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黄家の嫡子と黒家の娘  作者: アジアンファンタジーだいすき
第一話 領家に生まれた子どもたち
1/7

其の一


 ……おや?


 少年の手練(しゅれん)は大胆で、いっそ手慣れていた。



 酒楼の二階。ソル・ジュノは望台(バルコニー)(ふち)に身を預けて座り、いつものように〝人間観察〟をしていた。

 そのジュノの視線の先…――。


 その少年は、今しがた酒楼を出たばかりの男らを追って背後から近づくと、( )(十字路)に差し掛かって〝ひとの流れ〟の交錯するのを見計らって、人を避けそこなったふうを装い横合いから倒れかかった。


 そうしてわずかの間、男ら二人の間に割って入って(もつ)れ…――


「ごめんなさい……!」


 と、ふたたび距離を取ったときには、少年は男の懐から()()()()()()を後ろ手に隠しながら何事かと()()()()になった男たちに愛嬌のある顔を向けていた。そして何食わぬ顔で三拝(さんぱい)九拝(きゅうはい)(何度もお辞儀すること)、(かしこ)まってみせながら離れていった。

 男らは、少年がそそくさと後ろ手に去っていくのを見送ると、ふん、と鼻を鳴らして歩みを再開した。もちろん自分たちに何が起こったのか、わかっていない。


 (もっと)も、視界の中のわずかな違和感から少年の意図を察し、その動きを追うことができたのはジュノ一人きりだったわけで、実際、それほど少年の手練は際立っていたということだ。



 さて、そんな顛末(てんまつ)を偶然目撃したジュノは目を丸くしたものの、少年が路地裏へと消えてしまうと、その口許を(ほころ)ばせていた。


 〝世界の富の集まる地〟とも呼ばれる()()『クユヌ国』の街中では、このような小さな事件(ドラマ)なぞ、それこそ日常茶飯事なのだろう。


 だがクユヌの国を統べる五大領家(たいりょうけ)の首座『ソル家』という()ん事無い家柄に生まれついたジュノは、自分とそう年齢(とし)の違わない少年の見せた(――いや、見せたわけではないか……)鮮やかな手並みに素直に賞賛の念を抱いたのだった。……もちろん、それが褒められた行為(おこない)でないのはわかっている。


 やがてジュノは、面白いものを見物できたと満足すると望台の(ふち)から身を起こした。

 思いのほか背丈がある。

 そのすらりと瑞々(みずみず)しい身体に、丈の短い麻衣をひも状の細い帯で締め、腰から下は(くるぶし)まである(くず)布の(はかま)を膝下で紐で結んでいる。それは市井の者の旅装だったが、黄色い布切れで無造作に()われた癖一つない射干玉(ぬばたま)の髪の下の(かお)には、隠し(おお)せぬ育ちの良さが見て取れた。


 酒楼の女主人の姿を捜して視線を楼閣の中へと()りかけたとき、(にわ)かに通りが騒々しくなった。再び望台の外へと視線を戻すと、馬を早駆けさせ通りを進む一団が目に入った。人込みを避けるのに苦労しているのが遠目にわかる。


 ジュノは〝やれやれ〟と嘆息すると、きびすを返して人馬の男どもの視界から外れるように望台から素早く離れた。

 そうして背後に進み出た女主人と目が合うと「あとはまかせた」との目線を向けて頷き、そそくさと階下へと下りていく。女主人が一礼してその背中を見送った。


 もう陽も中天の低い位置に移ろうとしていた。



   *   *   *



 チェ・グァンリョルは気乗りのしない手綱さばきで馬を駆る。


 都に上がってまだ四日しか経ってはいないが、五大領家(たいりょうけ) 第四席『チェ家』の姫君、チェ・セミの気紛れで狩場に連れ出され、今、手負いの女鹿を追い立てている。


 ――俺は何をやっている……。

    マ・グァンリョル……

      いや、()()()グァンリョルでよかったのに……。


 そのような心中の憂愁が手綱さばきをさらに鈍らせる。

 と、そのグァンリョルの馬の隣に、セミの駆る白い駿馬がぴたり寄せた。


「グァンリョル! ……あぁ、いいえ、異母兄(あにうえ)さまっ、なんだか〝心ここにあらず〟という(てい)ねっ」


 全力で逃げる鹿を追って疾走する馬上から、そう弾むような声で言うや、左右に並走する手下(てか)に腕を振って獲物を追い立てさせ、次いで素早く矢を(つが)える。

 グァンリョルは異母妹にこれ以上の無茶をさせられぬと、馬をさらに(はや)く走らせる。



   *   *   *



 夕刻。

 グァンリョルとセミは、狩場のはずれの小川の水辺で、連れてきたチェ家の一党とともに焚火を囲んでいた。


 獲物を並べ火を囲んで談笑する一党の姿は、大領家の貴族というよりは〝騎馬の民〟として鳴らす『マ族』の一行に見える。

 マ族はチェ家の従える遊牧の民。主家のチェ家とともにクユヌの国政を(つかさど)る『領主会議』への出席を許され、いわゆる『四支族』の一つに数えられる。その勇猛さはクユヌでも一、二を争う武闘集団である。

 そんなマ族を己が支族とするチェ家もまた、武威に()って立つところの強い家柄ではあった。



異母兄(あにうえ)……さま?」


 火の前に座ったグァンリョルは、隣に寄って語りかけてきた異母妹(セミ)を見上げた。セミの目が〝いま話してよいか〟と訊いている。

 少しの間を置いて頷き、グァンリョルは言った。


「むかし通りにグァンリョルで構わないですよ、セミさま」


 セミの表情が無邪気に和らぐ。すると愛らしい一五歳の乙女の表情(かお)が垣間見えた。

 だがすぐに、セミは声音を改めた。


「あら、それはダメよ。グァンリョル(あ!) ――…あにさま……」


 言う傍からまた異母兄(あに)を呼び捨ててしまったことに、慌てて肩をすぼめ、取り繕う。


「では、セミ」 グァンリョルは、〝続けよ〟と頷いてやった。


 それで気を取り直し澄まし顔となったセミは、自分自身をも戒めるように異母兄(あに)(いさ)める言を(のたま)ったのだった。


異母兄(あにうえ)さまは、チェ家の次期統領となることが決まった方。大領家(たいりょうけ)に生まれた者として、血胤(けついん)の序は守らなければ」



 グァンリョルがチェ家の跡取りと定められたのは去年のこと。それまではチェ家の血胤であることすら知らされていなかったのだ。

 はじめマ族の中に育てられ、一〇年前、九歳となって統領正妻の末娘セミの扈従(こしょう)(貴人に付き従う人)としてチェ家に引き取られ、それ以降、共に育った。

 セミにとってグァンリョルは幼い時から側にあった忠実で信頼のおける存在であり、慣習(しきたり)によりマ族の有力な家の許で養育され別々に育った二人の実兄よりも気の置けぬ、最も身近な存在だった。


 それがわずか一年前、二人の実兄が相次いで夭折(ようせつ)、チェ家の血胤であることが明かされたグァンリョルは跡取りに定められ、疑似兄妹ともいえた二人の関係は主従を逆にした血胤関係に代わってしまった。

 そういった過去にまつわる関係性――〝異母兄妹〟で〝主人と扈従(こしょう)〟で〝幼馴染〟…――は、なかなか改めることができない。


 そんなわけで、この一年来、このような〝滑稽なやり取り〟が交わされているのだった。一五歳の無邪気なセミは鷹揚(おうよう)で屈託がない。



「どうしましたか? せっかく都に上がったのに、今日はなんだか心(そぞ)ろでした」


 グァンリョルは異母妹に(かたわら)に座るよう促がした。


「都というのは〝怖い所〟と聞いている。俺の居るべき場所ではないと、そう思うのだ」

「怖い所……」

「五領家の領主会議での主導権争いなど、俺の性には合わぬ。できれば今すぐにも帰りたい」

「…………」


 異母兄の悲嘆の言に慎重な面差しとなったセミが、意を決して何か言おうとしたそのときだった。




 やにわに周囲の草木が揺れるや、枝葉を散らして騎馬の一団が飛び出してきた。


 まず一騎……次いで三騎……それから一〇騎と…――


 あっという間に三〇騎近い人馬が姿を現し、チェ家一党を取り囲んだ。

 その馬上の者どもは皆一様に奇妙な出で立ちをしている。白い揃いの装束に身を包んでいるのだ。


「な、何者だ? 我らはチェ家の者、そしてここはチェ家の狩場なるぞ! 退()がられよ!」


 チェ家の最年長の家人(けにん)剣把(けんぱ)に手をやりながら一喝してみせた。

 だが白装束の騎馬の一団は、動ずることなく馬上からチェ家一党を見下ろして返した。

 黙ったままの彼らに家人の剣を握る手に力が入る。

 家人が暴発するよりも早く、グァンリョルは家人の肩に手をやり、前に進み出た。


「〝赤南〟チェ家が嫡子グァンリョルだ。この無礼、如何(いか)なる所存(しょぞん)か?」


 ようやく、それまで黙っていた白装束のうちから一人が進み出てきた。


「無礼とはそちらである。神域を(けが)しておきながらその冒涜に赦しを乞うことなく、(あまつさ)え我ら巫女(ふじょ)を恫喝するとは」


 それは女の声だった。


 ――巫女だと……?


 それで気づく。

 白い装束は巫女装束で、馬上の者は一人残らず女だということに。


 ――では我々は、獲物を追ううちに、知らず狩場からクユヌ巫堂(ふどう)の神域に入ってしまっていたのか……。


 家人に動揺が走った。

 ()りにも選ってクユヌ巫堂の神域に踏み入り、獣の血で穢してしまうとは……!


 セミが畏怖にその身を硬くするのが気配で伝わる。

 グァンリョルもまた、不面目(ふめんぼく)に背筋の凍る思いとなった。



 王を(いただ)かぬ国クユヌにあって、国権の最高機関たる領主会議の評決に服さぬものが二つある――『法真善堂』と『クユヌ巫堂』でる。


 クユヌ巫堂はクユヌに王が健在だった時代に、王家の霊廟を(まつ)り土地神と穀物の神の祭壇を祭る者らを領家の子女から集めて成立した。――…()(てい)に言って〝人質〟である。

 時を経て王が追放されても、領主会議は巫堂を閉じなかった。


 その理由は、領家の女たちがそれぞれに実家の内情を巫堂に持ち寄り、各家の〝奥向きの(女たちにとっての)〟利害を(はか)って〝お告げ〟として領主会議に(あらわ)すということが、〝男の考え〟で動く領主会議に対し〝女の想い〟を顧慮(こりょ)させる安全弁として有用だと認められたからである。



 ゆえに『クユヌ巫堂』は、国の祭事を担うという権威と併せて、領家や領主会議から独立性を保つ存在なのであった。




 そんな事情に身の縮む思いとなったグァンリョルは、その場で(こうべ)()(ゆる)しを()うべきだった。

 それをできないでいるうちに、その闖入(ちんにゅう)者は何処(いずこ)からともなく現れた――

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