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ep.7-1・皇都からの使者

「今後の方針を話しておきたいんだ」

 サンドイッチを(つま)みながらディートヴェルデはそう切り出した。



 目の前に置かれた3段積みのティースタンドには、セオリーに則って1段目にサンドイッチ、2段目にスコーンが載せられている。そして3段目には季節のフルーツと冷菓が並んでいた。

 もう暑さも厳しくなってくる時節だ。焼き菓子よりもひんやりしているものが人気なのだろう。



 唐突なディートヴェルデの言葉に、セレスティナはサンドイッチの端をかじったまま、彼の方を振り向く。


 薄く切られたパンにスモークサーモンとクリームチーズの挟まったサンドイッチだ。クリーミーで爽やかな酸味のあるチーズとスモーキーで塩味の強いサーモンのマリアージュが素晴らしい。


 しかしながらサーモンが上手く噛みきれず、かといって口に含んだものを吐き出すわけにもいかず、そんな葛藤(かっとう)の末、不調法(ぶちょうほう)かつ少し間抜けな姿だが、『聞いている』という姿勢は示そうとディートヴェルデの方へ振り向いたのだった。


「あー……食べながらでもいいぞ。そんなにかしこまった話じゃないから」

 ディートヴェルデはそう前置いて話し始める。

 セレスティナはお言葉に甘えてサンドイッチを頬張ることにした。



「ティナさえ良ければ、婚約お披露目(ひろめ)の機会を早い時期に設けようと思ってる」


 それを聞いて、セレスティナは目をぱちくりと瞬かせた。


 確かに婚約関係にはなったが、まだ身内の間で話が進んだだけで、対外的には発表していない。


 そもそもディートヴェルデとセレスティナの婚約は皇太子の気まぐれで決まったものであり、皇帝および各卿それから評議会が了承しているとも思えない。

 まずは皇宮に連絡を取り、この婚約が有効であるか確認する必要があるだろう。


 そんなセレスティナの懸念(けねん)を読んだかのようにディートヴェルデが答える。


「事実確認の書簡は既に父——辺境伯が皇宮に提出してる。俺たちが辺境伯領に戻ってきた日にはもう出してるはずなんだがな……」

 そこで一度言葉を切り、ディートヴェルデはため息をついた。

「……返事がまだなところを見ると、正式な回答が届くまでにまだまだ時間はかかりそうだ」


「それでもお披露目(ひろめ)の準備をする理由は?」

 ディルが切り込むように訊ねるとディートヴェルデは神妙な面持ちで深く頷く。


「早い話、ティナの背後に俺——というか辺境伯家がついてることを喧伝しておきたい」


 それを聞いてディルは意味ありげにニヤニヤと笑う。

「へえ、それはまた随分思い切った提案で」


「さっきの件で身に()みて分かった。きちんと事実を公表するべきだ。そうでないと、さっきみたいな野郎がまた押し掛けて来かねない……俺を悪く言うならまだ良いが、ティナを馬鹿にされるのは我慢ならない」


 さらりとそんなことを言われ、セレスティナは顔に出さないまでも少しばかり含羞(はにか)んだ。


 ほんの数日前になったばかりの婚約者なのにこんなに大切にしてもらえたら照れもする。

 10年以上婚約関係にあった馬鹿皇太子とは雲泥(うんでい)の差だ。


「……とはいえ、俺に女性が必要とする準備は分からないからな。だからクロエ、君にも準備を手伝って欲しい。むしろ君が主体になってティナの準備を進めてもらえると助かる」

「わ、私ですか!?」

 これまで空気に(てっ)していたところをいきなり指名され、クロエは()(とん)(きょう)な声を上げた。


 クロエはまだメイドとしても若輩(じゃくはい)だ。セレスティナの専属ではあるが、裁量を任されている範囲は決して広くはない。

 まして女主人の用意をさせてもらうなんて、初めての経験だ。


 クロエは途端に緊張でガチガチになる。


「クロエ、気負わなくて良くってよ。いつもの通りドレスやアクセサリーの用意をしてちょうだい」

 セレスティナにそう言われ、ホッと胸を撫で下ろしたようだ。

「かしこまりました、お嬢様」


「俺とディルは会場の用意と招待客の選定をしようと思う。もし招きたい相手がいたら遠慮なく言ってくれ」

「ええ、良くってよ。招待客については少し考えさせてくださる?」

「分かった」


 頷きつつ、ディートヴェルデはサンドイッチに手を伸ばす。


 シンプルな胡瓜(キュウリ)のサンドイッチだ。お茶会の定番とも言える。

 だがハーブソルトで水気を抜いたのだろう。シャキシャキとした食感の中に胡椒とも違う爽やかな香味がある。パンに塗るバターもあえて控えめな味のものを選んでいるらしく、胡瓜(キュウリ)の素材感が全面に出ている印象だ。


 しゃくしゃくと手のひらの半分ほどしかないサンドイッチをかじり、紅茶を一口。

 これぞ午後の紅茶だ。

 ディートヴェルデはそう思う。



 セレスティナとディートヴェルデがサンドイッチを楽しむ様子を見て、つられるようにクロエはスコーンを手にとった。


 ポクリと割ってみると、きれいに半分に割れる。生地はまるでパイ生地のような層を作っている。それでいて表面はこんがり、中はしっとりとした質感を保っているのだから、なるほどこの店の菓子職人は腕が良いのだろう。 

 濃厚なクロテッドクリームをのせて口に運ぶと、スコーンがほろほろと崩れてクリームと一緒に溶けていく。

 まさに理想のスコーンと言ったところか。


 紅茶の香りを邪魔しないのも良い。


 皇都のパティスリーに並ぶお菓子だってもちろん美味しいが、なんだか主張が強過ぎて紅茶と合わないこともしばしばあるのだ。

 主人たる公爵令嬢に召し上がっていただくなら、味だけでなく紅茶との相性も考慮するのは当然の(たしな)みと言える。


 セレスティナもスコーンを口にして、顔を(ほころ)ばせた。


辺境伯領(ここ)の料理は、どれもこれも美味しくて困ってしまいますわ」

 そう眉尻を下げるも、その表情は嬉しさを隠しきれていない。


 けれど確かに、辺境伯領に来てから危機感を覚えているのは確かだ。

 このままでは、ドレスのサイズが変わってしまうかもしれない。コルセットを締める紐の余りが短くなってきているのは、その前触れだろう。


「ティナは細過ぎる。もっと食べてもいいくらいだ」

 ディートヴェルデはそう言って、セレスティナの皿にスコーンをもう一つのせた。ついでにクロテッドクリームとジャムを引き寄せ、彼女に勧める。


 渡されたスコーンがディートヴェルデの分であることを知っているので、セレスティナは少し逡巡する様子を見せたものの、せっかくくれたのだから……といただくことにした。


 ひとつひとつの所作に気品と洗練を求められるセレスティナは、大口を開けて頬張るなんてことはできない。


 だが時間を掛ければ掛けるほど、クロテッドクリームはスコーンの熱に溶けて垂れてしまう。

 そこで考えられたのが、ジャムを先にのせるという方法だ。

 これなら多少時間が経っても、クロテッドクリームとスコーンが直接触れ合うことはないため、クリームが溶けて垂れることもない。


 ジャムは今が旬のアプリコットだ。甘酸っぱさの中に特有の芳醇(ほうじゅん)な香りがあって、焼き菓子や紅茶によく合う。


 半分に割ったスコーンにアプリコット・ジャムを厚く塗り広げ、さらにその上にクロテッドクリームをどっさりとのせる。

 クリームはのせ過ぎくらいがちょうど良い。カロリーなど考えるだけ野暮(ヤボ)だ。




 ちょっとずつスコーンを(かじ)り始めたセレスティナを、ディートヴェルデは穏やかな表情で眺めている。


 婚約者へ愛おしげな視線を送るディートヴェルデを見て、ディルは半分驚き、半分呆れにも似た感情を抱く。


 どうもディルの主人には溺愛の素質があるらしい。


 ディートヴェルデの父——辺境伯だって皇都貴族を(だま)くらかす狸親父のくせに、愛する妻にはデレデレで頭が上がらないのだ。


 蛙の子は蛙とでも言うべきか、ディートヴェルデが嫁の尻に敷かれ、そのくせ嫁を溺愛するであろう未来予想図をディルは前々から描いていた。


 だがまだ婚約(仮)の状態でこれは少々行き過ぎではなかろうか。


 皇宮からの返答次第では、セレスティナは皇太子の婚約者に逆戻り。ディートヴェルデと離れ離れになってしまう可能性はゼロではないのだ。


 そして、こんなにも心を傾けた相手を奪われたディートヴェルデがどうなるかなんて、ディルとしては考えたくもない。


 良くも悪くもサヴィニアック辺境伯家の人間は執拗(しつこ)い。いくら切っても繁茂する蔦のごとく粘着質で諦めの悪い気質の者が多いのだ。


 良くて裁判沙汰(ざた)、最悪のケースではサヴィニアック辺境伯領が皇国から離反しかねない。

 もしも離反したらシュヴェルトハーゲンの傘下に入って自治権を獲得して特別自治区になるか、ミトラ=ゲ=テーア共和国の勢力圏に入って守ってもらうしかないだろう。どっちの道を取っても皇都との全面戦争は避けられなさそうだ。


(面倒なことになりませんように……)

 ディルは内心本気でそう願いながら皇都のある東の方角を拝んだ。


オルケテル(陽光の神)様、マイムケセド(水流の神)様、カルマルクト(氷冷の女神)様……とにかく神様お助けください)

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