28.憤る姉と宥める弟と
渡が車に乗り込むと、譲が頷き、運転席の滝草がエンジンをかけた。
何度かワイパーが往復するうちに、徐々に雨が弱まっていく。
「俺はこっちの滝草が好きだな」
「なんだいきなり」
吹き出した譲に、渡は本家の滝草のことを話した。
見合いの部屋に入るのを止められたことと、先ほど謝罪されたことだ。
「どっちも滝草の仕事だけどさ。ごめん、なんでもない」
「渡様に好いていただけるのはありがたく思います。ですが」
「わかってる。八つ当たりしただけだ」
渡が顔をそむけると、譲が笑った。
「凪ちゃんは?」
「ちゃんと帰したよ」
「当たり前だろうが」
「機嫌は悪かったけど、ゴールデンウィーク明けに高校に迎えに行くことでご納得いただいた」
「そうか」
譲は安心したように息を吐いた。
「わかってると思うが、本家に行くと、頭領に叱られる」
「うん」
「まあ、そこまでお叱りではないと思うが、姉貴も頭領として一言言わないわけにはいかないからな」
「うん。ご迷惑おかけしました」
「わかっていればいい。まったく、透と雫まで巻き込んで……いや、発案は透か?」
「どっちかっていうと宗輔」
「風間……。まあ、仕方ない。綾様も噛んでるんだろ」
どうやら、すべて筒抜けらしい。
渡と透はそれを見越して、家でほとんど隠さずに作戦会議をしていたため、きちんと伝わっていて良かったと安心した。
直談判すれば「大人で対応するから」と受け流されるに違いないと、透と渡、雫はわかっていた。
だからこそ、普段は口を挟まないが、きちんと聞き耳を立てている歌帆と蛙前に伝わるよう、家で作戦会議をした。
その程度のことは、譲と美佳にはきっとお見通しなのだろう。
車は雨水本家へと入っていった。
渡は譲と共に玄関へ上がった。
本家の蛙前に案内され、座敷へと向かう。
「お待たせ―」
明るい声を上げながら、譲が襖を開けた。
座敷の空気は地獄だった。
上座には、明らかに不機嫌な美佳。下座にはうなだれた貴生と佳貴。
どこに座ればいいのか、渡の顔が引きつったが、考えるのを止めて譲に付き従うことにする。
譲が迷いのない足取りで貴生と佳貴の隣に腰を下ろしたので、渡もその隣に並んで座った。
「戻りました」
「ああ、お疲れ。渡、凪様のご様子は?」
「はい、お疲れのご様子ではありましたが、笑顔でお帰りになりました」
「そうか。お前に言いたいことは山ほどあるが……。まずは、無茶をしすぎだ。透と雫まで巻き込んで」
言うことが譲にそっくりだと思いながら、渡は頭を下げた。
「ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
「まったく、結果的に丸く収まったからこそ良かったものの。事前に譲か歌帆さんに相談できなかったのか?」
「止められると思いまして」
「それはそうかもしれないが……。今後は大人が止めないような計画を立ててくれ」
「はい、頭領」
「あとでしっかり話をするから、覚悟しておくように」
美佳は苦笑して、佳貴に視線を移した。
「佳貴」
「……はい」
唸るような声で、佳貴が答えた。
「考えたのだが、この夏休みは私の仕事を手伝うといい」
佳貴は訝しげに目を細め、美佳を見た。
「園佳には園佳の仕事があるし、譲と共に私の仕事の補佐をすることで、少しは現実を見てくれ。そして、我が弟が私にこびへつらうほど暇ではないことも理解してもらおう」
譲が微笑み、佳貴は気まずそうに背中を丸めた。
「それと、佳貴は渡を分家だと見下していたようだが、先程の渡の行動を見て何も感じなかったのか?」
佳貴が渡を見た。
渡は意味が分からず、佳貴に向けて首を傾げた。
「先程、渡は登場こそ乱暴ではあったが、月詠の頭領への挨拶は礼節に則ったものだったし、途中で声を荒らげることも、取り乱すこともなかった。経緯の確認となったときには素早く書記を買って出た。その間、佳貴、お前は何をしていた?」
正直、渡にはピンとこなかった。
声を荒らげなかったのは、その必要がなかったからだ。
もともと性格的に、渡は怒鳴ったり大声を出すことが得意ではない。
穏やかに接して、丸く収められるものならそうしたいのだ。
譲も同じような気質だから、おそらく遺伝なのだろう。
書記を買って出たのは、全体を把握したかったし、佳貴と貴生が何か言えばすぐ口を挟める位置にいたかったからだ。
佳貴は口をへの字に曲げ、渡を見ていた。
「渡はなんだかんだ、高校に上がったときから譲の仕事を手伝っているからな。もちろん透が家を出たからというのもあるが。佳貴は他者を見下すのではなく、自身を高めるためにどうすべきかを考えろ」
「……はい」
美佳は悔しそうに頷く佳貴から、青ざめて俯く貴生へと視線を移した。
「貴生さん。私はあなたに本家の土地の管理を任せていたはずだ」
貴生は俯いたままだ。
「今、土地の管理を誰がしているか、私が知らないとでも?」
渡は訳がわからず譲を見たが、譲は肩をすくめるだけだった。
「あなたが放り出した土地は、今は歌帆さんが譲と歌帆さん名義の土地と合わせて管理してくれている。そのことに、思うことはないのか?」
諭すような美佳の言葉に、貴生は勢いよく顔を上げた。
渡からは横顔しか見えなかったが、怒りに燃えた瞳をしているのはわかった。
「お前がわたしに押し付けるのは、そんな地味な裏方仕事ばかり。頭領として顔を出す華やかな仕事は独り占めして、自分ばかり目立って、ちやほやされて……! わたしは、お前の引き立て役になるために雨水に貰われたわけじゃないんだ!」
息を切らせて怒鳴った貴生に、美佳は悲しそうに頷いた。
「表に立ったら、なおのこと私と比べられるとは思わないのか?」
「その傲慢な考えが嫌なんだ。自分ばかりが目立つと思って。少しはわたしを立てようとは思わないのか!」
「自分で立てない男を伴侶にしたつもりはない。あなたなら、共に並んで立てると思ったから生涯を共にすると決めたんだ」
美佳の言葉に、貴生は顔をくしゃっと歪ませた。
「……わたしは、疲れた」
「そうか。悪いな譲、渡。夫婦喧嘩に巻き込んで。蛙前」
本家に仕える蛙前が、静かにふすまを開けて入ってきた。
「貴生と佳貴を頼む。それぞれ部屋に送り届けたら戻ってきてくれ」
「かしこまりました。貴生様、佳貴様、こちらへ」
渡は、美佳と譲とともに黙って待った。
戻ってきた蛙前に、美佳が小声で何かを告げた。
蛙前が退室し、ふすまが再び閉まった途端、美佳が力が抜けたように崩れ落ちた。
「疲れたのは私だが!?」
美佳の唸るような声に、譲が吹き出した。
譲は立ち上がり、美佳の隣に腰を下ろして微笑んだ。
「お疲れさま、姉さん」
「もー、やだー! なんだアイツ! 自分ばっかり可哀想みたいな言い方して!」
美佳が床を拳で叩き、その勢いのまま譲の腰にしがみついた。
強い勢いだったが、譲は笑顔を崩さずに美佳の背をゆっくりさすった。
「そうだねえ」
「ふざけるなよ! 今でさえ影の薄さや雨水への貢献度の低さを妹たちにチクチク言われているのに! 頼んだ仕事の一つもしないで滝草任せのくせに!!」
譲は「そうだねえ」「お疲れさま」「うんうん」と穏やかに微笑みながら、美佳を慰めていた。
渡が少し居心地悪く姿勢を直したところで、ふすまが開いた。
「お呼びでしょうか。……母さん、大丈夫そう?」
顔を出したのは園佳だった。
園佳の顔を見るなり、美佳が怒鳴った。
「だめ!!」
「あらあら。蛙前が張り切ってたから、すぐにお酒が出てくると思うよ」
そう言って笑い、園佳は渡の隣に腰を下ろした。
「お疲れさま。透から聞いたよ。大立ち回りだったんでしょう?」
「そんなかっこいいもんじゃないよ」
渡が苦笑した途端、美佳がギロッと睨んだ。
「そのとおりだ! まったく、ヒヤヒヤさせよって!」
「ご、ごめんなさい……」
「先ほどは佳貴の手前、強くは言わなかったが、お前に言いたいことは山ほどある。そこになおれ!」
「はい、伯母上」
ついに来たかと、渡は居住まいを正した。
ちょうどそのとき、ふすまが開いた。
「奥様。お食事をお持ちしました」
本家の蛙前が笑顔で膳を運んできた。
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