14.それぞれの、思うところ
「そもそも雨水家の者を月に行かせようという計画が、昔から高官たちの間にあったんだ。理由は月の緑化のため。本来は譲を行かせる予定だったが、歌帆さんと結婚するから行かないと拒否したんだ」
美佳はジロリと弟を睨んだが、譲は穏やかに微笑み返した。
呆れた顔で美佳は続ける。
「歌帆さんの実家については知っているな? 財閥系の末娘でな……当時の当主から目に入れても痛くないほどかわいがられていたから、月に連れて行くなんて、とてもじゃないけど無理だった」
美佳は深くため息をついた。
「姉さんは当時俺の味方をしてくれてね。だからまったく頭が上がらねえんだ。あはは」
のんきに笑う譲を美佳が睨んだ。
「笑い事じゃない。『代わりに私か譲の子を月に行かせる、今はまだ時期尚早だから』と父を説得したんだ。そういう経緯で佳貴が月詠の長女と婚約することを検討していたんだ。しかし先程言ったとおり、佳貴にその話をしたときは乗り気ではなかったし、最近になって渡が月詠の長女と懇意にしてると言うじゃないか。だから、渡りに舟というところだな。少なくとも雨水家に反対する理由はない」
「しかし……」美佳は困った顔で呟いた。
「まさか佳貴が乗り気だとは思わなかったな。家としては園佳に継がせて、佳貴は補佐か、やりたいことがあれば好きにさせるつもりでいたんだが」
譲も頷いた。
「うん。透はこのまま青年海外協力隊でやっていきたいらしいし、佳貴くんに俺の後を継いでもらうか……別に嫌なら渡か雫か、妹たちの子の誰かがやってくれるとありがたいんだけど」
透は渡の兄だ。
大学を出てからずっと青年海外協力隊に参加していて、渡も年に一度くらいしか会わない。
「渡、悪いんだが園佳と雫と一緒に、なぜ佳貴があんなに婚約に乗り気なのか確認してもらえるか? たぶん私が聞いても、まともに答えないだろうから」
「それはかまいませんけど、俺の話も聞きそうにないですよ」
「そうだな。だからできれば……でかまわない」
渡が譲を見ると微笑まれたので、小さく頷いておく。
軽く頭を下げて、渡は客間を後にした。
扉の陰で雫がまだ盗み聞きしていたから、回収して一緒にリビングに戻った。
そこでは園佳と佳貴が揉めていた。
「姉さんに何がわかるんだよ!」
「わからないわね、そんな拗ねた幼稚な考えなんて!」
渡と雫は思わず目を見合わせる。
「長女だからって偉そうに!」
「あなたがひがんでるだけでしょ。悔しければ何か一つでも私を上回りなさいよ」
「なんだと!?」
雫が渡の服の裾を掴んだ。
渡は頷いて一歩下がる。
しかし離れきる前に佳貴に見つかった。
「渡! お前どういうつもりだよ、この間男!」
「間男!?」
佳貴に怒鳴られて、渡は思わず聞き返してしまった。
普段の生活ではなかなか聞かない単語だ。
「俺の婚約者を横取りしやがって!」
「佳貴くん、落ち着いて……そもそもそんなに乗り気じゃなかったんだよね?」
雫が口を挟むが、佳貴は無視して渡を睨んだ。
「さっきも言っただろ! 中学生が小学生と結婚しろって言われて、乗り気な方がおかしいだろうが。でも、いつかはあの子と結婚するんだろうと思ってたから、彼女も作らずにここまで頑張ってきたのに……なんだよ、今さら!」
「婚約したいなら、母さんに言えばいくらでもお見合いの話を持ってくると思うけど」
園佳が言うと、佳貴はますます気色ばんだ。
「そういう話じゃないんだよ! くそ、地球から出たかったのに……」
「月に行きたいってこと?」
「渡だって、父親を見てうんざりしないのかよ。姉にヘコヘコこびへつらって、小間使いみたいにこき使われてさ。僕はあんなふうになりたくないんだ」
肩を落とす佳貴に、渡は真顔で手のひらを握り込んだ。
「佳貴兄さん、父に謝ってくれ」
「は? なんだよ、いきなり」
「俺は父の仕事にうんざりしたことなんてない。母や俺たち兄妹のために汗水垂らして働く父を、こびへつらう小間使い? ふざけるなよ」
「う、うるさいな、事実だろうが!」
「……園佳姉さん。こいつ、殴っていいかな」
近くで成り行きを見守っていた園佳は、美佳そっくりの顔でニコッと微笑んだ。
「いいよ」
「ちょ、姉さん!? 弟がかわいくないのかよ!?」
「今のはあなたが悪い。渡くんが気が済むまで殴っていい」
しかし、渡が手を上げる前に肩を引かれた。
振り返ると呆れた顔の譲と、笑顔の美佳が立っていた。
「渡、雫、飯食いに行こう。蛙前が離れに俺たちの食事を用意してくれたそうだ。母さんは先に行っているから」
「え、うん。わかった」
渡は拍子抜けして頷いた。
しかし、美佳の凍るような笑顔に、渡の怒りは引っ込み、代わりに背中を汗がだらだらと伝った。
譲と共に軽く頭を下げ、渡と雫は離れへ向かった。
「父さん、どこから聞いてたのさ」
「渡が『間男』って罵られていたあたりからかな」
「最初からじゃないか」
「うん。俺と姉貴も、あのあとすぐダイニングに向かったからね。いやあ、佳貴くんはこじらせてるね。あはは」
おかしそうに笑う父に、譲は気が抜けた。
離れの座敷では歌帆が待っていた。
「お疲れさまです。ごはんにしましょう。蛙前たちが用意してくれましたよ」
中央の座卓には山ほどの料理が並んでいた。
全員で座って手を合わせて、食事を始めた。
「父さんは、佳貴くんにあんな風に言われてなんとも思わないの?」
雫が箸を進めながら尋ねた。
「別に? 息子があれだけ怒ってくれたし、佳貴くんが園佳さんにコンプレックスがあるのは知っていたしね」
「父さんは美佳伯母さんにそういうのないんだ」
「うーん、昔はあったけど、あそこまでじゃないし。それに歌帆さんと結婚したいって俺が言ったときに、最初に姉さんが味方になってくれたからね。仕事についても根回ししてくれて……頭上がらないよ」
「それにね」
歌帆がくすくす笑いながら後を続けた。
「美佳義姉さんはちょっと強情なところがあるけど、そこをうまく丸くまとめるのは譲さんの方が得意なのよね。だから持ちつ持たれつ、なんだかんだ仲のいい姉弟だわ」
「姉貴の強情がちょっとかどうかはさておき、俺と姉貴は得意な分野が違う。そこに気づいた時から、苦手意識はかなり減ったよ」
「ふうん。佳貴くんも、気づけるといいねえ」
雫が言うと、譲は眉をひそめた。
「そうだなあ。ちょっと難しいかもしれないけど、いつかはねえ。ほら、姉貴と園佳さんがそっくりだからさ。義兄さんはなかなか介入しないしね」
美佳の夫は、渡が見る限り穏やかな男性だ。美佳より年下で、物静かな、おっとりしたイメージが強い。ほとんど話さないので、渡もあまり人となりを知らないのだが。
「ま、姉貴の家のことは姉貴と義兄さんでなんとかするさ。俺らは蛙前が作ってくれた美味い食事を食べながら年を越そう」
「そうね。譲さん、私蟹が食べたいわ」
「今剥くから待っててね!」
渡は、両親が仲睦まじく食事をするのを視界に入れないようにしながら箸を進めた。
凪は年越しは月ですると聞いていた。
落ち着いたら電話をすると言われていたので、渡はそれを待ちつつ、凪に送ろうと食事の写真を撮っておいた。
翌一日の夕方、渡たちは玄関で美佳と園佳に別れを告げた。
雫は受験勉強があるし、渡も凪と約束がある。譲と歌帆もそれぞれ仕事があるため、早めに切り上げていた。
「騒がせてしまってすまなかったね」
困った顔の美佳に、譲が肩をすくめた。
「いや、こちらこそ、申し訳なかった。……佳貴くんは?」
「拗ねてます」
園佳はムスッと唇を尖らせる。
「ほんと、大学生になっても子供っぽいんだから」
「あまり佳貴兄さんを責めないでください」
渡が言うと、園佳が目を丸くした。
「佳貴兄さんの気持ちもわからなくはないんです。俺にわかられても嫌でしょうけど。お世話になりました」
「また遊びにきますね」
渡と雫は頭を下げて先に外へ出る。
屋敷の前では滝草が車を用意して待っていた。
渡が乗り込む直前、庭の方から佳貴が走ってきた。
「渡!」
「佳貴兄さん。その」
「渡、今は貸しておいてやるよ」
「は?」
佳貴がにんまりと笑って、渡が聞き返す前に走り去ってしまった。
「貸すってなんだよ……」
呟きはどこにも届かない。渡は唇を噛んで車に乗り込んだ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この作品が面白かったら、☆を★に変えていただいたり
ブックマークやお気に入り登録してくださると、
作者がとても喜びますので、よろしくお願いいたします!




