端午の節句に…
異世界転生ファンタジーです。
物語の始まりは、東三河の新城市を舞台としていますが、実在する人物、団体、地名、事件とは一切関係ありません。
5月5日。東三河の新城市の、とある場所。
周りは田んぼや畑ばかりで、見通しの良い場所に、ポツンと一軒だけの家がある。
田植えの時期には、まだ早いらしく、水が張られているだけの田んぼが周りに広がっている。
この日はよく晴れていて、田んぼの水が鏡のように逆さまに家を写して見える。
築30年の一階建ての大きな家。庭だけでも50坪はある。
この地域の田舎町では珍しくはないもので、特別な金持ちの家というわけではない。
『KEEP OUT 立入禁止』と書かれた黄色いテープが、玄関と家の周辺に貼られている。
表札には『田村』の文字があり、家の入り口から庭先まで、ポツポツと血痕が残っている。
家の窓ガラスは一箇所にだけ、大きく割られた跡があった。
エンジン音と共に、一台の白い軽トラックが入ってきて、庭の隅に停車した。
「よお! じーちゃん。例の頼まれた物を持って来たぜ」
トラックから降りてきた作業服姿の40半ばの男が、老人の田村に声をかける。
声をかけた男は、田村の息子で、名を匠。老人の名はケンジという。
「おう。待っておったぞい」
ケンジの額には大きなガーゼが貼られていた。
そこには少し血が滲み出ている。事件の痛々しさが残る。そのような傷であった。
ちなみに、ケンジは栄養の良いものを食べているからか、髪の毛は健全で、短く男性的。強いて老人らしいところといえば、顔に少し小皺があり、白髪に染まっている程度。
この日は、下駄を履き、上下の作務衣という服装。
彼には髭がない。それはきちんと剃っているからである。
一方、息子の匠の方が無精髭を生やしていて、実年齢より若干、年寄りに見えるような姿をしている。
匠の腹は少し出ているが、ケンジはスマートな体型をしていることも、この親子の面白いところかも知れない。
そう。見方によっては、ケンジの方がずっと若く見られる姿をしているのである。
「頭……まだ、痛むか?」
匠が心配そうに言うと、ケンジは首を横に振って、にこやかに答えた。
「いや、全然痛くないわい。なにしろ……正義のヒーローが助けに来てくれたからのう」
「……正義の……ヒーローか……。確かに……」
匠は陰りのある笑みを浮かべた。
しかし、すぐに首を横に振り、話題を切り替えた。
「なあ、この盆栽。どこに置けばいいんだ?」
じいちゃんにとってのヒーローだが……。
そのあとの台詞を言うことなど、匠にはできなかった。
『余計なことをしやがって!』
続きそうになった言葉を、匠はグッと堪えた。
そんなことを言えば、不謹慎だと怒られるのが分かっていたからである。
「そうじゃの……。この辺……。あ。ここに置いておくれ」
ケンジはテーブル型の花台を指した。
匠はトラックから、2つの盆栽を取り出した。
それは綺麗な紫色と白色の2種類の藤の花であった。
それぞれ、1つずつの花の木が植えられている盆栽である。
「てかさ。いいのかよ? まだ、警察が調べている最中なんだろ?」
「家の中で起こった事じゃから…。外に置いても大丈夫じゃと、きちんと許可をもらっておる」
「ホントかよ。まあ…いいけど。
それにしてもよ……。気の毒な話だよな……」
匠は胸ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
田舎だからか、他に燃えるものがないのか…。
こんな風にタバコをつけても、ケンジは一切怒らない。
「なあ…。じーさん。おれさ、思うけど。
やっぱり、ずっと、俺たちと一緒に暮らさねーか?
息子や娘はいないけど。俺と女房と……な?
この家を売り払ってさ。残りの人生をゆっくり過ごせばいいじゃねーの」
「断る」
ケンジは険しい顔で首を横に振った。
「なんでさ? 縁起が悪いじゃねーの。
だって、この家だぜ? この家で……2人も…」
言いかけた匠に、ケンジは憤りを露わにした。
「一人じゃ! 警察が調べているのは一人じゃよ!!
この家で殺されたのは、一人だけじゃ!!」
今にも殴りかからんとする勢いのケンジに、匠はたじろいで、咥えていたタバコを口から離した。
「ごめん。ごめんってば!」
「……すまん。わしとしたことが……取り乱してしまうなんて……」
涙ぐみながらケンジは頭を下げた。
「いや。仕方ねーよ。あの子、スゲェいい子だったもんな…。健気で…それでいて…」
「ああ。正義感が強く。優しい子じゃった。
孫の、みのりくんもいい子じゃった」
「あれから……もう10年か……」
匠は手に持っていたタバコを、庭の土の上に落とすと、足で踏みつけて火を消した。
ここは田舎で実家の一軒家である。つまり、公共の場での喫煙ではない。と読者の皆様に一言断っておこう。
「生きていれば……コウちゃんと同い年くらいの……」
ケンジは、心理くんの記憶を辿った。
孫の心理くんは、とても明るく好奇心が旺盛な子供であった。なんでも知りたがって、昆虫採集をし、そして、昆虫や植物の観察日記をつけるのが趣味な子供であった。
今から10年前。当時、心理くんは5歳。
田舎だというのに、狭い道を猛スピードで走る2人乗りのスポーツカー(※)に轢かれて亡くなった。
(※オープンカーではない)
「……なんでかのう。みのりくんもコウちゃんも…。
何一つ、悪いことなどしておらんのに……」
「ああ。まったくだ。みのりは可愛かった…!
スゲェくやしいよ!! なんであんな…! くそったれ!!」
匠は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。
ケンジも釣られて、大粒の涙をこぼした。
「ああ。とてもいい子じゃった。
コウちゃんは……生まれも育ちも不憫で……。
わしは……わしは……あの子に何もしてあげられなかった…。何も……!!」
「警察には何度か言ってあったんだろ?」
「……じゃが、ボケ老人のたわごとだと、相手にされなんだ。コウちゃんは……ずっと耐えていたのに……!」
匠は肩で息をするように、咳き込むような泣き声をあげた。
「なんでだよ!! 理不尽過ぎるだろ!!
なんで……死んじまったんだよ! うわぁあああん!!」
「このバカ息子! 大の大人が泣くでない。……うう…。ひっく…。うわぁあああん!!」
匠とケンジは二人で声をあげて泣いた。
この家で、悾ちゃんは死んだ。
たった16年の命を終わらせたのだ。
心理くんは、たったの5歳で、この世を去った。
それは事実で、歪めることはできない。
ーーーこの時、ケンジは強く願っていた。
この藤の花の盆栽には、特別な意味があった。
悾ちゃんと最後に見た花であること。
それから、心理くんが好きな花であったこと。
それから……。
ケンジはこのように願って、この花を購入したのだ。
『もし、神様というものが本当に存在するならば、コウちゃんと、みのりくんが、幸せで暮らせるように。
そういう理想郷において、希望に満ちた世界で笑顔でいられるように……』
紫の花と白い花は、それぞれの命を表すように。
藤の花には、『幸福』『奇跡』という意味もある。
だからこそ、ケンジはこの悪しき土地に、希望の花を咲かせたかったのであった。
もう二度と、不幸が訪れないように…。
大切な命を亡くさないように……。
これからの幸せの意味と願いを込めて……。
そして……。
男の子達にとっては、大きな意味を持つ、今日この日。
5月5日に、特別な願いを込めて。
……一瞬、2つの藤の花が光り輝いた。
だが、そのことをケンジと匠は知る由もなかった。
彼らの視界はぐしゃぐしゃで、何も見えなくなるくらいに泣いていたからだ。