ep.12-4・両家顔合わせ(4)
窮屈というか、大変愉快というか、まだ寝てすらいないのに二日酔いの悪夢のような空間から解放され、ディートヴェルデはようやくひと息ついた。
結局、辺境伯領で醸造したワインだけでなくウイスキーも開けることになり、さらには北方シュヴィルニャ地方から取り寄せたウォッカなるほとんど純アルコールのような酒も開けてしまった。
おかげでまだ足元がふわふわする。
えっちらおっちら自室に向かおうと歩き出したところで、セレスティナに呼び止められた。
「ティナ……まだ起きてたのか?」
「ええ、廊下が騒がしかったから様子を見ておりましたの。そうしたらお父様たちが運ばれて行きましたから、あなたが心配になってしまって……」
「ん……それはごめん。俺は大丈夫。まだ歩けるよ」
「でもふらふらしていますわよ。一人で部屋まで帰れますの?」
ディートヴェルデは大丈夫だと言ったものの、セレスティナは疑惑の目で見てくる。
「いいえ、このまま放っておいては間違いなく行き倒れてしまいますわ。わたくしも部屋までご一緒いたします」
そう言うとディートヴェルデに寄り添うように腕を絡める。するとちょうど腕がセレスティナの胸に寄せられる形となり……。
あ、当たってる……!
むにゅっとダイレクトに伝わる感覚——ドレス越しには味わえないものだ——に、ディートヴェルデの心臓はバクバクと早鐘を打つ。
セレスティナは夜着に上着を1枚羽織っただけの格好……つまりかなりの薄着である。
暑さの厳しくなる雷火の月、寝苦しい夜もあるほどだ。寝るときに薄着なのは当然と言えば当然なのだが……今のディートヴェルデにとっては劇物に等しい。
「まあ……お顔が真っ赤ですわ。随分とワインをお嗜みになったのね」
セレスティナが心配そうに見上げてくるが、ディートヴェルデの心中は穏やかではない。
入浴した後なのか、髪がしっとりとしている。いつもは整えた髪型も解いて風に遊ばせるままにしているのも新鮮で、そして色っぽい。
化粧も落としているとはいえ、元々の顔立ちが整っているので、その美しさは健在だ。むしろ自然体という感じがしてディートヴェルデの好みだったりする。
意外に目元が優しげであることやほんのり色づいた子どもみたいな頬をしていること、口紅を塗らずとも唇がぷるんと艷やかなこと、意外なことがいろいろと見えてしまい、普段とのギャップもあってドキドキする。
「ティナ……ティナ、もう支えなくていい。俺、ちゃんと歩けるから」
酔いによるものか緊張によるものか、頭がふわふわして思考がまとまらない。
おかげでディートヴェルデの言葉はしどろもどろだ。
しかしこのままではヤバいとなけなしの理性が告げている。
ただでさえ酔っ払っているせいで天秤は本能に傾きかけなのだ。そんなところにこんな刺激の強いものを与えられたら、今のディートヴェルデでは獣になりかねない。
「遠慮なさらないで。部屋の前までなら良いでしょう?」
善意から言っているのは分かる。
だが、このまま廊下で二人きりなのはまずい。
酔っているディートヴェルデ、薄着のまま寄り添うセレスティナ。見る人によっては“何か”あった後と思われてもおかしくない。
酔ったディートヴェルデがセレスティナに無体を働いたというより、どちらかというとセレスティナがディートヴェルデを酔わせて襲ったと勘違いされそうだ。
如何せん辺境伯家にはそういう前例——言わずもがな辺境伯とその夫人である——がある。使用人がそう思っても何らおかしくない。
「て、ティナの部屋の前まででいいから。俺、そこから一人で帰る」
頑として譲らないディートヴェルデに、セレスティナは頬を膨らませて不満を示すが、全力で目を逸らしているディートヴェルデは気付かなかった。
「ティナ、そろそろ手ぇ離して」
「嫌ですわ」
「俺まだ公爵に殺されたくない」
「お父様はそこまで狭量でなくてよ」
「公爵夫人に殺されちゃうかも……」
「お母様はこの婚約を喜んでおいでですわ」
「……俺、まだティナにひどいことしたくない」
ディートヴェルデがそう言うと、セレスティナは「むぅ……」とまた頬を膨らませて黙り込んだ。
これで分かってくれただろう。
ディートヴェルデは内心、ホッとする。
しかしセレスティナは諦めていなかった。
ディートヴェルデの襟元を掴み、ぐっと引き下げる。半ば倒れ込むようにしてバランスを崩したディートヴェルデの頬に柔らかいものが触れた。
えっ、と思う間もなくセレスティナが離れてしまう。
ディートヴェルデは咄嗟にその手を掴んだ。
振り向いた彼女を抱きしめ、腕の中に閉じ込めてしまう。
一連の流れをほぼ反射的に行ってしまい、ディートヴェルデはこの後どうするべきかとあわあわした。
だがいつまでも抱きしめているのも良くない。
ええいままよ、とセレスティナの顔に自分の顔を近付け、一番に触れた場所へ唇を触れさせた。
そしてパッと解放すると、セレスティナは一目散に部屋へ駆け込んでしまう。
バタン、と目の前で乱暴に閉められたドアを見て、ディートヴェルデは一瞬にして酔いが醒め、冷静さを取り戻した。
あれ? もしかして俺、何かやっちゃいました……?
***
「馬鹿、馬鹿、馬鹿! ディートの馬鹿!!」
自室に帰ったセレスティナは、ベッドに潜り込み、枕を抱きしめて悶えていた。
「どうしてあんなことするの! わたくしにひどいことしたくないって……もう十分ひどいですわ!!」
ディートヴェルデが触れた額に手を当てる。まだ熱を持っているかのようで、心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「ディートの馬鹿……わたくしの気持ちも知らないで……」
セレスティナはぎゅっと目を瞑る。
瞼の裏に焼き付いている、ディートヴェルデの顔。熱に浮かされたような目と上気した頬、いつもは見せないような雄の表情。
思い出すだけで胸が高鳴る。心臓が早鐘を打つ。顔が熱くなるのが嫌でも分かる。
ディートヴェルデは自覚していないようだが、彼だって顔立ちは整っているのだ。
きっと異国の血が入っているのだろうエキゾチックな雰囲気の漂う目鼻立ちは、まるで判子を押したように同じような容貌が揃う皇立学院の中では際立って見えた。
それに陽の光をたくさん浴びたであろう小麦色に焼けた肌は、青い静脈の透けるほど白い肌の貴族たちとはまた違った魅力に溢れているのだ。
そして騎士と見紛うほどに鍛えてある体も——今思えばあの体は畑仕事の賜物だろう——貴公子を名乗るひょろひょろのもやしに比べて頼りがいがあって素敵だ。
田舎貴族、田舎貴族と馬鹿にしている割に、学院には彼に惹かれる令嬢たちが意外に多かった。
彼の持つワイルドな魅力が、他の生っ白い貴族令息たちと比べると新鮮で、知らず知らず目を惹かれてしまうのである。
そんなワイルド系イケメンのくせに、ディートヴェルデは一向にセレスティナへ手を出そうとしない。
紳士的に婚前交渉を避けているといえばそれまでなのだが、自身の顔立ちだけでなく身体にも絶対の自信を持つセレスティナからすれば、本当に解せないのである。
先程だって酔っている彼なら……と薄着で近付き、彼の部屋に押し掛けようと思ったのに、逆に部屋まで送られ、小さな子どもを相手にするように額にキスをされてしまった。
それは嬉しい。
確かに嬉しいのだが……。
「ディートの馬鹿……」
セレスティナは枕を抱きしめる腕に力を込め、もう一度 同じ言葉を呟いたのだった。




