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ep.13-2・高貴なる賓客


 そうしてパーティーが始まるまで数分と迫ったところに、突然 静謐(せいひつ)な魔力が会場を満たした。

 明鏡止水という言葉そのままに、透き通っていて、しんと冷たい水の魔力である。


 それまでおしゃべりや笑い声に包まれていた会場が水を打ったように静まりかえる。


 息をのむ招待客の前にぞろぞろと女性たちが姿を表した。

 禁欲的な濃紺のドレスに、シミ一つない純白のエプロン、きっちりとまとめ上げられたシニヨン——メイド服の形式を踏襲しつつも、修道女のような厳格さを漂わせる制服に身を包む彼女たちは、皇城勤めの侍女たちである。

 それを従えられる人物は、この国で数えるほどしかいない。


 よく訓練された近衛騎士のように侍女たちが整列すると、パーティー会場に二人の少女が入場する。


 一人は最上級の絹を染めて紡いだかのような黒髪とどこまでも透き通るような清水あるいは暗い深海を思わせるような青の混ざった瞳を持つ少女だ。顔立ちこそ幼げだが浮かべる表情は凛としている。何より、その身にまとう清廉な魔力こそが彼女を象徴するだろう。

 青の神子、一ノ瀬 彩葉だ。


 そしてもう一人は水流神マイムケセドの加護を一身に受けたような濃く鮮やかなロイヤルブルーの髪と瞳を持つ少女。氷晶から作られた彫像のように白く透き通る肌と整った顔立ちは氷冷の女神カルマルクトの寵愛を感じさせる。その容貌から、仕草から漂う重々しいまでの気品は、彼女がただならぬ立場にあることを示していた。

 彼女の名はレヴィアテレーズ・エトルシェ・ド・ル・ソルモンテーユ。

 ソルモンテーユ皇国の皇女である。


 麗しき美少女たちを見て人々は感嘆の吐息を漏らすと同時に、これ以上ないほど高貴な来賓の登場に驚嘆の声を上げた。



 イロハは少し戸惑った様子で、レヴィアテレーズは慣れきったように案内を受け、会場に用意されたテーブルへ向かう。


「お招きいただき感謝します。けれどどうか気を楽に……本日のわたくしは長らく姉のように慕ってきましたセレスティナの祝福に参った、ただの少女に過ぎません」

 レヴィアテレーズは微笑み、淑女の礼をとる。王侯貴族としての自覚ノブレス・オブリージュを体現するかのような優美で嫋やかな所作だ。

「そしてこちらのイロハ嬢も目的を同じくして参りました」


「はい、わたしもセレスティナ様の祝福に駆けつけました。一緒に楽しめたら嬉しいです」

 イロハもレヴィアテレーズに(なら)い淑女の礼を取る。そのぎこちなさはデビュタントを迎えたての幼い少女のようで微笑ましい。



 しかし二人が口にした『セレスティナの祝福に駆けつけた』という理由を聞き、招待客のいくらかに動揺が走る。


 何しろセレスティナは“青の神子”イロハを(おとし)めたために皇太子から婚約破棄されたと噂になっている。


 実兄である皇太子との関係が悪化したとはいえ、皇女レヴィアテレーズとセレスティナは姉妹のように過ごしてきた間柄だと言われている。そんな皇女がセレスティナの祝福に駆けつけるのはまだ納得はできる。


 しかしながら(おとし)められた当事者であるはずのイロハがセレスティナの祝福に駆けつけるという状況は不可解極まりない。


 まさかセレスティナに脅されたのだろうか? いや、“青の神子”は皇族よりも強い権力を持つ。脅迫など意味がないはずだ。

 それに心底から嬉しそうな表情を見れば『祝福に駆けつけた』という理由もあながち嘘ではないのだろうと察することができる。

 だとすると(ちまた)に流れている噂は……?


 イロハとレヴィアテレーズの登場は、人々の関心を引き寄せ、好奇心をかき立てた。



 だがこれでパーティーの賓客は全員揃った。

 いよいよ婚約式の始まりだ。



 最初に壇上に上がったのは聖職者だ。その青い衣から水流神マイムケセドに仕える司教だということが分かる。

 彼はざわめく会場を制するようにパンパンッと手のひらを打ち合わせる。

 聖堂でよく使われる合図だ。お祈りを始める前に信者たちを静かにさせるために用いられている。


「紳士、淑女の皆さま。お集まりいただきありがとうございます。本日、若き二人の結婚の誓約が結ばれるはこびとなりました」

 聖職者はよく通る声で告げる。

「それでは主役であるお二人に入っていただきましょう。ディートヴェルデ様とセレスティナ様です。皆さま、拍手でお迎えください」



***


 そんな司教の言葉が響く少し前に時は巻き戻る——。


 入場を控え、会場の扉前で待つディートヴェルデ。


 普段ならこういった場でもいつも通りに振る舞えるのだが、多数の来賓に加え、皇女殿下と神子まで出席するという異例なほど豪華なパーティーに、らしくもなく緊張していた。


 そもそも人生の大半においてパーティーの主役に仕立て上げられることなんて無かったのだ。主役になったとして、誕生日パーティーくらいで、それも身内だけでやるひっそりとしたものである。

 それがどういったわけか、こんなにも豪奢な宴の主役になるというのだから、人生どう転がったかわかったものではない。


 そう思考を巡らすことで緊張を紛らわそうとしていた彼の耳に、コツコツとハイヒールの靴音が聞こえてくる。


「ディートヴェルデ様、セレスティナ様がお越しになりました」

 セレスティナの専属メイドであるクロエがディートヴェルデにそう告げた。


「ああ」

 ディートヴェルデは頷き返し、彼女の方を振り返る。

「お待たせいたしました」

 セレスティナはディートヴェルデに微笑みかける。


 セレスティナは鮮やかなターコイズグリーンのドレスに身を包んでいた。

 ビスチェの胸元やスカートの(すそ)に金糸で絡み合う(つる)薔薇(バラ)の文様が刺繍(ししゅう)され、たっぷりと布地をたくわえて作ったフリルを何層にも重ねたスカートは綺麗なベルラインを描いている。肩やデコルテは精緻(せいち)なレース細工で覆われ、手首まで柔らかく それでいてぴったりと包むような袖を作っていた。


 アクセサリーは金の台座に大粒のエメラルドがあしらわれたものだ。これはディートヴェルデが身に着けているアクセサリーと共通のデザインである。


 華やかでありながら清楚なその装いは、あの卒業パーティーで“悪女”と(ののし)られた悪役令嬢と同一人物だとは思えない。

 おとぎ話に出てくる、森のお姫様のようだ。


「ディート……?」

 セレスティナがディートヴェルデの目の前で、ひらひらと手を振る。

「っ! ああ……悪い」

 すっかり見惚れていた。ディートヴェルデはバツが悪そうに(かぶり)を振る。

「ふふ……どうかしら?」

 セレスティナはくるりと回ってドレスを見せる。その仕草も表情も、とても楽しげだ。


「すごく似合ってる」

 ディートヴェルデは素直に感想を伝えた。その反応にセレスティナも満足げに頷く。

「ありがとう。……ディートも素敵ですわ」

「そうか?」

「ええ。とってもよくお似合いでしてよ」

 セレスティナは目を細めて、ディートヴェルデの服装を褒める。


 肩肘張って堅苦しいばかりの格好だと思っていたが、セレスティナに褒められるなら悪くない。

 ディートヴェルデはついつい顔を緩ませてしまう。


 しかし入場を(うなが)す声に、きりりと表情を引き締める。セレスティナの隣に立つ以上、情けない顔を見せるわけにはいかない。


 気付けばディートヴェルデの頭から緊張の2文字は消え失せていた。


「参りましょう」

「ああ、行こう」

セレスティナが手を差し出す。ディートヴェルデはその手を恭しく取り、会場へ続く扉を開いたのだった。



***


主役である二人が入場すると、会場にはさざなみのような静かな驚きと海に立ち込める霧のような感嘆のため息が広がった。



 濃淡の違いこそあれど揃いで身につける色は、皇国を象徴する青と辺境伯領を象徴する緑を調和させたようなターコイズグリーン。



 社交界の華、それも大輪の薔薇のようと例えられるセレスティナのドレス姿は当然のごとく美しい。

 だが夜会の装いと打って変わって、露出を抑え装飾すら刺繍と布を手繰り寄せたフリルのみというシンプルなドレスだ。しかしながら慎ましやかなデザインは、セレスティナの美貌を損なうことなく、むしろ新たな側面を引き出すように引き立てている。

 綺羅(キラ)綺羅(キラ)しいシャンデリアに照らされる大輪の赤薔薇ではなく、緑豊かな庭園で燦々と降り注ぐ日光を浴びる香り豊かな白薔薇……今のセレスティナを例えるならそんな表現がぴったりだろうか。



 ディートヴェルデもまた会場の注目を集めていた。


 辺境伯に二人の息子がいることは広く知られており、長男ジークハルトは皇城専属の庭師を務めるだけあって有名だ。一方、次男であるディートヴェルデは謎めいた存在だとされていた。表に出ることが極端に少ないためである。

 しかし彼が品種改良を手がけたという花がジークハルトの手で皇宮の庭園に植えられ、人々の目を楽しませていることは事実である。目の覚めるような黄色の花弁を持つ薔薇(バラ)公爵夫人(Duchesse)はその代表とも言えるだろう。

 そんな辺境伯家の秘蔵っ子とも言うべき次男坊が初めて表舞台に立つのが、この婚約式および婚約披露パーティーなのである。


 婚約者がかの社交界の華ということもあり、見劣りがするのではないかとも思われていたが、現れたのは生命力に溢れる精悍(せいかん)な青年であった。

 くっきりとした目鼻立ちに、猛禽のような黄金色の瞳……しかしセレスティナに向ける目は蜂蜜のようにとろりと甘い。日に焼けた小麦色の肌と鍛え上げているのであろう引き締まった体は騎士を思わせる。蒼々(あおあお)とした深緑の髪と爪を染める真緑は生命の女神テヴァネツァクの加護をこれでもかとばかりに見せつけていた。



 驟雨(しゅうう)のように降り注ぐ拍手を浴びながら堂々と並び歩く二人の姿は絵画のようであった……あのパーティーに出席していた賓客の一人は後にそう語る。

 だが結婚式はもっと素晴らしいものだった、とも。



***


 セレスティナを伴ってディートヴェルデは会場の真ん中を歩く。


 めったに使わないほど広いホールいっぱいに人が集まっていた。雨(あられ)のように降り注ぐ拍手も、じろじろと無遠慮に向けられる視線も、ディートヴェルデにとっては不慣れなもので、少し居心地悪く感じる。

 だがセレスティナはずっとこれを浴びてきたのだろう。それももっと多くの人々から浴びせられるものを。これくらいはそよ風に吹かれた程度といった余裕の表情だ。


 前方にある壇上、白日教の司教の前に設けられた階段でディートヴェルデは足を止めた。ちょうど司教の一段下にあたる場所だ。そこは他の階段に比べて広くスペースがとられており、踊り場のようになっている。


 司教はディートヴェルデとセレスティナの顔にそれぞれ視線を向けてじっくりと眺め、そして顔を上げ会場を見渡すように視線を二人の背後に投げかけた。

「ご紹介いたしましょう。サヴィニアック辺境伯家令息ディートヴェルデ様、サンクトレナール公爵家令嬢セレスティナ様でございます」

 司教の紹介を受け、ディートヴェルデとセレスティナはくるりと背後を振り返り、それぞれに礼をする。

 再び拍手が起こった。


 向き直った二人へ司教は婚姻の何たるかを語った。

 恋愛や婚姻は熱を司るハムホド神の権能だ。水流神マイムケセドの神官たるこの司教の専門ではないが、多くの婚姻に立ち会ってきた彼にはもはや慣れたもののようだ。すらすらとありがたい説法を紡いでゆく。


「ここに婚姻契約書をお持ち致しました。こちらに署名をいただくことで、婚約が成立したことが正式に記録されます。この婚約に異議申し立てがございますか?」

 司教はセレスティナとディートヴェルデに問いかける。二人は揃って否を唱えた。


「それでは、こちらに署名を」

 司教の言葉に従い、ディートヴェルデとセレスティナはペンを執る。


 こうして連名でサインをする場合、婚家——嫁もしくは婿を迎える側——の者が先に署名する慣習となっている。

 まずはディートヴェルデがミドルネームを含む長ったらしい名前を書き、その下にセレスティナの名前が添えられた。

『Dietverde Doigt-Vert de Savignac』

『Celestina du Cinquetrenard』

 二つの名前が並んでいるのを見ると、なんだか面映い気持ちになる。ディートヴェルデはつい口端を緩ませてしまった。


「この契約をもって、お二人の婚約が成立したことをここに宣言いたします」

 司教は契約書を恭しく掲げ、宣言する。

 会場から大きな拍手が湧き起こった。会場内に反響して海鳴りのようにごうごうと鳴り響いているような錯覚に陥るほど。


「若き二人に白日の導きと神々の祝福あらんことを」

 司教はそう締めくくり、しめやかに一礼をして壇を下りた。



 これで堅苦しい式典の時間は終わり。ここからはパーティーの時間だ。



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