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10.たぶん、君と俺とで完全に”普通”にするのは難しい

「あのね、ピクニックに行きたいんだ」


 ある日、(わたる)が高校の前で月詠(つくよみ)の車で凪を待っていると、学校から飛び出してきた凪がそう言った。


「ピクニック?」

「そう。渡くんはピクニックしたことある?」


 凪はシートベルトを締めながら渡を覗き込む。


「ない」

「だよね。サンドイッチ持って、ピクニックに行きたい」

「俺が行くと雨になるよ」


 渡は申し訳無さそうに言った。

 今はそうでもないけれど、まだ能力をコントロールしきれなかった子供のころは、よくそういうことがあった。

 楽しみにしている時ほど、降らないでほしいと願うほど、渡は雨を降らせてきた。


「なんないよ」


 いじけた顔をする渡に、凪はニコニコと顔を上げた。


「渡くんの雨力より、夜だけだけど、私の晴れ力の方が強いもの」

「……うん、そうだね」


 渡は泣くのを堪えて頷く。


「だから、夜に行こうよ。お月見ピクニックしよう」

「わかった。行こう」


 凪の手が渡の手に重なった。

 小さくて華奢な手なのに、見た目以上に力強く渡の手を握りしめた。


「ありがとう、凪」

「どういたしまして。サンドイッチはうちで作って持って行くね」

「じゃあ俺は飲み物とデザートを用意しようか。何がいい?」

「悩むなあ……。あ、渡くんが好きなおやつ!」

「わかった。楽しみにしていて」


 行き先を相談しているうちに、車は渡の家の前のロータリーに停まった。

 渡は名残惜しげに凪の手を握ってから、ゆっくりと車から降りる。


「じゃあ、また。ピクニック楽しみにしてる」

「うん、私も」


 車がロータリーを出て行くまで渡が見送るのが、すっかり当たり前になった。



 ピクニックの約束をした夕方。渡がマンションのロータリーに降りると、そこにはキャンピングカーが停まっていた。


「渡くん!」


 車の後部座席の窓から、凪が顔を出した。


「乗って乗って!」

「う、うん」


 まさかキャンピングカーで来るとは思わず、渡はおっかなびっくり猿渡(さるわたり)が開けてくれたドアから乗り込んだ。

 助手席に座る蟹沢(かにさわ)に、用意してきた飲み物とデザートを渡して奥へと進む。

 車内は渡の想像以上に広々としていて、ミニキッチンとテーブル、ベンチまであった。

 ベンチの窓側では、凪がニコニコと渡を待ち構えている。


「渡くん、こんばんは! ここ座ってね」

「こんばんは。なんかすごいね」

「そう? 今日は山登りするから、せっかくだしゆっくりできる車にしたんだ」


 これが金持ちの発想……!

 自身もかなりの良家育ちだと渡は分かってはいるが、レベルが違う。

 渡がシートベルトを締めると車が動き出し、同時に凪がもたれかかってきた。


「着くまでちょっとかかるから、のんびりしようね」

「うん……俺、キャンピングカーって初めてだ」

「そうなの?」

「うちの家族、インドアだからね」


 なにしろ全員雨男雨女だからさ、と渡は苦笑する。

 凪はやはり楽しそうに渡の手を握った。


「じゃあ、一緒に楽しもう」

「ありがとう、凪」

「私が行きたいって言ったんだから」


 車は都市部から、徐々に農村、山岳地帯へと向かっていく。

 夕方だった空には、星が輝き始めていた。

 やがて山の中の駐車場で車が止まった。


「到着いたしました」

「ここは?」

「キャンプ場です。たき火などもできますよ」

「凪、したい?」

「んー、今回はいいかな。少し散歩してもいい?」

「キャンプ場とはいえ夜ですし、山の中ですので、今回は……」

「そっかあ」


 猿渡と蟹沢が車から降りて、後部ドアを開けた。

 手際よくタープを張り、簡易テーブルとベンチを並べる。

 渡と凪も車から降りて、ボディガード二人が支度をするのを眺めたり、並んで星を見た。

 秋の山の上は、思っていたよりずっと寒い。

 テーブルにはサンドイッチとサラダ、スープに渡が持ってきた飲み物とデザートも並んでいた。


「準備が整いました」

「ありがとう。お腹空いちゃった」


 凪は笑顔で渡の手を引いてベンチに座った。


「渡くんも一緒に食べよう」

「うん、いただきます」


 二人は並んでサンドイッチを食べる。

 渡は久しぶりにサンドイッチを食べたとぼんやり思いながら、凪を見た。


「おいしいねえ」

「そうだね。凪はなんでも美味しそうに食べるよね」

「そ、そうかなあ」

「俺、凪と食事するの好きだよ」

「渡くん、ときどき恥ずかしいこと言うよね……」


 凪は少し恥ずかしそうにしつつも続きを食べる。


「このサンドイッチやスープは、凪の家のお手伝いの人が作ってくれたんだよね」

「そうだよ。おいしいよね」

「うん。凪はいつもこんなにおいしいの食べてるんだ」


 自宅の食事も、渡はおいしいと思っている。

 蛙前(かわずまえ)がいつも楽しそうに料理をしていることを、渡は知っている。

 でも、目の前のサンドイッチやスープはまた違ったおいしさがあった。

 もしかしたら、月の食材を使っているのかもしれないと、渡は思う。


「ねえ、渡くんが持ってきてくれたデザート食べていい?」

「どうぞ。蛙前が張り切って用意してたよ」


 渡が持ってきたのは、アップルパイやプリン、クッキーといった無難な品だ。

 蛙前曰く、


「どこにでもある普通の品を美味しく仕上げるのが、一番難しいんですのよ」


 ということだ。


「わ、おいしい!」

「そう? よかった。俺も食べよう」


 渡からすればいつもの味だけれど(もちろんおいしいのだが)、凪がおいしいと言ってくれるだけで、いつもよりずっとおいしく感じられた。

 一通り食べ終えて、渡は立ち上がった。


「凪、少しだけ月を見ていこうか」

「うん」


 猿渡がアウトドアチェアを車の近くに並べてくれたので、ありがたく座る。

 車に背を向けて座ると、それだけでけっこう暗くて、渡はなんとなく身震いした。

 空には三日月が輝いている。


「ねえ、凪。月がきれいだ」

「このまま時が止まればいいのに」


 呟く凪に、渡が微笑んだ。


「それは困る」


 不思議そうに凪が渡を見上げた。

 渡は、もう一度まっすぐに月を見上げた。


「今度、一緒に映画を見に行きたいんだ」

「いいねえ。私ね、映画館に行ってみたい」

「行ったことない?」

「ない。友達と映画見るってなると、誰かの家でホームシアターで見てたから」

「そっか」


 渡は頷いて月を見上げた。

 三日月の周りにはたくさんの小さな星が散っている。

 凪があの明るい月ならば、自分はきっと見えもしない星屑だろうと渡は思う。

 つい家の格差で卑屈になってしまうけれど、それでも彼女が自分を選んでくれたのなら、できることをしたい。あわよくば、ずっと自分を好きでいてほしいと、渡は思っている。

 そんな渡の考えを見透かしたように、凪は彼を見た。


「月が傾く前に、あなたに出会えて本当に良かった」

「それは俺のセリフだよ。君に会えて良かった」

「渡くん、そろそろ戻ろうか」

「そうだね、冷えてきた」


 渡が頷いて立ち上がると、凪が口元に手を当てて背伸びをした。


「あのね、この椅子だと渡くんにくっつけないから、そろそろ寂しくなってきたの」

「……車に戻ろうか」


 渡がアウトドアを畳むと、猿渡がやってきて凪の分と一緒に片付けてくれる。

 キャンピングカーの後部座席に乗り込んだら、蟹沢が温かいお茶を入れてくれた。

 ありがたいけれど、これは普通の大学生と高校生のデートではないな……と、渡は凪の手を握る。

 小さなそれがひどく冷たくて、渡はつい強く握ってしまった。


「渡くん?」

「ごめん、痛かった?」

「ううん。大丈夫。でも、あんまり握ってると離したくなくなっちゃう」


 凪は笑って渡にもたれかかった。

 車は静かに高速道路を走っている。

 猿渡は運転していて、蟹沢のようすは渡からは見えなかった。


「あのね、キャンピングカーにしたのは、もう一個理由があって」

「うん?」


 凪がひそひそと渡の耳元に口を寄せた。


「運転席から後ろが見えにくいから、キスしやすいでしょ」


 たぶん、見えてると渡は思ったけど、言わなかった。

 月詠のボディガードは優秀だから、きっと見ない振りくらいはしてくれるだろう。


「凪、好きだよ」

「私も、渡くんのこと好きよ」


 渡は凪の肩を抱き寄せて、触れるだけのキスを繰り返した。

 高速道路を降りたら、そっと手を離す。


「帰りたくない」

「俺もだ。凪と会うと、いつもそう思う」

「次も楽しみにしてるね」

「うん。また高校まで迎えに行く」


 互いに寂しくないように、次の話をして気を紛らわせながら、二人は寄り添って窓の外の流れる景色を眺めた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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