07 「良き旅を」
国境の検問所は、赤い石を積んだ壁の間に設けられていた。分厚い門の両脇に、検問する騎士が立っており、通行人と荷物の中を確かめている。
長い列に並んでいると、ルビがイースの袖をちょこんと摘んだ。「何?」と尋ねれば、彼は列の後ろの方をそっと指差す。
「あの人、ディアン公爵家の騎士服着てる」
「ええ、分かってるわ。指差しちゃだめ」
その数は――四人。きょろきょろと辺りを見渡す様子から、イースたちを探しに来たのだと理解した。
(どうしよう、ここまで来たのに)
検問まで、あとたった三組だ。検問さえクリアできたら、ザナルティア竜王国に入る。ザナルティア竜王国は敵国。国境を超えてしまえば、ディアン公爵家も大々的には捜索できないはず。
それに、ルビの病気を治すための手がかりをようやく見つけたのに、このまま屋敷に帰るわけにはいかない。あの、卑劣な男がいる場所には、絶対に。
「ここから離れる?」
「不自然に動いたらかえって怪しまれるわ。フードでしっかり顔を隠していて」
「うん」
ルビは、鱗のついた手でローブのフードを被り直した。ディアン公爵家の騎士たちは、列に並ぶ通行人の顔をひとりひとりチェックしている。
一方、検問も進んでいき、イースたちの順番が来るまで、あとひと組になっていた。
(お願い、間に合って……!)
心臓の鼓動が加速していったそのとき、ひとりの男性に腕を掴まれた。はっとして顔を上げると、ディアン公爵家の騎士服を着た彼と、視線がかち合う。
腰にくっついているルビからも、緊張と不安が伝わってきた。
「私たちを連れ戻すように命令されたんですか」
「はい」
声が、震えた。
どうしようもない絶望感に苛まれながら、懇願を口にする。
「お願い、見逃して。あの人のところに戻りたくないの……っ」
「…………」
イースの切実な訴えを、騎士は無表情で聞いていた。しばらくの沈黙のあと、彼は口を開く。
「通行許可証は持ってきていますか?」
「はい」
「そうですか。ではよかった。――お気をつけて、良き旅を」
「え……」
それはまるで、普通の旅人を見送るときのような言葉だった。
イースがぽかんとしていると、騎士はイースたちから離れて他の騎士たちと合流する。
「いたか?」
「いや、いなかった。検問所の者にも聞いたが、イース様とルビ様らしき女性と子どもは見かけなかったそうだ」
「そうか。ならここには来ていないんだな。移動しよう」
そうして騎士たちは検問所を去っていった。彼らの後ろ姿を見送り、イースは胸を撫で下ろす。胸に手を当てると、まだ心臓はどきどきと音を立てていて。
あの騎士は、イースとルビに気づいていながら、気づかないふりをして助けてくれたのだ。
(ありがとう、騎士様。この恩は忘れません)
心の中で感謝を伝え、騎士たちの後ろ姿を眺めた。
◇◇◇
「お通りください」
検問所の騎士が首を縦に振り、通過の許可が下りたあと、ゆっくりと門が開き始めた。門が軋む音に耳を傾けながら、ルビに話しかける。
「行こう」
ルビは小さく頷き、門の向こうを見据えた。
門の外、ザナルティア竜王国には、違う空が広がっていた。門をくぐった瞬間、花と香辛料のような、異国の匂いがした。
「わぁ……」
目の前に広がる都市の景色に、ルビが感動の息を漏らす。
白い石畳がどこまでも続き、その脇には竜の彫刻が刻まれた建物が並んでいる。露店には、見たこともない野菜や香辛料が山積みにされていた。
ルビはこちらを見上げて言う。
「竜に会えるかな?」
「会えるかもね」
「空、飛ぶんでしょ?」
「ふふ、飛ぶかもね」
「背中、乗せてくれるかな……」
「一緒に頼んでみよう」
そう言うと、ルビは笑った。竜族はかつては竜の姿に変身できたと言われているが、現在は精霊族のように人と同じ姿をしているし、空も飛ばない。だが、イースはあえてルビの夢を壊さないでおいた。
フードから伸びるイースの長い髪を、爽やかな風が揺らしていく。
そして、このときのイースは知らなかった。この国で、自分の――本当の運命が待ち受けていることを……。