12.立場に甘えたくないと初めて思った
「ねえ凪、今度、君の家にお邪魔していいかな」
ある日の放課後、凪を迎えに高校へ行った渡は、車で並んで座りながら切り出した。
凪は一瞬キョトンとしてから、ゆっくりシートベルトを締めた。
「いいよ。……えっと、パパはいないけど、ママには、その、挨拶してもらうことになるけど」
「するよ、もちろん」
渡が即答すると、凪はパッと笑顔になった。
「ありがとう」
「一緒に映画を観たいんだけど、いいかな」
「いいよ。何にしようか」
「この前観た映画と同じ作者が原作の映画が、配信されてるらしいからどうかな」
「見たい!」
「良かった。俺の方でオヤツも用意するから、楽しみにしてて」
渡が言うと、凪はニコニコしながら頷く。
バックミラーでは猿渡が穏やかに微笑んでいた。
約束の日、渡は手土産を片手に月詠の別邸に来ていた。
本邸は月にあり、地球にあるのは別邸なのだと凪からは聞いている。
「普段は別邸に住んでいて、お客さんが来たときは敷地内の……別荘って呼んでる場所でおもてなしするんだ。ホームシアターもあるから、そっちでいいかな」
「もちろん」
凪の母親も挨拶のために顔を出すと聞いていて、渡はそわそわしながら車に揺られていた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
渡があまりに緊張した顔をしているからか、凪は苦笑しながらこちらを見た。
「緊張しないわけにはいかないよ。なにしろ月の女主人だ」
「私にはママでしかないからなあ。……まあ、怖いけど」
「怖いんだ?」
凪がスッと目を逸らした。
渡の顔がますます引きつる。
確かに、譲も同じようなことを言っていた。
渡の父、譲は姉の美佳に頭が上がらず、渡も伯母のことは怖い。
その伯母でさえ頭が上がらない女性だと言われれば、怖くないはずがなかった。
そんな渡の緊張をよそに、車は月詠家別邸の敷地内へと入って行った。
「こちらへどうぞ」
蟹沢が穏やかな笑顔で屋敷へと案内してくれた。
「別邸の別邸でこの規模かあ……」
案内された屋敷は、渡が愕然とする広さだった。
和風造りの雨水本家とはまた違った、豪華な屋敷だ。
渡自身の家はマンションそのものが母の歌帆の持ち物で、その最上階ワンフロアを渡の家族が占有している。
その辺りは母方の家との何らかのやり取りがあったらしいが、渡は詳しく知らない。
凪は笑顔で渡の手を引き、先へと歩いていった。
「こっちが応接室だよー。失礼しまーす」
渡が心の準備をする間もなく、応接室へと連れて行かれた。
そこには、すらりと背の高い婦人が待ち構えていた。
「ようこそいらっしゃいました。雨水家の方ですね」
「は、はい。はじめまして、雨水渡と申します。お嬢さんとお付き合いさせていただいております。本日はお邪魔いたします。あの、こちら皆様でお召し上がりください」
渡は言葉を噛みながらも、必死に挨拶をした。
菓子折を差し出すと、婦人は凪そっくりの笑顔で受け取った。
「ご丁寧にどうもありがとう。月詠美凪子と申します。あまりかしこまらなくていいのよ。娘が彼氏を連れてくるなんて初めてのことなものだから、野次馬に来ただけなのよ」
「もー、渡くんのこと困らせないでよ」
凪からすれば母親なのだから当たり前のやり取りなのだろうが、渡にとっては親の上司の上司のような存在で、しかも彼女の母親でもあり、何を言えばいいのか気が気でなかった。
「では、わたくしは失礼しますわね。凪、お客様に失礼のないように。あと、悠と綾が気にしていたから、後で顔を出すかもしれないわ」
「えー嫌だなあ」
「そういうことを言うものではありません。……いずれ、あの子たちの兄になるかもしれないのでしょう?」
「ちょ、そういうプレッシャーかけないでよ。わかりました。顔を出したら、ちゃんと挨拶します」
「渡さん、悠と綾は凪の弟妹なのよ。気難しいところがあるけれど、仲良くしてやってちょうだいね」
「は、はい」
婦人はにこりと微笑んで応接室から出て行った。
残された渡と凪は顔を見合わせる。
「ごめんね渡くん。ママがはしゃいじゃって」
「はしゃいでたんだ?」
「うん。『娘の彼氏』が気になってしょうがないんだってさ。あとその、悠と綾は、ちょっと、私のことが大好きで。その、『お姉ちゃんが取られた』って不貞腐れてて……」
「なるほど」
「まあでも、来るかはわからないし、映画観に行こうか」
二人は並んで応接室を出た。
蟹沢の後ろについて廊下を歩いていると、凪が立ち止まった。
「蟹沢、シアタールームはあっちだよ」
「俺がお願いしたんだ。先に厨房に行こう」
「厨房?」
首を傾げる凪の手を引き、渡は歩き出した。
到着した厨房には、渡が頼んでおいたものが用意されていた。
「これを一緒に作ろう」
渡が用意してもらったのは、ポップコーンだった。
アルミのフライパンにポップコーンの元が敷き詰めてあるタイプだ。
「バター醤油とキャラメル味があるね」
「……渡くんが、頼んでくれたの?」
「うん、この間の映画の時に、ポップコーンを食べながら見たかったって言ってたから。映画館っぽいポップコーンバスケットも用意してくれてるよ」
渡がバスケットを並べると、凪は勢いよく抱きついてきた。
「わ、びっくりした」
「ありがとう、渡くん」
「どういたしまして。二つあるから一緒に作ろう」
「うん、作る!」
凪はニコニコと顔を上げて、フライパンをガスコンロに乗せる。
火をつけてしばらく待つと、少しずつはじける音がして膨らんできた。
「できた!」
「じゃあ開いてバスケットに移そうか。熱いから気をつけて」
「いい匂い!」
ポップコーンを作っている間に蟹沢が紙コップに飲み物を用意してくれたので、それぞれ持ってシアタールームに向かった。
教室くらいの広さの部屋には大きなスクリーンがかかっていて、天井にプロジェクターが設置されていた。
ソファに並んで座ると、凪は渡にもたれかかる。
渡が部屋を見回すと、室内には誰もいなかった。
「大丈夫、二人きりだよ。どこかで見張ってはいるだろうけど」
擦り寄る凪を渡はそっと抱き寄せた。
「キス、してもいい?」
「うん。外でデートは楽しいけど、なかなかそういうのはできないからさみしかった」
何度か顔を寄せる。
切りが無くなりそうなので、渡はなんとか顔を離した。
「映画を観られなくなっちゃから、これくらいにしておこうか」
「観なくてもいいけど」
「そういうこと言わないで。一緒に映画観ながら食べたくて用意したんだからさ」
「うん、そうだった」
最後にもう一度だけ顔を寄せ、凪がリモコンを手に取った。
室内が暗くなり、映画は先日と同様に静かな風景と共に話が始まる。
「よかった……すっごいよかった……」
二時間ほどの映画が終わって部屋を明るくすると、凪が号泣していた。
「そんなに?」
渡がハンカチを差し出すと、凪は顔を覆ってしまう。
「うん、よかったよう。格差のある二人が周りに祝福されてるのがもう……」
「……そうだね」
それはまるで、凪と渡のようだった。
映画の二人とはもちろん状況は違うけれど、それでも重ねないわけにはいかなかった。
「ねえ、渡くん。さっきママが言ってたことなんだけどさ」
「うん?」
凪がわずかに顔を赤くして渡を見上げた。
何かを言いかけた瞬間に、勢いよく扉が開いた。
「姉さんから離れろ!」
「姉さんを泣かせて!」
飛び込んできたのは男女の子どもだった。凪と同じ、灰色の髪をしている。
片方が渡と凪の間に割って入り、もう片方が渡を後ろに引っ張った。
勢い余って渡はソファから転げ落ちた。目の前に食べかけのポップコーンが散らばるのがスローモーションで見える。
「なに……?」
「悠、綾! やめなさい!!」
珍しく声を荒らげる凪に、渡は起き上がりながら目を丸くした。
凪の前に立ちはだかった男の子が、目をつり上げて凪の方に振り返った。
「姉さん、なんでこんな男をかばうんだよ!」
渡の後ろで服を掴んでいた女の子が叫んだ。
「そうだよ、こんな冴えない男のなにがいいの? うちより格下でしかも分家の次男! 図々しいよ!」
渡はゆっくり立ち上がった。
子どもたちはビクッと身体を震わせてから凪の前に立ち塞がった。
きっと、大好きな姉を庇っているのだろうから、渡は怒る気にはなれなかった。
「わかってるよ、そんなこと」
渡ができるだけ穏やかに言うと、子どもたち二人がキッと目を釣り上げた。
足元でポップコーンが潰されている。
「わかってるなら出て行って!」
「もう姉さんに関わるなよ!」
「……凪、今日はお暇するね」
子どもたちの後ろにいる凪を渡が覗き込むと、彼女は目からボロボロと涙をこぼした。
「なんで、そんなこと言うの」
「凪?」
「姉さん……?」
「なんで泣いてるの……?」
子どもたちは慌てたが、渡が凪に近寄ろうとするとそれでも威嚇した。
「渡くん、行かないで」
「でも」
「今日はお帰りいただきなさい、凪」
凛とした声に、その場の全員が動けなくなった。
渡が振り向くと扉から月詠婦人がゆっくりと入ってくる。
「ママ、どうして?」
「このような見苦しい状態でお客様をおもてなしはできないでしょう。渡さん、申し訳ありません」
婦人に頭を下げられた渡は、慌てて傅いた。
自分より目上の女性に頭を下げさせるわけにはいかないし、父と母、そして伯母に知られたら首を絞められるかもしれなかった。
「そんな、頭をお上げください! そのようなことを月詠様にさせたことが知れたら、僕が叱られますので!」
「ですが、これは我が家の失態です。お客様をおもてなしするどころか不快な思いをさせてしまって……。悠、綾、こちらへ」
「っ、……はい」
「……はい」
子どもたちは顔を青ざめさせ、震えながら婦人に従った。
二人は顔をしかめながら頭を下げた。
「凪、お客様をご自宅までお送りしていらっしゃい。この二人については、母がきっちり言い聞かせます。ええ、ええ、きっちりね!」
「わ、渡くん、行こう」
「うん。あの、お邪魔しました。失礼いたします」
渡は頭を下げ、凪に手を引かれて屋敷を飛び出した。
猿渡が車を用意していたので、急いで乗り込んだ。
「ひー、怖かったあ」
「そだね……たしかに、迫力のある方だ……」
渡は怯える凪に笑いつつ、自分も息を整えた。
確かに怖かった。
伯母と同じくらい怖かった。
「ごめんなさい、弟と妹が失礼なことを言ってしまって。でもね、私はあなたが雨水の家の人だから好きなわけじゃない。それは分かって」
「……うん、ありがとう」
「私、ちょっと怒ってるからね。渡くんが悠と綾に『わかってる』って言ったの。あんな言いがかり、理解なんてしないでよ」
凪はまっすぐに渡を見ていた。
その顔が婦人とそっくりで、渡はやっと「ああ、この子は本当に怒ってるんだ」と気づいた。
「……凪がそう言ってくれるのは嬉しいよ。本当に嬉しい。でもね、二人が言ってたことは言いがかりじゃなくて事実だ。俺は分家でしかも次男だ。月詠のお姫様に釣り合う身分じゃない」
「渡くん」
「でも、だからって何もせずに君と離れる気はないよ。事実は事実。じゃあどうするか一緒に考えよう。俺だって凪のこと好きだからさ。身分が違うからって諦めたりしない」
渡が言い切ると、凪の瞳からまたぽろぽろと涙がこぼれた。
「うん、うん……! ありがとう渡くん」
車が渡の家のロータリーに止まる。
渡は凪の手の甲にそっと口付けた。
凪がはにかむのを確認して車から降りる。
「また連絡するね。冬休みは忙しくなっちゃうんだけど」
「うん、俺も連絡する。たぶん俺もそうだから、また学校が始まったら一緒に帰ったりデートしよう」
渡は手を振って、車を見送った。
「さて……親父に相談しなきゃ」
凪の弟と妹には反対されていること、月詠婦人には反対されていなさそうなこと。
きっと歌帆に言うと「兄妹の反対がなんですか!」とけしかけてきそうだから、まずは譲に言ったほうがいい。
渡は背筋を伸ばしてマンションに入った。
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