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06 消えた番と弟


「イースとルビが消えただと……!? ふざけるな!!」


 翌朝、ふたりの失踪を知ったサリアスの怒号が、執務室に響き渡る。

 ――パリン。サリアスが投げつけたインク瓶が棚にぶつかって割れ、インクが飛び散り、メイドの頬まで届く。


「ひっ……」


 サリアスの激昂ぶりに、執務室にいたふりのメイドは委縮するが、慌ててインク瓶を片付け出す。

 そして、側近の男が、サリアスを宥めた。


「どうか落ち着いてください、旦那様」

「これが落ち着いていられるか。荷物でしかない弟を住まわせてやった恩を仇で返すとは、誠意がないのかあいつには」

「まだそう遠くへは行っていないはずです。探せばすぐに見つかるでしょう」

「ああ、探せ。必ず連れてこい。仕事はまだこんなに山積みだ」


 執務机に積み重なった書類の山に、頭を抱えてしまう。

 イースがいれば、自分はただサインをするだけの作業で済んできたのに。


「ったく。ここ忙しい時期に家出など、無責任にも程があるだろう」


 サリアスはぎゅっと拳を握り締めた。あんな病気の弟を抱えていては、簡単に逃げられないはずだ。

 逃げられたとしても、イースひとりでは支え切れないに決まっている。すぐにくじけて屋敷に帰り、サリアスに泣きついてくるだろう。


 イゾルデ王国において、番制度とは人族に与えられた精霊族を支配するための特権そのもの。

 あらゆる種族の中でも本来、番うのは竜族だけで、人族は番を作らないのだ。


 そして、番を作るのは人族にとってステータスであり、権威の象徴だった。


(イースを初めて見たとき、あのような美しい精霊族を番にしたらどれだけ気分が良いかと、高揚した。あれほど精霊族の血を濃く反映した女は、そう簡単に見つからない。みすみす逃すわけには……)


 長く伸びた藍色の髪は夜空を吸い込んだように艶やかで、瞳は零れ落ちた一滴の朝露のように、透明感があって澄んでいた。

 精霊族は人族よりも、造形的な美しさと神聖な雰囲気を持つ。


 まるで、作り物のように完璧に整った美貌の彼女こそ、ディアン公爵の妻にふさわしいと思った。

 加えて彼女はとても有能で、領地の仕事を安心して任せてられる。


(だが、あの女は結婚して一日で逃げ出し、俺の顔に泥を塗った)

「絶対に許さない。逃げ出したこと、必ず後悔させてやる」


 サリアスの地を這うような呟きに、側近とメイドのふたりは気圧され、思わず息を呑んだ。



 ◇◇◇



 イースとルビは徒歩と馬車を使って、隣国へと急いだ。乗り合い馬車に乗りながら、ルビのフードの紐を結び直す。彼の見た目は、人の好奇心にさらされやすいから。

 もちろん、ディアン公爵家からの追っ手に見つからないようにという目的もあるけれど。


「疲れてない?」

「うん、平気。姉様は?」

「姉様も平気よ。辛くなったらすぐに言ってね」

「分かった」


 移動中、ルビは一度も「疲れた」などと弱音を口にしなかった。繊細な体で、人より疲れやすいだろうに、イースを心配させないように気を遣っているのだろう。


 ルビはその境遇からか、大人びた子どもだった。


「ザナルティア竜王国には、美味しい魚料理がたくさんあるんだって。着いたら食べようね」

「楽しみだね」

「そうね」


 フードの隙間から覗いたルビの目が、細められる。イースは彼と微笑みあった。

 ルビは、ここに来る途中で買った箱入りキャンディをひとつ口に入れる。


 すると、同乗していた高齢の男性が話しかけてきた。


「お二人さんは、ザナルティアに行くのかい?」

「は、はい」

「ザナルティアはいいぞ。火山岩で蒸した貝料理はたっぷり出汁が出たスープが絶品さ。あとは、唐辛子をまぶした焼き魚も名物なんだ」

「ひょっとして、ザナルティアの方なんですか?」

「十年ほど王宮で下働きしてたのさ」


 そう言って彼は、鼻を鳴らした。

 そのとき、強い風が吹いて、ルビのフードが外れた。鱗のように肌がボコボコした素顔がさらされ、男性ははっと息を呑む。


「その痣は……」

「生まれつきで」


 イースは背中でルビを隠し、フードを再び被せて紐をしっかり結び直した。


「まだちっこいのに可哀想になァ。確か、ザナルティアの王子殿下も同じ病気だったみてェだが、今はすっかり克服して元気になられた。その子も早く、治るといいがなァ」


 それを聞いたイースの手が、ぴたりと止まる。


(克服して元気に……?)


 イースは振り返り、前のめりになりながら男性に尋ねた。


「治ったというのは本当ですか!? 本当に、弟と同じ病気だったんですか……!?」

「あ、ああ。全くおんなじかァ分からねェが、確かにその子とよく似た鱗のような肌が、治療を続けて治ってたぜ。だが、詳しいことは何も。いかんせん俺は、ただの下働きだったもんで」

「そうですか……」

「悪ィな」


 以前医者に、ザナルティアにいる同じ病気の人が治ったという話を聞いた。もしかしたら、その王子が医者の語っていた症例なのかもしれない。


 すると、それまで大人しく話を聞いていたルビが、自分からフードを外し、男性に言った。


「僕と同じ病気の王子様の名前を、教えてくれませんか」


 ルビの顔見た男性は、目を逸らさずにまっすぐ答えた。


「ヴィルハイン・セレスティア第二王子殿下だ」


 イースは、その名前をしっかりと胸に刻み込んだ。

 ヴィルハインの名前は知っている。


(冷酷非道で戦好き、ほとんど社交界に顔を出さないという噂は聞いたことがある)


 竜族が信仰してきた番制度を、隷属の正当化に流用したイゾルテ王国に対し、ザナルティア竜王国は長い間抗議してきた。そして、数年前に、番制保護の名目でザナルティアはイゾルテに軍事侵攻を開始した。


(ヴィルハイン様は、番制度をめぐった戦争を主導している。精霊族の解放のために戦ってくれている彼は、人族の宿敵であり、私たち精霊族にとっては――救世主のような人)


 男性は、ルビの頭にぽんと手を置き、極めて優しい手つきで撫でた。


「人間の体ってなァ気まぐれで頑固だが、心の光には必ず耳を傾けているもんさ」

「僕は元気になって、姉様を支えたい」

「ああ。そうやって、体にしつこく言って聞かせるといい。そうすりゃ、いつか必ず応えてくれる」


 彼は一拍置いて続けた。


「今は理不尽だと思うかもしれねェが、その分以上にこれからいいことがいっぱいあるぞ」


 男性は、「自分の体と姉ちゃんを大事にしろよ」とけらけら笑った。男性の優しさと、ルビの健気な思いが伝わってきて、イースは鼻の奥がつんと痛くなった。



 ◇◇◇



 しかし、いざ国境に着いたとき、検問所にディアン公爵家の追っ手が待ち構えていた。


(そんな)


 イースはルビの手を握りながら、喉の奥を上下させる。


(こんなところにまで、追っ手が――!?)


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