26 バラの招待状
その日から、ルビの様子がおかしくなった。
いつもなら毎朝、先に目覚めたイースがルビを起こしていたのに、このごろは朝起きるとルビの姿がなくなって、上掛けにひとり分の空洞が残っている。
『ごちそうさまでした、行ってきます』
『い、いってらっしゃい』
朝食の準備が終わるころには部屋に戻ってくるが、食べ終わるとまたすぐどこかに出かけてしまう。
今まで、イースの仕事中は部屋で大人しく本を読んでいるような内向的な子だったのに、最近では仕事を終えて部屋に戻ってもルビがいないことが多々ある。
イースを心配させないために、夕食の時間には必ず戻ってくるのだけれど。
そんな異変が一週間続いた休日、午前中ずっとどこかに出かけていたルビと、昼食をとる。
白パンに野菜たっぷりのスープと豆の煮物、それからぶどうがデザートについていた。最後のぶどうを房からちぎって口の中に入れたルビが、慌てた様子で立ち上がる。
「それじゃあ、行ってきます。夕食前には帰ってくるから」
「ま、待って……どこに?」
「ええと、その……お花を摘みに」
背中で手を組み、もじもじするルビ。
お手洗いに行くときの女子みたいな言い訳だ。
「今までこんなに出かけることなかったから、心配で。危ないことはしてないよね?」
そんなことをする子ではないと、頭では分かっている。
ルビの自由を制限したくないし、とやかく言いたくはないが、つい心配してしまう。扉を出て行こうとするルビは、心配そうなこちらの顔を見て踏み留まった。
「大丈夫だよ。病気がよくなってきたから、もっとよくするために歩いて体力をつけてるんだ」
「……そう。そうだったのね。気をつけていってらっしゃい」
「うん」
小さな背中を笑顔で見送りつつ、やっぱり心配なイースだった。
その日も、ルビは夕食の時間にはきちんと帰ってきた。だが、全身擦り傷だらけで、頭に葉を乗せており、血の気が引く。
「ルビ!? この怪我は……っ」
「庭園で転んじゃって……ごめんなさい。でも、平気だから」
「ルビったら、いつの間にそんなにわんぱくになったの? ほら、こっちおいで。傷口を消毒しなきゃ。怪我するような危ないとこに行っちゃだめよ?」
「うん」
けれどルビは、その翌日もまた出かけるのだった。
◇◇◇
イースは、廊下の影からルビの後ろ姿をじっと観察していた。
ルビが怪我をした日から五日、とうとう痺れを切らし、こっそり様子を見に行くことにしたのだ。
せっかく元気になってきたので自由に歩き回りたいというルビの思いを尊重したかったが、王宮には、九歳の子どもには危険がありすぎる。
「なぁに、あの人」
「さぁ……」
通りかかる使用人たちが、イースを懐疑的な目で見ていく。すると、目の前を歩くメイドふたりの会話が聞こえてきた。
「ねぇ、聞いた? バラの祝祭の招待状、四枚目が昨日見つかったんですって。応接間の壺の裏側を掃除したメイドが見つけたそうよ」
「聞いた聞いた。運がいいわよね」
「あと一枚しか残ってないのか〜。残念だけど、今年も私には縁がないみたい」
広大な王宮の敷地から招待状を探すのは、砂の山から針を探すようなものだ。しかも、ライバルは少なくとも数百人以上いるので、簡単に手に入るものではないだろう。
(大変、ルビを見失ったわ)
メイドたちの会話に耳を傾けていたら、ついさっきまで見えていたルビの背中が消えてしまった。イースは慌てて廊下の角から飛び出して、足を進めた。
王宮の敷地は、一日ではとても歩き回れないほど広い。二時間ほど歩き、くたくたになったところで、庭園の茂みの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あと少しだ、頑張れ」
その声は、ルイのものだった。
目の前に立ちはだかる茂みで視界が遮られて、彼の姿が見えない。
荒くなった息を整えながら、声のする方に進んでいく。すると、開けた空間で、ルイが上を見上げて声を上げた。
「もっと手を伸ばせ! そうだ、いけっ!」
彼の視線の先を目で追うと、ルビが背の高い木に登っているではないか。
(ルビ……!?)
イースの身長よりずっと高く、落ちたら怪我をしてしまう。だが、すぐに飛び出しそうになる過保護な心を諫め、踏みとどまった。
木の下には、ルイ以外にも複数の使用人と騎士がいて、ルビを応援していたから。
「その調子です、あっ、危ない……しっかり幹に捕まって!」
「少し右に足場がありますよ。そこです!」
あんなに応援されて、ルビは木の上で一体何をしているのかと観察を続ける。
そこで、ルビが手を伸ばした先――鳥の巣の中に封筒が入っているのに気づいた。封蝋に刻まれたバラの紋様を見て、それがバラの祝祭パーティーの招待状だと気づいた。
先ほど使用人たちが、五枚あるうちの四枚はすでに見つかっていると話していたのを思い出す。だとしたら、あの木の上にある招待状が、最後の一枚なのだろう。
(まさか、あれを私にくれるために……?)
この数日間、ルビがこそこそ出かけていたのは、イースをパーティーに参加させるためだったのだ。弟の思いを知ったイースは胸がいっぱいになる。
(頑張れ、頑張れ……!)
イースは両手を組みながら心の中で祈る。
ルビはとうとう招待状を掴み、木から降りてきた。ルイたちに「よくやったな」、「おめでとう」と声をかけられるルビを尻目に、イースが踵を返そうとしたとき、若い女性の声がする。
「よく取ってきたわね。それ、あたしによこしなさい」
「えっ……」
「何? 文句あるの? あたしは公爵令嬢よ? 我が家に招待状は一枚しか届かなくてお姉様に取られちゃったの。王宮にわざわざ探しに来てよかったぁ。これであたしもパーティーに出られる!」
「や、やめてください。返して……っ」
イースと同じくらいの年齢の公爵令嬢が、ルビの招待状を横取りする。
「おいあんた、招待状を見つけたのはルビだ。招待状は諦めろ」
「なぁに? 妾の子のくせに他人に指図なさるの?」
「不敬だぞ!」
「ふふ、涙目になって可哀想〜。あたしのお父様が言ってたわ。あなたは王族どころか上位貴族より立場が低い気の毒な王子様だって。あたしに何か言いたいなら本物の王子様でも連れてきたら?」
彼女の登場によって辺りは険悪な雰囲気に。イースが出たところでどうにもならないが、いてもたってもいられずに一歩足を踏み出すと、その肩を掴まれる。振り返ると――ヴィルが立っていて。
「ヴィル様……?」
「俺に任せて」
ヴィルもルビたちの様子を見守っていたのだろうか。
彼が出ていき何かを話すと、公爵令嬢は真っ青になり、招待状をルビに返す。そして、転がるように庭園から逃げていった。
(やっぱり、ヴィル様は……)
彼が第二王子本人であることが、確信に近づいた。
イースはそっとその場を後にする。そして脳裏に、『次に会ったときに求婚する』というヴィルの言葉が過ぎった。
それから、夕食のときにルビが招待状をイースに差し出した。
「これ、姉様にあげる」
「この数日、これを探してくれてたの?」
「……うん。驚かせようと思って。ルイ様や騎士様も手伝ってくれた」
へへ、と頬を掻き笑うルビ。
ルビは「嬉しい?」と聞いてきた。そんなの、嬉しいに決まっている。
たとえ招待状がなくたって、ルビがイースのために何かをしようとしてくれた思いが嬉しいのだ。
「うん、とても」
「よかった。姉様、いつも僕のことばっかりでしょ。だから、姉様にも楽しいことたくさんさせてあげたくて。姉様が僕を大切にしてくれるように、僕も……姉様には笑っていてほしいから」
「ルビ……」
擦り傷ができた小さな手から、封筒を受け取る。
彼は幼心に、イースに世話をしてもらわなければ生活できない自分にずっと負い目を感じているようだった。
そんな彼の思いを知っているからこそ、余計に封筒に重みを感じた。
「ありがとう。楽しんでくるね」
◇◇◇
イゾルテ王国でも、ザナルティア竜王国のバラの祝日が話題になっていた。
王宮で行われるパーティーには、ザナルティア竜王国の上位貴族はもちろん、異国の王侯貴族も花嫁・花婿候補として集められる。
「バラの祝祭の招待状、あなたはもう手に入れましたの?」
「ええ、昨年からパパにおねだりしていたの」
国ごとに、バラの祝祭に参加できる人数は制限されている。
未婚の貴族たちは、将来の伴侶候補を探す目的で、招待状の入手に躍起になっていた。
今日、とあるお茶会に参加していたリアンヌも、招待状を求める令嬢のうちのひとり。
「リアンヌ様は手に入れましたの?」
お茶会のメンバーに尋ねられたリアンヌは、ゆるりと唇で三日月を描く。
「ええ、もちろんですわ」
リアンヌの美貌は、昔から多くの男たちを虜にしてきた。サリアスもそのひとりで、リアンヌは彼の公爵という地位に惹かれていた。
サリアスは精霊族の番がいたので愛人で妥協し、自分の子を後継に据えることを画策していた。
――なのに。
『最近のあなたのご様子を見ていてよく分かりました。あなたはイース様のことを――愛していらっしゃるのだと』
公爵家の政務を押し付けるため、番を持って威厳を示すため、などと言い訳を並べていたが、実際、サリアスはイースに惚れていた。
それも、支配的で歪んだ愛。
「あら、リアンヌ様は以前、心に決めた方がいらっしゃるとおっしゃっていませんでした?」
「ああ、その人なら……」
少し間を置いて、余裕たっぷりに答える。
「わたくしから捨ててしまいました」
利用するなら、身分が高く一途な男がいい。リアンヌが欲しいのは、権力と財産と地位だ。
バラの祝祭の招待状は、リアンヌに心酔する貴族の男に用意させた。これで次は、サリアスより好条件の相手を探すつもりだ。
リアンヌが想像を膨らませていると、また別の令嬢が言う。
「そういえば、噂で聞いたのだけれど、ディアン公爵様もパーティーに出席されるそうですわよ」
「番が失踪したっていう、例の?」
「ええ、そう。招待状を手にした令嬢から、法外な金額で買い取ったとか。消えた番を血眼になって探していたのに、一体どういう風の吹き回しかしら」
ここにいる令嬢たちは、リアンヌがサリアスの愛人になっていたことを知らない。その話を聞いて、リアンヌも首を傾げるのだった。
(あれほどイース様に執着なさっていたのに、新しい花嫁探しでもなさるおつもりかしら。まぁ、わたくしには関係のない話……)
ザナルティア竜王国では、イゾルテ王国と違う――本物の番制度が信仰されている。
だから、どんなに身分差があっても、番であれば結婚が認められるし、番でなくても身分差にはそれなりに寛容だ。
戦争中の敵国ではあるが、両国の貴族同士の交流は続いているため参加しても問題ない。
(確か、ザナルティア竜王国の第二王子殿下は、まだ婚約者が決まっていないとか。未婚の令嬢たちは我こそが王子妃にととても燃えているそう)
そして、リアンヌは悪巧みするかのようににやりと口角を持ち上げた。
(簡単なこと。第二王子殿下を篭絡し、運命の相手がわたくしだと思わせればいいだけ。バラの祝祭で最も幸福な乙女の座を手に入れるのは――このわたくし)




