天使の居ぬ間に 2
「ふふ、嬉しい…………じゃあほら、触手さん。来て……」
色気がすごい。
微笑み自体は、いつものネネカさんが見せるふんわりとしたそれであるはずなのに。紅潮した頬にとろりと潤んだ瞳、期待と喜び、これからすること──全部が絶妙に混じり合い、柔らかな色香に変わっている。彼女が『銀遷』し私が顕界度Ⅱになったときと似たような雰囲気。
私の中にはまだ、尻込みしてしまいそうな気持ちも残っているけれども。しかし差し出された右腕の、その『銀痕』を前にして、いよいよ触手が勝手に動いてしまう。魂を引っ張られるような、抗いがたく魅惑的な感覚。
「ん……」
一本だけの触手でネネカさんの中指に触れ。そこからそろりそろりと、彼女の腕を這い上っていく。指の節を三度超え、骨を伝って手首に至り、細く柔らかいその肌の上を、ゆっくりとゆっくりと。
『銀痕』は、前腕の中程に一筋だけ走っている。その手前で一度触手を止めて一息。もう一度見上げたネネカさんの表情は、やはりこちらを誘うような魔性の色に満ちていた。
「ぁ、っ……」
そして私の触手が、彼女の中に入り込む。悩ましげな声はとても小さく、むしろ一緒に漏れ出た吐息のほうが耳に残ったくらい。私は耳ないけど……なんておちゃらけてみても、魂の昂りは止まらない。
『銀痕』の中は暖かく、どろりと重く、優しく纏わりついてくるような感触だった。平時はあくまで銀色の痕であるはずのそこが、今はまるで底なしの沼のように、私を中へ中へと誘い込んでくる。まさしく、こうするためにできた割れ目であるかのように。
「……触手さ、ん……?」
やばい、思わず浸りきりになってしまいそうだった。
そうだ、この行為の目的は有線テレパス。まずは第一段階から。
──ネネカさん? 聞こえますかー……?ぇあー、そのぉー……あれです、私です。『月の触手』ですけれどもぉー……
「っ、あぁ……♡ 触手さんの、声、聞こえる……♡」
少しぼんやりとした声音で、ネネカさんは応えてくれた。接続確認。そうしたら、えっと、まずはちゃんと名乗らなくちゃ、だよね?
……PVの時点で公開しているにもかかわらず、プロミナさんもほかのプレイヤーも誰も呼んでくれないんだよね名前。でも良かったのかもしれない、そのおかげで、この世界で最初に呼ぶのがネネカさんになったんだから。
──えっと、私、ルミナっていいます。名前、ルミナです。
「──っ、そっ、かぁ♡ 触手さん、ルミナっていうんだ……ルミナ、ルミナさん……♡?」
それはそれは嬉しそうに、噛みしめるように、ネネカさんは何度も私の名前を呼んでくれる。脱力しつつも、ところどころがひくひくと跳ねた声音で。それだけでもうぞわぞわしてしまって、自分の体表が波打ってやしないかと不安になるほどだ。
「ぇへへ……触手さん、ルミナさん……♡」
ぎゅっとよりいっそう、『銀痕』の内側が触手に絡みついてきた気がした。
見た目だけでいうなら、点滴の針でも刺さっているかのようにも見える。しかし実態としてはこの痕を通じて私とネネカさんの体が一つに繋がっているわけで……やっぱりここから入れるのって倒錯的だよなぁ……
……いや、さておきこの有線テレパス、第一段階は私のほうから一方的に声を届けるというだけのもの。それに対して相手は今のように口頭で返事ができるから、まあこれだけでもただ会話をする分には支障ない。だけども当然、これだけじゃ終わらない。この力の真髄は次の段階にある。
次にすることの内容を説明し、そして、その承認の可否を問う。第二段階には、両者合意の上でなきゃ移行できないから。
「……うん、いいよ……ちょっと恥ずかしいけど……ルミナ、さんなら…………もっと、わたしの中に、ね……♡?」
とてもいかがわしい。やはり不健全。
でもこれは私とネネカさんがお互いに望んだことだから。『INTO:deep anima』はァ! 双方合意の上でならァ! ちょっとばかし不健全なこともしてオッケー!!
……いやまあ、するのはあくまで対話なんですけどもね! コミュニケーション! !
ってわけで第二段階、移行!
「──ん、ぅ? ……ぁ、はぁ……っ♡♡?」
『銀痕』の中の触手の先が、ほどけていく感覚。境目が曖昧になる。触手の先とネネカさんの内側との境界が。いや実際に、溶けて混じり合っているのかもしれない。この第二段階は、外界を介さないコミュニケーションなのだから。
つまり、深部思考領域へのアクセスを相互に認証し、思考と思考で直接対話する。
だから私はこれを、有線テレパスと呼んでいる。
この状態でのやりとりは、普通の会話とは速度も密度も桁違いだ。なにせ、お互いに考えていることが筒抜けになるわけだから。もちろん、なにもかも全部完全に丸裸……ってわけじゃないけども、それでも互いの精神の、かなり奥深いところまで見せ合うことになるのはたしかだ。なので両者の合意が必要、と。
……私の知る限り“仮想世界における深部思考領域の相互開示”ってのは、かなり新しめの技術だったと思う。少なくとも遊びでがっつり使うにはお高いテクノロジーなのは間違いないだろう。やっぱお金かかってる仮想世界は違いますなぁ。
とか考えている一瞬のうちに、いよいよ私の思考とネネカさんの精神様知核が繋がった。
「ぅ、ぁ……♡? これ、なに、これぇ……♡ すごい……触手さ、こえ、こんな♡ 近くに……♡♡」
座り込み、木の根元に体を預けきった状態で、ネネカさんの瞳はぼぉっと虚空を眺めている。五感が消失したわけではないけども、今はもう外界の情報なんて二の次になっているんだろう。
しかしあれだ、やはりAIの精神様知核は人間の深部思考領域とは雰囲気が違う感じはする。具体的にどう、と聞かれると説明は難しいけど……て、テイストが違う、的な……? なに言ってんだ私は。
でも逆に考えれば、そんな精神様知核もまたたしかに、人の精神のように常に細かに流転している。私たちはそこに精神性を見出す。つまりときめく。
……ぇあー、いや一応ね、高度人工知能の中なんて覗いたら私の頭がパンクするんじゃないかって懸念も少しはあったけども。ゲーム側からの規制がない時点でその点は大丈夫なんだろう。これで改めて、心置きなくネネカさんと話せるってわけだ。
「こえ、きこえる♡? みえる♡? かんじる♡?? ふしぎ、き、きれい……♡♡」
さてここからは、厳密に言えばネネカさん側が声で返事をする必要すらない。触手を通じて、互いの頭の中だけでやりとりが完結しているわけなのだから。
「頭のなか♡ ぜんぶ筒抜け、って……こういぅっ♡」
それでも思考の一部がうわ言のように口から漏れてしまうのは……人間も、近しく作られた高度人工知能も、思考を外界に表出させて会話をするのが当たり前になっているからなんだろう。ある種の反射のようなもの……なのかな?
まあその点私はね、この身体に入ってるあいだは話せないのがデフォですからね。慣れたもんですよ。深部思考領域コミュニケーションの鍵、触手アバターに見たり!
「ん、ふふっ……♡ 触手さ、ルミ、ナさん……♡ ……って、ぉ、こんな感じ、なんだぁ……♡♡」
……ええはい、私の調子乗り脊髄反射思考も伝わっちゃってるってわけですよ。
いいのだ。ネネカさんになら、もうこの魂の全てをさらけ出す所存なのだ。
「え、へへ♡ すご、ぉ、すごいねぇ♡ これ……♡ しあわせ、しあわせだぁ……♡♡」
プロミナさんも言ってたし、私自身も感じてることだけど、この状態はなんというか、多幸感がすごい。たぶん、全部を見せても良いと思える相手に実際に魂の深くまでを曝け出している状況に、脳みそが大興奮してるんじゃないかなぁと。それは、人に近しく作られたネネカさんの精神様知核も同じく。
……いや、にしてもさっきのプロミナさんはやばかったけどね。すごかったよあの子の頭の中。失礼ながら、なんか怪しげな電子ドラッグでもキメてるのかと思ったもん。まあそれだけ、彼女にとってはまさかの事態だったってことなんだろうけども。
なんて、わずかに横道にそれてしまった私の思考も、当然ネネカさんには視えてしまってるわけで。
「ぁ、ぁっ、やぁ……♡ ルミ、しょく、しゅ、さ……♡ いまは、っ、ほかのひと、ダメ……♡♡」
蕩けきった焦点の合わない瞳に、どうにか咎める色を乗せて、彼女はこちらを見つめてきた。
独占欲、執着心、今までもなんとなく感じ取っていたそれらが、ダイレクトに感じられる。荒々しくぶつけてくるというよりも、きゅうっと私を掴んで離さないというような、痛みのない心地良い拘束。なんとも健気でいじらしく、けれども間違いなく大きな思考。なんだかすごく、ぞくぞくする。
「ルミナ、さん……♡ ぅ、ぁ♡ 思ってたより……わるい触手さん……♡??」
思考を読み読まれ、互いにそれを許しあった仲なのだから、文句すらもが甘美に感じる。いや私はとっても善良な模範的触手さんですが。
とはいえまあ、有線テレパス中に他の人のことを考えるなんて、たしかに失礼な話か。大いに反省し、ネネカさんのことだけを考えなければ。
今までずっと黙ってましたけれどね? ネネカさんはちょっとかわいすぎると思うんですよ。その魅力を挙げ始めればまあキリがないこと私の触手の本数の如しですが、そうですね、最初に出逢ったとき真っ先に見てしまったのはやはりお顔、いやこれだと私が面食い触手みたいな感じになっちゃいますがつまりそれほどまでにネネカさんのお顔が、性格やこれまでの人生も踏まえた顔つきが素敵だという話でありまして、特に目を引かれるのはそうですねぇ、月並みな物言いにはなってしまいますがやはり瞳でしょうか、淡くやさしく、けれどもしっかりと意思を感じさせる薄緑の瞳はまったくいつ何時も私の魂を掴んで離さず、ほら今だって、蕩けて視界もおぼつかないだろうにそれでも私のほうを見ていてくれるその緑色、ああさっきの執着めいた情念が乗って僅かに影を帯びた瞬間もまた違った良さがあり、いやさもちろんそんな両目のはめ込まれたお顔の他の部位に関しても──
「ぅ♡? ぅあ♡♡? ルミナさっ♡ やっぱり……わるいしょくしゅ、ぅ♡♡」
私もいよいよ異常テンションになってきてるんだろう。もう好き勝手にネネカさんを褒めちぎる思考が止められない。
「っ♡ は、ぁ゙♡♡ っ……っ♡?」
繋がった触手の下、ネネカさんの右腕はもうすっかり力が抜けてしまって、くたりと地面に投げ出されていたけれども。その指先がときおり不随意に跳ねる様子は……ぇあー、なんというかその……さすがに不健全を免れ得ぬなぁと。頭の片隅でそんなことを思っては「しょくしゅさんのせいでしょ……♡」と怒られ。
──『月光』の開示状態が維持されているもう少しだけのあいだ、私とネネカさんはお話したり……この状態でできる、もう一つのことをやってみたりした。これまたネネカさんは大いに喜んでくれて、その幸せ〜な思考が瑕疵なく伝わってきて、私もしあわせ。
時間にしてみればほんの少しのやりとりだったけど、極度に濃密な思考の交わりの中ではそんなこと関係なかった。




