戴冠者 2
「だぁー死んだぁーっ」
意識が現実に戻ってくると同時に、私は勢いよく起き上がった。
ヘッドセットタイプのVR機器を外して枕元に置き、伸びを一つ。
「チクショウめぇ……」
首を回したり手足を軽く揺らしたり、フルダイブ明け定番のストレッチをしながら『汚濁』への恨みを吐き出す。初デスですわ〜。
今回のデスペナルティはログイン制限一時間だった。
この手のゲームのご多分に漏れず、『INTO:deep anima』も連続プレイ時間や直近のゲームオーバー回数に応じて短時間ログイン制限がかかったりかからなかったりタイプなデスペナ。今日は私も、けっこう長い時間ぶっ続けでプレイしてたからねぇ……
長時間のフルダイブやら、仮想とはいえ何度も死を体験したりなんてのは、正直言って心身の健康上あんまりよろしくない……っていうのはそりゃ、知識としては誰だって知ってることだけども。実際こういうときにはもどかしく感じてしまうもの。
「んーどうすっかねぇ……」
癖になっちゃってる独り言を漏らしつつ、時間を確認する。もう深夜も深夜、いつもならとっくに寝てる時間帯。
再戦したい気持ちは当然あるものの、ここから一時間待ってからゲーム再開っていうのは、いくら明日がフリーとはいえ眠気的な意味でちとハードだ。でもなぁ……なんかこう、ちょっとした胸騒ぎみたいなのもしてるんだよなぁ……
微妙に落ち着かない気持ちのまま、とりあえず手癖で多機能携帯端末の通知を確認する。
〈甘愛:攻略は順調?♡〉
なんてメッセがちょっと前に来ていた。返信しとくか。我が親友はこの時間でも起きてるはずだし、たぶん。
〈明里:シカに踏み潰されて死んだー〉
〈甘愛:あらぁ〜♡♡〉
返事が早いのはいつものこと。
文面だろうと口頭だろうと語尾に♡がついてるのもいつものこと。
〈甘愛:“ルミナ”が負けるなんて、きっと途方もなく尋常ならざるシカなのねぇ♡〉
〈明里:たしかにビジュはだいぶヤバめだったよ〉
〈甘愛:シカだけに?♡〉
〈明里:シカだけに〉
〈甘愛:♡♡♡♡〉
甘愛、イデアやってないのに触手ボディの私をやたら高く評価してるんだよねぇ。なぜかは分からないけども。
〈甘愛:リベンジはしないの?♡〉
〈明里:デスペナで一時間休憩入っちゃった〉
〈明里:どうするかなぁ〉
〈甘愛:愛しのネネカさんの為にもうひと頑張り♡ほーらがんばれ♡がんばれ♡〉
〈明里:やめい恥ずかしい〉
激励二割からかい八割みたいな煽りを受けつつ。再開するかどうかはまだ決めあぐねたまま、私はベッドから起き上がった。とりあえず小腹すいたし春雨スープでも食べよう。
……しかしなんだ。
手足が合わせて四本だけ、しかも伸縮もしないだなんて案外不便だよね、人体って。
◆ ◆ ◆
【ネネカ視点】
──森の様子がおかしい。
それはここのところの『汚濁』問題ではなくって、まさに今、ここ一時間ほどで急速に起きている異変という意味で。
わたしたち『ナーナ』の住人がすぐにそれに気づけたのは、立ち入り禁止になって以降、森を外から監視していたからだと思う。ここ数日は、猟師さんたちのような手が空いてしまった人たちが集まって、森と町とのあいだにある草原に簡易なベースキャンプを作り、交代で森の見張りをしていた。
とは言ってももちろん距離は開いているし、本当に森の外縁を眺めるだけ。中の様子なんて分かりっこなくて、正直なところ気休めにすらならない。それでもみんな、なにかをしていないと落ち着かなかったから。
わたしはお店の仕事もしつつ、キャンプにもときどき顔を出していた。少しでも触手さんの近くにいたくて。
そうして、幸か不幸かちょうどわたしも監視に参加していた、まさに今。
「……どうなってんだ……っ」
キャンプから見える森の外縁に、『汚濁』にまみれたモンスターたちが次々と姿をみせていた。一頭二頭なんて数じゃない。種族もばらばらなものたちが、一つの群れのようにその場に集まっている。
「浅い、どころの位置じゃねぇぞ……!!」
──そう、ここからじゃ森の中の様子なんて分かりっこない。
つまり外からでも見えるほどの場所に、もう、もう今にも木々のあいだから踏み出してきそうなところに、『汚濁』に侵されたモンスターたちが佇んでいる。
「なんなんだよこれ……気味が悪りぃ……っ!」
だれかが漏らした言葉の通り、すごく不気味な光景だ。
それはただ単に、『汚濁』が森の外縁にまで出てきてしまったというだけじゃない。
これまでわたしたちが遭遇してきた『汚濁』のモンスターたちはみんな凶暴化していて、人間を見るなり襲いかかってくるものばかりだった。なのに、今わたしたちが見ている彼らはみんな一様に、ただじっと佇んでいるだけ。攻撃衝動すらもなくしてしまったように。
……じきに、森から出てきてしまうんじゃないか。
そう思ってしまって、だけども口には出せなくて。
……まるで、なにかを待っているみたい。
どうしてかそうも思ってしまって、やっぱり口には出せなくて。
それはきっと、わたしだけじゃなかったと思う。
この場にいる誰もがみんな、すごくいやな、いやな予感を抱いていた。
こっちから攻撃をしかけるなんてとてもできなかった。
町にはとっくに連絡を入れている。だけど、こんな異様な事態を前にどうすれば良いのかなんて誰にも分かりっこない。わたしたちは、平和で静かな森と町しか知らなかったから。
そして、そうやってただ手をこまねいているうちに、訪れてしまった。
「────」
最悪の事態が。悍ましいとしか言いようのない化け物が。
「な、ぁ……」
自分の口から絶望しきった声が漏れていると、そう気づくのすら遅れた。
木々を朽ちさせ倒して道を開き、その歩いた道が黒く穢れ、大きなツノに触れた空気までもが侵される。伝承に聞く偉大な存在がすぐに思い浮かび、こんなものがそうであるはずがないと心が否定する。
けれども、どうしたってその姿は。
「ぁ、で、でて……くる……」
なんてことのないように『ノクトの森』から身を乗り出した存在は、『汚濁』に染まりきった巨大なヘラジカの形をしていた。
「────」
「ひ、っ……」
心の奥底から怖気を掻き出してくるような、音のない声のようなもの。
それが響き渡るのと同時に、佇んでいたほかのモンスターたちもまた、次々に森から草原へと出てきた。
ああなるほど、彼らは“これ”を待っていたんだ。
凝縮された穢れの塊。冠の上でふんぞり返る彼らの王。
その歩みに続いて、森の外にまで溢れ出るために。
「……に、にげ、みんなっ……町のみんな、逃さなきゃ……っ」
また誰かが言った。
無理だって、みんなが思った。
「────」
黒いヘラジカがわたしたちを捉えた。
目があるはずの場所は真っ黒い泥溜まりの孔になっていたけど、あるいはその孔がこちらを“視て”いるんだと、背筋に走る恐怖で分かった。
「ぁ、あぁ……」
眼の前が真っ暗になっていく。
それはショックとか絶望とかによってか、それとも本当に、広がる『汚濁』が視界を覆い尽くしてしまったのか、その判別もつかない。
王を戴く『汚濁』の群れが、ただ黒々と草原を穢し。
──そして一筋。
わたしは見た。
月明かりが。美しさが。柔らかさが鋭さが。
息を呑むほどの神秘が。胸を貫くほどの異質が。
わたしはたしかに見た。
銀色の月光が、闇を切り拓くその姿を。




