18.隣にいる違う人
授業が始まって最初の週末、渡は大学を出て高校の前まで来ていた。
今日は一週間ぶりに凪とデートの約束をしている。
と言っても放課後なので、近くの庭園を散歩するだけだ。それでもボディガードは視界に入らない位置にいてくれるので、気分だけは二人きり……ということで凪が楽しみにしていた。
いつも通り、月詠の車の前で待つ猿渡に声をかけようとした瞬間、聞き慣れた足音がした。
「雨水くん、こんなところで何してるの?」
渡が振り向くと、予想通りの人物が歩いてくるところだった。
「……細蟹さんこそ、どうして?」
「学校を出たところで雨水くんが見えたから一緒に帰りたくて」
笑顔を向ける細蟹に、渡は迷う。
渡の後ろで猿渡が警戒している気配がしたし、おそらく蟹沢も様子をうかがっている。
こっそり息を吸って吐いた。
「申し訳ないけど、約束があるんだ」
渡が穏やかに告げると細蟹は微笑んで頷いた。
「一緒に行ってもいいかな」
「だめだよ」
渡は彼女を残して歩き出した。高校の前を通り過ぎて、そのまま路地へと入る。
歩きながらスマホを取り出して、凪に先に車に乗るようメッセージを送った。
遠回りして大学の裏門まで来たところで、月詠の車に拾われた。
「ありがとうございます」
渡が頭を下げると、助手席の蟹沢が微笑んだ。
「いえ、こちらこそ月詠と無関係を装ってくださり、ありがとうございます」
「さすがに凪には合わせられないしね。ごめんね、凪。巻き込んで」
「ううん、私は大丈夫。でも先程の女性は……何?」
凪が不安そうに渡を見上げた。
渡は手を伸ばして凪の手に重ねる。
「同級生なんだ。なぜか最近授業中によく隣に座ってくるし、昼時や帰りに掴まるんだよね。授業中は宗輔……風間の次期頭領が同級生だから壁になってくれるけれど、放課後はいないから掴まっちゃって」
「それは……いつから?」
「冬休みが終わってからだね。それまでも挨拶くらいはしていたけれど、それ以上の付き合いはなかったから、どうして急に距離を詰めてくるのかわからなくて困っている。それに急に現れるし」
凪は口をへの字にした。
「困ってる?」
「うん、困ってるよ。さっきも待ち合わせって言ったらついてきたがるし」
「えっと、彼女がいるっていうのは言った?」
「言ってない。万が一、凪といるところを見られて月詠のお嬢様だと知られると困るからね」
渡は目を伏せていたので、凪がどんな顔をしているのか気づかなかった。
代わりに蟹沢がフォローを入れる。
「今後とも、そのようにご対応をお願いいたします」
「……そうなの」
「お嬢様、雨水様の対応は適切でございます。もちろん振り切れない押しの弱さはございますが、今後も学び舎を共にするのであれば、強い拒絶をしかねるのは理解できます。ところで雨水様、そのご学友のお名前を教えていただけますか?」
「細蟹……ごめんなさい、下の名前まではわからないです」
「細蟹、ですか」
蟹沢が考え込んだ。
どちらも「蟹」がつくし、何か能力に心当たりがあるのかと渡は助手席を覗き込むが、蟹沢は何も言わない。
凪が渡の手を引いた。
「渡くん、もしかして、私を迎えに来ないときは一緒に帰ってたりする?」
「駅まで一緒になってしまったことはある」
「……そっかあ」
不満そうな、しかし何も言わない凪の手に、渡は指先を絡めた。
「凪、俺はあの人の名前すらろくに覚えてない。それくらい興味のない相手だ」
「うん。ごめん。分かってるんだけど」
凪はうつむいた。
渡も、そんな凪に何と言えばいいのかまったくわからない。
「凪、顔を上げて。俺の顔を見て」
「ん……」
不満そうな顔が渡を見上げた。
そのふくれ面がかわいくて、渡は吹き出しそうになる。
「好きだよ」
「……うん。ごめん、わがままで」
「それはワガママとは言わない。俺だって関係ない人に凪と過ごす時間を減らされて不愉快だからね」
渡は笑って絡めていた凪の手を持ち上げた。
指先に唇を寄せて、すぐに離した。
「そんな顔しないで。俺の言うこと、信じられない?」
「ううん。そんなこと、ないよ」
凪は渡の手を引き寄せて頬を寄せた。
「好きよ、渡くん。私だけの渡くんでいて」
「少なくとも俺はそのつもりだ。そうじゃなきゃ、雨水の頭領に頭を下げたり、君の母君に挨拶したりしない。」
「うん。私もパパに言わなきゃ。……そういえば、元々雨水家と私で婚約の話があったのよね?」
渡は凪を見て軽く頷いた。
正直、渡が思い出したい話題ではない。
「それ、渡くんじゃダメかな」
「どうだろう……?」
渡は瞬きをして考えた。
確かに、頭領の美佳伯母と父の譲は、渡が月詠に婿入りすることに賛成しているようだった。
もとから雨水の誰かを、という話であるなら、渡を凪の見合い相手として出しても問題ないはずだ。
「たぶん、ダメじゃないと思う」
凪の顔がパッと明るくなった。
「帰ったら、父と頭領に相談してみるよ」
「わ、やったあ。じゃあ私もママ……母に確認します。でも、お見合いして渡くんが目の前にいたら、私ニヤけちゃうかも」
「俺も」
二人はそのまま手をつないで、近くの庭園で言葉少なに散歩した。
帰宅後、渡が歌帆にその話をすると、母はあっさり頷いた。
「いいわよ。というか、そうするつもりだったし」
「あ、そうなんだ?」
渡は拍子抜けした。
「ええ。凪さんの高校卒業を待ってからそうするつもりでいたの。えっと、美凪子さんと美佳さんと私はね。あと譲さんも」
「あー、そっか。今すぐとはいかないか……」
「凪さんがまだ高校生ですからね。月詠の頭領は凪さんが高校生のうちは、そういう話をしたくないそうなの。だから、今うちからその話を持っていくと逆に印象が悪くなるわよ」
「……そっかあ」
肩を落とす渡に歌帆は不思議そうな顔をした。
「何か、焦るようなことがあった?」
「焦ってるように見えた?」
「見えた」
まっすぐ見つめる歌帆に、渡は口を噤む。
少し迷ってから首を振った。
「そうかも。ちょっと頭冷やす」
渡は踵を返して自分の部屋に戻った。
夕飯の後、凪から連絡が来た。
渡が歌帆に言われたこととほぼ同じことを、凪も母親から言われたらしい。
落ち込む凪に慰めの言葉をかけて、渡はベッドに横になった。
その後も細蟹からの接触は続いた。
避けるほどではないが、確実に距離は詰まっている。
「おはよう、雨水くん」
「……おはよう、細蟹さん」
授業で近くの席に座ったときに挨拶を交わすとか、教室を出るときに声をかけられるとか、その程度だ。
しかし、渡が凪を迎えに高校に行こうとすると、週に一度くらい声をかけられる。
以前のように食い下がることはない。
「待ち合わせてるから」「約束があるから」
そう渡が言えば、引き下がる。
けれど、そうでないとき……渡がまっすぐ駅に向かうときは必ず隣を歩くようになった。
そのたびに、渡は逃げ出したい気持ちになる。
隣にいてほしいのは凪だけなのに、どうして違う女性がいるのだろう。
凪が知ったらいい気はしないと分かっているのに、うまく断れなかった。
なにしろ大学から駅まではほんの数分で、挨拶と天気の話をすれば終えるような距離しかない。
渡は凪の存在を公言できないから、余計にうまい断り方が思いつかず、モヤモヤしながら帰るはめになった。
「渡、大丈夫?」
「ダメかも」
事情を把握している宗輔がいるときは寄ってこないから助かるし、宗輔が一緒に帰るときは風間の車に同乗させてもらえる。
しかし、宗輔はサークルがあるから毎日一緒には帰れない。
渡の気は滅入る一方だった。
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