22 予告
目が覚めたとき、イースは自室の寝台に横になっていた。いつもこの寝台で、ルビとくっつきながら眠っている。視線の先にはいつも見慣れた天井があり、ルビがこちらを見下ろしていた。それから――ヴィルの姿も。
「ヴィル様……!」
慌てて半身を起こすと、樹液の効果が切れていることに気づいた。
「目、覚めた? 樹液の効果は六時間、摂取した時間はルビに聞いたから、もう切れてると思うけど」
「はい……。平気です」
ヴィルは、驚くほどいつも通りだった。ルビが目覚めたイースのために、水を取りに行く。
ぱたぱたというルビの足音が消えてふたりきりになった瞬間、気まずくなったイースは目を逸らす。
樹液の効果は切れているものの、あのときの記憶は鮮明に残っている。ヴィルが自分の番であることも、唇に触れた大きな手のひらの感触も……。
いっそ全部、忘れられたらよかったのに。
恥ずかしすぎて、今すぐに入る穴を探しに行ってしまいたい。
「さ、さっきは、ご迷惑をおかけして、本当にすみません」
声が震える。
寝台に座り、シーツに額を擦りつける勢いで謝罪する。するとヴィルは、頬杖をつきながらからかうように言った。
「迷惑って、具体的にどの辺?」
「へっ……」
「泣きそうになりながら、俺の手に縋がったこと? それとも、キスしてほしいってせがんできたこ――」
「ま、待って……っ! それ以上はもう、言わないでください」
イースは思わず、ヴィルの口を両手で塞ぎ、言葉の続きを阻んだ。手を離すと、彼は余裕たっぷりにふっと笑みを零して。
「ごめんごめん、からかいすぎた。迷惑だなんて思ってないよ。むしろ、かわいすぎてどうにかなりそうだった。でも」
「……」
「ああいう姿、俺の前以外では見せるなよ」
優しい目をしているが、確かな圧を感じて心臓が跳ねる。ヴィルの前だけは許可されることが、さらに恥ずかしい。
彼のからかいにいっぱいいっぱいになっていると、ルビが部屋の外から水を持ってきた。朝に一度建物の外の井戸から大量に汲んできた水が厨房の水瓶に置いてあり、使用人たちはそれを飲み水にしている。
前まで水を取りに行くのはイースの仕事だったが、最近は、顔の鱗が目立たなくなってきたルビが行ってくれている。身体の苦痛が減って色んなことを手伝ってくれていて、助かっているし回復を感じて嬉しい。
「姉様、水」
「ありがとう」
「ヴィル様も、どうぞ」
イースがコップを受け取って礼を言うと、ルビは嬉しそうに目を細めた。
半分ほど減ったコップを膝に置き、イースはヴィルに尋ねる。
「さっき、突然眠気に襲われたのは……樹液の効果なんでしょうか」
「いや、俺の力だ」
ヴィルは空のコップをテーブルに置いた。
「君を花婿から助けたときのことを覚えてるね」
「はい」
「俺の異能は――人を操る力なんだ。詳しく説明していなかったな」
一度に操れる人数や時間、範囲に制約はあるものの、思い通りに人間を動かすことができるという。イースを強制的に眠らせたのもその異能のひとつ。
相手の意志を無視して、思いのままに操る力は、使い方を間違えば恐ろしいことになる。
(まるで、イゾルテ王国の番契約のよう)
その異能の性質であれば、相手を支配する番契約のような使い方もできるだろう。
気づいた瞬間、胸の上に刻まれた番契約印が疼いた気がして、イースの表情がわずかに曇った。ヴィルはそんな変化を見逃さず、少し困ったように眉尻を下げる。
「怖くなった?」
「……少し」
「だよね。当然だ」
嘘は吐けない。だがイースは、まっすぐにヴィルを見つめて続けた。
「人によって目覚める異能が違うのは、人それぞれ持っている役目が違うからだと思うんです。ヴィル様にその異能が目覚めたのはきっと、いたずらに人を傷つけるために使わない人だから」
「…………!」
そのとき、ヴィルの瞳の奥がわずかに揺れた気がした。
「俺は優しくないよ。目的のために大勢傷つけてきたし、際どいこともしてきた。本当は、君たちと関わることも許されないくらい、この手は汚れてる。時々、俺が関わることでイースたちを汚してしまうんじゃないかって、不安に思う」
いつも飄々としていて、余裕があるヴィルが、珍しく弱さを見せる。彼が抱えてきた苦悩を何もかも分かってあげることはできないけれど、イースは迷いながら言葉を紡いだ。
「完璧な人なんていません。失敗しても、そこに誠実さがあればいいんだと思います。ヴィル様にはそれがあるって私は思います」
「そうです。僕たちにとってヴィルさんは大事な人です。だから、ご自分を卑下しないでください」
姉弟に慰められたヴィルは、何か覚悟を決めたように言った。
「――そうだね。俺も覚悟を決めるよ。君たちを、大事なものを守るために戦うって」
そう言うと、彼の表情はいつもの穏やかなものに戻っていた。ヴィルは部屋を出ていく前に、イースに告げる。
「それじゃ、また。次に会うときには、君に求婚するから」
「!? ま、またいつもみたいに、からかっていますか?」
ヴィルは、冗談を言ってイースを翻弄して楽しむきらいがある。
どきどきしながら尋ねると、ヴィルは顔を近づけて目を見つめながら囁く。
「まさか。俺はいつだって本気だったよ」
そうして、求婚の予告を残した彼は、部屋を出て行った。部屋に残されたルビはぱっと表情を明るくして、イースに迫った。
「結婚するの?」
「……し、しないわ」
イースは思わずは朱に染まった顔を逸らす。それに、書類上他人であるものの、番契約は結んだままでサリアスの支配下にある。
こんな状態で、ヴィルに応えるわけにはいかない。加えて、イースはヴィルについて知らないことが多すぎる。
すると、ルビがイースを見上げてまっすぐに言った。
「姉様、あの人のことが好きなんでしょ」
「どうして……そう思うの?」
「ヴィルさんと話してるときの姉様、いつも幸せそうだった。僕はずっと、姉様を見てきたんだもん。分かるよ」
ルビの指摘に、何も言い返せなくなる。
思えば、初めて出会った日に助けられてから、心奪われていたのかもしれない。
イースだけでなく、ルビのことも慈しんでくれたのは、ヴィルが初めてだった。
(私は……ヴィル様が好き)
きっと、彼が番でなくても惹かれていただろう。イースはそうして、自分の胸に根付く思いを自覚した。




