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オヤジのリーバイス

作者: 藤村ひろと

安物のブレンデッドスカッチを水でも飲むように呑み、タバコのヤニでまっ黄色になった歯を見せてにやりと笑う。リーバイスのうすぎたねえオーバオールをエンジンオイルまみれにしたその姿は、リーバイ・ストラウスが見たらため息をつくだろう。


それとも、喝采を送るだろうか?


まあ、とにかくそれが俺のオヤジだ。


いや、オヤジだった。


オヤジはバイク屋だ。自分と同じように貧乏で金にならねえむさくるしい客やダチどもに囲まれて、いつもうれしそうに笑っていた。そして客やダチのために、おんぼろガレージで年がら年中バイクをいじっていた 。


そのオヤジは去年の暮れ、驚くほどあっけなく逝った。 いや確かに荒っぽいオヤジだったけれど、別に抗争に巻き込まれたり事故で逝ったわけじゃない。 病気で逝ったのだ。たくさんの仲間に看取られて、まあ幸せな死に方だったんじゃないかと思う。


親父がバイク屋を始めた頃、俺もオフクロもこの金にならない客どもが忌々しくてならなかった。


貧乏生活から抜け出したいのに、こいつらのせいでぜんぜん儲からないってな。 だが何せこいつらは、普段はめちゃくちゃ愛想が悪いくせに、心を開いた相手には底抜けに明るい開けっぴろげの笑顔で近寄ってくる。そこにウラなんてまったくない。


俺やおふくろの腹立ちも長くは続かず、気づけば一緒になってガレージで飯を食ったりしていた。


いつも親父のダチだの客が出入りし、まるで大家族みたいだった。おかげで貧乏はずっと貧乏だったけれど、俺の家には笑い声の絶える日はなかった。 ガレージにはいまだにオヤジの友人たちがやってくる。彼らは親父が死んだ夜、遠いヤツははるか数100キロ彼方からバイクに乗って集まってきてくれた。


葬式でクソみてえな親戚どもがオヤジの借金の押し付け合いをしている最中、彼らは黙ってオヤジの亡骸なきがらの前に座り、一人づつ声をかけてくれた。 そのあと『俺が親父の借金を背負う、てめえらには世話にならねえ』と言うと、安堵のため息を漏らして帰っていった親戚ども。


ヤツらとは反対に、そのダチどもは一晩中ガレージで飲み明かしていた。


なんだかまだソコに親父が居るような気がして、俺も一緒になって呑んだ。彼らはみな、俺をオヤジの息子だというよりは、一人の友人として扱ってくれた。


それがうれしかった。


俺はこの荒っぽいが心底気持ちのいい連中が大好きだ。彼らのためにおんぼろガレージの鍵は開けっ放しになっていたし、ソコにはいつも誰かしらがやってきていた。


親父は好き勝手に生きて死んじまった。

借金しまくって始めたバイク屋も、儲ける気がねえちっとも金にならねえ商売をしていたから、なんの蓄えがあるわけでもない。かといって土地だの金目の物を持ってるわけでもねえ。仕方なくおふくろと俺は、一生懸命働いて親父の借金を返しているところだ。


結局、継がねえつもりだった親父の店を継ぎ、安物のバーボンを水のようにあけ、タバコは煙突のごとくふかし、リーバイスのうすぎたねえ569を引きずって歩くようになった。


もちろん、バイクにも乗っている。


カエルの子はカエルってところかね。


 


そんなある日、叔父が訊ねてきた。


オヤジの弟だが、俺はこのおっさんが大嫌いだった。もっとも本人の方は嫌われているとは露ほども思っていないらしく、やたらと慣れ慣れしい。それがまたムカつくんだが。



「なあ、テッド。ちょっとお願いがあるんだが、いいかな?」


「なに?」


「俺にも、兄貴の形見分けをして欲しいんだよ」



葬式の時、親父に借金があると聞いたとたん、いつの間にか姿を消していたような男が、どのツラ下げて形見分けだ? と 腹が立ったがしかしまあ、オヤジの弟であることには違いない。形見分けくらいはしかたねえか。


俺は黙ってうなずいた。



「そうか。よかった。それじゃあ、兄貴の服でももらって帰ろうかな」



バイクをよこせなんていったら、ケツを蹴っ飛ばしてやろうと思っていたのだが、まあ服くらいなら構わないだろう。おふくろがいいと言うかは判らないが、これでも一応オヤジの弟なんだし。



「オヤジの部屋に残してある」



これ以上この男と口を利きたくなかったので、俺はそっけなくそう言った。叔父はなにやらひどくゴキゲンな様子で、俺の家に入っていった。俺はムカつく気分を吹き飛ばしたくてガレージへ向かう。きっと誰かが来てるだろう。そこでバカ話でもすれば、もやもやした気分も吹っ飛ぶに違いない。


ガレージに入ると案の定、バッカスが自分の単車をいじっていた。


俺が入ってくるのを見ると、軽く手を上げる。



「やあ、バッカス。故障かい? 珍しいね?」



バッカスの単車は日本製だから、ほかの連中のと違って、めったに故障しないはずなのだが。



「ば~か、故障なんてするもんか。俺のホンダは絶対、故障なんかしないんだ」



いくらホンダだって故障することもあるだろうと思うが、バッカスはこのバイクを溺愛しているので、余計なことは言わないでおく。



「ああ、それじゃまた、何かパーツを?」


「見てくれよ! ついに出たんだ」


「ん? おぉ! ターボか」



ボルトオンターボで有名な会社が、バッカスの単車用のターボキットを出したのだ。そりゃあ、彼じゃなくたって有頂天になる。



「高かったろ?」


「ああ、二週間悩んで、501XXを売った」


「あの大切にしてたリーバイスかい? あんなモン、売れるんだ?」


「バカたれ。あの501はもんのすげえビンテージなんだぞ? 一万ドルで売れたさ」


「い、一万ドルぅ? そんなに高いのか?」



俺は思わず天を仰いだ。


と、同時にいやな予感がする。



「ねえバッカス。もしかしたら、俺のオヤジもビンテージのジーンズをもってたのかい?」


バッカスは鋭い目つきで俺を見た。



「それを聞いてどうする? オヤジのジーンズを売っ払おうって言うのか? そいつは、いくら息子でも駄目だ。あいつのコレクションはすべて、お前のおふくろさんが困ったとき金に換えてやってくれって、俺たち仲間に言い残してったものなんだからな」



へえ、オヤジのヤツ、そんな味なことを言い残してやがったのか。ちぇ、カッコつけやがって。


一瞬、胸がいっぱいになる。


それから俺の内心なんぞもちろんわからないで、こっちを睨んでいるバッカスの視線に気づいて、あわてて両手を振ると、さきほど叔父が来て服を持っていくと言ってた話をした。バッカスは話を聞いて、 ようやく愁眉を開いた。



「なるほど、そういうことか。そうだなぁ……親父さんは色々ヴィンテージを持ってたが、一番高いのとなると……ああ、確か、19世紀のハンドメイド、ビブ・オーバオールを持ってたはずだ」


「高いものなのか?」


「値段なんかつかねえよ。リーバイス本社にだって残ってないんだからな。世界中のコレクターがよだれをたらして欲しがるさ。だが……」



バッカスの話の半分で、俺は駆け出していた。


親父の形見を、あんなヤロウの金に換えられてたまるか。



「おい、待てよテッド」



俺は振り向くと、バッカスに向かって言った。



「あのヤロウ、親父の弟だと思って甘く見てりゃ調子に乗りやがって。親父の形見を薄汚い金に換えられてたまるか 。全部おふくろのために使えって、親父も言っていたんだろう?」


「わかってるよ。俺も同じ気持ちだ。いいから最後まで話を聞けよ」



バッカスはいやに落ち着いた様子で歩み寄ってきた。


 


家の前まで来ると、中から大声で怒鳴る声が聞こえてくる。間違いない。おふくろの声だ。


駆け込んでみると、叔父に向かっておふくろが、ショットガンを突きつけているところだった。


「おお、いいところに来てくれた。テッド、お前から母さんに言ってくれないか? 弟の俺には兄貴の形見をもらう権利はあるだろう?」



ぶん殴りたいのを我慢しながら、親父の部屋へ引っ込むと、オーバオールを持ってきた。



「これが欲しいんだろうが? 何が親父の形見だっ! 借金があるって聞いた時は逃げ出したくせに、金目の物があるとわかったら、俺たちには教えずに黙ってかっぱらおうって言うのか? ずいぶんの虫のいい話だ」


叔父は黙ったまま下を向いてしまった。基本的には気の弱い小悪党でしかないのだ。


俺はここで語気を弱めると、叔父に向かって低い声で言った。



「そんなにこれが欲しいなら、くれてやる。その代わり、二度とこの家に顔を出すな」


「テッド!」



叫んだおふくろを、目で制す。


差し出されたオーバオールを見ながら、叔父は半信半疑といった様子でのろのろと手を出した。その手にオーバオールを押し付けると、俺は虫を払うように叔父へ向かって手を振る。消えてくれ、つー気持ちを露骨に表してな。


叔父は少し気分を害したような顔をしたが、それでもお宝が手に入った喜びの方が強かったのだろう。オーバオールを仔細に調べて、それが例のヴィンテージ物だと確認すると、何も言わずに帰っていった。その横顔がニヤニヤとだらしなく緩んでいるのを、俺は見逃さなかった。


と、おふくろが俺に食って掛かる。



「テッド、なんだってあんな男に、父さんの大事な形見をやっちまうんだいっ! アレは……」


「大丈夫だよ、心配しなさんな、エヴァ」



俺の変わりに答えたのはバッカスだ。おふくろはバッカスの方を見ると、語気も荒く問いかける。



「バッカス、どういうことだい?」



おふくろにキっと睨まれて、バッカスは薄ら笑いを浮かべる。さすがに腹が据わってるな。俺なら間違いなく縮み上がっちまうってのに。いや、おふくろは怖いんだぜ? ホント。



「ありゃ、ものすげえヴィンテージ品なんだ。半端な値段なんかつかねえくらいのな。だから、お前さんの旦那はリーバイストラウス社と約束したんだよ。自分が死んだら、アレを寄贈するって」


「でも、あいつが持って行って……」


「あの男にアレを裏で金に変える力はない。だとしたら表のオークションに出すしかないだろう。そこで確実にリーバイストラウス社に持っていかれるよ。金を払う必要はないんだ。寄贈するって約束を、文書で取り付けたものなんだから。裁判所に申し立てて、無料で取り返す さ」


「でも、違うものだって言われたら?」


「駄目さ。細かいところまで、すべて写真にとってあるんだ。簡単に証明できる」



バッカスの後を俺が引き取る。



「つまりあいつは、決してあのオーバオールを金に換えることはできないんだ。リーバイストラウス社に持っていかれるのを、指をくわえて見てるしかないのさ」



もちろん、それだけで済ますわけには行かない。


あのヤロウには、キツいお灸をすえてやるんだ。



「で、だ。おふくろ。頼みがあるんだが、ちと、一緒に来てくれ」


「どこへだい?」



俺とバッカスは顔を見合わせて、意地悪くにやりと笑った。



「盗難届けを出しに、さ」


 

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