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月の触手は健全に遊びたい 〜魂の姿がアバターに表れるVRゲーム──え、私の魂って触手の化け物なの?〜  作者: にゃー
第一章 月の触手

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ノクトの森 2


「あの……」

 

 まだ少しの緊張が残ったそのお顔は、誰がどう見てたって文句のつけようがないレベルの美人さんだ。

 

 おっとりとした柔和な目鼻立ちに、ミントグリーンってな塩梅の清涼感とやわらかさが同居した片側ゆるおさげ。髪よりもさらに淡く柔らかな薄緑の眼差し。

 でも服装はちゃんと森歩きに適した長袖の重ね着&ズボンで、でもでも白系で上手くまとめられた着こなしはやっぱりやわらかな印象を受ける。

 まさしく穏やかゆるふわ清楚お姉さん……いやでもまって? よくよく見れば顔つき的には私と同年代っぽくもある……二十四、五くらい、いや下手すると年下か……? えーいやでもこれはぜひともお姉さんと呼ばせていただきたい。そういう雰囲気がもう全身から溢れ出ている。お姉さんに年齢とか関係ないですからね。


 そんな、見つめ合っているだけでドギマギしてしまいそうになる女性が、膝を折って私に微笑みかけてくれた。


「助けてくれた……んだよね? 本当にありがとう……」

 

 いいいえそんなとんでもないです人としていや触手として当然のことをしたまででっあ、あの私、宇野(そらの) 明里(あかり)……じゃなくてルミナという者でしてあいや全然怪しい触手なんかではなく、ええその差し支えなければお姉さんのほうもお名前など教えていただけると大変嬉しいといいますかそのぉ、へへ……


「……?」


 ……?


「……??」


 ……??


 ……………………私、喋れないじゃん!?!?


 え、今の今まで全然気付かなかったっ!!

 まず口がないじゃん! いやそれを言ったら目も耳も鼻もないんだけども! 顔とかいう概念が存在しないんですけれども!! 見聞きはできるのに喋れないとか、なんというっ、なんという……っっ!!


「その、わたしの言葉、分かる……?」


 ええいならば文字じゃっコミュニケーションとは声のみにあらず! 触手で地面に書き込んで筆談うわぁなんだこのうねうね象形文字!?!? なに書いても触手がのたくったような謎の記号にしかならんのだが!?!?


「えっ、と……?」


 案の定お姉さん読めてねぇ!!

 くそっこの体っ、言語でのコミュニケーションが完全に封じられてやがる!!!


 ……ぃ、いいやっまだだ! コミュニケーションとは言葉のみにあらず! 今こそボディランゲージの出番じゃァ!! 私、貴女、助けた! 私、良い触手! 貴女、お姉さん!!


「ええっと……」


 触手で自分を指したりお姉さんを指したりオオカミの死骸を指したりして、どうにか敵対の意思はないことをアピールする。幸いお姉さんはすごく察しが良くて、すぐにもこちらの意図に気付き、反応しやすい形で対話を続けてくれた。

 

「……あなたは、わたしを助けてくれた?」


 そう、そうです! 触手でマルの仕草!


「あなたは、人を襲わない?」


 同じく触手でマル!


「オオカミさんのように、あの泥のようなものに取り憑かれてもいない?」


 モチのロンです! 触手でマル!


「あなたは、この森の住民なの? わたしは初めて見たけれども」


 そっれはー……え、どうなんだろう。スタート地点がこの森だって意味ではマルだし、プレイヤーって意味ではバツ? え、これどっちだと思います……?


「なんとも言えなそうな反応……それに、なんだか不思議な雰囲気をまとっているし…………もしかして、あなたって『来訪者』さん?」


 あーはいっ、そう、それです! NPCからのプレイヤーに対する呼称、『来訪者』!

 と私が触手でマルをキメると、お姉さんは驚いたような納得したような表情で頷いた。


「『来訪者』さんは様々な姿で現れるって、噂では聞いていたけれど……こういうこともあるんだねぇ」


 うんうんと小さく頭を揺らすその仕草がなんとも可愛らしい。可愛らしいのにお姉さん味がまったく薄れていない。これじゃあただの可愛いお姉さんだ。ズルじゃん。


「──っと、そうだった」


 私が可愛いお姉さんズルすぎ罪について考えているうちに、お姉さんは近くに放り投げられていたリュックを拾って中身を確かめていた。これも服装と同じく実用性重視な代物で、やっぱりお姉さん、普段から森歩き自体には慣れていそうな雰囲気だ。『汚濁』とかいうアレに襲われたのは、彼女にとってもイレギュラーな事態だったのかもしれない。


 ともかくお姉さんはリュックを背負って立ち上がると、真面目な表情を浮かべてこちらへ振り返った。


「ごめんなさい、わたし、急いで町に戻らなくちゃいけないの」


 ──いわく、お姉さんは近くの町でハーブやら薬草を取り扱ってるお店を営んでいて、どうしても急遽、ある薬の素材が必要になったのだとか。近所に住んでいる子供の、下手をすると命に関わるかもしれない事態。お医者さんの処置は迅速・的確だったけれども、でももう一押しが欲しいっていう、そんな状況。

 

 それで店を飛び出して森へ入り……あとはまあ私も知る通り、と。

 必要な薬草は無事手に入ったけれども、材料さえ採れればそれで終わりという話ではもちろんないわけだから、早く店に戻るに越したことはない。なのでお姉さんは、危うく自分が死にかけた直後であっても、今こうして気丈に立ち上がっているというわけだ。


 で、あるならば。偶然にも幸運にも、この場に居合わせたいち触手にもできることがある。それをジェスチャーで伝える。自分を指し、お姉さんを指し、オオカミの死体を指し、お姉さんがつま先を向けている方角を指し。

 

「……もしかして、ついてきてくれるの? さっきみたいに、わたしを守ってくれるの?」


 触手でマルのポーズ。

 お姉さんは少しだけ迷う素振りを見せたけど……待っているだろう子供、あるいはその親を思ってか、すぐに頷いてくれた。


「……ありがとう。じゃあ森を出るまで、お願いしても良い?」


 当然、触手でマルのポーズ。

 ふふふ、触手は護衛任務もこなせるのだ。



 

 ◆ ◆ ◆


 


 道案内はお姉さんに任せるかたちで、彼女を森のごく浅いところまで送り届けた。

 やはりお姉さんの足取りはしっかりとしていて迷いもなく、この森の中を歩き慣れているのがうかがえた。


「──ありがとう、ここまでで大丈夫」


 いよいよ樹林が途切れ始め、木々の隙間から平原が見えてきた辺りで、お姉さんは言いながら私へと振り返る。もう夜も更けてきていて、月明かりがいっそう美しく感じられた。

 

 結局あのオオカミ以降はモンスターとも遭遇せず、私たちは安全に迅速に森を進むことができた。でもやっぱり心配なものは心配だ。森は抜けるとはいえ、夜の野道を一人で、だなんて。

 町までついていったほうが良いんじゃ、いやでも見た目モンスターなこの体で人里に近づくのは良くないか? みんながみんなお姉さんみたいに友好的とは限らないし……

 ……とかなんとか、そんな心の内がどうも体に表れていたようで。私は無意識のうちに、お姉さんの右手に触手を伸ばしていた。一本だけをそろりと、柔らかくてすべすべな手の甲に触れてはじめて自分の行動に気付く。んでテンパる。

 そんな私に、お姉さんはくすりと笑った。


「──心配しないで? 『ナーナ』の町は夜の町、『ナーナ』の民は夜の民。そもそも町はすぐ近くだし、平原にはモンスターもいないから」


 夜の町って聞いて一瞬その、あの、えっちぃ感じのやつかと思っちゃった私を許してください。いやほんと一瞬だけなんで、お姉さんの声音や表情から(あ、そういうピンクい感じの意味じゃないなこれ)ってすぐ気付いたんで。セーフということでここは一つ。パーフェクト自己弁護。

 

「今日は本当にありがとう。急ぎだから、もうお別れしなくちゃいけないけど…………もし、もしあなたが良ければ、明日もまた会えたりしない? きちんとお礼がしたいな」

 

 えやだ私ナンパされてる……? そ、そんな私たちさっき出会ったばかりですし、まだお互いの名前すら伝えられてないのに急過ぎますってぇへへ……


「触手でマル、ね。ふふ、嬉しい」


 うわぁ体が勝手に!? た、魂がっ、魂がお姉さんに引き寄せられていく……!


「あ、いけない。わたしったらまだ名乗ってもいなかった」


 自分の挙動もコントロールできずにいる私に微笑みかけながら、お姉さんはとんとんと話を進めてしまう。


「わたし、ネネカっていうの。『ナーナ』の町のハーブ店『結わえ草』の店主、ネネカ」


 リュックの中身を確かめるように一度揺らしてから、お姉さんは今度こそ森の外へと足を向けて。

 私から視線を外す最後の瞬間に、ぱちりと可愛らしくウィンクを飛ばしてきた。


  

「──じゃあ、また明日の夜にここで会おうね? 綺麗で素敵な触手さん」


 

 もうまったく、どうにも言い逃れのしようもなく、私は完全にときめいてしまっていた。


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