26.本当だったら、僕が
渡が襖を開くと、見合い中の全員の視線が集まった。
「わたるくん……」
凪が目を見開き、その瞬間に涙がこぼれ落ちた。
「お前、渡……! 分家の分際でどこまで邪魔する気だよ!」
吠える佳貴を無視して、渡は静かに膝を折った。
できるだけ無表情のまま、まっすぐに月詠家の頭領を見つめる。
「月詠様。このような形でのご挨拶、まことに申し訳ございません」
渡はゆっくりと頭を下げた。
誰も、何も言わない。
凪のしゃくり上げる声だけが、渡の耳に響いた。
渡は頭を上げて微笑んだ。
「凪さんとお付き合いさせていただいている、雨水渡と申します。ご挨拶が遅くなり、まことに申し訳ございません」
「渡……!」
「止めないか」
怒鳴る佳貴を美佳が押さえた。
月詠家の頭領は目を細めて、佳貴と渡を交互に見た。
それから泣いている凪と苦笑する美凪子に目を移し、首を傾げた。
「これは……どういうことだね」
「どうもこうもありませんわ」
困惑の面持ちの頭領に美凪子は肩をすくめて笑った。
「あなた、騙されたのよ。そこの二人と悠にね」
「すまないが、もう少しわかりやすく言ってくれないか?」
「ごめんなさいね、あなた。わたくし、怒っていますの」
美凪子の言葉に、月詠家の頭領は背筋を伸ばした。
同時に凪も小さく悲鳴を上げて座り直した。涙は一瞬で引っ込んだらしい。
渡は吹き出しそうになるのを堪えた。
「あの、私もよろしいでしょうか」
美佳も頭領に笑みを向けた。
その笑みに、渡は思わず居住まいを正し、わずかに身を引いた。
佳貴と貴生も同様に背筋を伸ばすが、顔色を青ざめさせ、はっきりと震えていた。
美佳は震える二人を冷たく一瞥してから、頭領へと視線を戻した。
「お話すべきことはたくさん、たーくさんございます。お時間をちょうだいしてもよろしいでしょうか?」
「……はい。こちらとしても申し訳ありませんが、どうか、よろしくお願いいたします」
「ありがとうございます。滝草、席の追加を。あと譲を呼んで。透と雫は家に帰してちょうだい」
「かしこまりました」
滝草がすばやく頭を下げて部屋を出ていった。
「美佳伯母さん、なんで兄さんたちのことを?」
「なんで、わからないと思ったの?」
美佳は微笑んだ。
先程の凄みのある笑みではなく、歌帆とよく似た、いたずらをした息子に呆れたような笑顔だ。
「わかりますよ。譲の……かわいい弟の子供たちですもの」
しかし、美佳は寂しそうに続けた。
「譲とその子供たちのことは分かるのに、夫と自分の息子のことはわかっていなかったみたいね」
美佳が貴生と佳貴の方に振り返った。
渡も二人を見ると、同じように背中を丸めて諦めた表情を浮かべていた。
滝草が渡と譲の席を整え、譲が到着するまでの間、月詠家の頭領――月詠悠人は困惑していた。
娘の凪はずっと泣いているし、妻の美凪子は怒り狂っている。
「美凪子、凪が泣いている理由を聞いてもいいか?」
「付き合って半年ほどの彼氏がいるのに、違う殿方とお見合いさせられて絶望していたところに、彼氏が助けにきてくれたから情緒が混乱しているのよ」
「そ、そうなのか」
立て板に水の勢いでまくし立てる妻に、悠人は頷くほかなかった。
それが事実であるならば、この場はいったい何なのか。
「あなた、悠から何を聞かされましたの? あの子、口を割りませんのよ」
「悠は……」
三月末に長男から聞かされた話を説明した。
凪が不審な男に付きまとわれていること。
雨水本家の長男が、凪の通う高校と並んで建つ大学に通っていること。
その長男が、不審者から凪を守ろうとしているという話。
「それで悠は『元々婚約の話があったわけだし、正式に見合いと婚約をすることで凪姉さんを守りたいって申し出があったんだ』と」
「……なるほど、そういう話でございましたか」
美凪子が頷いた。
悠人は背筋を震わせた。妻が怒っていることは、十分に承知していた。
きっと、悠の言ったことが概ね嘘であることも妻の発言から理解した。
「凪」
「……はい、お父様」
目を赤くした凪が悠人を見上げた。
「彼、雨水渡くんが言ったことは本当かい? その……凪と付き合いがあるという話は」
「本当です。不審な男に心当たりはありませんが、以前同級生とトラブルになった際に渡さんに助けていただき、それ以来よくしていただいております」
悠人が美凪子を見ると、彼女は頷いた。
「そのとおりです。渡さんは地球の別宅にも挨拶にいらっしゃいましたし、きちんと礼を尽くされていましたよ」
「……そうか」
悠人はまだ、突然現れた『娘の彼氏』を受け入れきれていなかった。
しかし妻は彼を認めているらしい。
悠人は気づかれぬよう雨水渡の方に振り返った。
背筋を伸ばし、雨水家の頭領である美佳と穏やかに談笑していた。
横顔には、美香と補佐役である弟の譲の二人の面影が重なって見えた。
「……そうか」
一方の貴生と佳貴は、背中を丸めて怯えたように俯いていた。
先程まではあんなにも自信満々だったというのに。
悠人は改めて妻と娘を見た。
妻は娘を慰めていた。娘は、
「渡くんが来てくれたから、大丈夫です」
とまだ涙の残る顔で笑った。
……悠人は休みの間は家族と過ごそうと決めた。
月詠一家の様子を、渡は美香と共に密かに観察していた。
美香の唇がわずかに動き、渡は静かに頷いた。
渡が美香に目配せをすると、美香は首を横に振った。
空気を震わせないように、静かに静かに二人はやり取りを続ける。
そうしているうちに譲が到着した。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「とんでもない」
悠人が頷き、改めて月詠家と雨水家で向かい合った。
今度は上座に悠人と美佳が向かい合い、その隣に美凪子と譲、凪と渡、貴生、佳貴と続く。
「一連の状況について、流れを確認させていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
美佳が口火を切り、美凪子が頷いた。
「おそらくこの場で判明したこともあるでしょうから、お互いに整理していきましょう。えっと書くものを……」
「では、僕が書記を務めさせていただきます」
渡は素早く立ち上がった。
滝草がホワイトボードとペンを持ってきてくれたので、渡はそれを受け取った。
美凪子が悠人に顔を向けた。
「あなたが悠から話を聞いたのは、いつでしたか?」
「三月の末だ」
渡はホワイトボードを上下に分けるように横線を引き、左の四分の一ほどに三月末と記した。
その後は、凪が悠人から見合いを指示された時期と、凪から連絡を受けた渡や雨水家の動きを互いに確認した。
貴生と佳貴は青ざめた顔で、問いかけに答えていった。
佳貴が正月の時点で、どうにか凪と正式に婚約できないかと思い悩んでいたこと。貴生が佳貴の様子に気づき、手助けを申し出たこと。美佳と譲が悠について話していた場面を耳にしたこと。ホワイトデーに風間宗輔と綾が渡と凪と共に出かけたと知り、焦って悠に接触を試みたこと。
「なるほど」
一連の流れを確認し終え、悠人が頷いた。
「悠については帰宅してから確認しよう。雨水殿につきましては、そちらでご対応いただくということでよろしいですかな?」
「はい。月詠様にご迷惑をおかけしたことを深く理解させます。まことに申し訳ございませんでした」
美佳と譲、渡の三人が深く頭を下げた。
凪が口を開きかけたが、美凪子が制止する。
頭を上げた美佳は貴生と佳貴に顔を向けた。
「何か、言うことは?」
貴生は青い顔で首を横に振った。
「……ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。深く、陳謝いたします」
消え入りそうな声で、貴生は深く頭を下げた。
美佳は厳しい面差しで佳貴に視線を向けた。
佳貴は涙目で顔を上げ、美佳に声を荒らげた。
「ぼ、僕は……悪くない! 本当なら、僕が!」
「……佳貴」
静かに美佳は息子の名前を呼んだ。
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