遭遇
ネネカさんに蜜をあげてから二日。
昨日、今日は彼女と会えておらず寂しい。でもそれはつまりネネカさんが安全な町の中にいるということでもあり、なんとも複雑な気持ちだ。町、入っちゃダメかなぁ……ダメだろうなぁ……
そうやって悶々としつつ、森のわりかし浅めなところを散策しておりましたところ。
「──くそっ、なんだってこんなとこに!」
「ちくしょう、もうこの森は完全におかしくなっちまってる……!!」
聞こえてきましたよ、なにか重たいものが倒れる音が。それも一度じゃない。
そしてそれと重なるような、何人かの男性の怒号あるいは悲鳴も。
声の主はおそらく『ナーナ』の町の猟師かなにかだろう。これまでにもそれらしい人たちを見かけたことは何度かあって、そういうときは変に彼らを刺激しないよう身を隠していた。でも今回は、明らかに様子がおかしい。ネネカさんと初めて逢った夜を思い出しつつ、私は声のするほうへと向かった。
「逃げられるか……っ?」
「逃げられるもんなら逃げてぇよ俺だってよっ!!」
音を追って跳ぶこと少し、猟師さんたちはすぐに見つかった。まだ多少離れているにもかかわらず姿がよく見えるのは、彼らの周囲の木々が数本なぎ倒されていたから。それをやってのけた怪物も、当然その場にいた。
[『ノクトの森』のヒグマ 汚濁侵蝕体 侵度Ⅲ]
シンプルにデカいクマだ。たぶん全長三メートルくらい……いやもっとあるかもしれない。
侵度Ⅲともなるとやはり違うのか、『汚濁』も纏わりつくというよりヒグマ自身の身体から滲み出ているように見える。焦げ茶色の体毛と黒い泥モヤの境目がひどく曖昧だ。
「ぐ……ぁ……」
猟師さんらしき男性は三人、うち一人は血まみれで地面に倒れている。まだ生きてはいるみたい。ヒグマは前傾姿勢で立ち上がっていて、今にも男たちを食い殺さんばかり。
……えー、さてと。
実のところ、こいつ……と同一個体かは分からないけど、同じように侵度Ⅲまで侵蝕されたヒグマを、私はわりと最初のほうに見ている。一度試しにと例の泉よりもさらに森の奥へと踏み込んでみて、そこで見かけてビビって逃げた。
いやだってデカいし怖いし。クマなんてファンタジー世界じゃなくたって化け物なわけで、か弱い触手としてはあまり近づきたくなかったのだ。
……んで、眼の前の光景の問題は、ちょっと前まで森の奥にいたその侵度Ⅲクラスの個体が、こんな浅いところにまで出没しているという点。森全体への『汚濁』の影響が加速度的に増している、いわば『汚濁』の支配領域がどんどん拡大していってる。どうもそういう風に思えてならない。
『汚濁』が広がれば広がるほど森にも町にも影響が出る。そうなればネネカさんの身にも危険が及ぶ。であれば私は、たとえ今ここにネネカさんがいなかろうとも、彼女のためにできることをする。
今の私は身体素養84、過去(一週間くらい前)の私とは違うのだよ。これが高いのか低いのかはよく分からないけども。
しかしそんなことよりなにより、ネネカさんへのときめきがこの身を満たしている……! いくぞァ!!
「──うぉおっ!?」
「な、なんだぁ……っ!?」
その辺の木の幹に触手を絡めて、パチンコの要領で体を射出っ! ヒグマの土手っ腹に体当たりをブチかましつつ接触の瞬間に『月光波』! さすがにすっ転んだヒグマに対してさらに『月光波』! からの追い『月光波』ァ!!
「グルゥ゙ゥ゙ァ……!!」
猟師さんたちを庇うように位置取りながら、のたうつヒグマの頭部近くに表示されている体力ゲージを確認。うん、ちゃんと減ってる。大ダメージってほどではないけど。
……ふふふ。そう、今や私も相手の体力ゲージを見られるようになったのだ。
いつの間にか生えてた『暴く月導』っていう、月光──ぇあー、この場合は『月光』ではなく空から射す実際の月明かりのほう──に照らされている相手の情報を表示する? っぽい能力。
といってもまあ、今のところ見れるのは名前と体力ゲージっていう超基本的なものだけだけど。プレイヤー相手だったら三大素養とかも覗き見できるのかもしれない。しらんけど。
ちなみに説明文は「月光とはそれそのものが神秘であり、そして同時、秘されたものを暴く導べでもある」だった。相変わらず説明を放棄してやがる。
ともかくこれのおかげで最低限、無茶な戦いかどうかの判断はできるようになったわけだ。
見た感じ、体当たり一回と『月光波』三回で減ったヒグマの体力は……だいたい8分の1くらい? なんとかならなくもなさそう。
となれば、まずすべきは。
「ぉあっ……!?」
倒れてる男の服の裾を適当に掴んで、残りの二人のほうへと放り投げる。助かるかどうかはしらない。町で医者にでも見せな!
「しょ、触手……」
「俺たちを、助けて……?」
えらく驚いている様子の男三人に、逃げろという意思を込めてしっしと触手を振る。これ以上彼らに意識を向ける余裕はさすがにない。あとは捨て置いて、身を起こしたヒグマにこっちから突っ込んでいく。
今度は四足の姿勢を取ったヒグマが、怒りなのか破壊衝動なのか判別のつかない咆哮をあげた。




