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第10話「選択の扉の前で」

季節は過ぎ暖かくなり始めた春の始まり。

真帆と過ごす日々は、穏やかで、静かで、まるで湖面のようだった。


ある日曜日、代官山のカフェで遅めのランチをしていたとき、ふと真帆が言った。


「ねえ、日高くん」

白いカップを指でくるくると回しながら、真帆は俺の目を見つめた。

この呼ばれ方をした時は大抵よくない話が来る。

少し身構えながら、見つめ返す。

 

「私ね、あなたと出会うこの世界とは別の世界で別の家族と暮らしていたの」


……は?


言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。


「……なに、言ってるんだ?」


「変な話に聞こえるよね。最近別の家族と過ごしてる夢を見るの。でも、それは夢じゃなく現実だった気がするの」


真帆の口調はいつもと変わらず優しく、でもその瞳の奥にある何かは、揺らぎながらも確かだった。


「あなたといるこの時間が、私はとても好き。でも、あっちにも、あっちの幸せがあった。家族がいて、生活があって、あっちの私もきっとちゃんと笑ってる」


俺は言葉を挟めなかった。


真帆は続けた。


「だから、紗英さんにもまた別の世界があると思う。今もきっとどこかで普通に暮らしてる」


その名前が出た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「存在自体が消えてるわけじゃないってこと?」


「たぶんね……あなた、まだ紗英さんのこと気にしてるんでしょう?」


図星だった。


「決してあなたの選択が人を消してるというわけじゃないってことだと思う。ただ、この世界にふたりは存在できないのかも。」


「え……?」


「私か、紗英さんか。あなたがどちらを“強く想っているか”で、きっとその人だけがこの世界に残る」


にわかには信じがたい理屈。

だけど、ここ最近起きた数々の出来事——連絡先の消失、居酒屋の変化、存在そのものがなかったことにされたような痕跡の消滅——を思い返せば、納得がいかないわけでもない。


「選ぶって、どういうことだよ……」


呟く俺に、真帆はにこりと微笑んだ。


「あなたがどちらと一緒に生きたいか。それだけ。この世界があなたが主人公なのかもね」


こんな何も決められない俺が主人公?神さまはあまりにもふざけてる。


俺の選択次第で存在が決まるなんてあってはいけない。



* * *



夜、家に戻ってからも、真帆の言葉が頭から離れなかった。


どちらか一人しかこの世界には存在できない。


選ぶという行為が、こんなにも暴力的だなんて思ってもいなかった。


ただ、俺が知らない真帆と紗英の世界もある。


スマホを手に取り、意味もなくLINEを開く。


トーク一覧には紗英の名前はない。


……最初からいなかったかのように。


けれど、確かに俺は知っている。

彼女の声も、笑顔も、拗ねたような表情も。


何もかも現実にあったものだ。


紗英、今の生活は幸せなんだろうか。


* * *


俺はまた真帆と会った。


特にどこへ行くというわけでもなく、近所の喫茶店でのんびりと時間を過ごしていた。


コーヒーを啜りながら俺は思い切って尋ねた。


「……もし、俺が“誰も選ばない”って言ったらどうなると思う?」


真帆は少しだけ考えてから静かに答えた。


「どうなるんだろうね。どっちもいなくなっちゃうのかなぁ?」


「え?世界ってこんなにも曖昧なのか?」


「あなたが曖昧だからじゃない?」


真帆は微笑みながらぐさりと刺してくる。


「痛いところつくな…」


「ふふ。たまにはね。」


「君はあっちの世界に戻りたいとは思わないの?」


「今の私はあくまで今の世界の私だからあっちに戻りたいって気持ちはないの。ただ…」


「ただ?」


「うまく言えないけど、私がこっちにいる限り向こうの世界は閉ざされてしまってるんじゃないかってそんな気がしてならないの」


「頭がこんがらがってくるな…」


「ふふ。ほんとね」


* * *


帰り道、空を見上げた。

ぼんやりとした雲の切れ間から、ほんのわずかに星が見えた。


今、紗英はどこで何をしているんだろう。

今、紗英は何を想って別の世界にいるんだろう。


やはり紗英と話してから全てを決めたい。


最後にあの居酒屋で会おうと約束したが結局会うことはできなかった。


明日は金曜日。今なら紗英に会える気がする。

なぜかそう確信ができた。

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