25.プライドの使い方
五月一日。
幸いなことに、朝からどんよりと曇っていた。
正確には、透が親戚筋に当たる雲居家の者に頼み込んだのだ。
透の高校の同級生でもある彼は、
「見合いする彼女を奪いに行くの? ウケる、ドラマかよ」
と笑って、二つ返事で引き受けてくれた。
起きてすぐは白っぽかった雲だったが、透が『まあ見てろって』と言って家を出ると、数分後には今にも雨が降りそうなどんよりとした空に変わった。
「すごい、透兄ちゃん」
「だろー? 毎日毎日天候操作してたからな。こういう繊細な操作もお手の物よ」
「さすがだなあ」
渡と雫は、二人で兄を褒めちぎった。
その後両親と五人で朝食を終えて、雫は学校へ行き、渡も午前中だけ授業があるので登校した。
渡は帰宅してから、透と二人で昼食を摂る。
歌帆がいなかったので、食べながら料亭までの道のりや帰り道の相談をした。
「普通に地下鉄で行って、帰りも地下鉄かなあ。いや、雫に頼んで車を呼んでもらうか」
「凪を連れて地下鉄はどうだろう。身バレが怖い」
「たしかに……でも月詠のお嬢様が普通にその辺の地下鉄に乗ってると思わなくねえか?」
「でもお見合いだからなあ。着物とか着てるんじゃない?」
「やっぱ地下鉄じゃ目立つか……。近くまで車で行って、パーキングに止めとくかな」
「運転、任せることになっちゃうけど」
「任せてくれていいぜ。ジャングルだろうがアマゾン川だろうが運転してやるよ」
「都内にジャングルもアマゾン川もないから、大丈夫だよ」
二人はあれこれ相談した。
渡の不安は拭えない。それでも、できることをやるしかない。
数時間後に雫が帰ってきて、三兄弟はマンションの地下駐車場へ向かった。
「凪先輩はなんて?」
雫が渡を見上げた。
「頭領は現地合流だから、事前に説得できなかったって落ち込んでた」
「凪ちゃんのママは?」
「ぶち切れてるって」
「ひゅー」
雫と透はやけに楽しそうに顔を見合わせていた。
――渡は凪に会いに行くことを前もって伝えていた。
少しでも安心してほしかった。
『早く来てね』
「うん。必ず行くから、待ってて」
それが、昨晩交わした最後の会話だった。
三人は車に乗り込んだ。
透が運転席、渡は助手席、雫は後部座席でそれぞれのスマホを覗き込んだ。
宗輔が提供した料亭の見取り図が表示されていた。
「雫は料亭裏の塀の近くで待機。ここなら濡れないし、いざって時に抜け出せるはずだ。ここで雨の威力を維持しておいてくれ。なんかあったら雨を強めて、すぐ逃げろ」
「わかった」
「俺は渡と部屋の外まで行く。揉めたら助けに入る」
「お願い。部屋の外に凪のボディガードがいるらしいから、俺が話すよ。たぶん、大丈夫」
渡は凪からボディガードの配置を大まかに聞いていた。部屋の外に猿渡、中には蟹沢。
それ以外にも月詠、雨水のそれぞれの頭領についたボディガードが多数いるはずだ。しかし、少人数でも話が分かる相手がいるのは心強かった。
雨水の方のボディガードは顔見知りだけど、融通が利くかはわからない。
貴生がつけているボディガードはおそらく渡を通さないだろう。
「大丈夫かなあ」
雫が不安そうに言った。
「心配なら無理してついてこなくてもいいよ」
「ううん、行く。将来のお姉ちゃんだからね。ここで恩を売っておいて損はないよ」
ちゃっかりした妹に笑いつつ、透はアクセルに脚をかけた。
ゴールデンウィーク期間中とはいえ平日のため道は空いている。
透が凪から聞いていた見合いの開始時間よりも早く到着した。
途中で見とがめられないよう、透と渡はスーツを、雫は制服を着用している。
渡は車を料亭近くのパーキングに止めた。
渡は車窓越しに空を睨んで、能力を発動させる。
最初はしとしと、やがてザアザアと雨は強くなる。
三人はうなずき合って、傘を広げた。
料亭の周囲はビルに囲まれていて、雨のせいもあり静かだった。
喧噪も車の音も何もかもが遠く聞こえ、渡には自分の心臓の音だけがやけに大きく響いた。
三人は傘で顔を隠しつつ、料亭の裏手へ回り込む。
一瞬たりとも立ち止まらず、宗輔に教わった搬入口付近まで進んだ。
雫が小さく頷き、空を見上げる。
――雨が一気に強まった。
三人は素早く搬入口横のインターフォンに暗証番号を叩き込む。
そこで雫は傘を受け取り茂みの中へ入り、渡と透は何食わぬ顔で店内へ入った。
二人は目立たないように、できるだけゆっくりと歩いた。
渡は分かれ道で一瞬だけ顔を上げた。
透が頷き、先に進む。
渡は曲がってさらに進んだ。
その先に、猿渡と滝草がいた。
しかし滝草は譲の秘書ではなく、雨水本家に仕える滝草家本家の秘書官だった。
「……こんばんは」
渡が無声音で声をかけると、猿渡が目を細めて渡を見下ろした。
「こんばんは、雨水渡様」
たぶん、凪から渡のことを聞いていたのだろう。
焦る様子はないが、代わりに場所を明けることもない。
「渡様、なぜこちらに」
滝草の方はそうはいかなかった。
目をすがめて、完全に咎める表情だ。
「理由は、頭領から聞いてませんか?」
「……お察ししますが、お引き下がりください。佳貴様のためでございます」
「佳貴兄さんの幸せだか自尊心だかのために、愛する彼女を犠牲にはできない」
「しかし」
「ここで揉めているほうが外聞が悪いんじゃないのか。いきなり入ったりしないから、様子だけでも見せてほしい」
渡は滝草を真っ直ぐに見た。
滝草が返事に詰まったのを見て、渡はふすまの隙間から室内を覗き込んだ。
右側に月詠家、左側に雨水家が並んでいるのが見えた。
それぞれ、一番奥に父親、真ん中が見合いをする当人、手前に母親が座っている。
……手前の母親同士の殺気があまりにも強く、渡は思わず背筋を伸ばした。
しかしその向こうの佳貴と凪を見て、渡は唇を噛んだ。
佳貴は自信満々の笑顔で、月詠の頭領を見ていた。これほど気が強そうな佳貴を見るのは初めてかもしれない。
一方で凪は顔を真っ青にして俯いていた。華奢な肩が震えていて、渡からは見えないものの、きっと小さな拳は骨が浮くほど強く握りしめられているのだろう。
渡は唇を噛み、耳を澄ませた。
各家の父親同士が談笑している。
時折、美凪子夫人が貴生を鋭く睨んでいた。
そのたびに貴生は肩を震わせたが、気丈に月詠家の頭領との談話を続けていた。
プライドの使いどころが間違っている。
渡はため息をついた。
きっと、貴生も佳貴も同じなのだろう。
渡は一度目を閉じた。
聞こえるのは月詠家頭領の低い声と、遠くで響く雨音だけだ。
いっそ怒りに任せて料亭を雨で押し流したいほどだが、もちろんそんな真似はしない。それでは何も解決しない。
渡は深呼吸をして、立ち上がった。
滝草に動きを制止される前に、渡は目の前の扉を開けた。
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