光を反射してキラキラ光って見えた。
「こちらこそ、ありがとう凪。また一緒に月を見てくれて」
「ううん。無理言ってごめん。わがまま言ってごめん。……ありがとう、私に会いたいって言ってくれて。渡くんがそう言ってくれたから、私はわがままが言えた」
凪が微笑んで目を閉じた。
渡は前回より少しだけ長く顔を寄せた。
「……帰ろうか」
「うん。ねえ渡くん。別れを惜しんでくれた?」
「もちろん。帰りたくないよ。でも帰る」
「私が帰らないでって言っても?」
暗い中、顔を寄せてひそひそ話す。
凪はいたずらっ子みたいな顔で渡を見上げた。
「帰るよ。そうした方が、きっと、ずっと長く凪と一緒にいられる」
「渡くんは大人だねえ」
「本当に大人だったら、初めて会った女の子にキスしない」
渡は笑って立ち上がった。
凪も手を引かれて立ち上がる。
ビニールシートが音もなく片付けられて、二人は手をつないで車まで戻った。
渡の手を握る凪の手は、さっきほど強くは食い込んでいなかった。
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