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ep.1-1・皇都を出て

 緩やかに流れる大河を2隻の船が進んでいく。


 1隻は、豪奢な造りのゴンドラだ。赤い塗装に金の彫刻が輝く船体は、ソルモンテーユ皇国でも随一の財力を誇るサンクトレナール公爵家のものである。


 水棲馬(ケルピー)2頭によって牽引されているその船は、大河を行き交う船からの視線を端から()(さら)っている。

 何しろ手懐けるにも世話をするにも非常に手間がかかる水棲馬(ケルピー)を2頭も従えているのだ。そんなことができるのは、皇族か、貴族の中でもかなりの財力を誇る家だけである。


 それだけに人々からは羨望と畏怖を持って見つめられていた。



 一方もう1隻の船は、いかにも実用性重視といった無骨な外観をしていた。その上にはトランクや箱が大量に積まれ、まるで貨物船のような様相を呈している。

 隣国シュヴェルトハーゲンから輸入されたエンジンで動くそれは、低い音とともに水面を震わせ、前方を走るゴンドラを追いかけていた。




「どうしてこうなった……」

 ディートヴェルデは、虚ろな目でつぶやいた。

 窓越しに堅牢な貨物船を羨ましげに見つめる。本来、彼はあちらに乗って辺境伯領まで帰るはずだったのだ。それがどうして公爵家の絢爛豪華なゴンドラに乗せられているのか……。


「そろそろお諦めになってはどうですの?今更嘆いても遅いですわよ」

 向かい側に座っていたセレスティナが、呆れたような声で言う。


 ディートヴェルデが公爵家のゴンドラに乗っている理由、それは、彼女が一緒だからだ。


 皇太子に『辺境伯家へ輿(こし)()れせよ』——つまり『ディートヴェルデと婚約しろ』と命じられたセレスティナ。

 彼女は、新たな婚約者のもとへ向かう準備もまともにさせてもらえず、パーティーの翌朝には、皇都を追い出されるようにして出発させられていた。


 そして時を同じくして、皇都を出発しようとしていたサヴィニアック家の船を見つけ、ディートヴェルデを説き伏せて相乗りするに至ったのである。


 もちろん荷物は全てサヴィニアック家の船の方に積んだ。荷物だけで公爵家のゴンドラを2隻出そうとしていたところを、辺境伯家の船1隻で済んだのは幸運と言えるだろう。



「こぼれたミルクのことを嘆いてたって仕方ありませんわ。為ったことは為ったこと。恨み言を吐く暇があるのなら、一刻も早くわたくしを辺境伯領へお連れなさい」


「……ええ、承知致しました」

 つんけんとしたセレスティナの物言いに、ディートヴェルデはため息をついた。


 セレスティナの言う通り、一貴族に皇太子の宣言を撤回させるだけの力はない。


 しかし、あくまで決定を下したのが皇太子であるため、皇帝がどう出るかによっては状況も変わってくる。

 それでも、セレスティナがすぐに皇都へ戻ることは難しいだろう。


「全く……辺境に()もるのもほとぼりが冷めるまでのつもりでしたのに、ルシュがあんなに馬鹿だなんて……!」

 セレスティナが忌々しげに吐き捨てる。

 その言葉に、ディートヴェルデは無言で肩をすくめた。



 セレスティナが辺境伯領に行きたがったのは、国外追放を免れるためだったのだろう。


 どうせ他からはほとんど見向きもされない土地だ。皇都の貴族からすれば、異国も同じに違いない。


 セレスティナは恐らく辺境伯領でしばらく待ってから再び皇都に返り咲こうとしていたようだ。しかしディートヴェルデと婚約させられた以上は、諦めざるを得ないだろう。



「わたくしとの婚約を破棄するなんて何を考えているのかしら……きっとアレの頭には脳みその代わりに綿菓子でも詰まっているに違いありませんわ」

 セレスティナは、ルシュリエディトに対する罵倒を延々と続けている。


 彼女の気持ちは分からなくもない。

 何しろ、彼女はルシュリエディトの婚約者であり、皇太子妃として皇家に尽くしてきたという経緯がある。

 それを薄情にも、皇太子はあっさりと切り捨てたのだ。“神子”に心変わりしたから、という自分本位な理由で。



「本当に災難ですよね……俺みたいな田舎貴族に嫁がされるなんて」

 ディートヴェルデのつぶやきに、セレスティナは眉根を寄せた。


「あら、あなた、自分を卑下なさるの?」

「えっ?」

 予想外の反応にディートヴェルデは目を丸くした。そんな彼に、セレスティナは冷ややかな視線を向ける。


「このわたくしが妻になるのですよ? 光栄に思いこそすれ、落ち込む必要などないのではなくて?」

「はぁ……」

 ディートヴェルデは曖昧にうなずく。


 しかしセレスティナが、本気でディートヴェルデと結婚する気でいることを意外に思った。


 セレスティナは、社交界の華だ。

 絶世の美女と言っていい。

 一点の曇りもない白磁の肌に、金を紡いだような波打つ長髪、スッと通った鼻筋に、形のよい唇、瞳は青空を切り取ったような澄んだ空色。どこを見ても非の打ち所がない。

 彼女は、誰もが認める美貌の持ち主なのである。


 故に、これだけ尊大で自信に溢れていることは決して不思議ではない。むしろ当然のことだ。



 どこか煮え切らない態度を崩さないディートヴェルデに、セレスティナは苛立った様子を見せた。

「なんですの、その返事は! もっと嬉しそうにしなさい!」


「はい……」

 ディートヴェルデは気の抜けた返事をする。


 納得いくものではないが、肯定を得られたことにセレスティナは満足げに微笑み、ぐっと身を乗り出す。


「よろしい。それでは貴方にわたくしのことを“ティナ”と呼ぶ許可を与えましょう」

「ティナ?」

「ええ。親しいひとはわたくしをそう呼びますの」

「なるほど……」

 ディートヴェルデは、困惑しつつつぶやいた。


 てっきりセレスティナには嫌われるものだと思い込んでいたが、こんなにグイグイと距離を詰めて来られるとは思わなかった。

 愛称で呼ぶことを許されたということは、それだけ彼女も気を許しているということだろうか。


「ティナ様」

 試しに呼んでみると、間髪入れずに「やり直し」と返ってきた。


「ティナさん」

「やり直し」


「ティナ嬢」

「……ふざけていらっしゃるのかしら?」

 意外に辛辣だ。ディートヴェルデを渋面を作った。


 彼女にふさわしい敬称を思いつく限り挙げてみたのだが、全部却下されてしまった。

 残る手段は一つだけだ。まさか……とは思いつつ、怒られるのを覚悟で口にする。


「……ティナ?」


 恐る恐る呼んでみると、セレスティナは花の咲くような笑顔を浮かべた。


 ディートヴェルデは内心ほっとする。いきなり愛称を呼び捨てするのもどうかと思ったが、これが正解だったらしい。



「ええ、それでよろしくてよ。わたくしも貴方をディートとお呼びしますわ」

「は、はい」

 ディートヴェルデは、気圧されて思わずうなずいた。


 「それと……」とセレスティナは続ける。


「不本意としても、わたくしと貴方は婚約者なのです。他人行儀な話し方は今すぐにおやめになって。良いですわね?」


 ディートヴェルデは閉口する。さすがに元皇太子妃に気安い口を聞くのは躊躇われたからだ。

 しかし苛烈と名高いこの令嬢を怒らせるのも得策ではない。


「分かりま……いや、分かった。これでいいだろうか?」


 妥協して言うと、「よくできました」と言わんばかりに満面の笑みを向けられた。



(なんだか調子狂うな)

 ディートヴェルデは内心ぼやく。

 セレスティナのペースに乗せられっぱなしだ。


 ディートヴェルデはマイペースな性格だ。それは自他ともに認めるところにある。


 誰かとパイを奪い合うくらいなら、のんびりと自分で小麦から育てて作ってから食べるタイプである。


 誰もが用意されたパイに夢中でこちらを振り向かないのを良いことに、今までそうやって生きてきた。

 おかげで誰かにペースを乱されるという経験はほとんどなかった。


 そもそもディートヴェルデはセレスティナと比べ、家格が下になるため、主導権を握るも何もない。


 とはいえ、自分が誰かに翻弄されている状況が、ちょっと新鮮でもあった。



 2隻の船はゆっくりと大河を(さかのぼ)る。


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