27.腕の中で震える、小さな女の子
「なんだよ、どいつもこいつも渡の味方ばかり! 誰か一人くらい僕に優しくしてくれたっていいじゃないか!」
佳貴の悲痛な叫びに、美佳は目を細めてゆっくり息を吐いた。
美佳が口を開きかけたが、悠人が先に佳貴に声をかけた。
「佳貴くん。凪は、君を満足させる道具ではないよ」
「そ、そんなつもりは……」
佳貴は勢いを失い、うなだれた。
「重ね重ね、申し訳ありませんでした」
再び美佳が頭を下げた。
悠人は苦笑して首を振る。
「いえいえ、こちらこそ。私がきちんと家族の話を聞いていれば防げたことです。……凪」
「は、はい」
突然呼ばれた凪が慌てて顔を上げた。
「凪は、私の跡を継ぐ気はあるのかい?」
「はい。あります。……その、できれば彼と一緒に」
凪はまっすぐに悠人を見た。
渡も頷き、ペンを置いて譲の隣で膝をついた。
「僕も、そのつもりでおります。月の緑化に雨水の者として尽力したく思いますし、何より凪さんの力になりたい所存です」
「そうか」
渡は美佳や譲とともに、月詠一家の様子をうかがっていた。
感触は悪くないと渡は感じていたが、気を抜くわけにはいかなかった。
悠人が美凪子を見た。美凪子は穏やかに微笑んでいる。
「美凪子。君の目から見て、渡くんはどうだい?」
「問題ありません」
美凪子が笑顔のまま言い切った。渡は安堵しながらも、表情を崩さないよう気をつけた。
「礼儀正しいですし、凪を大事にしてくれています。家系能力も歳相応以上に使いこなしていますし、素行に問題はなし、成績もなかなかですね」
渡は冷や汗をかいた。
いつの間にそんなことを調べたのだろうか。
……きっと、最初に調べていたのだろう。
凪と出会った図書館のことは猿渡から報告が上がっているのだから、その時点で確認したに違いない。
美佳と譲は無反応で、きっと承知の上なのだろう。もしかすると、二人も凪のことを調べたのかもしれない。
悠人が頷いた。
「そうか、わかった。君がそういうのならば、間違いないのだろう。少なくとも月詠の長として反対する理由はない。そもそも、月詠と雨水の婚約の話は昔からあったことだ」
凪が目を輝かせて悠人を見上げた。
「……しかし、父として言いたいことはある。雨水渡くん」
「は、はい」
渡は背筋を伸ばした。
「君は、死ぬまで凪を大事にしてくれるかい。月詠の姫としての彼女を支え、一人の人間として大切にできるだろうか」
「はい、大事にします。凪さんがお父上の跡を継ぎたいという意思を僕は支えたいですし、応援しています。凪さんを一生大切にします」
「……そうか」
悠人は微笑んで、わずかに肩を落とした。
そして譲に顔を向けた。
「よいご子息をお持ちで、羨ましい限りです」
譲は苦笑した。
「とんでもない。凪さんが素晴らしい方だから、息子は奮起してくれたのです。まだまだ青いですし、至らないところだらけですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、娘をよろしくお願いします」
父親たちが頭を下げ合うのを見て、渡はようやく息をついた。
凪を見ると目が合い、嬉しそうに笑っていた。
渡は真面目な顔が崩れそうになるのを堪えて頷いた。
しかし、凪の隣に座る美凪子まで同じように笑っており、渡は笑い出さないよう腹筋と顔に力を入れた。
「渡」
「は、はい!」
なんとか笑いを堪えているところへ美佳に呼ばれ、渡の声は思わず裏返った。
「この場は解散とする。譲と一緒に本家に来るように」
「はい、承知しました」
渡が頷くと、美佳は一瞬考えるような表情を見せた。
「美佳伯母さん?」
「いや、見合いなら『あとは若い人でごゆっくり』と言うところだが、渡は乱入した間男だから、そういう挨拶は不用だな」
「えっ」
くすくす笑う美佳に、渡は不満そうな表情を向けた。
「間男は佳貴兄さんでしょう。ゆっくりさせてもらえるなら、したいですよ」
「ゆ、許さんよ!?」
美凪子、凪と話していた悠人が声を上げた。
「ゆっくり!? ダメだダメだ。やはりまだ凪は嫁になどやらん!」
「パパ!」
悠人が慌てると、凪は目を丸くした。
「何言ってるの! ごめんなさい、渡くん。パパ、ちょっと疲れてるの。パパ、そういうことを言わないで。私と渡くん、二人きりになったことすらないからね」
「そ、そうなのか……?」
「はい」
渡は穏やかに頷いた。
「必ず猿渡さんか蟹沢さんがいらっしゃいましたし、雨水家に来ていただいた際はうちの者が側におりました」
「そうか……」
悠人は安心したように座り直した。
渡は穏やかに微笑んでみせたが、一部は嘘だ。
家に来てもらったときに渡の部屋で二人きりだったし、最初に水族館と海に行ったときも二人だった。もちろん猿渡と蟹沢は近くにいたはずだが。
「パパ」
凪が悠人を覗き込んだ。
「少しだけでいいから、渡くんとお話させてください。猿渡と、雨水さんのところの滝草さんもいらしてかまわないから、少しだけ、お願いします。ここ二ヶ月近く悠に邪魔されて、私達まともに会話もできていないの」
二ヶ月はさすがに言い過ぎだと思いつつ、渡も神妙に頷いた。
「お時間をいただけませんでしょうか。何卒よろしくお願いいたします」
「いいじゃない」
渡と凪が頭を下げると、美凪子が言った。
「ここで名誉を挽回してもよいのではなくて?」
「……わかった。蟹沢が車を回している間と、猿渡が室内を片付けている間のみだ」
「ありがとうパパ!」
「ありがとうございます」
渡はもう一度頭を下げた。
「では、私たちは先にお暇しよう。重ね重ね、この度は誠に申し訳ございませんでした」
美佳が悠人に頭を下げ、貴生と佳貴にも頭を下げさせて先に退室した。
その間に譲が渡に耳打ちする。
「車で待ってる」
「ありがとう。兄さんと雫は?」
「大丈夫。先に帰って母さんに叱られてるよ」
「ならよかった」
「よかったか?」
目を細める譲に渡は笑った。
「俺はこの後、頭領からのお叱りが待ってるからね」
「それくらい、甘んじて受けるんだな」
譲は渡を小突いてから、悠人に挨拶に向かった。そのまま悠人と美凪子と共に部屋から出ていった。
入れ替わりで猿渡と本家の滝草がやってきて、部屋を片付け始めた。
「渡くん……っ」
「凪、よかった。……ちょ、凪!?」
渡が机を周り、腰を下ろした途端に凪が飛びついてきた。
「わた、わたるくん……っ」
泣きながらしがみつく凪に、渡は背中を擦って落ち着かせるしかなかった。
渡が室内を見回すと猿渡は目を背け、滝草は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「怖かった……怖かったよ……」
「うん、ごめん。怖い思いをさせて。……うちの揉め事に巻き込んで、本当にごめん」
「渡くんが悪いわけじゃないよ。……でも私、あの人は嫌だな。あのね、あの人……佳貴さんは、一度も私の顔を見てないんだよ」
「そうなんだ!? あれだけ絡んでて顔を一度も見てないってのもすごいな……。ていうか向かい合わせで座ってただろ?」
「うん。あの人、ずっとパパのほう見てたもの。無理。無理の無理」
凪は渡にしがみついたまま、佳貴への不満を次々と口にした。
渡は凪の背中を擦りながら相槌を打った。
「凪、次はどこに行きたい?」
「そうだなあ、ゴールデンウィークだし、映画とか……遊園地とか」
「動物園や牧場もどうだろう。あ、兄さんが帰国してるから紹介したいな」
「わ、楽しみ! お土産くれるって言ってたもんね!」
「うん。楽しみにしてて」
渡がしがみつく凪をそっと撫でていると、影が差した。
顔を上げると、渋い表情の滝草が立っており、静かに膝を折った。
「渡様、月詠様、間もなくお時間でございます」
「わかった。凪」
「やーだー!」
猿渡が苦笑して凪の隣にやってきた。
渡はそっと凪を抱きしめる。
「凪。せっかく君の父上が認めてくれたんだから、ここで信用を失うようなことをしてはいけないよ」
「やだ! やだやだ!! 渡くんを連れて帰る!」
「俺が頭領に殺されちゃうよ。凪。またゴールデンウィークが終わったら学校に迎えに行くから」
「……本当に?」
「本当に。俺は凪との約束を破ったことがないよ」
「ゴールデンウィーク中は?」
「休みの間は、凪の父上が地球にいるんだろう? 一緒に過ごした方がいい」
「うー」
「好きだよ、凪。俺だって別れたくない。連れて帰りたくてたまらない」
凪を抱きしめる腕に、渡はぎゅっと力を込めた。少し痛いかもしれないが、きっとそのほうが互いに安心できると思った。
「うん……」
「また、うちにおいで。兄さんも紹介するし、お土産も渡す。母も妹も、凪が来てくれたら喜ぶから」
「……うん。ごめんなさい、わがまま言って」
ようやく渡の腕から離れた凪は、涙目で顔を上げた。
「それはわがままとは言わない。俺だって凪といたい。好きだよ。君のことが好きで堪らないから、今日は帰ろう」
「うん。私も渡くんのことが好き。帰ったら連絡するね」
渡は凪の手を引き、静かに立ち上がる。
猿渡に目で合図し、凪を見送った。
襖が閉まり、二人の足音が遠のいたことを確かめてから、渡は滝草と目を合わせた。
「悪いね、滝草。君のご主人の顔を立てられなくて」
渡の想像より、低い声が出たけど、どうにもならなかった。
「おやめください。この上かばわれては、貴生様も佳貴様も面目が立たなくなってしまいます」
「自業自得だよ」
渡が微笑んで言うと、滝草は目を丸くした。
「渡様……」
「滝草。俺は怒っているんだ。佳貴兄さんが凪を傷つけたことも、正月に父を侮辱したことも、貴生さんが凪を利用したことも。分家ごときに叩き潰されて、二度と立てなくなればいいのさ」
滝草は唇を噛み、それ以上何も言わなかった。
渡は微笑みを保ったまま、軽く会釈して部屋を出た。
雨が再び降り出し、地面を強く叩いていたが、渡はそれを弱める気にはなれなかった。
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