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16 第三王子と散歩

 

 熱を出したルイを看病してから、イースとルイの関係は少しずつ変化していった。

 家庭教師の講義を受けているとき、立ちっぱなしのイースが疲れないようにと椅子を用意してくれたり、教本やペンとインクなどの準備や、着替えも片付けを手伝わせてくれたりするようになった。

 入浴だけは頑なに許してもらえなかった。


 また、自分の居場所を守るために必死に勉強していたルイだったが、無理をして体調を崩してほしくないというイースの心配が届いたのか、ちゃんと休んでくれるようにもなった。


 自習中、イースは用意してきた飲み物を、机にそっと置いた。


「今日はアップルティーにしてみました」

「ああ」


 彼は、ことんとペンを置いてコップを手にし、蜂蜜を入れて甘みをつけたアップルティーをひと口飲む。

 そのとき、ルイの頬がわずかに緩んだのを、イースは見逃さなかった。


 ルイはどうやら甘いものが好きらしく、塩気のある食べ物やストレートティーは残すが、甘いお菓子や砂糖入りの飲み物は最後まで飲むのだ。


(ルビは甘い物がそんなに好きじゃないから、逆ね)


 ぶっきらぼうだけれど甘いものが好きというギャップに、思わず笑みを零す。それを見たルイが、「何がおかしい」といぶかしげに問う。


「いいえ、なんでも。お口に合いましたか?」

「……まぁ、悪くない」


 しばらく迷った末に絞り出された答えに、イースはまたくすりと微笑んだ。

 アップルティーを飲み干したあと、ルイは勉強を再開せずに立ち上がった。


「散歩に行く」

「おひとりでですか? 誰か付き添いがいた方が……。呼んできますね」

「あんたが来ればいいだろ」

「!」

「俺の傍にいるのが、あんたの仕事なんだろ」


 まさか、同行する許可をもらえると思わず、面食らってしまう。イースは目を瞬かせてから、「はい」と明るく返事をして、ルイの背中を追いかけた。



 ◇◇◇



 王宮の庭園は、庭師によって隅々まで整えられていた。

 並木道を歩いていくと、視線を動かす度に噴水や彫刻、池などが目に留まり飽きなかった。

 この並木道の近くで、騎士たちが訓練しており、木剣がぶつかり合う音が時々聞こえてくる。


 イースとルイはふたりで並んで歩いているが、安全のため少し離れた場所に複数の護衛騎士が付いている。


(今日はいい天気ですねって、話しかけてみる?)


 前方を歩くルイの背中を見つめながら考えるが、ただの使用人に過ぎない自分が気軽に話しかけていい相手ではない。それに、話しかけたとして、会話が盛り上がる気もしなかった。

 だが、この見事な景色を見て、少しは楽しめているといいなと思う。もっとも、生まれたときから王宮にいるルイには、見慣れたものかもしれないけれど。


 すると、ルイの方から声をかけてきた。


「弟が、いるんだったな」

「はい」

「どんな奴だ?」

「ルイ様とちょうど同い年です。優しくて思いやりがあって、すごくお利口なとっても良い子で……」


 瞬時に、侍女モードから姉馬鹿モードに切り替わる。

 本当に自慢の弟だと思いながら、ルビのいいところを指折り数えると、ルイはなぜか不満そうに眉間にしわを寄せた。


「俺と違って、か?」

「そ、そういうわけでは。ふたりとも、とてもいい子だと思います。あっ、いい子っていうのは決して王族の方を軽く見ているわけではなく」

「……あっそ」


 つんけんした口調だが、その頬はほんのりと色づいていて。ルイの子どもらしい一面が垣間見えた気がした。


「そいつの竜病の具合は?」

「竜の力をコントロールできるように訓練を頑張ってはいるんですけど、まだ……あんまり」


 ヴィルが言うには、完全に皮膚の病状がなくなるまでに時間がかかるそう。

 一進一退だが、希望がないわけではない。少しずつ、気長に進んでいくつもりだ。


「よっぽど心配なんだな」

「はい。かわいい弟なので」


 すると、ルイは切なげに瞳を揺らして、目を伏せた。


「羨ましいよ」

「羨ましい……ですか?」

「俺は兄上たちとは疎遠でさ。唯一気にかけてくれてたヴィルハイン兄上も、俺が避けてるせいでもう三年は会話していない」

「どうして避けていらっしゃるか、聞いてもよろしいですか?」

「妾腹の俺が関わったら、兄上の評判に傷がつくって誰かが話してるのを聞いて。だから、大嫌いなんて嘘を吐いて、突き放した。きっともう、俺のことなんて忘れていらっしゃる」


 権力の中心である王族の人間関係は、とても複雑だ。ルイは王族の中での自分の立場をよく理解しているからこそ、ヴィルハインへの憧れや愛情を抑えて、足を引っ張らないように近づかないでいる。

 その健気な思いに、胸を打たれた。


「ヴィルハイン様のことが、お好きなんですね」

「ああ。兄上は竜の異能が強くて、頭もよくて、とにかくかっこいいんだ。色んな人に怖がられてるけど、竜族や番制度を大切に思っていて、本当はすごく、優しくて。俺のために異国までわざわざ望遠鏡を買いに行ってくれたんだ。今でも……宝物で」


 楽しそうに、そしてどこか寂しそうにヴィルハインのことを語るルイ。


「忘れてなんかないですよ。ルイ様が話しかけてくるのを待っていらっしゃるかもしれません。きっと、ルイ様がヴィルハイン様を大好きなように、ヴィルハイン様もルイ様のことが大好きだと思います」

「そうだと……いいな。あのさ、あんたの弟、なんて名前?」

「ルビ、ですが」

「なら、ルビを王宮に連れて来い。竜の力の鍛錬は俺もやってるし、一緒にやればいいだろう。教師も優秀だ」

「で、ですがそれはさすがに、申し訳ないです。ルイ様の鍛錬のお邪魔になってしまうのでは」


 ありがたすぎる提案だが、気が引けてしまう。


「遠慮する必要はない。目の届く場所にいた方があんたも安心だろう? それに、あんたの弟に俺も会ってみたいからな」


 なんて優しいのだろう。

 ルイの気遣いに胸の奥がじーんと熱くなるのを感じた直後、彼の後ろに何かが飛んでくるのが目に留まった。


「――危ない!」


 考えるよりも先に、身体が動いていた。


 ルイを抱き締めるようにして庇い、飛んできたものを受ける。

 ごんっと鈍い音を立ててイースの頭を打ったそれが、地面に落ちた。頭の傷口から垂れてきた血でぼやけた視界が捉えたのは、木剣だった。


(ルイ様に当たらなくてよかった)


 きっと、騎士の訓練場所から飛んできたのだろうと理解したとき、身体がふらりとよろめく。


「イース!」


 初めてルイが名前を呼んでくれたな、と思ったのと、青年に倒れかけた身体を支えられたのはほとんど同じタイミングだった。


「まさか君に怪我をさせてしまうなんて。すまない」


 白いシャツに黒いスラックス。それから、革製の手袋をつけたその人物はヴィルだった。


 ヴィルは、王宮で第二王子の近衛騎士をしていると言っていた。

 彼も訓練に参加していたようで、体温が上がっていて少し汗ばんでおり、呼吸も荒くなっていた。

 心配そうにこちらを見下ろすヴィルに、イースは気を遣って微笑み返す。


「大丈夫……です」


 けれど、そう言った直後、イースは意識を手放していた。


 一方、ルイはヴィルの姿を見て動揺し、声を漏らした。


「あ、兄上……」

「彼女のこと俺に任せて、お前は護衛たちと部屋に戻っていなさい」

「嫌です! イースが怪我をしたのは俺のせいなんです。だから……だから、兄上の言うことには従えません。このまま、目覚めなかったら俺……」


 ルイが片拳を握り締めていると、ヴィルが淡々と言った。


「大丈夫だ、ルイ。軽い脳震盪を起こして気絶したみたいだけど、すぐ良くなる。それより、訓練所にいる医者を呼んできてくれる? 手伝ってくれ」


 諭すような優しい声にルイは気を引き締め、「はい!」と元気よく返事をし、走っていった。

 ヴィルとルイが言葉を交わすのは、実に三年ぶりのことだった。


 

 ◇◇◇



 イースが目覚めたのは、十分ほど後だった。


「気がついた? 俺が分かる?」


 聞き馴染みのある声が上から降ってきて、顔を上げると、長いまつげに縁取られた青い瞳と視線が交じり合う。そして、自分がヴィルに抱き起こされていることに気づいた。


「ここは……? 私は……」


 すると、こちらを心配そうに覗き込んでいるルイが言う。


「俺を庇って、飛んできた木剣で頭を打ったんだ。訓練中の騎士が飛ばしたらしい」


 ルイの説明を聞いて、混濁していた記憶がはっきりとしていく。ヴィルがさらに、「軽い脳震盪を起こしたみたい」と説明した。

 おもむろに、ずきずきと痛む額に手を伸ばしてみると、布で傷が手当てされている。


「騎士団の医者に手当てをさせた」


 ヴィルの後ろには、医者と看護師が複数控えており、こちらに恭しく一礼してきたので、会釈を返す。

 すると、ヴィルがルイに言う。


「第三王子殿下、午後の講義が残っておられるのでは?」

「そうだったわ大変。早く戻らなきゃ」


 起き上がろうとするイースを、ヴィルが後ろから抱き寄せて耳元で諭すように言う。


「だめだよ。イースは俺と一緒にしばらく休むこと。ついさっきまで気を失ってたんだ。すぐ動いたら身体に障る」

「は、はい……」


 穏やかで優しい声ではあるが、確かな圧のようなものを感じて、大人しくする。距離が近いせいで、囁きとともに吐息が耳たぶを掠め、イースの顔に熱がのぼった。

 ヴィルはルイを見据えて告げる。


「遅刻する前に早く行ってください」

「わ、分かりました。あに――」

「し」


 ルイが何か言いかけたとき、ヴィルが人差し指を自分の唇の前に立て『内緒』のジャスチャーをする。その仕草にルイははっとして口を噤み、護衛騎士とともに王宮の建物に向かっていった。


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