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08 幸せな新生活の始まり

 

 イースとルビは、王都の外れ、路地裏にある集合住宅に暮らすことになった。

 騎士の家族や労働者が多く暮らしており、イースたちは中でも特に古いアパートを借りた。


 精霊族としては珍しい貴族として、裕福に育ってきたイースには慣れない環境だったが、ディアン公爵家にいたころより平和で静かで、幸せだった。


 ……床はちょっと傾いているし、雨漏りもするけれど。


(持ってきた財産は限られているし、ルビの医療費もかなりかかるから、贅沢はできない)


 早朝、イースは軋む床を歩きながら、苦笑を零した。


(そろそろ、働かないと)


 基本的に貴族の女性の仕事は、結婚して子どもを産むことであって、外で労働することではない。だがこれからは、イースが働いて、ルビを守っていかなくてはならない。


 この国に来て二週間経ち、ルビもようやくこの生活に慣れてきたので、働き始めるタイミングだろう。


 イースはカーテンをそっと開けて部屋の中に明かりを入れ、寝台で眠っているルビに声をかける。


「おはよう、ルビ」

「……もう、朝?」


 ルビはそっと半身起こし、瞼を擦った。

 この部屋は、他の建物の陰になって明かりが入りにくいため、昼間でも薄暗いのだ。洗濯物も乾きにくくて苦労している。


「今日はお仕事の面接に行ってくるけど、ひとりで留守番できる?」

「できるよ。王宮に行くの?」


 イースは「ええ」と頷き、朝食のパンとスープをテーブルに用意した。

 ルビは顔を洗ってきてから、椅子に座り、「いただきます」と行儀よく挨拶をし、スプーンを手に取った。スープがルビの小さな口に運ばれていくのを、イースは緊張した面持ちで観察する。


「どう……?」


 イースのスープは――不味い。野菜は固いし、味も濃かったり薄かったりする。


 ガリッ。

 ルビがにんじんを口に入れて噛むと、まだ明らかに火が通っていない音がした。形も不揃いで、皮もうまく剥けていない。だが、ルビはガリガリと音を立てながらにんじんを食べて、かわいらしい笑顔を浮かべる。


「美味しいよ」

「む、無理しなくていいのよ。ごめんね、姉様今まで料理をしたことがなくて。不味かったら吐き出してていいからね」

「ううん、ほんとに美味しい。あったかくて、優しい味がする」

「ルビ……」

「それよりその指、大丈夫? 痛そう……」

「あっ、ああこれ? 平気よ」


 慣れない料理をしたせいで包丁で傷がたくさんでき、包帯が巻かれた痛々しい指。これも勲章だと思うことにしているが、九歳に気を遣わせてしまって、なんだか申し訳なくなってくる。


「これからもっと勉強するね」


 イースには、家事の経験がない。身の回りのことはなんでも使用人がしてくれたからだ。しかし、これからは自分たちでやらなくてはならない。


「僕も、洗濯物を畳む練習、頑張るよ」

「そうね。一緒に頑張ろう」

「やっぱりご飯、美味しいね」

「うん」


 野菜は固いし、焼き直したパンは焦げているが、それでも心は満たされていた。


 十七歳と九歳の新生活の始まり。


 ふたりは穏やかで幸せな朝のひとときを、噛み締めるのだった。



 ◇◇◇



 身支度を整えたイースは、家を出て王都に向かった。


 数日前に働き先を探していたところ、王宮のメイド募集の張り紙を見つけた。

 王族に仕える侍女は、高貴な身分の令嬢のみが選ばれる。募集があったのは、皿洗いや洗濯、掃除などの下級メイドだった。


 王宮に行けば、第二王子の病気のことが何か分かるもしれない。そう思って、面接に参加する決意をしたのだ。


(できるだけ早く帰らなきゃ、ルビが心配だわ。万が一、強盗でも入ってきたら)


 悪い想像をして、青ざめたイースは立ち止まる。ディアン公爵家にいたころは、常に屋敷を騎士が警備していたため、そのような心配はなかった。

 ボロアパートにひとり残してきたルビのことを考えながら、王宮へと急ぐ。


 すると、街角から白い塊が飛び出してきて、イースにぶつかった。


「きゃっ……」


 石畳に転んだイースが顔を上げると、目の前に白い塊……ではなく、純白のドレスを着た女性が立っていた。


(ウェディングドレス……?)

「追われてるの、助けて……っ」


 彼女は、ぶつかったことを謝るより先に、懇願を口にした。彼女の頬には殴られたような青あざができており、唇の端に血が滲んでいる。


「その怪我、どうしたんですか!?」

「政略結婚の相手に、殴られたんです。私、あんな暴力男と結婚なんかしたくなくて、それで……っ」


 女性は怯えきっており、小刻みに震えていた。


(面接の時間が……。でも、放っておけない)


 不本意な相手と結婚されそうになっている彼女の境遇が、自分自身と重なる。

 イースは女性の肩に手を置いて言う。


「脱いでください」


 その言葉に、女性は目を見開いた。


「……い、今、なんと」

「そのドレスを私が着るんです。あなたが逃げる時間を私が稼ぐので」

「……! は、はい……!」


 ふたりは路地裏で服を交換した。事情を聞くと、親が決めた相手との政略結婚だったが、相手の暴力に耐えかね、とうとう結婚式の日に逃げ出したそうだ。口の傷は、式の最中に不機嫌になった夫に殴られたものだった。


「あの人から逃げて、人生をやり直そうって決めたんです」

「私も、同じです」

「え……」


 それから、イースは持ってきたお金を全て彼女に渡し、人気のない道を指差した。


「追っ手が来たら私が逆方向に走って引きつけておきます。その隙に、できるだけ遠くに逃げてください」

「本当に、なんとお礼を言っていいか……」

「応援しています。今度こそ、幸せにしてくれる人に出会えるといいですね」

「はい、ありがとうございます……」


 そう言い残して、女性は走って行った。

 幸いなことに、イースとその女性は体格も髪色もそっくりだった。顔を見られなければ、花嫁と見間違えてくれるだろう。


「見つけたぞ! 待て!」


 そのとき、遠くからタキシードを着た新郎が、こちらに向かってそう叫んだ。イースは一歩踏み出し、逃げた女性と真反対の人通りのある街道に飛び出す。


 イースは新郎から逃げ、街を走った。体力の自信はない方だ。しかし、ふらつく足を叱咤しながら、どうにか石畳を駆け抜けていく。


「はっ……はぁ、はっ……ぁ」


 花嫁姿のイースが走る姿を、町の人々がざわざわと振り返った。純白のドレスの裾が、土や泥で汚れていく。


「エリー、戻れ! どこに行く気だ、おい!」


 十分ほど走り続けて、男の声がどんどん近づいてきた。狭い路地に足を踏み入れると、とうとう追いつかれてしまう。


 立ち止まったイースが男性を振り返ると、彼は困惑する。


「逃げても無駄だ。観念しろ――ってお前は……誰だ?」

「お探しの女性は、いないですよ」

「なっ……あいつ、俺を騙したな!?」

「話は伺いました。挙式の最中に花嫁に手を挙げるような人に、結婚する資格なんてないと思います」

「……部外者のくせに、偉そうなことを言うな。もういい、あんたには詳しく話を聞かせてもらうぞ。こっちへ来い!」

「は、離してください……っ」


 新郎に強引に腕を引かれ、イースは抵抗するが振りほどくことがでかきない。彼に引っぱられていたそのとき、上から、男性の余裕のある声が降ってきた。


『その手を離せ』


 その言葉を聞き、新郎の目が虚ろになったかと思えば、本当に腕を解放される。

 それから、『動くな』と命じると、新郎は従順に従う。


(操られている、みたい)


 振り向くと、その人と目が合った。年齢は、イースより少し上くらいだろうか。


 かっこよさの中に、女性的な綺麗さも兼ね備えた整った顔立ち。優しげな青い瞳には、長いまつ毛が伸びており、右下にあるふたつのほくろが印象的だ。

 風が、彼の耳のピアスを揺らしている。


 目が合った瞬間、イースは息を呑んだ。目を逸らせなくて、思考がおぼつかなくなる。

 雷が落ちたような衝撃が全身を駆け抜けた。


(初めて会ったのに、泣きそうな気分になるのはどうして? まるで、これは……)


 そこで、イースをはっと我に返って言った。


「あの人はどうなるんですか……?」

「じきに正気に戻る。……もしかしなくとも、訳あり、だよね」


 こくんと頷くと、彼はこちらに差し伸べた。



「なら、俺が攫ってあげよっか。――花嫁さん」



 それはとても、甘やかな誘い。

 イースは咄嗟に、彼の手を取っていた。


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