ep.13-1・パーティーの始まり
婚約披露パーティーを控え、辺境伯邸はこれ以上無いほどに賑わっていた。
両家はもちろんのこと親戚に当たる貴族や大きな取引のある商人、婚約の成立を見届ける聖職者など多種多様の人々が辺境伯邸を訪れている。
現時点で最も格式の高い賓客は、もちろんと言うべきかサンクトレナール公爵家である。
数日前から辺境伯邸に滞在している彼らは、食事の席などにおいてもホストである辺境伯に次いで上座に座り、他の客人たちから羨望と畏怖の視線を集めていた。
もしも皇族が来たとすれば、その席をあっさりと譲り渡すであろうが。
パーティー直前ともなると、辺境伯家はいよいよ忙しない雰囲気に包まれる。
パーティーが開かれるのは昼前からだ。
まずは婚約式としてディートヴェルデとセレスティナは聖職者の前で婚姻契約書にサインをすることになる。この契約書こそが婚約の証となり、神殿および国で保管されることになる。そして聖職者の口から婚約の成立を知らしめることで、この婚約が神々も認めるところにあることを示すのだ。
それからようやくパーティーを始めるという段取りになっている。
どうやらセレスティナは朝早くから準備をしているらしい。姿を見ていない。
ディートヴェルデは会場の最終チェックを終え、ふう、と息をついた。
ようやくこの日を迎えられた。
あの夜からセレスティナがややぎこちないような気もするが、忙し過ぎて話し合う時間を持てなかった。
気がかりはそれくらいだろうか。
「ディート、そろそろ用意した方がいいぞ」
専属執事のディルが呼びに来た。どうやらもう時間のようだ。
ディートヴェルデは頷き、控室へ向かったのだった。
***
パーティーにおける男の準備はすぐに終わってしまう。
正装と靴、襟にさすブートニア、そして髪型を整える程度。
皇都貴族なら化粧もするのだろう。だが、ディートヴェルデは日焼けしているので既製品の化粧品と色味が合わない。おかげで下地やファンデーションやコンシーラーなんてものは使ったことがない。
ならアイラインやアイシャドウは使うのかと問われると、それも使わないのである。リップはなおさらだ。
そのため生まれてこのかた18年、ディートヴェルデは完全すっぴんで生きている。
着替えもほとんど自分でできるが、正装のモーニングコートはシルエットが大切だ。
執事ディルに手伝ってもらいながら着替えていく。
セレスティナのドレスはターコイズグリーンの予定だ。
そのためディートヴェルデの衣装にもターコイズグリーンが使われる。
モーニングコートは、セレスティナのまとうカラーより深い青緑色をメインにしている。華美なのは好まないのでコートに刺繍は入れていない。しかし襟の折り返しが黒に染められているおかげで、のっぺりとした印象はなく、引き締まって見える。
スラックスは細身のものを。
シャツも奇を衒わず白のスタンドカラーだ。
モーニングコートやシャツがシンプルなぶん、ウェストコートは遊びをもたせるようだ。光沢のある淡い色合いの布地に緻密な蔓薔薇模様の刺繍が躍っている。
タイもウェストコートと同様、光沢のある淡い色合いの布地に緻密な刺繍が施されており、金の土台にエメラルドの装飾がついたアクセサリーで留められている。カフスにも同じような意匠の装飾がついていた。
髪型はいつも通り……とは行かず、いつもより手間をかけて見えるものに整えられる。
髪には魔力が宿るという迷信がある。
実際の魔力保有量や魔法の才覚とは無関係であることを既に証明されてはいるが、“緑の指”は男であっても髪を長く伸ばしている場合が多い。
ディートヴェルデもそのご多分に漏れず髪を伸ばしていた。しかし植物ほど熱心に手入れはしていないので、朝起きてざっくりまとめるだけのいい加減なハーフアップにしている。
ところが今日は人前に出ることもあってか、いつもより入念に櫛を入れられ、髪を左右一房ずつ三つ編みを作って後ろにまとめるという髪型に整えられた。
ハーフアップには違いないが、何だか頭が窮屈な気がする。
「動きづらい」
ディートヴェルデが文句を言うと、ディルが苦笑する。
「そのくらい我慢しろよ。この先、何度もこういう格好をする機会があるかもしれないんだぜ?」
「そりゃあ勘弁願いたいな」
農夫とか田舎者とか言われようが、リネンシャツとズボンのような質素な格好をする方が過ごしやすい。どうも礼服の類は肩が凝る。
(父さん、よくこんな格好で仕事できるよなぁ……)
しかもこの格好で宮廷に立ち、貴族を相手に侃々諤々とやり合っているというのだから恐れ入る。
ディートヴェルデは上手く上がらない肩を回しつつ、控室を出たのだった。
***
婚約披露パーティーの会場は庭に面した広間だ。大きく扉や窓が開け放たれ、開放的な雰囲気だ。庭にもテーブルや椅子が並べられており、自由に出られるようになっている。半ばガーデンパーティーのような様相だ。
限られた土地しかなく、広大な庭園を持つことの難しい皇都では見られない形式である。
もちろん庭だけでなく屋内の会場にも花々が飾られ、彩りを添えている。
しかし芳香は微かに香る程度に、そしてパーティーの主役が霞まないよう、華やかになり過ぎないよう上品にまとめられている。
その絶妙なバランスは、さすが皇宮庭師を産み育てた家だと人々の賞賛を誘った。
ところが当の皇宮庭師——ディートヴェルトの兄、ジークハルトはというと……。
「うーん……差し色にしたかったんだろうけど、白や淡い暖色にまとめてるところにマゼンタはちょっと合わないんじゃないかなぁ」
花瓶に生けられた花を数本ほど引っこ抜き、《グロース》で育てたオレンジの花と入れ替える。
「ここは葉物が多過ぎないかい? もう少し彩りを添えてあげよう」
今度はそんなことを言いながら観葉植物に別の花を添える。
そんな半ば奇行とも言える振る舞いをしつつ、会場のフラワーアレンジメントに手を加えまくっていた。
主催者の手配した装飾に手を加えるなんて、普通ならあり得ない。会場から蹴り出されてもおかしくないほどの愚行だ。
しかしジークハルトは辺境伯家の身内である。
それに彼が手を加えた後は、コンセプトを守ったままにもかかわらず、目に見えて見栄えが良くなっている。
そんな理由もあり、彼の行動は見逃されていた。
パーティーが始まったらおとなしくしてくれればいいだろうという判断らしい。
なので来場した賓客たちも、そっと彼の奇行から目をそらすのだった。
「見て、お父様、お母様。建物の中までお庭のようだわ!」
「そとの おにわも すごくひろいよ!」
セレスティナの妹ルナスターシャと弟ヴェスペリアスが嬉しそうに両親の顔を見上げた。
姉の晴れ舞台ということもあり、二人とも正装している。
「よしよし、後で庭を見せてもらおうか」
サンクトレナール公ギュスターヴは微笑ましそうに目を細め、二人の頭を撫でる。
「好きなお花があるか探してみましょう。きっとあなたたちの気に入るものが見つかりましてよ」
公爵夫人オフェリアもおっとりとギュスターヴの隣に並び、燦燦と日光の降り注ぐ庭へ目を向けた。
「けれど、外に出るには日焼けが心配になりますわね……」
和気藹々とした会場の中で、サヴィニアック辺境伯ハッケネスは忙しなく動き回っていた。
来賓の対応もそうだが、せっかく祝いに来てくれた馴染みの商人たちとも話をしなければならない。
何せ長男であるジークハルトは、知らないうちに皇都の令嬢にぺろりと食われ、婚約をすっ飛ばして結婚してしまったので、こうした催しを開くのは初めてなのだ。
本日の主役であり、次期辺境伯である次男ディートヴェルデのためにもできる限りのことはしておきたい。
「この度はご子息さまの婚約おめでとうございます」
「婚約者は公爵令嬢だとか……」
「将来が楽しみですね」
口々に並べられる美辞麗句に「ありがとう」と返し、席へ案内していく。
まださざめきこそ収まらないものの、会場を埋める客入りを目にしてハッケネスは満足そうに頷いた。




