第12話「また、どこかで」
季節は、春へと向かっていた。
冬の残滓を引きずる冷たい風も、どこか柔らかさを帯びている。
街の風景は少しずつ変わっていく。
駅前に新しくできたカフェ。閉店した本屋。ビルの外装が塗り替えられた。
何もかもが当たり前のように移ろい、日々は積み重なっていく。
俺もその流れに身を任せるように、日常を過ごしていた。
紗英や真帆と過ごした時間は、まるで夢だったかのようだ。
でも、確かにあった。確かに俺の中にある。
仕事の合間、ふとした瞬間に蘇る声や表情。
休日の散歩中に、何気なく目にした景色が、あの時と重なって見える。
それでも、俺は歩いている。
振り返ることはあっても、立ち止まることはない。
きっと、彼女たちもそうしている。
それぞれの世界で、それぞれの人生を生きている。
俺の知らないところで、笑っているかもしれない。
誰かと幸せになっているかもしれない。
それで、いいと思うようになった。
俺はきっと、“選んだ”のだ。
選ぶことで、何かを残し、何かを手放した。
いつも優柔不断で決めることができない俺の選択。
その答えはやっぱり俺らしく曖昧な答え。
正解かどうかはわからない。
* * *
ある週末の午後、俺は駅のホームで電車を待っていた。
日差しは暖かく、隣に立つ高校生たちの笑い声が響いている。
カラスの鳴き声。
遠くから近づいてくる電車の音。
日常の風景だ。
だけど——
ふと、視線の先に、一人の女性の姿があった。
向かいのホーム。人混みに紛れて、こちらを見ている気がする。
その髪型。
その背格好。
その雰囲気——
見覚えがある。
俺は思わず、数歩前に出た。
名前を呼びそうになるのをなんとか堪える。
「危ない。また観測するところだった」
誰にも届かない冗談を言う余裕もできたんだなと。思わず笑みがこぼれる。
女性は、まるで誰かを待っているように、静かに立っていた。
やがて電車が来て、人の波に紛れ、その姿は見えなくなった。
けれど——
心のどこかが確かに感じていた。
また、いつか会える。
そんな気がしていた。
俺は静かに目を閉じ、深く息を吸い込む。
そして、呟いた。
「……また、君を見ることができたなら」
空を見上げると、淡い雲がゆっくりと流れていた。
変わりゆく世界の中で、きっとまた。
どこかで。