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プロローグ・騒乱の卒業パーティー (前編)



「セレスティナ・デュ・サンクトレナール! この俺、ルシュリエディト・エトルシェ・ド・ル・ソルモンテーユは、お前との婚約を破棄する!!」



 その声はどんな音楽よりも高らかに響いた。きっと皇帝の御言葉や聖職者の説法よりもよく聞こえたことだろう。


 しかしその内容は前代未聞だ。


 まず時と場を弁えていない。

 ここはソルモンテーユ皇国、皇都ロークレール。その中心に聳える皇城でも、随一の広さと絢爛さを誇る大広間である。


 そして、ここでは今まさに皇立学院の卒業パーティーが行われているところだった。

 多感な少年少女時代の6年間を共に過ごしてきた学友たちとの日々を振り返り、別れを惜しむための集いであり、自らがひとりの紳士淑女として完成したことを恩師と後輩たちに見せる披露の場でもある。


 そんな場で、皇太子ともあろう青年が婚約者――つまり将来の皇后を相手に婚約破棄を宣言したのである。

 本来であれば婚約破棄は、当事者間で内々に処理すべき物事だ。それを声高らかに告げた皇太子の言葉に会場は静まり返った。


 だが、そうして呆気に取られるのも一瞬のこと。

 すぐに会場はざわめきに包まれた。



 それも当然と言える。何しろ、この国の次期皇帝となるべき人物が一方的に婚約破棄を申し出たのだ。

 しかも、よりにもよって、皇国一の財力を持つと目されるサンクトレナール公爵家の令嬢セレスティナに対してである。


 これはただごとではない。

 何かよほどの事情があるに違いない。

 それは一体……? 誰もが固唾を飲んで見守る中、皇太子ルシュリエディトは芝居がかった仕草で両手を広げて見せた。


「ふっ、皆まで言う必要もあるまい。俺は気づいてしまったのだよ」


「何をでございますか、皇太子殿下?」

 すかさずセレスティナが尋ねる。


このような場面で発言許可なく口を出すなど、本来は不敬極まりないが、今は誰も咎めなかった。

 それほどまでに皇太子の発言は衝撃的だったからだ。


「俺は真実の愛に気付いたのだ。この胸の奥から溢れ出る情熱を抑えきれない!」

 皇太子は熱に浮かされたように頬を上気させて言った。


「俺が本当に結ばれるべきは“青の神子”イロハだったのだ!神の遣わしたる彼女こそが、皇太子である俺に相応しい! これは間違いなく神の思し召し、高貴なるマイムケセド神の導きである!!」


 その言葉を聞いた瞬間、それまで静かに事態の推移を見守ろうとしていた人々が一斉に息を飲み込んだ。



 “神子”とは、その名の通り、神によって遣わされた存在だ。それぞれが使命を持って異世界よりこの世界(カイムスフィア)に降り立つ。

 何を為すかは神子に委ねられている。だが彼あるいは彼女の行いが、国の命運や世界の行く末を大きく左右することは確かであった。


 そして、“青の神子”はこのソルモンテーユ皇国に降り立った神子である。

 名は一ノ瀬 彩葉(イロハ・イチノセ)。まだ齢16の少女だ。


 この国には珍しい黒髪と、皇族に並ぶほど美しい紺碧の瞳を持つ、神秘的で、しかしあどけなく愛らしい雰囲気の少女である。

 彼女は、その身に宿す清廉な魔力と(たぐい)(まれ)な魔法の才覚により、学院内でも異彩を放っていた。それでいて決して(おご)ることなく、謙虚で慎ましい振る舞いをしてきた。

 そんなところも人を惹き付けてやまない理由であろう。



 そんな彼女に心を奪われたひとりが、皇太子ルシュリエディトだった。


 彼は自らの恋心を自覚するとすぐさま行動に出た。学院を卒業したらすぐに結婚しようと申し込んだのだ。……婚約者がいるにも関わらず。


 もちろん断られるなどとは微塵も考えていなかった。

 だが、結果は無残なものとなった。

 彼女はルシュリエディトの求婚を断ったのである。


 理由は『わたしには皇太子妃として求められる能力が不足しています』。

 そして『殿下には婚約者がいらっしゃいますから……』という至って常識的なものだったが、彼にとっては青天の霹靂(へきれき)であった。


 だがルシュリエディトはしぶとく、そして自分本位な考えの持ち主であった。


 きっとセレスティナに脅されたに違いない! 彼女との婚約を破棄すれば、きっとイロハは結婚してくれるはずだ!


 そうしてルシュリエディトは皇帝に申し出た。もちろん断られた。

 婚約者セレスティナにも申し出た。『わたくしの一存では答えられませんわ』と断られた。


 ならば強行手段しかあるまい。この会場に居る者が証人となるのだ!

 そんな考えで行われた、婚約破棄宣言であった。


 そして、その言葉は会場の隅々にまで行き渡り、人々は皆一様に顔色を失くした。

 まさか皇太子は“神子”と結婚したいがために婚約破棄を宣言したのか……?



「まぁ……」

 ルシュリエディトによる婚約破棄宣言を聞いて、セレスティナは目を見開いて息を呑む。


 普通の令嬢なら(むせ)び泣いて崩れ落ちても良い場面でそれは、誰がどう見ても軽すぎる反応だ。


「……わたくしとの婚約を破棄したいというお気持ちはわかりましたけれど、せめて理由をお聞かせ願えないでしょうか? どうしてそのような結論に至ったのか、それがわからぬ限りは承服しかねるのですけれども」

 セレスティナはパサリと扇を開いて目元から下を隠した。


 泣き顔を隠すような仕草に、ルシュリエディトが笑みを深める。


「いいだろう。来い、お前たち」

 ルシュリエディトに呼ばれ、4人の青年が前に出る。彼の取り巻きたちだ。


「これが証拠です」

 彼ら4人は証拠と称してひとつの魔導具を取り出した。

 それは記録に使われるレンズ・クリスタルだ。


 レンズ・クリスタルとは、円形の板状に加工されたクリスタルで作られた魔導具で、これを通して見た場面を記録し、魔法で映し出すことができる。

 どんな属性であれ、魔力があれば使えるので、この世界では広く流通している。


 1人がレンズ・クリスタルを取り出すと、他の3人が協力して水のスクリーンを魔法で作り出した。そこへ記録が映し出される。



 まず表れたのは切り裂かれた衣服だ。

 この場にいる者なら誰でも分かる。学院の制服である。主に女性が身に纏う可憐な衣装は、無残にも裾や袖が切り裂かれ、着るのも恥ずかしいほどに破れていた。


「これは……」

「そう、これはセレスティナがやったことなのだ!」

 静止画を前にルシュリエディトが声を張り上げる。

「我が愛しの“青の神子”イロハの可憐さに嫉妬したセレスティナは制服を切り刻み、イロハを辱めようとした! このような蛮行許してはならない!」


「わたくしがそのようなみみっちいことをするはずがないでしょう?」

 セレスティナがぼそっと呟くが、ルシュリエディトには到底届かないだろう。



 画像が切り替わる。

 次に映し出されたのは破られたノートと壊れたペン、中身のぶちまけられたインク瓶だ。

 それを見て学生たちが「おお……」と呻き声を上げる。これはまさに悪夢のような光景だろう。


 ルシュリエディトは憤懣(ふんまん)やる方なしといった調子で語った。

「この通り、セレスティナは青の神子 イロハに嫌がらせをしたのだ! 可哀想なイロハ……大切なノートとペンをこんなことにされて、どんなに悲しい気持ちになっただろう。ああ、もちろん新しいものは俺が買い与えたとも! 勉学に励む彼女のなんと健気なことだろう!」


「新しいノートに今までの内容を写させたのはわたくしなのですけれどね」

 またもやセレスティナがぼそっと言う。



 さらにスクリーンの場面が切り替わった。次は映像のようだ。

 どうやら遠くから撮ったものらしい。窓越しにイロハと数人の女子が見える。

 立ち話をしている様子だったが、その会話の内容は聞こえない。しかしイロハが何かを言うと、彼女たちは笑いながら、わちゃわちゃと騒いでいる。


「ああっ、なんてことだ! あの女どもはイロハを囲んで、嫌がる彼女を嘲笑っている! なんて不敬で無礼なんだ! すぐに罰してやらねばなるまい!!」

 ルシュリエディトは怒りに顔を赤く染めて拳を振り上げた。

「あれを指示したのはセレスティナ、お前なんだろう! この卑怯者め、自分の手は汚さず目下の者に命じてやらせるとはな! 上位貴族の風上にも置けぬやつだ!」


「単純にふざけあってるだけでしょう、あれは……どちらも笑っているじゃない……そして盗撮してる貴方たちは何なのかしら」

 セレスティナが呆れたようにため息をつく。



 ひとりでヒートアップするルシュリエディトに対し、周囲の反応は微妙だ。


「セレスティナ様がこんなことを……?」

「けれど画像だけでは……」

「あの映像も遠くから撮ったものだし、顔も分かるか微妙だったな」

「でもセレスティナ様ならやると言われたら納得してしまうかも……」

「本気を出せば怖いお方だからな」


 ざわざわする会場を制するようにルシュリエディトが声を上げた。

「よって俺はここに宣言しよう! この国で最も尊き存在である“青の神子”イロハを不当に傷つけた罪、万死に値する!! だが俺は慈悲深きマイムケセドの信徒。寛大さを持って死刑だけは勘弁してやろう」

 腕を目いっぱい振り上げ、そこらを歩き回り、ルシュリエディトは舞台俳優のように声を張り上げる。


「どうだ、セレスティナ? 何か弁解はあるか? 発言如何によっては罪科を軽くしてやってもいいぞ」


 場の空気が張り詰める。

 会場に居る面々が、セレスティナの挙動に注目していた。




 そんな中、この物語の主人公ディートヴェルデは、面倒くさいことになったなぁ……と諦観の顔をしつつ、人々の輪から一歩離れたところでちびちびと果実水を舐めていた。

「……あっ、いいなこれ。帰ったら再現してみるか」



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