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なろうラジオ大賞6

散歩の終末

作者: 壊れた靴

 今朝の散歩は三歩で終わった。もちろん、実際に三歩で終わったわけではない。ダジャレというものである。それくらいの誇張は許されるだろう。だろう、ではやや尊大に響くかもしれない。許されるといいな、では能天気すぎるし、許されるのではないかな、くらいにしておこう。

 とにかく、私の散歩は中止やむなしとなったわけである。やむなし、では止まるという漢字が連続するな。いかにも美しくない。余儀なくされた、としようか。

 しかし、余儀なくされた、とはどの程度の事情であればそう言えるのだろうか。

 たとえば、私に隕石が直撃したのであれば、なるほど余儀なしである。もっとも、その場合、私の生命活動は停止を余儀なくされた、としたほうが適当な気もする。

 その隕石が目の前に落ち、道を完全に破壊した場合ではどうだろうか。まだ他の道があるではないか、とか、無理やりにでも進むことが出来るではないか、とか言われたら、はぁ、ごもっともで、と答えるしかないのではないか。

 そこは寛大な心でもって、私としては余儀がなかったのです、という、こちらの心情を理解してもらいたいものである。

 何の話だったろうか。そうそう、散歩の話だった。

 私は毎朝、散歩に出ている。天気の悪い日や、単に気の向かない日には散歩に行かぬこともあるので、毎朝というのも、もちろん事実としては誇張されているが、私の心情としての毎朝であるということを理解されたい。

 目的も持たず、一人ふらふらと近所を歩くだけであるが、懐も痛まず、健康にもそれなりによろしいはずなので、中々よい運動であると思っている。

 ふらふら、はいかにも頼りない感じではあるが、ぶらぶら、では僅かながら目的のようなものが感じられるし、よろよろ、あるいは、よたよた、では歩くこともままならぬのでは、という疑念が沸き起こってしまう。

 以前はやや遠くまで足を延ばすこともあったが、考え事をしていたためだったか、同じ場所をぐるぐると回っていたところを、誰ぞに呼ばれたらしい官憲に見咎められてからは、近所のみに限定したのである。

 限定したのである、と言っても、あくまで私の心積もりの話であって、何か具体的な策を講じているわけではないが。

 さて、そんな私の散歩であるが、今朝は三歩での中止を余儀なくされたのであった。

 うむ。これで語るべきことは語れたのではないかな。

 ところで、どこに通報すればよいのだろうか。

 私は目の前で燻ぶる隕石を眺め続けた。

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