28 番の愛人との再会
この国では、最も身分が高い者が中央で踊るのがパーティーの作法とされている。
広間の中央、オーケストラの優雅な旋律に合わせ、イースとヴィルハインはダンスを踊った。
イースのシルクのドレスの裾が拡がる度、どこかで感嘆のため息が漏れる。注目されることは好きではないが、ヴィルハインが相手なら嫌ではなかった。
「ダンス、上手いんだね」
「……いえ、そんな」
むしろ、ヴィルハインのリードが上手いから踊りやすい。そう気の利いた返事をしたかったけれど、緊張してしまい、謙遜するので精一杯だった。
「どこかで習ってたの?」
「!」
その問いに、イースははっとしてヴィルハインの目を見つめる。彼の瞳は、まるでイースのことを何もかも見抜いているようだった。彼にはまだ、イースが失踪したイゾルテ王国の元公爵夫人であることを打ち明けていない。
ダンスを学んできたと言えば、ある程度裕福な家庭で育ったと打ち明けるようなものだ。
だが、ヴィルハインも自分の素性を話してくれたし、イースも自分の過去を話してもいいタイミングだろう。
演奏に合わせてくるりとターンをし、ヴィルハインに支えられながら、淡々と答えた。
「はい。子どものころから、ひと通りの淑女教育は受けています」
「だと思ってたよ。言葉遣いも所作も、とても洗練されていたから」
彼の美辞麗句は聞き慣れているはずなのに、今日は特別に甘く感じる。
一曲の演奏が終わって、広間から惜しみない拍手を注がれる中、ヴィルハインはイースの頬に手を添えて囁く。
「綺麗だ」
「え……っ」
「今日のイース、本当に綺麗で驚いたよ。最初に会ったときからずっと思ってたけど、今日は特に。誰にも見せたくないくらい」
「!」
注がれる甘い言葉の数々に、イースはもういっぱいいっぱいだった。
ヴィルハインは言葉を尽くして褒めてくれたのに、自分は何も言わないわけにもいかない。
だから、赤くなりながら精一杯の褒め言葉を絞り出した。
「ヴィルハイン様も、素敵です。本当に、すごくかっこよくて……」
「…………」
するとヴィルハインは、驚いたように眉を上げ息を詰める。それから少し間を置いたあとで、笑みを浮かべた。
「……そっか、俺はイースにかっこよく見えてるんだ。よかった」
嫌味がなく、余裕のある返事だった。
「私、ヴィルさ……ヴィルハイン様にお話ししたいことがあります」
「ヴィルでいい。話したいことだけじゃなく、聞きたいこともあるだろう?」
「はい」
「少し、人のいない場所に移ろう」
そう言ってヴィルハインはさりげなくイースの手を自分の腕にかけ、エスコートを始めた。
だが、広間の外に向かって歩いていると、見覚えのある女性がイースたちの目の前に立ちはだかった。
「嘘……イース様? あなた、イース・ディアンですわよね?」
ウェーブのかかった金色の髪に、庇護欲を掻き立てるかわいらしい顔立ち。
大きな胸が強調された派手なドレス……。よく響く高い声の彼女はリアンヌ――元夫の愛人だ。
リアンヌは、値踏みでもするかのようにヴィルハインとイースを見比べ、にやりと口角を持ち上げる。だがすぐに、貼り付けたようなしおらしげな表情で、震えた声を漏らす。
「よかった……っ」
彼女は目にいっぱいの涙を浮かべながら、イースに抱きついてきた。
初夜に寝台でサリアスに寄り添いながら、イースを見つめてきた蔑んだ眼差しが思い出され、背筋がぞわぞわと粟立つ。
(突然、なんなの……?)
散々無礼を働いてきた相手にいきなり抱きついてくる彼女の神経が全く理解できず、困惑に困惑を重ねる。
「わたくし、ずっとイース様を心配しておりました。あなたに何かあったらって。ご無事で何よりですわ。ああ、本当によかった……」
その感激ぶりは、生き別れの家族との再会を果たしたときのようだった。彼女の熱演に、広間の人々の注目が集まっていく。
イースはリアンヌの身体を押し離し、冷静に尋ねた。
「何のつもりなの?」
すると、リアンヌはゆっくりとこちらに顔を近づけて耳元で囁く。
「下等な精霊族の分際で、大国の王子に取り入るだなんて生意気なのよ。わたくしが奪って差し上げる」
「!」
底冷えするような声にはっと息を呑んだ直後、彼女は目に溜まった涙を拭いながら続けた。
「あなたが失踪してから、サリアス様がとても心配してあなたを探していらっしゃいましたよ? まさか、番をほったらかしにしてこのような場所で遊んでいらっしゃるなんて、あまりにも不誠実ではありませんか……?」
彼女のわざとらしい大きな声が、広間に響く。
ザナルティア竜王国は、古くから番制度を信仰してきた。死別するときまで番を愛すことが美徳とされ、不倫などもってのほかという価値観が根付いている。
だから、番がいるのに他の異性にエスコートしてもらうことは、竜族の倫理観に反する。
リアンヌの発言に人々はざわめき、イースに白い目が向けられる。
「もう離婚届も出してる。あの人は他人よ」
「でもまだ、番契約印は――そこにあるのでしょう?」
つう……とドレスの上から鎖骨を指先で円を描くようになぞり、意地悪に口の端を釣り上げる彼女。リアンヌは、再びこちらの耳元に唇を寄せて、「あなたのせいで第二王子殿下に迷惑がかかりますわよ」と冷たく呟いた。
確かに、番がいる女性と一緒にいれば、ヴィルハインの名誉に傷をつけてしまうかもしれない。
リアンヌに言い返すことができない。大人しくなったイースを見て満足げな顔をしたリアンヌは、ヴィルハインの前で淑女の礼を執る。
「君は」
「取り乱してしまって申し訳ございません。わたくし、イゾルテ王国より参りました。リアンヌと申しますわ」
「イースの知り合い?」
「わたくしはイース様の――親友です。いなくなってからずっと探していたんです。今日も彼女の行方の手がかりを掴めないかとこちらに参りました」
すらすらと嘘を述べるリアンヌ。彼女がイースをダシにしてヴィルハインに取り入ろうとしている魂胆は見え透いていた。
「友達思いだね」
ふっと微笑んだヴィルハインにリアンヌはうっとりとするが、イースにはその笑みがどこか冷たく見えた。だって、彼がいつもイースやルビに向ける笑顔はもっと優しいのを知っているから。
だが、彼の反応を好意として受け止めたリアンヌが、意気揚々と続ける。
「まさか親友を探しに来た場所で、こんなに素敵な方に出会えると思いませんでしたわ。ご縁……運命でしょうか」
両手を合わせたリアンヌが、甘えた声で言う。
愛らしい彼女のアピールに、落ちない男性はなかなかいないだろう。
「でもヴィルハイン様、お可哀想です。イース様が番を裏切ってきたこと、ご存じなかったのでしょう。イース様はイゾルテにいたころから素行が少々……ンンッ。とにかく、彼女のことは責任を持ってわたくしがイゾルテに連れて行きますので」
「それは真実?」
「も、もちろん! 殿下の前で嘘を言うはずがございません」
「そう。なら――試させてもらう」
すると、ヴィルハインは背を丸めすっと顔を近づけた。そして、どこか軽薄さの漂う笑顔で続けた。
『お前の本心を、ここにいる皆に分かるように話せ』
そのとき、『指令』の異能が発動してリアンヌの目が虚ろになる。
「ふっふふふ……」
直後、リアンヌは肩を震わせて笑い始めた。先ほどまでの淑やかさが嘘のような下品な笑みを浮かべて語る。
「まさか、イース様が第二王子に取り入っていたなんて好都合でしたわ。以前番を奪ったときのように、今回もわたくしがイース様を踏み台にして手に入れてみせる。どうせイース様はサリアス様との番契約で――死ぬんですもの! ふふっ……本当に可哀想」
死ぬ、という言葉に、ヴィルハインは一瞬眉をぴくりと動かした。
さらにリアンヌは楽しそうに続ける。
「第二王子はわたくしを運命の番と信じ込んで、愛するようになるに決まっています。老人くらいしかありがたがらない古臭い伝統も、たまには役に立ちますわね」
そこまで言ったとき、ヴィルハインがぱちんっと指を鳴らすと、リアンヌははっと我に返る。リアンヌの下品な嘲笑を聞き、周囲の人々は怒りや嫌悪感をあらわにしていた。
「――って、わたくしは一体、何を……」
真っ青になり混乱するリアンヌを尻目に、ヴィルハインは広場に控えている数名の騎士たちに冷徹に命じる。
「番制度を侮辱した者にここにいる資格はない。広間の外に連れて行け」
「ま、待って……今の発言は、わたくしの意思では……っ、や、やめて! 離して……っ」
命令された騎士たちは、「御意」と返事をし、抵抗するリアンヌを無理やり外に引きずっていく。
ヴィルハインはリアンヌに背を向け、こちらに微笑みかけた。
「びっくりしたね。さ、行こうか」
あれだけの騒ぎのあとなのに、ヴィルハインからは一切の動揺が感じられなかった。だが、いつもの笑顔に怒りが滲んでいるのが分かった。
(どうしよう。――番契約のことを、ヴィル様に知られてしまった)
イースは青ざめたまま、ヴィルハインの後ろを歩くことしかできなかった。




