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05 家から逃げることにしました


 ルビは生まれたときから皮膚の病気で、痛みやかゆみなどの辛い症状に苦しみ、普通の人と違う見た目のせいで他人から傷つけられることも多かった。


 それでも、ルビは本当に、優しくて良い子だ。


 実家にいたころから、ルビの世話をするのはイースの役割だった。家族も使用人も、ルビの病気を気味悪がって、移るのを恐れて近づこうとしないから。

 無理に世話をさせて、ルビに辛く当たられでもしたら嫌なので、結局イースが彼の身の回りのことをなんでもやった。


「ルビ、痛くない?」


 ある日実家で、イースは浴室でルビの入浴を手伝っていた。

 背中を洗いながら、鱗を観察する。


(本当に、竜の鱗みたい。本人が辛がってるから言えないけど、綺麗なのよね)


 皮膚への刺激を減らすため、温度はぬるめに調整する。皮膚がふやけると後から痛くなるので、ルビは長く浸かることもできない。


「平気。気持ちいいよ――っう」


 イースの手がルビの左腕に当たった瞬間、彼は顔をしかめる。左腕の皮膚は、今朝剥がれたばかりで血が滲んでいた。


「やっぱりそこは……」

「痛いね、ごめんね。当たらないよう気をつける」

「うん、ありがとう。……僕こそ、ごめんね」


 ルビはイースに世話をさせていることに、幼心に負い目を感じているようだった。


「ふふ、謝らなくていいんだよ。早く洗っちゃうわね」


 ルビが謝らなくてはならないことはひとつもない。むしろ、彼が頑張っているから、勇気をもらっているし、イースも頑張れているのだ。


 すると、浴室の扉が開かれ、妹が入ってきた。彼女はルビたちの姿を見かけて怪訝そうに言う。


「え〜先入ったの? お湯汚れるから先に入れないでって言ったじゃん! ちゃんとよく洗っといてね、菌が移るから」


 妹はそう言い放ったとあと、バタンっと乱暴に扉を閉めて去っていった。妹だけではなく、兄と母もルビに辛く当たった。


『ルビのせいで私が影で笑われてるの知ってるの? これ以上私たちを困らせないで。妾腹のあんたがどうしてのうのうと我が家にいるの? 出てってよ』

『俺にとっても、この家にとってもお前は汚点だ』

『あんたなんて、生まれて来なきゃよかったのよ』


 父が他界してから、愛人の子のルビはますます虐げられた。

 家族が言葉の暴力でルビを突き刺そうとするたび、イースはひたすらルビの耳を塞いだ。


『姉様はルビが世界で一番大好きだよ』

『ルビは姉様の宝物だわ』

『姉様がルビを絶対守るからね』


 そして代わりに、誰よりもルビに優しい言葉を注ぎ続けた。

 大切な、大切な愛しい命。小さくて特別な……。


(生まれてきたことを憎まないように、その心にたくさんの温かい愛を注がせて。小さくて尊いあなたの命を、姉様に守らせて)



 ◇◇◇



 イースとルビは、ディアン公爵家から逃れる決意をした。


 暗い部屋で、ひとりで着替えるルビ。その後ろ姿を見つめながら、イースは成長を感じていた。


 しばらく前までは、自分で着ると服が皮膚に擦れて痛いからと、イースが手伝っていた。けれど、最近は、皮膚を滑らせるように服を着るコツをつかんで、ひとりで着替えられるようになったのだ。


 他の人にとっては当たり前のことかもしれないが、イースにはそれが嬉しかった。

 ルビは、イースが用意した黒いローブをにまといながら、おもむろに言う。


「僕のせい?」

「?」

「ここを出て行かなくちゃいけないのは、僕がみんなに迷惑をかけるから?」


 こちらを見上げたルビの瞳が、切なげに揺れる。イースはその場に膝をつき、ルビを見つめて首を横に振る。


「違うよ。ルビは何も悪くない」

「嘘だ。姉様は優しいから、本当のことを言わないんでしょ」


 たった九歳の子どもに、こんな悲しい顔をさせてしまって申し訳なくなる。ルビは寂しそうな笑顔を浮かべて言った。


「姉様はここに残りなよ。僕は修道院が孤児院に行くから」

「そんなこと言わなくていいの!」


 イースはルビの両頬を包み込む。


「ルビは姉様の一番大切な宝物なんだから、手放したりしないわ」

「本当? 姉様と一緒にいていいの?」

「当たり前よ」


 強い意志を宿した声で言い、今度は彼の両肩に手を置いた。


「この屋敷を出て、今度こそ幸せになりましょう」


 にっこりと笑いかけると、ルビも釣られたように微笑み、「うん」と頷いた。

 ルビは充分頑張ってきた。これからその分、押し寄せてくる幸せの中で笑っていてほしい。


(私がルビを守らなくちゃ。たとえ、この身を犠牲にしても)


 窓の外には、深い闇が広がっている。月も雲で隠れてしまった。

 この屋敷――契約を結んだ番から離れることは、イースの命を削るのと同義だ。それでも構わない。


「前にお医者さんが、隣国のルビと同じ病気の人が治ったって言っていたのを覚えてる?」

「うん」

「その話が本当かは分からないけど、行ってみよう。竜族が治める――ザナルティア竜王国へ」


 ルビの病気も、この国にもいくつか症例があったが、そのほとんどが大人になる前に亡くなっている。けれども、以前一度だけザナルティアで治ったという噂を聞いたのだ。


 サリアスに相談したときは、ただの噂に過ぎないと跳ね除けられ、ザナルティアに行くのを止められてしまったのだけれど。


 イースはザナルティアに、一縷の希望に賭けることにした。


「治るかな」

「治る、絶対治るわ」

「そしたら、姉様の力になれる?」

「……っ」


 ルビの想いに、胸を打たれる。

 そのとき、それまで隠れていた月がもう一度顔を覗かせて、一筋の光が差し込んだ。


「ルビが元気になってくれたら、姉様はそれだけで嬉しい。姉様も頑張るから、一緒に頑張ろう」

「うん!」


 ふたりは月明かりに照らされながら、小指を交えた。



 ◇◇◇



 イースは用意してあった金と、ルビの薬などの荷物を持ち、夜が明ける前に屋敷を出た。

 イゾルデ王国は現在、ザナルティア竜王国と戦争中で、亡くなる人が多い。

 そこで一時的な対応として、役所に行けなくても即時に離縁手続きが処理される、離縁状の投函箱が設けられている。


 離縁状とその他の必要書類を同封した封筒を、市庁舎の前の投函箱にそっと入れる。


「その手紙は?」


 受理されたあとは、サリアスのもとに離縁成立の通知が届くだろう。

 ルビの問いに、イースは答える。


「お別れの手紙よ」

「ふうん」


 これで、制度上ふたりは他人になる。

 もっとも、胸に刻まれた契約印は残ってしまうけれど。


「さ、急ぎましょう」


 夜空の下で、イースはルビの手を引くと、彼は小さな手でイースの手を強く握った。



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