17.波乱の予感すらなかった
一月も半ば、冬休みを終えた渡は、大学の講義室で授業が始まるのを待っていた。
「雨水くん、ここ空いてる?」
そう言って隣に荷物が置かれる。そこにいたのは同級生の細蟹恵夢だった。
明るい茶髪を肩の上で切りそろえた彼女は渡と基礎ゼミが一緒だ。一年生は必修科目が多いから、授業もほぼ同じものを受けている。顔を合わせれば挨拶や雑談くらいはする仲だ。
「どうぞ」
「ありがとう。あ、明けましておめでとう……て言っても、もう一月も半分終わっちゃったけどね」
「そうだね、大学って冬休み長いんだな」
「ねー。一月以上雨水くんに会えなくて寂しかったよ」
「そっかー」
渡はコミュニケーション能力は低くないつもりだ。けど、こういう場合にどう返せばいいのか分からない。
あまり拒否すると自意識過剰みたいだし、結局適当に流すしかない。
宗輔を探したが見つけられないまま、授業が始まった。
授業中も、細蟹は時折渡に声をかけた。
板書が見えづらいからノートを見せてほしいとか、教師が今なんて言ったかを尋ねてくるとか、そんなことだ。
渡は都度答えるけど、正直面倒で仕方ない。
ノートを見せるたびに身体を寄せてくるのも、苦手だった。
子供ではないから、最低限の当たり障りのない対応はする。
けれど、それ以上はしたくない。
渡は幼稚舎のころから、雨男だからと疎まれがちだったから、能力を打ち消せる晴原家の者や、近しく育った宗輔以外は苦手だ。
なんとか授業が終わると、渡は適当な理由を口にして早めに教室から抜け出した。
きょろきょろと辺りを見回すと宗輔が出てきたので、急いで捕まえた。
「どこ行ってたんだよ」
「渡の後ろの方で受けてた。細蟹さんと仲良かったっけ?」
「全然。二人きりで困ってた」
「あ、そうなんだ? なんかべったりしてたから、邪魔しちゃ悪いかと思ったわ」
「してねえよ。むしろ助けてほしくて、ずっと宗輔を探してた」
宗輔はまじまじと渡の顔を見つめてきた。
「なんだよ」
「渡は細蟹さんは、なし?」
「ない。つーか彼女いるし」
「マジで!? いつの間に……紹介しろよ。ていうか、それ、家族公認?」
家柄が近いから、宗輔は話が早い。
ただ、凪のことを言っていいか分からず、渡は曖昧に頷いた。
「半分くらい公認。うちの両親と頭領はオッケーだけど、向こうの頭領に報告できてない。母親はこの間挨拶した」
「マジかー、いいなあ。それ、誰か聞いていい?」
「ダメ。下手な漏れ方するとやっかいだから」
「ふうん、序列一位か二位の家の娘と見た」
「鋭いなあ」
「いや、今の言い方で他の家とかないだろ」
「それはそう。でも察してもらえると助かる」
「はいはい。言えそうになったら教えて」
「もちろん」
渡は宗輔と話しながら次の授業に向かった。なんとなく警戒して、別の知り合いの隣に座ると、反対側に宗輔が腰を下ろした。
「俺の自意識過剰かなあ」
不安そうな渡に宗輔が渋い顔をした。
「彼女でもない女にあそこまでべったりくっつかれたら、ちょっと警戒する気持ちも分かる」
「そんなにだった?」
「……うん。渡が拒否している前提なら、ありえない距離感だと思う」
「そんなにかあ……」
きょろきょろしていた宗輔が、渡を見た。
「細蟹さん、少し後ろの方に座ってる。んー渡に気づいているかはわかんないな」
「まあ、さっきのがたまたまとかならいいんだけどさ」
「たまたまで、あの距離は嫌だな」
「宗輔はわりとパーソナルスペース広いよな」
「渡も別に狭くないだろ」
そんなことを言っている間に教師が入ってきて、授業が始まった。
結局その日は一日、渡は宗輔と並んで授業を受け続けた。
「ていうか、渡と細蟹さんって知り合いだよな?」
放課後、宗輔が怪訝そうな顔で渡に聞いた。
二人は授業を終えて、校門に向かって歩いているところだ。
「ギリ、知り合い」
「ギリ?」
「必修が同じだけどさ、一年生ならだいたいみんな同じの取ってるだろ」
「そだね」
「で、基礎ゼミの班が一緒だったんだよ。だからまあ、挨拶はするけどさ」
「ふうん。あ、俺サークル行くわ」
宗輔が分かれ道で立ち止まった。
「山岳サークル? 冬でもやるんだ?」
「うん。山慣れしてる先輩たちと、雪山に行くんだよ。最初は標高低い山からね。鋸山とか。あと整備されてる高尾山とか」
「あれ、山か?」
「山だよ。山を舐めちゃいけねえ。油断すると軽率に遭難するからな」
面目な顔の宗輔に、渡も頷いた。
というか序列四位の家の次期頭領が、そんな軽率に遭難しかねないことをしていいのだろうか。
「……それ、お前の家の誰かついて行くのか?」
「うん。こっそりついてきてるよ。俺に気配を気づかせないのが条件」
「なるほど」
今はそうでもないが、雨水と風間は元々、表舞台には立たない家柄だ。
明治辺りまでは後ろ暗い汚れ仕事を請け負っていたこともあり、今でも特に風間は諜報に長けている。
だからまあ、そういう家風なのだと渡も突っ込まない。
令和に忍者? と思わなくもないが、諜報に長けた家系だと言えば、そういうものなのだろう。
……それが、渡が凪のことを宗輔に明かさなかった理由だ。
宗輔も察しているだろうが、互いに明言しなかった。
そうした事情を察してくれるし、実際に察することができるからこそ、宗輔は風間の次期頭領なのだ。
宗輔は「また明日」と手を振って、サークル棟へ向かっていった。
渡も校門に向かって歩き出す。
門をくぐって右に足を向けたところで、後ろから足音がした。
「雨水くん!」
「……細蟹さん」
渡が振り向くと、笑顔の細蟹がいた。
「今帰り?」
「うん」
「どこか寄るなら、一緒に行ってもいい?」
ニコニコと見上げられて、渡は一瞬言葉に詰まる。
「いや、悪いけど人と約束してるから」
「そっか、残念」
細蟹はさほど残念そうでもなく渡を見上げた。
「じゃあ、また」
渡は細蟹を振り切るように、早足で高校へ向かった。
高校の前まで行くと、月詠の車が止まっていた。
渡が車の前に立つ猿渡に会釈すると、彼は笑顔で扉を開ける。
そのまま素早く乗り込み、運転席の蟹沢に声をかけた。
「すみません、後ろから誰かついてきてたりします?」
蟹沢は視線だけルームミラーに向ける。
「いえ、雨水様の周囲に怪しい人影はございませんでしたし、気配も感じられませんでした。」
「そうですか、ありがとうございます」
「なにか、懸念事項がおありですか?」
「……俺の自意識過剰だと思うんですけど、久しぶりに登校したら知り合いとの距離感がつかめなくて。凪に心配をかけたくなかったんです」
「さようでございますか。また何かあれば、お申し付け下さい」
「ありがとうございます」
渡が頭を下げたタイミングで、車のドアが開いて凪が飛び込んできた。
「渡くん! 久しぶり!!」
腕の中で微笑む凪を渡はいつもより強く抱きしめた。
「凪、久しぶり。一昨日会ったでしょう?」
「一日空いたら久しぶりなの!!」
ぎゅうぎゅうとしがみついて、凪は頬を膨らませた。
渡も凪の髪を梳いて、息をつく。
一日の緊張がほぐれるようだった。
このまま横になれたらどれだけ幸せだろうと、思わず想像してしまう。
……やましい意味ではなく。
「凪、帰ろうか」
「うん。ねえ、また明日は迎えに来られる?」
「大丈夫だよ。久しぶりに学校に来たら俺も疲れたし、凪に会いたいから」
「嬉しい。楽しみにしてるね」
凪がシートベルトを締める。車は静かに走り出した。
二人が久しぶりの登校の様子を話している間に、渡の家に着いた。
「渡くん、また明日」
「うん、また明日」
凪はそう言いながらも、渡の手を離さなかった。
「凪?」
「離したくない」
「俺も離れたくないよ。でも、あまり遅いとご家族が心配するだろう?」
「……うん」
凪の手がしぶしぶ離れていく。
離れきる直前、渡は指先を掴んで唇を寄せた。
「また明日」
「渡くん、それ、余計に離れられなくなるから!」
照れた顔で怒る凪に手を振って、渡は車から降りた。
手を振って車を見送り、渡も自宅へ向かった。
週末、凪とどこかへ出かけようか。
渡はスマホを取り出し、よさそうな場所を探す。
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