34 姉弟喧嘩
「具合はどうだ? 見舞いに来てやったぞ」
バラの祝祭から一ヶ月。イースは一時的にルイの侍女の仕事を休み、療養に専念した。
イースの体調は、少しずつ回復している。サリアスとの番契約が解けただけではなく、ルビが治癒の異能で癒してくれていることも回復の理由のひとつだ。
「ありがとうございます。ルビのおかげで随分良くなりました」
寝台で半身を起こしたイースは、ルイににこりと微笑みかける。この一ヶ月で、咳をすることもほとんどなくなり、青白かった顔色も元の健康的な血色を取り戻しつつある。
ルイはイースの笑顔を見て、ほんのりと紅潮したあと、こほんと咳払いした。
ルイが持ってきてくれた高級ハーブの匂いが、イースの鼻腔をくすぐる。しかも彼が見舞いとしてくれたのは、ハーブだけではなく高級な器のセットだった。
「――で、あんたらいつまで喧嘩してるつもり?」
「喧嘩ってわけじゃ……」
「もうひと月もまともに会話してないんだろ? 喧嘩だろ。おいルビ、そんな隅にいないでこっち来いよ」
ルイが呼びかけるが、ルビは応えずに、部屋の隅の椅子で黙々と本を読み続ける。
「俺のことまで無視すんなよ。つい昨日、姉様と話せなくて寂しいって俺に泣き付いてきたくせに」
「〜〜っ! それは言わない約束だったじゃないですか!」
予想外の暴露にルビは狼狽えて声を荒らげるが、すぐに我に返って、開いた本で顔を隠してしまった。
寂しがっていたらしいルビがあまりにも可愛くて、イースはふふっとつい笑ってしまう。
すると、イースの笑い声を聞いたルビが、ゆっくりと本の上から顔を覗かせ、こちらをいぶかしげに見つめた。
「姉様、僕はまだ怒ってるんだけど」
「ごめんなさい。でも私も、ルビと話せなくて寂しかったわ」
「!」
素直な思いを打ち明ければ、一瞬だけは満更でもなさそうな顔になるルビ。けれど、すぐ不機嫌そうにこちらをじっと睨めつけてきた。
「身体があんな状態になっても相談してくれないなんて、僕は姉様にちっとも信用されてないんだなって自分にがっかりした」
「そ、そんなことは……」
「取り返しのつかないことになってからじゃ遅いでしょ。僕だって、姉様の力になりたいのに頼ってすらくれないなんて」
「…………」
それは、イースに対する怒りというより、自分自身に向けられた感情のようにも見えた。
「違うわ。ルビを信用してないんじゃなくて、ただ姉様が、誰かを頼るのが下手なだけなの。今回のこともルビを不安にさせたくなくて。でもかえって心配かけちゃったわね。ごめんね」
「…………僕も、意地張ってごめんなさい」
「ふ。じゃあ、これで仲直りね」
「うん」
ルビは甘えるようにイースに抱きついた。大人びているが、ルビはまだ九歳。子どもらしく甘えてくる彼が愛おしくて、頭をそっと撫でた。
ふたりの様子をどこか物言いたげに見つめてくるルイを見て、イースは両手を広げて微笑む。
「ルイ様も来ますか?」
「い、いい! 九歳にもなって姉ちゃんに甘えるとか、まだまだお子様だな」
彼はそう言って、ふんと鼻を鳴らす。
するとそのとき扉がノックされ、ヴィルハインが入ってきた。
「体調はどう?」
「だいぶ調子がいいです」
「それはよかった。街で新鮮なぶどう見つけたから買ってきたよ。あれ、ルイも来てたんだ。イースのお見舞い?」
ヴィルハインはぶどうが入ったカゴを、先ほどルイが持ってきてくれたカゴの隣に置く。ルイがヴィルに恐縮しながら「はい」と頷くと、ヴィルは愛しげに目を細め、ルイの頭を撫でた。
その手には、以前までなかった白い手袋がつけられている。サリアスの断罪後、ヴィルハインの手のひらに不思議な模様の痣ができていたが、それが何かイースは聞かなかった。
わしゃわしゃと頭を掻き撫でられながら、ルイは頬を染めて嬉しそうに口元を緩める。その反応を見て、イースとルビは思わず顔を見合わせて笑った。ルイもやっぱり、まだ九歳の子どもなのだ。
ヴィルハインはルイから手を離し、イースのもとに歩む。そして、ルイとルビに「ふたりで話したいから外に出ていて」と言うと、彼らはその指示に従った。
ふたりきりになったあと、ヴィルハインはイースを椅子に座らせ、自分は床に片膝をつく。
「契約印の跡、見せてくれる?」
「は、はい」
おずおずとブラウスに手を伸ばし、ボタンをそっと外した。イースの滑らかな肌に、火傷の跡のような痛々しい傷跡が残っていた。
イゾルテ王国の番契約は、魂同士を結ぶ契約であり、強力だ。だから、解除するとこのような跡が残る。
「綺麗な肌に、跡が残ってしまったね」
「自由の代償だと思ったらかわいいものです」
イースは跡を撫でながら、苦笑を零す。
ザナルティア竜王国の王宮地下に留置されていたサリアスだったが、第二王子の婚約者となったイースに危害を加えたことで、一部の財産を没収され六年間投獄されることに。また、リアンヌも手助けした罪を問われ、実刑二年が言い渡された。
身分の高い令息と結婚したがっていた彼女だが、経歴に傷がついた以上、そう簡単に花婿は見つからないだろう。
「君が払うべき代償なんて、ひとつもなかった」
ヴィルハインは眉間にしわを寄せ、怒りと悔しさの滲んだ声でそう呟いた。
彼はそのままイースの腕に手を添えて、傷跡にゆっくりと顔を近づけた。肌を撫でる彼の吐息に、イースは驚く。
「ヴィル様……っ、何を――」
「上書き」
そう囁いた直後、傷跡の上にちゅ、と唇を押し当てられる。吸われた刺激でイースの肩がぴくっと跳ねた。ヴィルハインはわずかに顔を離して、熱っぽく尋ねてくる。
「嫌?」
「い、嫌じゃ……ない、です」
顔を真っ赤に染め上げながら、震える声を絞り出すようにして言うと、その言葉を皮切りに彼は再び鎖骨に口付けた。
そして、ふたりの甘い時間が過ぎていく。ルビに話せない秘密ができてしまった。
 




