表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

男になってしまった私と可愛い女性部下の攻防

作者: 鈴元 香奈

 私は男になりたいと思っていた。


 魔法に興味を持ち、魔法局の職員を目指して魔法科大学院で学び、数少ない魔法局女性上級職員として採用されたのは二年前。

 魔法の研究をする夢は叶ったと思った。


 魔法の出力には、明らかに男女差がある。妊娠・出産するために、女性は魔法に関わる器官が男性ほど発達していないと学会で発表されていた。

 もちろん、個体差は大きい。頑張れば魔力も伸びる。術式を展開する理論を理解することに男女差はみられない。それでも女は駄目だと言われる。


 女は雑用をさせとけばいい。

 女は職場の華だ。

 そんな上司の言葉に、絶望を深くする。


 男として産まれていたならば、この世界でまともに生きていけただろうか。

 私にはその能力があっただろうか。

 それを知る機会はないと思っていた。



 その十五歳の少年は、紛う方なく天才だった。

 魔法科大学院を飛び級で卒業して、魔法局の上級試験も一発で合格した。

 膨大な魔力を持ち、高難易度の術式を開発していく。

 魔法以外のことに全く興味を示さず、危険な実験を繰り返す。

 実験動物に強大な魔法を打ち込み粉砕していく少年を見た魔法局の上層部は、王都の郊外にある魔法局付属施設である小さな研究所に少年を押し込めた。

 そして、私も同行するように命じられた。名目は少年の指導役。実態はただの家政婦だった。


 それは事故だったのか、少年の故意だったのかはわからない。

 ある日、少年は魔力を暴走させた。

 私はとにかく止めなければと思い、少年に抱きついた。そして、少年に比べて僅かしかない魔力を出力最大にして、少年の魔法を打ち消すように魔法の術式を詠唱する。

 全身が燃えるように熱い。

 意識が途切れる前に見たものは、自身の体から溢れ出る大量の血。そして、体が引き裂かれていく。


 

 目を覚ました時、私は少年になっていた。

「あの少年の魂は、魔法の大きさに耐えきれずに消滅してしまった。体に損傷のないままだ。おまえの体は跡形もないほどになってしまっていた。こうする以外になかった」

 研究所の所長が頭を下げる。

 魂の入れ替えは禁忌とされる魔法であり、実現されているとは思わなかった。所長はその研究をしており、優秀であったのにも拘らず、こんな小さな研究所の所長として左遷させられていたのだった。

 もう、私は元に戻れない。

 二十三歳の女性だった私は、十五歳の少年として生まれ変わった。名をレナードと言う。


 魂の入れ替わりのことを知るのは、研究所の所長と数少ない職員のみ。

 以前の私は、待遇に不満を持ち失踪したということにされていた。

 真実を明らかにすることはできない。禁忌の魔法を使ったと魔法局の上層部に知られてしまうと、私の魂はこの体から引き剥がされてしまう。

 私は、この体で生きていくしかない。


 

 あれから五年。魔力の多さのために起こる頭痛や倦怠感に悩ませられながら、どうにか生きてきた。

 王都にある魔法局の本局に戻ることができて、魔法の研究を続けている。

こうして、私は理想の生活を得たかもしれない。もう、以前の私を覚えている人はいない。


 

 久しぶりに女性上級職員が入所した。

 まだ二十一歳のティナという名の女性は、明るく可愛らしかった。

 男と肩を並べようと力んでいた女性時代の私に比べ、軽やかに実力を認めさせていく。

 嫉妬という言葉が浮かんだ。

 同じ事を提案した私に上司は、『女の言うことは信用ならない』と言ったではないか。なぜ、ティナだけが評価される。

 ティナの容姿が優れているからか?

 ティナの性格がいいからか?

 女は能力では評価されないのだろうか。


 私は将来有望と思われて、若いながらも既に独立した研究室を与えられ、裁量的な勤務を認められていた。

 しかし、それはこの体の主が評価されているだけだった。

 恐ろしいほど高い魔力と天才の名は、平凡な術式さえ驚くべき魔法理論と変えてしまう。元の私ならば、こんな術式を発表すれば鼻で笑われていたに違いない。


 ティナと目が合うと、優しそうに微笑まれた。確かに可愛らしい。こうして男に媚を売って認めさせたのかと、私は少々不快になった。

「レナード君って、いつも不機嫌そうね」

「私はティナさんより役職は上なのだから、君呼ばわりは止めた方がいいと思う」

 ついきつい言い方になってしまった。ティナが頑張っているのを知っていた。決して媚を売って男に認めさせてきたわけではない。それでも、素直になれない自分がいた。

「ごめんなさい。同じ年代だったから、つい気安くしてしまいました。以後気を付けます」

 ティナは気を悪くした様子もなく、微笑みながら去っていった。

 周りの男が私を睨む。物言いはきつかったが、内容は真っ当なはずだ。いじめていた訳ではない。

 しかし、いたたまれずティナの後を追った。


 

 裏庭のベンチにティナは座っていた。ちょうど昼休みの鐘がなり、職員が休憩に入る。

「食堂に行かないのか? 早く行かないと人気の料理が売り切れてしまうけど」

 何と声をかけたらいいかわからず、とりあえずそんなことを言ってみた。

「レナードさんは行かないのですか?」

「私は後でゆっくり食べるほうが好きなので」

 混み合う食堂は苦手だった。

「私もそうです。残り物でもかまいませんから、落ち着いて食べたいです。それまでここに座って待ちませんか?」

 ティナが隣を指差す。

 私はティナに勧められるままにベンチの隣に座った。


「私は七年ぶりに上級職に採用された女性なんです。前の方が仕事に不満を持って二年で辞めてしまったので、しばらく採用が見合わせられていたようなので」

 私のせいで、女性の採用が滞っていたのか。逃げ出した訳ではないが、そのために採用さえされなかった女性がいたと思うと心が痛い。

「ティナさんは楽しそうに見える」

 私とは違い、大切にされている。

「そうでもないです。前の方が辞めてしまったのがわかる気がします。女と言うだけで特別扱いなんですよ。今度は辞められたら困ると思って妙に優しくされています」

「それはティナさんが可愛いからではないか?」

 私と違って、可愛いから男が認めるのだと思っていた。

「それって、口説いています?」

「まさか」

 だけど、そう思われても仕方ない言葉を口にした。気を付けなければ。

「わかっています。レナードさんは女嫌いで有名だから。レナードさんが虐めたから、前の女性が辞めたと噂されています」

「ある意味、そうかもしれない」

 十五歳のレナードは、私に全く関心がなかった。まるでいないように扱われた。辛くなかったと言えば嘘になる。

「私はここに仕事をしにきたのに、ここではティナという個人ではなくて、女としてしか扱われない」

 私の時と同じかもしれない。仕事を放り出して逃げ出した『女』である私と、同じ『女』としてしか見てもらえていないティナ。

 評価は仕事の能力ではなく、女性としての魅力で決まる。

「レナードさんの研究室を希望してもいいですか?」

「えっ?」

 気楽な一人研究室で自由に研究をしていたが、主任研究員である以上、部下を持つことを拒否できない。今まで、年下の上司のところを希望する職員がいなかっただけだ。

「なぜ私のところに?」

「だって、レナードさんは女に興味がないから、私の能力を正当に評価してくれると思うの」

「確かにね。でも、私は甘くないと思う。絶対に後悔するから」

「後悔するかもしれませんが、褒められた理由が可愛いからなんて理由より、納得はできると思います」

 ティナが微笑む。それは、私でも可愛いと思う笑顔だった。


 こうして私は初めての部下を得た。



 ティナは笑顔が可愛くて、綺麗好きで、根気があった。

 細かい作業も文句を言わずこなす。文房具類は整理され、積み上げられていた本も全て本棚に仕舞われた。

 片付けられない私とは大違いだ。

 研究室は見違えるように整理整頓されていた。

 少し落ち着かないが仕事は捗る。

 違う魂が入っていることを知られるのが怖くて、人を避けて生きてきた五年間。必死だったので気付かなかったけれど、私は随分と寂しかったらしい。

 ティナとの何気ない会話が楽しい。

 研究の手がかりを与えると、過去の文献を調べ尽くし丁寧に数字を読み取っていく。


 ティナは思った以上に優秀だった。

 雑用の間にティナが書き上げた論文は、魔法の範囲と出力の最適解を求めるものだった。過去の資料をよく調べている。

 魔力の少ない女性でも、範囲を絞ることによって有効な魔法を放つことができるようになる。今まで経験則だった有効範囲調整を理論的に解析している。

 ティナの有能さに嫉妬してしまいそうになる。

 しかし、ティナは女性だった。


「この論文は、紀要にレナードの名で載せる」

 研究室を訪れた副局長の言葉に驚く。ティナの論文を私の推薦文と共に年一回発行される魔法局の紀要に投稿しておいた。

「なぜ? この論文はティナが書いたのに」

「紀要は王に献上し、王宮図書館にも所蔵される。査読も付いた由緒あるものだ。入所して間もないティナの論文を掲載できない。ティナが過去の資料を調べたのかもしれないが、レナードが指導したのだろう。レナードの名で発表すれば、おまえの実績にもなる」

 副局長の言い訳はおかしい。理由は一つしかない。

「入所一年目での論文掲載は珍しいことではない。私も入所時の十五歳で書いた論文が掲載された。他にも多数の例があるだろう」

 本当のレナードが若干十五歳で書いた論文は紀要に掲載され、当時の副局長は嬉しそうに天才の出現を王に報告したはずだ。

「ティナは女だ。今まで女性の論文が載ったことはない」

「年や性別ではなく、内容が大事なのではないのですか? この論文は掲載に値すると思ったから推薦したのですが」

 副局長の本音は、ティナが女性だから載せると格が下がるとでも思っているのだろう。

「これは、レナードのためでもあるんだ。最近、論文を書いていないだろう。長じると凡人になる天才は珍しくない。論文の一つも発表しないと、そう思われても仕方がない」

 二、三年前までは、経験と努力で天才を偽装できていた。しかし、今は仕事を頑張ることは、自分が凡人だと証明することと同義になっている。私はそれが怖く逃げていた。膨大な魔力を持つが故に可能な、誰にも応用できない術式を開発してお茶を濁してきた。

「私が凡人かどうかと、女性の名で論文を掲載しないと言うのは、別問題だと思います」

「もういいです。レナードさんの名で発表してください。手がかりはレナードさんにもらったものです。レナードさんの論文でもありますから」

 ティナが話を切ってしまった。

「待ってください」

 部屋を出て行こうとする副局長を止めようとした私の上着の裾を、ティナが握って引いた。

「本当にいいですから。論文を載せてもらえるだけで嬉しいです」

 私はため息を付いた。


「ティナさん。貴女がここで引いたら、また同じことが繰り返される。これから魔法局に入ってくるだろう女性の後輩のことを考えないのか?」

「でも、このままではレナードさんまで侮辱されるから」

 ティナが落ち込んで俯いている。可哀想だと思うけれど、このままで良い訳はない。

「私のことはどうでもいい。もう一度副局長に掛け合おう。ティナが頑張らないと、女性の待遇が変わらないままだ」

 ティナが驚いて私を見る。

「私、レナードさんのことを誤解していました。女性のことをそんな風に考えてくれているとは思ってもみなかったです」

「私は酷いことを強要しているかもしれない。ここでティナさんが引いたら、上層部に可愛がられて楽に生きていける。我を通そうと思ったら、本当に叩かれると思う。それこそ逃げ出したくなるくらいに」

 男性は黙って従う女が好きだ。ティナのような可愛い女性が従順だと、喜ぶおじさんがいっぱいいるだろう。逆に逆らったりすると、本当に怒り出すかもしれない。

「男性に嫌われて、結婚相手も見つからなくなるかもしれませんね」

 ティナが微笑む。

「それは大丈夫だろう。私でもティナさんみたいなお嫁さんがほしいと思うから」

「それって、プロポーズですか?」

「えっ? 違うから。ごめん」

 またやってしまった。

 ティナみたいな嫁がほしいのは本当だけど、今は男の私が気楽に言ってはいけない言葉だった。

「私、戦います。後輩のためにも。何よりも自分自身のために。でも、本当に結婚相手が現れなくなったら、責任を取って結婚してくれますか?」

 冗談ではなさそうな雰囲気だ。それくらいの決意がいることだろうけど。

「ティナさんに結婚相手が現れないとはとても思えないけど、本気で探して、それでも見つからないのであれば責任を取ると約束する」

 結婚できないことを恐れて戦えないのであれば、安心させてやりたい。そして、存分に戦ってほしい。私ができなかった分まで。

「本当ですか! それならば紀要に論文を私の名で載せてもらえるように、副局長にもう一度交渉しましょう」

 ティナは隨分とやる気になったようだった。



「副局長。この論文はティナさんのものです。紀要にはティナさんの名で掲載すべきです」

 ティナと共に副局長室を訪れた私を、副局長はうんざりしたように見ていた。

「私は編集責任者だ。私の代で汚したくない」

 本音を言い過ぎだと思う。

「ティナさんは、将来皆が認める大きな仕事をするでしょう。その時、副局長が最初に認めたと言われるのと、他人の名で発表させたと言われるのと、どちらがいいですか?」

「そ、それは……」

 副局長は、今女性の論文を掲載することと、将来女性故に名を消したと言われること、どちらがいいか心が揺れているようだった。あと一押しだ。

「私の名前を入れてもらって結構です。でも、筆頭はティナです」

「わかった。ティナを筆頭執筆者として掲載しよう」

 副局長が折れた。顔は納得していないようだったが。

「ありがとうございます!」

 ティナは本当に嬉しそうに微笑んだ。 



「レナードさん、一緒に飲みに行きませんか? 論文が私の名前で掲載されたことのお礼とお祝いをしたいので。まだ薄給ですから高級なところは無理ですけど」

 ティナが発行されたばかりの紀要を持ちながら、嬉しそうに飲みに誘ってきた。明日は休日だから勤務のことを考えなくて良い。

「私がお祝いの席を設けるべきだった。上司として失格だ」

 ティナは初めてできた部下だったので、そんなことにも気が回らない。

「レナードさんはこの間まで未成年だったので、お酒を飲んでは駄目だったんですよね。飲みに誘われる方がびっくりです」

 女だった時は付き合いで飲みに行っていたけれど、上司に気を使って楽しいと思ったことはない。仕事の延長だと感じていた。

「ティナさんが飲みに行きたいのであれば、一緒に行こう。お祝いだから私が奢る。ティナさんよりは給料をたくさんもらっているから」

 そう言うと、ティナが本当に嬉しそう目を輝かせた。紀要への掲載は、上司との飲み会の煩わしささえ凌駕してしまうほど、喜ばしいことだったようだ。

「レナードさんは主任研究員ですもの。高給取りですよね」

「裁量労働だから、残業代が出ないのでそれほどでもないけどね」

「夢がないことを言わないでくださいよ」

「後でがっかりするよりいいのではないか?」

「そうでしょうか?」

 ティナが首を傾げて微笑みながら私を見る。あざとい仕草だと思うけれど、やはり可愛い部下だとも思ってしまう。



 この体になって五年間、ほぼ魔法局の本局と寮の往復だけ、外出は身の回りのものを買い揃える程度だった。もちろん酒を飲みに行ったことはなかった。

 ティナに連れられてきたのは、学生の時によく来ていたという庶民的な店だった。

「中級試験にしておけば良かったかと少し後悔していたんです」

 乾杯をしてすぐにティナが愚痴りだした。

 魔法局の試験は、上級職、中級職、一般職に分かれている。

 攻撃魔法の使用を認められているのは魔法局の職員のみ。一般職は攻撃魔法を使って、町の治安維持や、魔物化した動植物の討伐の任に当たる。今は平和だけど、戦争が起これば兵士として参戦することになっている。子どもたちにも憧れられる人気の職業だ。

 中級職は医療や土木・建築分野で利用されている魔法の管理監督を行っている。中級とは名ばかりで、実質的に魔法局の実権を握っている層である。局長も中級職から選出されるのが慣例となっていた。

 上級職は、新しい魔法の術式の開発、理論化を担う。事故調査や究明も上級職の担当だ。

 上級職の職員は横のつながりも薄く、権力をほぼ持たない。上級職と名を与えておけばいいと言わんばかりの扱いで、どれだけ出世しても副局長止まり。今まで局長になった上級職出身者はいない。

「そうかもしれないな。上級職なんて名前だけだから」

 女というだけで認められないなんて、心が折れてしまう。

「でもね、同期の娘に聞いたの。建築現場へ行ったりしたら、女では話にならない。男を寄越せって言われるらしい」

 ティナが悔しそうにしている。

 中級職には女性も多い。局内ではそれほど不利になることはないと聞いていたが、外部の人と会う機会が多い職なので、いろいろな苦労がありそうだ。

「それは、悔しいな」

 難関の試験に合格して入所したのに、女だと言うだけで信用されない。その悔しさを男性はわかっているのだろうか。娘が同じことを言われても平気なのだろうか。

「だから、嬉しかった。レナードさんが副局長に私を筆頭にしろと言ってくれて。本当に有難うございました」

 両手を前で組んで、その手に頭を付けるように下げる。やっぱりあざとい。

「ティナさんが書いた論文なのだから、筆頭となるのは当然だ。私は当たり前のことしか言っていない」

 今日、一昨年に入所した男性職員が『ティナの論文を読んだが、文学的だね』と嫌味を言っていた。ティナは嫌味だとわかっていてもただ笑っているだけだった。ティナはたった一人で戦わなくてはならない。

 私は三年ぶりに上級職として採用された女性だった。私の前に採用された女性は、結婚して辞めている。

 上司も同僚もほとんど男性という環境で、ティナは目立ってしまって妬みの対象になっている。

「それでも、嬉しかったです。先週実家に帰った時、父と母に紀要のことを話すと、とても喜んでくれました。いい上司に巡り会えたなって言ってくれたのですよ」

「私は、あまりいい上司だと思わないけど」

 だから、私の部下になれば後悔すると言ったんだ。

「そうですね。片付けられないし、男性にも女性にも厳しいですものね」

 ティナは正直だった。

「まあね」

 苦笑するしかない。 

「でも、女だけに厳しいとか、女だけに甘いとかより、納得はできます」

 ティナが顔を上げてそう言った。

「そうかな?」

 ティナは美味しそうの甘めのお酒を飲んでいる。目が潤んで妙に色っぽかった。

 私にはできなかった表情。多分、私は上司との飲み会で不機嫌な顔をしていたに違いない。

 久しぶりに飲んだ酒は、少し苦いと感じていた。


「そろそろ帰ろうか。魔法局に女性の寮はないから、アパート住まいなんだよな。送るよ」

 魔法局の寮は男性のみが入ることできる。女性は近隣の家賃の高いアパートを借りなければならない。

「既成事実を狙っています?」

 ティナがとんでもないことを言い出した。

「酔っているのか? こんな所に酔った部下を放っていく訳にはいかないからだ」

「私、この間お願いしたこと、本気ですから。結婚相手が見つからなかったらお嫁さんにしてくださいね。約束です」

 ティナは男性にいろいろ言われて、少し弱気になっているのかもしれない。

「嫉妬にかられて嫌味を言うような男ばかりではない。きっと、いい結婚相手が現れる。ティナはとても可愛くて、綺麗好きで、話も面白いから。男が放っておくとは思えない」

 私とは違う。男を恨んで、女の自分を憎んで、自ら嫌われていった私とは。

「それって、絶対に口説いていますよね? もうべた惚れではないですか」

 ティナが冗談だよと言うように笑っている。

「そんな訳あるか!」

 私も笑顔で応じた。



「娘を虐めて追い出したくせに、自分は女といちゃついているのか? 娘は五年間も帰ってこない。おまえは娘に何をした!」

 ティナと夜道を歩いていると、老年の男性が声をかけてきた。それは、既に定年で仕事を辞めているはずの父親だった。

 五年の月日は父の髪を白く変え、隨分と小さくなったように感じた。

 今の体が女だった頃より大きいからかもしれない。

「娘は仕事を放り出して逃げるようなことはしない。ましてや男と逃げるなんて考えられない。おまえが娘を殺したのではないか? おまえは残酷な実験をして郊外の研究所に追いやられたと聞いている。娘を攻撃魔法で殺してしまったのではないのか?」

 父が大声で叫び出した。

「違う」

 あれは、少なくとも私に向けた攻撃ではなかった。膨大な魔法が漏れ出た事故か、故意ならば自殺を狙ったものだ。

 私がレナードとなった時、家族に最後の手紙を書いた。仕事が辛く、全てを放り出して好きになった男性と逃げ出すと。

 冷静に考えれば、もっといい理由が浮かんだかもしれない。でも、あの時はただ事実を隠蔽することに必死だった。

 郊外の研究所では、レナードの筆跡を練習してレナードに成り切ることだけを目指した。その前に書いた私の筆跡では最後になる手紙が、男と逃げるという嘘くさい内容だった。


「止めてください」

 ティナが両手を広げて私の前に立つ。

「おまえには用がない。退け」

 父が怒鳴るがティナは怯まない。

「私は娘さんの後輩で、魔法局上級職のティナと申します。レナードさんが何もしなかったとは言いませんが、レナードさんは当時十五歳でした。娘さんが逃げ出すような事になったのは、レナードさん一人のせいではなくて魔法局全体が悪いのです。私は逃げませんから。娘さんのためにも、後輩のためにも、そして、私のためにも魔法局を女性が逃げ出さなくてもいい職場へと変えてみせます。それで、許してもらえませんか」

 レナードは当時十五歳だった。魔力も学力も高かったレナードは、家族に懐かず八歳で捨てられる様に全寮制の魔法学校に入れられたと聞いた。

 五年前からレナードの家族に手紙さえ送っていないが、家族からの連絡は一度もない。

 天才といえども、寂しくないはずはない。

 レナードは逃げたかったのかもしれない。強大な魔力と天才という重圧から。

 男だから、天才だからと、嫉妬して壁を作っていたのは私だった。もっと気遣えば良かった。

 早くに気付いていれば、私にもっと魔力があったならばら、あの魔力の暴発は押さえられてレナードを助けられたかもしれない。

 私は自分の無力さに打ちひしがれていた。


「退け! 邪魔だ」

 父が腕を振り、ティナを押して私の前から退かそうとする。ティナが倒れて怪我をしては大変だ。

 ティナのためにも、父のためにも、そんなことをさせる訳にはいかない。

 私は目を瞑ったティナを片腕で抱きしめ、もう一方の手で父の腕を掴んだ。

「ティナには罪はない。 悪いのは私だ」

 父が納得して安心するような理由を伝えられなかった。

「そんなことはわかっている。悪いのはおまえだ。うちの娘とその女と、隨分と扱いが違うのではないか。その女が綺麗で、娘が不細工だからか!」

 実の娘に不細工は酷いんじゃないかと思う。父は、私のことをそう思っていたのか。

「お父さん、娘さんのことを不細工なんて酷いです。せめて趣味ではなかったからかとか、尋ねるべきです」

 まだ私の腕の中にいるティナが父に反論した。

「うるさい。おまえに娘を不細工と言われる覚えはない!」

 最初に不細工と言ったのは父だろうと突っ込みたいが、そんなことを言えば余計に面倒なことになる。

 父は、顔を真赤にして怒り出し、私の背中を殴りつけた。ティナだけは腕の中で守った。

「私は魔法局の局員ですから、攻撃魔法の使用を許されています。これ以上騒ぎ立てるのであれば、攻撃魔法を使います」

 私の腕の中から出たティナはそう言って、腕を前に出した。

「止めて!」

 私はティナの手を掴む。

「申し訳ありませんが、引いてもらえないでしょうか。人が集まってきています。若い女性に暴行しようとしたと通報されると、貴方が困りますから」

 父を罪人にする訳にはいかない。そんなことになれば年老いた母を悲しませることになる。

 私が失踪したことで父と母を隨分と心配させた。これ以上迷惑をかけたくはない。

 周りを見渡した父は、何も言わず去っていった。

『私のために怒ってくれてありがとう』

 心のなかでそう言って、父に頭を下げた。


「大丈夫ですか?」

 ティナが心配そうに聞いてくる。

「何てことはない。たいした力ではなかった」

 本当はかなり痛かった。骨が折れるほどではないけれど、痣にはなっているだろう。

「私のアパートはすぐ近くです。寄っていきませんか。私は治癒魔法も得意なんですよ。背中を治してあげます」

 攻撃魔法も治癒魔法も自分自身には効かない。だから、魔法で治療しようとすると、魔法を使える他人に頼るしかない。

「放っておけば治るから」

 いくらなんでも、こんな夜更けに女性部下の部屋に入る訳にはいかない。今は男性であるという自覚くらい持っている。噂にでもなれば、ティナが困るだろう。

「残念です」

 冗談ではなく、ティナは本当に残念そうだった。

「治療魔法の実験材料が欲しかったのか?」

「もう、それでいいです」

 ティナが頬を膨らませ、不満そうにそう言った。


 しばらく歩くと、ティナのアパートに着いた。

 古めかしいレンガでできた三階建のアパートの二階に住んでいるという。

「あのまま帰してよかったのですか? また文句を言いに来るかもしれません」

 ティナは父のことを心配していた。

「あの人は酔っていた。素面ではあんな事はしないだろう」

 家族にはもう会えないと思っていた。だから、会えて嬉しかった。娘だと名乗る訳にはいかないけれど、私のことを未だに心配して、私の失踪の原因だとレナードを憎んでいる父がいることが、とても嬉しかった。

 そして、レナードのことを考えた。

 レナードの家族は便り一つ寄越さない。

 十五歳から五年も会っていないのであれば、レナードの親は息子が別人となっていることに気が付かないだろう。

 三ヶ月所属していた魔法局の本局の誰も、事件から一年後に小さな研究所から戻ったレナードが別人になっていることに気付かなかった。


 あの事件がなければ、レナードは恋愛や結婚をして寂しさを癒やしていただろうか。

 華々しい研究を発表して、後世に残る偉人になったのであろうか。

 どちらも私にはできなかったこと。


 天才として生きることは無理だけど、恋愛と結婚はこのレナードの体に経験させてあげてもいいかなと思った。

「ティナさんに結婚相手が現れなかったら、責任は取る。幸せにするとは約束できないけど」

 ティナは驚いたように私を見上げ、

「無理はしなくていいです」

 そう笑った。

「無理はしていない。大抵の男性は、ティナさんと結婚できたら凄く幸運だと思うだろう」

「私は本気にしますよ」

 頬を染めて微笑むティナは可愛い。結婚相手が現れないとはとても思えなかった。


 

「ティナさん、お休み。私も明日から逃げずに戦うよ。心折れそうになったら、慰めてくれるかな」

 ティナだけを戦わせる訳にはいかない。私も凡人であると証明するために努力してみようと思った。

「私も心折れたら慰めてくださいね。だって、局内のよく知らない男性がいきなり『貴女の論文を読んだが、紀要に載せるほどのものではない』とか言いに来るんですよ。もう心折れそうです」

 ティナは泣きそうになっていた。やはり、男性職員にいじめられていたらしい。

「ティナの論文は、嫉妬されるくらいの出来だから、安心すればいい。ティナなら大丈夫だ。見かけによらず隨分と強いから」

「それって、本気で慰めています?」

「私の本心だけど」

 そう言うとティナが微笑んだ。


「結婚の話、本気にしていいのですね。私はレナードさんを幸せにする自信がありますから」

「さすがティナだ。嫉妬するくらいに自信家だな」

「それって、褒めてないですよね?」

「さぁ?」

「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。お休みなさい」

 ティナが潤んだ目で見上げてくる。やはりあざとい。

「私の方こそありがとう」

 ティナはアパートに消えて行く。


「こんな私の部下になってくれてありがとう」

 私はティナの背中に、小さく呟いた。



「レナード、うまくやっているようだな」

 魔法局の応接室で対面しているのは、王都郊外の小さな研究所の所長。

 私を助けてくれた人。所長がいなければ、私は死んでいた。

「はい、お陰様で。でも、私は凡人となってしまうと思います。レナードのように天才として生きることはできません」

 全力で研究をして、それでも凡人だと一番に気が付くのは自分自身だろう。男性と肩を並べたいと努力していた。認められたいと足掻いていた。

 天才と呼ばれる少年になって、十六歳で書いた論文はさすが天才だと絶賛された。魔法局に入所して三年の経験と、寝る間を惜しんで研究した結果だった。

 十七歳で書いた論文は、自分では微妙だと思っていた。それでも、天才の書いたものだからと評価された。

 それ以降、まともな論文は怖くて書いていない。私は逃げていた。

 レナードと比べられるのが怖かった。

「そんなことを気にするな。天才と呼ばれて凡人になった奴なら、ここにいるからな。本局を追い出されそうなら、いつでも俺の研究所で拾ってやる」

「ありがとうございます」

 所長はとても優秀であったにも拘らず、禁忌である反魂の魔法を研究して、小さな研究所に追いやられたと聞いた。

 そんな所長の元へ行くのも悪くないと思った。


「可愛い部下ができたんだって? 局内で噂になっているぞ。あのレナードが女に落ちた。あいつも男だったんだなって」

 所長が下世話な笑みを浮かべる。

「そんなんじゃないですよ。ただ、ティナさんといると楽しいし、癒される気がするんです」

「それって、随分な惚気ではないか? 俺と奥さんだって、最近は男女と言うより同志みたいな仲だぞ。お互い大切に想い合って癒やし合う間柄だ」

「えっ? 所長に奥さんがいたのですか? こんなに変人なのに」

「変人は酷い。否定はできないけどな」

 所長が笑った。

 禁忌の魔法を使い私を助けてくれた人。

 多すぎる魔力に体をならす方法を丁寧に教えてくれた人。

 男として生きていく覚悟を一年かけて与えてくれた人。

『ばれたら俺が全責任を取る。おまえだけは絶対に守るから安心しろ』と言ってくれた人。

 そして、好きだった人。


「娘を亡くしたんだ。だから、反魂の魔法を研究していた」

 所長が辛そうに話し出した。

「娘さんは、戻ってきたのですか?」

「娘を実験に使うことができなかった」

 所長が首を横に振る。

「私には使ったのに?」

 ちょっと拗ねて言ってみる。それは、娘さんへの嫉妬だと私にもわかっていた。所長は実験したかったわけではなく、私を助けたかったから禁忌の魔法を使った。

「おまえには悪かったと思っている。レナードとして生きなければならないことを後悔しているか?」

「所長には感謝しています。私の心もレナードの体も生きているのですから。所長が守ってくれました」

「本来ならば、所長として二人とも守らなければならなかった。本当に済まない」

 所長が頭を下げる。

「いいえ、私が至らなかったから、レナードを追い詰めてしまいました。だから、レナードの体を幸せにしてあげたいと思っています」

「美人の部下と結婚してか?」

「それもいいかもしれなせん。私にできることは全て経験させてあげたい」

「レナードに女を経験させてやりたいのか? うまくいかないかったら俺に言え。魔法で人工授精してやる」

「それはお断りします。娘さんの魂を入れられそうだから」

「そうかもな」

 所長が笑った。娘さんのことは吹っ切ったのかもしれない。


 

「研究所の所長さんと会っていたのですよね。あのレナードを一年でまともにしたと有名ですよ」

 研究室に戻ると、本を読んでいたティナが嬉しそうに顔を上げた。

 私はまともだと思われていたらしい。

「そうだな。所長は私の恩人だ」

「それじゃ、私たちの仲人は所長さんにお願いしましょう」

「えっ? いくらなんでも気が早すぎないか?」

「私ね。結婚をして子どもも産んで、物凄く幸せになって、仕事も頑張りたいんです」

「それはいいことだ。女性だからと言って結婚や子どもと仕事を引き換えにするなんて馬鹿げている」

 私は結婚などせずに、仕事を頑張って業績を認めさせようとしていた。

 私にとっては、女の幸せより研究で認められることの方が重かった。しかし、それでは駄目だ。家庭も仕事も両方得ることできてこそ、価値がある。

「でもね。仕事を頑張りたいから、結婚にそれほど労力をかたくないの。だから、手近で済ませてしまおうと思っているのよ。レナードさんなら、一年近く一緒にいても耐えられたのだから、これから先も大丈夫だと思うの。小煩こうるさい姑も小姑もいないし」

 結婚も出産もして、仕事も頑張りたいというティナを応援したいと思う。しかし、労力をかけたくないとは、あまりにも夢がなさすぎる。

「私は凡人だ。ティナさんを幸せにする自信もない。それに、子を成す行為ができるかわからない」

 ティナはとても可愛いと思う。一緒に過ごせたら楽しいとも思う。しかし、男性として振る舞えるかというのは別問題だ。

「知っています。魔力の多い人は性への関心がなくなるって聞いたもの。いざとなれば人工授精魔法の術式も開発されているし、大丈夫だと思うわ」

「ティナさんはそれでいいのか?」

「襲っちゃうかもしれないけどね」

 首を傾げて片目を瞑るティナ。やっぱりあざとい。


 部下に押し切られるのは納得いかないが、これもレナードのためと思う。

「しかし、少しは結婚相手を見つける努力をしたらどうか? いくらなんでも労力をかけなさすぎだと思う」

 だからと言って唯々諾々と結婚するのは悔しい。少しは抵抗してみよう。

「少しだけはしてみてもいいです」

 不満そうにティナが口を尖らせる。


 レナードも私も失ってしまった家族を、再び得ることができるかもと思うと、気分が高揚した。

 しかし、それは私の可愛い部下には内緒にしておく。


「冗談はこれくらいにして研究を頑張ろう。魔法のデータは取れたのか?」

「はい。これです」

 美しく整形されたデータ表を渡された。グラフ化も済んでいる。やはりティナは有能だった。

「それと、冗談ではないですからね」

 ティナが微笑んだ。私も微笑み返した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
主人公の両親が可哀想……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ