東の封印城 3
甘愛の影を追って飛び込んだ扉の向こうは、長い長い廊下だった。
一階、それも幅の広さや装飾の凝り具合からしてメインとなる通路っぽい。並ぶ窓からは中庭らしき光景までうかがえる。もっとも、そのどれもが薄暗く不気味であることには変わりないけど。
まっすぐ見える範囲には、甘愛の姿は認められない。そりゃそうだ、私たちと甘愛のどちらかが、あるいは両方が転移したのだろうから。
「あぁ……ルミナちゃんの触手が……」
とりあえずプロミナさんとプ鱗隊長を離し、けれどもすぐに前へと進む。それで再接近できる保証なんてないけど、実際に一度見かけてしまえばモチベも上がろうというもの。
「なんだ一体っ……? ってか動きこわ……」
一歩遅れてついてきたプ鱗隊長の声は、慄いたように少しだけ揺れていた。プロミナさんはー……気付いてるかな、私が甘愛に反応してるって。
二人への気遣いもそこそこに、脳裏に浮かんでくるのはあの霞のような姿と、事前に本人から聞いていた情報ばかり。
変わり種の『汚濁』。
我が親友、甘愛──プレイヤー名ガーベラは、東の封印城に攻め入るプレイヤーたちからそんなふうに扱われている。
理由はいくつかある。
まず第一に、アバターの外観。
今しがた見たように、彼女のアバターは実体のない黒い霞のようななにかだ。一応本人曰く、操作感は人型アバターとさほど変わらない……つまり四肢や胴や頭といった感覚があるとのことだけど。しかし傍目には人型とは程遠い、それこそ幽霊のようなもの。
それがほかのプレイヤーたちにはどうにも、『汚濁』の泥モヤと同じように見えているらしい。で、そんな存在が『汚濁』の巣窟たる封印城を彷徨っているというのだから、ますますもって……という話でもあり。
そしてそしてさらにもう一つ。
実はこのゲーム、外見だけではプレイヤーをプレイヤーだと断定できないのだ。
とはいっても通常は、少し相手を注視すれば名前くらいはポップアップするから、そのレイアウトとかでプレイヤーかNPCかなどを判断できる。あとは一応“プレイヤーに対して合意なく攻撃を仕掛けられない”ってのもあるけど……それは非敵対NPCも同様だから、これだけじゃ見分けられないか。
……ええはい、そうです。甘愛は、ガーベラだけはこの仕様の外にいるっぽいです。
だれも彼女にフォーカスできない。あの霞のような姿に、だれも焦点を合わせることができない。注視できないから、名前というごく基本的な情報すら得られない。そういう性質を“亡霊”は持っているらしい。んで当然のように看破魔術も通じない。だからだれ一人として、彼女についてなにも知ることができないでいる。
ついでに言うと、ちょっとタイミングが悪いってのもあるかもしれない。
ほらついこのあいだ、共生体の存在とそれを看破魔術で見破れることが明らかになったばっかじゃん? そのせいで『汚濁』側が看破耐性持ちの個体を生み出したのでは? みたいな考察まで出てきちゃったりしてまして……
……これ私のせいか……? いやそんなことはない、よね?
ま、まあまあとにかく。こんな感じで諸々重なっちゃって、甘愛もとい“封印城の亡霊”はすっかり新種の『汚濁』扱いされてるわけだ。
……いやね。
いや。
いやいやいやいや。
一応私もね、この目で直接見るまではね? あーだこーだ言うのは控えておこうと思いましてね? 今まで大人しくしてたわけなんですけどもね?
──あれを『汚濁』と間違えるほうがおかしいだろと。
ぜんっっっっぜんっ違うじゃん!!!
あんな汚い泥野郎どもなんかとは一ミリもっ、欠片もっ、似ても似つかないじゃん!!
色が同系統なら全部同じだとでも思ってんのか人類どもはッ!! 黒って二百色あんねん!! 知らんけど!!
『汚濁』ってのはもうその名の通り、汚くて濁っている。あいつら自身が発した“原初の混沌”って言葉に違わず、なにやらどろどろに混じり濁った末の黒い泥モヤ的ななにか。それが『汚濁』だ。
対する甘愛は?
そう、世界一美しい黒ですね。
さっきちらりと見えただけでも十分理解る。
くゆる霞、揺蕩う夜霧。
いやあるいは──そう、夜空を漂う黒薄雲。
月とともに空を飾るそれが、美しくないわけがないだろう。
現実の甘愛の髪は漆の如き艷やかな黒だった。
こちらの世界での甘愛は、光すら透かすような黒雲。
どちらにせよイケてることには変わりない。
そんな一瞬でも見りゃ分かるようなことを、なぜほかのプレイヤーたちは理解できないのか。なぜ『汚濁』呼ばわりして恐れているのか。申し訳ないが、こればっかりはみんな目が節穴なのかと思わずにはいられない。
もうこれいっそ、配信で“亡霊”がいかに美しいか語ったほうがいいんじゃないか?
「なんというか……やる気に満ち溢れていないか……?」
「……神様にも色々あんのよ」
いやさ、いろいろごちゃごちゃ考えつつもさすがはマイボディ、甘愛を求めて止まらずどんどん進んでいく。
場所は厨房の一角、湧いた侵蝕体ネズミどもを一蹴して手近な扉(たぶん貯蔵庫?)を倒す勢いで転がれば、ついた先は誰かの書斎的な一室。すぐ後ろのプロミナさんとプ鱗隊長を押し返しながら回れ右、戻った先はまたべつの廊下。
転移、転移、転移。
それでいい。とにかく移動しまくる探しまくる。今の私のモチベは最高潮。
一つ所にとどまって、甘愛のほうが近くに転移してくる可能性に賭けるのもありっちゃありだけど……私の探索可能時間も残りぼちぼちって感じだからなぁ。それでじっと待つのは、こう……我慢できない。
なので移動、移動、たまに戦闘、とにかく移動。
途中で二度、ほかのプレイヤーと遭遇した。甘愛じゃないのは残念だけど、とにかくこういう偶然の邂逅が起こりうるのだと、そう体験するたびにやる気はさらに出てくる。さっきまでの手探り様子見な私とは違うのだよ。
──と、そうやって城中を転げ回ること、しばらく。
今日一日の探索可能時間残りわずかというところで、ついに。
トイレの個室のドアをくぐった先で、私は再び黒い霞を視界に捉えた。
今回は遠目に見かけた、なんてもんじゃない。間違いなく目の前にいる。日に二度“亡霊”と遭遇したという話は、知る限りではなかったはず。
つまり幸運か運命か。どっちかっていうと運命よりだと思う。
だって見てよこのシチュエーション、この部屋。
きらびやか、だけども古臭くない調度品がいくつか。タンス、化粧台、デスク等々家具もどれもが一級品。極めつけは天蓋付きの豪奢なベッド。まるっきりお姫様の部屋だ。そんな中でベッドのそばにたたずむ黒い霞と、相対する私。窓から差し込む細い月光が、私たちのあいだを照らしている。
「……変わり種の『汚濁』に反応していたのか……? 生存闘争という話もあながち……」
「こいつがっ……」
背後から、それぞれの感情が乗ったつぶやきが聞こえた気がする。それらはどこか遠く、今は私の意識の表層には上がってこない。
城そのものと同じく打ち捨てられているはずのこの部屋が、甘愛がいるというだけで美しく見える。再び目の当たりにすればなおのこと、どこをどうしたら彼女を『汚濁』と見間違えるのかさっぱり理解できない。
「っ、 “亡霊”のほうから……っ!?」
甘愛──ガーベラがふわりと一歩、こちらへ近づいてきた。そう、一歩だ。姿形は変わらず霞のようなままだけれども、私にはそれが一歩なのだと間違いなく理解できた。だから私も一歩、歩を進める。ガーベラの声は聞こえない。その声は誰にも届くことがないのだと、甘愛自身が言っていた。私は喋らない。喋れない。
なにかまだ隔たりがあると否応にも思い知らされた。甘愛とこんな状態になるのなんて初めてで、新鮮さともどかしさが一緒くたになって押し寄せてくる。
同時に、その隔たりがなんなのか解き明かすには、時間が足りないという事実も。
「……今日はここまでみたいね」
遠くプロミナさんの声とともに、私の体が光に包まれていく。こんな怪しげな城のギミックとは思えないほどに優しいそれが、探索の終わりを告げている。
思わず触手を伸ばしてしまう。
それに触れようとするかのように、ガーベラがさらに一歩踏み出して。細く淡い月明かりの下に身を晒した、その瞬間に。
[はかなき霊嬢 ガーベラ]
間違いなく彼女の名が、私の目に触れた。
『暴く月導』? でも看破魔術は通らないと……いやたしかに『月光』は魔力でも魔術でもないけれども、いや、いやいやこの際そんなことは置いといて──
「──流石に『月の触手』でも触れられんか……」
今ならと思いさらに触手を伸ばしてみたけれど、やはり彼女には触れられなかった。ダメか、でも『月導』は通っている、ならなにが足りない? 出力か?
今日ここで甘愛を解放するには、まだ私は力不足のようだ。
──あらぁ〜残念…………でも、きっと連れ出してね♡
名残惜しそうに振られた右手、甘く柔い声。そのどちらもが本当に起きたことなのか、私の願望なのか。
それすら判然としないままに、私は封印城から退出させられた。




