04.月のウサギが腕の中に飛び込んできた
「ご無沙汰しております、月詠様。この度はお招きに預かり、まこと、光栄の至りにございます。此度の婚儀が天照、月詠の世により一層の繁栄をもたらしますことを……」
父の譲が口上を述べるのを渡は斜め後ろから聞いていた。
上方と目を合わせるのは失礼に当たるため、一礼後も渡は目を伏せ、凪の足元だけを見つめていた。
顔を上げた一瞬に見た凪の顔を、渡は思い返す。
目を見開いたように見えたのは、気のせいだろうか。
自分を覚えていてほしい、彼女にも特別な思い出であってほしい――そんな都合のいい願望が見せた錯覚ではなかったか。
滔々と続いていた口上が終わり、譲は足音もなく一歩下がった。
代わりに渡が前に出て、再度頭を下げる。
「お初にお目にかかります。雨水家長男、譲の次男、渡と申します。この度の婚儀、誠におめでとうございます」
「面を上げよ」
凪に命じられて、渡はゆっくりと顔を上げる。
真正面で唇をきゅっと結んだ凪が、小さく頷いた。
「よくぞ参られた。雨水の日頃よりの尽力、聞き及んでおります。どうぞ、楽しまれよ」
「ありがとうございます」
口をへの字にした凪にもう一度頭を下げ、渡は静かにその場を後にした。
そのむくれたような表情が、図書館で出会ったときと変わらなかったことに、渡は深く安堵した。
よかった。
あの子こそ、自分が探し続けてきた少女に違いないと、渡は確信する。
その場を離れ、渡は譲から招待客について改めて教わった。
挨拶を終えた晴原や風間の家の人々も加わり、渡に家の格や人柄についてともに説明した。
風間も序列が並び、譲と渡それぞれに同世代の嫡男がいるため、雨水とは縁が深い。
「渡、久しぶり」
「おお、宗輔。久しぶり。なんかまたデカくなったな」
「痛くて寝るのがツラいんだよなー」
風間の頭領の嫡男、宗輔は渡と同い年だ。
本家と分家の壁はあっても、幼馴染みであり、幼稚舎どころか産院からの付き合いだから、二人は昔から親しくしている。
「席、渡と隣になってて助かったよ」
「周りが大人ばかりだから緊張するよな」
「そうじゃなくて」
宗輔が声を潜めた。
「魚食べてくれ」
「子供かよ。それくらい食え」
渡が呆れていると、風間の頭領が宗輔の頭を叩いた。
譲がまあまあと笑いながら宥め、渡は吹き出し、宗輔はふてくされた顔で言い返している。
そうしているうちに一連の挨拶が終わり、間もなく披露宴が始まるとアナウンスが流れた。
「俺は行くが、渡は先に手洗いすませとけ。長えぞ」
「わかった」
待合室を出て、手早く手洗いを済ませる。
ついでにネクタイを整え、襟や裾が乱れていないかも確かめた。
手洗いを急いで出た渡は、誰かとぶつかりそうになった。
慌てて相手を支えると、腕の中の少女が目を大きく見開いて渡を見上げた。
「申し訳ありません……な、月詠様……?」
「雨水さん……? あ、わ……雨水さん……会いたかったぁ……」
凪は大きく見開いた瞳から、堰を切ったように涙をこぼした。
渡は慌ててポケットからハンカチを取り出した。
「月詠様、お顔を拭かれてください」
「やだあ、月詠様とか言わないでよお……」
「そうおっしゃいましても……」
凪は渡にしがみつき、ぐずぐずと泣き続けていた。
先程の月詠のお嬢様としての威厳は欠片もない。
こんな姿を誰かに見られれば、渡の首が飛ぶかもしれない――物理的に。渡がぼんやりとマリー・アントワネットの処遇を思い浮かべていると、ようやく凪が泣き止んで顔を上げた。
「ごめんなさい、雨水さん。取り乱しました」
「いえ、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけありません!」
凪は赤い目のまま、渡をキッと睨んだ。
その表情が渡にはたまらなく可愛く映るが、誰が見ているかわからないため、彼は必死に真面目な顔を保った。
「先日のことを、私はずっと忘れられずにいたのです。大学まで探しに行こうとしたのに、ボディガードに止められて……。それでも従姉の結婚式で会えるかもしれないと胸を高鳴らせて来たのに、挨拶挨拶、また挨拶……やっと雨水さんに会えたと思ったら他人行儀! ひどいじゃないですか……、キスまでしておいて!!」
「ちょっ……大きな声で言わないでください。僕の首が飛びますから!」
「させませんよ、そんなこと。私を誰だと思っているんですか。泣く子どころか、その気になれば月の頭領だって黙らせてみせます」
そんなことを胸張って言われても……。
華奢な身体で怒りをあらわにする凪を前に、渡はどうしていいのかわからなかった。
「あの、ですが、今日は明月様の婚儀なんですよね? あまり騒ぎだてしては、ご迷惑になりますので」
「む……それは、そうですけどぉ」
「それに、そろそろ披露宴の時間です。ご一緒はできませんが、参りましょう?」
「……わかりました。でも、あなたと雨の日にデートすることも、また一緒に月を見ることも諦めていません」
「どうしてそこまで……。僕なんて、どこにでもいるしがない次男坊ですよ」
「雨水さんのご兄弟のことなんて関係ありません。私を助けてくれて、普通の女の子として接してくれたあなたと、仲良くなりたいんです!」
それはきっと、かなり難しいことだと渡は思う。
立場が違いすぎる。
序列だけで言えば月の一位と地球の三位で大きな差はなくても、本家と分家の壁は高く、月と地球の隔たりはさらに広い。
「雨水さん、雨水渡さん。私はあなたを諦めません。私は月の姫です。欲しいものは、何が何でも手に入れます。月の民は強欲なんです。覚えていてください!」
凪はそう啖呵を切ると、ツンと澄ましたまま踵を返して去っていった。
残された渡はぽかんとしながらも、急いで披露宴の会場へ向かった。
入る直前、歪んだネクタイを整えたものの、染みこんだ凪の涙の跡だけはどうにもならなかった。
披露宴の最中、渡は時々凪の席に目を向けた。
五回に一度くらい、凪と目が合う。
父に気づかれないかと気を揉みつつも、つい彼女を見てしまう。
「渡」
「ん、なに?」
隣に座る宗輔がひそひそと声をかけてきた。
「さっきから、月のお姫様、こっち見てない?」
「……気のせいだろ」
「そうかなあ」
渡は宗輔から目を離して、手元のナイフで魚を切り分ける。
正直、渡には味がほとんどわからなかった。
この間違いなく美味しい食事を、本当は凪と向かい合って二人きりで味わいたかった。
さっきまで怒っていた彼女は、今は澄ました顔でフォークとナイフを持って、黙々と食事を続けている。
もし、渡と向かい合って食事に臨んだら、あの月の女の子はどんな顔をするのだろう。
「おいしいね」
そう言って笑ってくれるのだろうか。
そんな詮ない思考を抱えながら、渡は機械的に食事を口へと運んでいった。
魚の皿を空にしたら、宗輔が渡と皿をすり替えようとして風間の頭領にこっそり蹴られていた。
やがて、披露宴が終わった。
会場を出た後はまた挨拶回りだ。
渡は譲の後に続き、今後付き合いがあるであろう相手の元を回って頭を下げた。
顔と名前を必死に叩き込み、ようやく終える頃には渡の頭は疲れ果てて、なにも考えられなくなっていた。
「晴原と風間とちょっと話してくるから、その辺で待ってろ」
「おーう」
渡は披露宴が行われたホテルのエントランスにあるラウンジへ移動した。
やたら小さなコーヒーと、それに合わせたように小さなケーキが渡の前に運ばれてくる。
ケーキを食べ終える頃になって、ようやく霞んでいた頭がはっきりしてきた。
……そこでやっと、渡は正面に男性が座っていることに気がついた。
「……えっと……護衛の方、でしょうか?」
渡が無声音で尋ねると、正面の男性は小さく頷いた。
体格のいい黒のスーツ姿で、肩幅も身体の厚みも渡の倍はあるように見える。
ただ座っているだけなのに、その圧に渡は思わず身震いした。
渡に確信はなかったが、おそらく凪のボディガードの一人なのだろう。
披露宴の前後、凪の後ろに立っていた記憶がある。
「よくお気づきでいらっしゃいますね。気配を消しておりましたが」
「雨水の特技なんです。雨の中でも人を見つけないといけないので」
「なるほど。こちら、我が君からの信書でございます。お受け取りいただけますか?」
「ちょうだいいたします」
差し出されたのは、先ほどの披露宴で使われていた席札だった。
『月詠 凪様』と金の文字が光っている。
二つ折りになったそれを開くと、中にはニャインIDが手書きで走り書きされていた。
「……これ、僕が受け取って大丈夫ですか? その、首が飛んだり、家の取り潰しとか、そういう危険はありませんか?」
渡が思わず尋ねると、ボディガードは目を見開いて、面白そうな顔になった。
「ふふ、しっかりなさっていらっしゃる。我が君にも見習っていただきたいくらいだ」
「そういう家系なもので」
天照と晴原が表なら、雨水と風間は裏にあたる。
今はそうではないが、かつては後ろ暗い役目を担っていた時代もあった。
天照、月詠、晴原が率先して雨水と風間と公的に関わることで、そうしたイメージを払拭しようとしているが、年輩者の中には依然として雨水と風間を警戒する者もいる。
そして、その警戒はあながち的外れでもない。
ボディガードは微笑んで、手のひらを渡へと向けた。
「大丈夫です。我が君はあなたにずいぶん入れ込んでいらっしゃる。……先日のことが余程嬉しかったのでしょう」
「あの日、あなた方も側にいたんですよね?」
「もちろんでございます。ただ、公共の場であった上に、周囲に第三者が多く、風除室という狭い空間でのことでしたため、助けが遅れました。雨水様が我が君を助けてくださったこと、深く感謝しております。本来であれば公式に謝辞を送らせていただくのですが……その、我が君が父君に内密にと仰せでして……」
ボディガードは困った顔で言葉を濁す。
確かに、名家のお嬢様でなくても、「同級生とデートしたらデートDVにあって、それを助けてくれた大学生とその後も会っていました」などと父親には言いにくいだろう……と渡は頷いた。
「ですが、雨水様から我が君が手を挙げられそうになった件について確認がありまして、該当の同級生につきましてはすでに処分済みでございます。ご安心ください。重ねて感謝申し上げます」
「はあ……まあ、それは僕も父に問いただされて言わざるを得なかっただけですので。でも、はい。彼女が安心して学校に通えているのなら、よかったです」
「そちらの信書は、お納めください。父君には内密にと仰せですが、母君はご存じですので、何かあれば我が君と母君が口添えくださるかと」
「いきなり僕の首が物理的に飛ぶことは、ないんですね?」
「そんなマリー・アントワネットのようなことはありません。ご安心ください」
「我が家が取り潰されるようなことも、ありませんよね?」
「流石に我が君の父君の力を持ってしても、そちらのお家を完全に取り潰すのは難しいので、大丈夫です」
渡は(難しいだけで、できなくはないのか……)と思いながらも、黙って頷いた。
「わかりました。えっと、僕が受け取ったことと……これを、彼女に渡していただけますか?」
ポケットから渡の席札を取り出した。
ボディガードがスッとボールペンを差し出したので、ありがたく受け取る。
渡のニャインIDと、後ほど連絡する旨を添えて記し、ボディガードに差し出した。
「承知いたしました。我が君のこと、何卒よろしくお願いいたします」
ボディガードは最後に少しだけ笑みを浮かべて頭を下げた。
正直、月詠の姫君直属のボディガードなら、雨水の分家の次男である渡より立場が上に見えたため、渡も立ち上がって頭を下げた。
渡がボディガードの背中を見送って、凪の席札をポケットにしまうと、後ろから肩を叩かれた。
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