第六話 宮廷の毒
王国の中心、王城アゼルバルグ。
その一角、外交庁舎の地下には、宰相直属の諜報組織――〈隠鴉〉の拠点がある。
そこに、一人の女がいた。
「……“処刑された男”が生きてる、ね。面白い噂だわ」
女は黒い軍装をまとい、漆黒の短剣を腰に下げていた。切れ長の目と鋭い輪郭、決して媚びぬ口元。
名は――セリカ・グランメイル。諜報機関〈隠鴉〉の第二席にして、宰相の片腕と目される存在。
彼女は冷たい笑みを浮かべながら、部下からの報告書に目を通していた。
「その男、“レイ・ヴィオル”が何かを探ってるのは確か。でも……私は“何”を探ってるのかが知りたいの」
「命令は?」
「“始末”よ。ただし、情報を引き出してからね」
彼女の瞳に、わずかに灯る好奇心――それが、彼女の運命を変える始まりだった。
一方、レイは王都北部の“医師街”に潜伏していた。
ここは下町と貴族街の境にある、中立地帯。表向きは診療所や薬屋が並ぶ穏やかな通りだが、裏では闇医者や情報屋も活動する混沌のエリアだった。
レイは、旧知の情報屋“アルベール”のもとを訪れていた。
「まったく、お前みてぇな奴がまた来るとは思わなかったぜ、死神さんよ……」
「そう呼ぶな。あの頃とは違う」
「けど、やることは同じだろ? 腐った奴らを“処理”して回る」
アルベールは目を細めながら、古い帳簿を引っ張り出すと、一枚の地図をテーブルに広げた。
「これは王城地下の通路。宰相エルンの私室に繋がる“非公式の通路”が存在する。けど、問題がある」
「何だ?」
「通路の入り口を管理してるのが〈隠鴉〉だ。あそこに踏み込むのは、自殺行為に近い」
レイは黙って地図を見つめた。
――だが、行くしかない。
エルン・ハルトを倒すには、奴が隠している“作戦記録”を手に入れるしかない。
三日後の夜。
王城地下。〈隠鴉〉の巡回の隙を突き、レイは通路へと潜入していた。
暗闇の中、彼の呼吸音すら消えそうな緊張感。
(……あと二十歩。扉の先が、エルンの私室だ)
レイが手を伸ばした、その時――
「遅かったわね、“死神さん”」
声と共に、背後から鋭い殺気。
レイが跳んだ瞬間、空間を裂くように短剣が突き刺さった。
振り返れば、そこに黒衣の女。鋭い眼差しと、微動だにしない構え。
セリカ・グランメイル。〈隠鴉〉の切り札。
「貴様が、宰相の飼い犬か」
「フフ、案外冷静ね。まあ、処刑されて生きてるくらいだもの、少しは面白くなきゃ困るわ」
言葉と同時に、刃が再び閃く。
レイもまた、即座に応じる。
数合、火花を散らす刃と刃。
――だが、その中で、レイは妙な“違和感”を覚えていた。
(殺す気がない? いや、様子を見ている……)
「目的は何だ」
「情報。貴方が何を狙ってるかを知りたいの。できれば“始末”する前に」
「ふん……生きたまま捕らえるつもりか?」
「違うわ。“あなたの口”から聞きたいのよ。真実を」
一瞬、戦いの手が止まる。
――彼女は、ただの忠犬ではない。
「エルンが何をしたか……お前は知ってるのか?」
「知ってる。でも、それが“正しいこと”だと教えられてきた。私は、その正しさを疑ったことはない……今まではね」
その言葉に、レイの中で何かが変わった。
この女――セリカ・グランメイル。
彼女もまた、“騙されてきた側”なのかもしれない。
「なら、俺が教えてやるよ。お前が信じてる“正義”が、どれだけ腐ってるか」
「……期待してるわ、“処刑された男”」
戦いは終わり、だが決着はついていない。
その夜、セリカは姿を消した。だが、レイは確信していた。
(あの女……また現れる。そして、あの目は“疑い”始めていた)
王都の奥深く、毒が蔓延するこの場所で――
一つの魂が、少しずつ凍りついた心を溶かし始めていた。