鋼鉄の希望
───side葛原由真
戦況は最悪。目の前には全裸のトドカヌヒビ。あの泥による拘束はヒーロー相手にしか発動しないらしい。最強のヒーロー相手にしてなお薄布を纏えるだけの余裕があった最強の怪人。その全力。
「チッ」
本体の拘束に割かなくていい分聖奈のときより格段に本数の増えた泥の槍。そのすべてが急所を狙い四方から襲い来る。
すべての迎撃は不可能。しかしどれかを避ければどれかが当たる。
「雷鳴!!!」
怪人の超常的な肉体であれど一瞬だけ動きを止める音圧も一切の効果を見せず槍が突き進む。
「チッ、止まんね───」
叩き砕き蹴り落とせど、潰れた泥はすぐに槍とし屹立する。ただでさえ避けやれない数に加えて落とした槍は動きを阻害するってんだからやってらんねえ。
左手に刺さる。右足に刺さる。脇腹に、胸に、頬に。
幸いにして怪人として強力な筋肉と硬い毛皮に阻まれて貫くことこそないが、動きが鈍る。それにつられて新たな傷が増える。そして気付けば狼はハリネズミに。
「笑えねえ」
笑えねえ冗談。ネズミなんぞになるつもりはないし、ましてや針山になるつもりもない。
穴だらけの体に鞭打って前へ進む。泥はもう操れないのか、それとも操るまでもないのか、折れた槍のまま微動だにしない。
「笑えよ」
ふらふらと歩みを進め無表情の少女の下へ。そこにあるべき弱者への嘲りも、甚振る愉悦も、ましてや敵に向ける警戒すらない無感情。
その瞳に俺を映していないにも関わらず、その肢体がバネの様にハネる。左。いや、これはフェイント。本命はみ───
「ガハッ!!」
右脇腹に刺さる重く深い一撃。ともすれば先程の槍よりも深刻なダメージ。
あり得ない。明らかに無視しても痛くないフェイントだった。少なくともここまでの威力があるわけがない。あの体勢からここまでダメージを与える事が出来るわけがない!
「ゴッ、ガッ!!」
右の拳が突き刺さり、崩れた体勢を回し蹴りで地面に叩きつける。30cmは体格差があっただろうに、綺麗に足が首に吸い込まれ純粋な力のみで引き倒された。
いや、薄々勘付いてはいた。俺の体を貫通できないような泥の槍が最強のヒーローを止められるわけがない。こいつの本領は近接格闘なんだ。そして父さんの日記が本当ならばトドカヌヒビの怪人としての機能はあの泥のみ。すなわち───
「ほぼ生身でこれかよ」
怪人“トドカヌヒビ”は素で怪人を、ヒーローを圧倒出来るバグった運動能力と身体、そしてそれを的確に運用する戦闘センスを持ち合わせている。
「…かしいだろ」
強者の余裕か、あるいは倒れ伏す者は敵と見做す価値もないと言いたいのか追撃をしてこない。
「おかしいだろうが!!!」
それだけの強さがあってなんで恐れた。それだけの強さがあってなんで焦がれた。
「父さんは苦しんでた!!なのになんで殺した!!お前は殺せないんじゃなかったのかよ!!」
感情が爆発する。日記から読み取れるだけでも父さんと母さんは友人として彼女を心配していたし、彼女を元に戻したいと思っていたのに。なのにこいつはそれを踏み躙った。二人を殺した!
「ぶっ殺してやる。父さんと母さんと、それから真木さんの思いなんて知るか。てめえが踏み躙ったんだ」
怪人もヒーローも変身のきっかけは変わらない。すなわち感情。何かしらの感情が高まりきるとその正負に応じて怪人かヒーローとなる。
ではすでに怪人と化したあとにさらに感情が昂ぶればどうなるか。その変容はすぐさま現れた。
「こいよ。俺はまだ立てるぞ」
牙も爪も鋭く、禍々しく。体躯はより大きく、その毛皮は厚く。聞こえる音はより広く、操る音はより多彩に。
「来ねえならこっちから!!」
先程よりも素早く、力強い踏み込み。少女の懐へ。体格差がありすぎて潜り込むのは厳しいが、それでも目の前には無防備な腹。速度に対応される前に拳を振り抜き───
「消えっ、チッ」
瞬間移動かという速度で背後に回り込まれ、そのまま叩き込まれる蹴りをギリギリでガードする。地面に摩擦痕が残る移動ってなんだよ。裸足だろ。
「チッ、クソがっ!」
相手は偽りすら真実にする身体能力。その一挙手一投足が致命の一撃になりうるからこそ無視できない。それなのにこちらの攻撃はすべて避けられるか受け止められまるでダメージを与えているようには思えない。
「死ね、死ねよ!!」
ただ我武者羅に振っても当たらない。されど狙ったところで当たるわけでもない。だというのに相手の攻撃はそのすべてが一撃必殺の技足り得る。そうして精神を擦り減らすだけの戦いでは当然気が滅入るわけで、そうなれば余分な考えが頭を過ぎる。
もし、俺があの時躊躇わなければ。あのままトドメを刺すことが出来ていれば───
「ガッ!」
なんだ、何にやられた!?奴は目の前にっ!……泥の槍?
前の俺の毛皮すら抜けなかった槍が今より硬く、厚くなった毛皮を抜いて脇腹を背中から腹へ貫いている。なんだ、どういう……ああ、最初から手を抜いてやがったのか。泥の槍は役に立たないという印象を植え付けて俺の思考から外れる瞬間を狙ってやがった。自分で言ったじゃねえか。偽りすら真実にするって。
「クソっ」
届かない。そもそも実力が足りてなかった。ヒーローに絶対に勝てないからヒーローをぶつけて敗北した瞬間を狙うという前提が崩れたのなら即座に逃げるべきだった。
ヒーロー……そうだ。聖奈はどうなった。
「くっ、ぐっ」
見れば白光に焼かれながらも相討ちになるスターレインの姿。怪人の方は遠くてよく見えないが気を失っているようで、聖奈の方も辛うじて意識が残っているだけの状態。変身が解除されているのならトドカヌヒビに狙われることは───
「ああ、そうだ」
変身を解除する。ぽっかり空いた腹の傷を庇いながら一歩一歩ゆっくりと倒れる聖奈のところへ向かう。
「借りるぜ聖奈」
怪人と相討ちになり、倒れ伏す聖奈の腰からスターリーバックルを取り、自分の腰に装着する。
「コ、コード…01……」
息も絶え絶えだが、それでも力を振り絞って起動コードを入力してくれる。その言葉を最後に聖奈が気を失ってしまったために二度目の変身は無理そうだ。
『星輝───』
「ちげえだろ」
機械だろうが自分の大切なもん間違えるのは許せねえ。
『Solar Eclipse』
「そうだ。それでいい」
日は陰り───
『Luna Fallen』
月は落ちた。
ならば、
『I'll rise』
ならば、あとは昇るだけ。
「俺たちで、震わせんだよ」
『ビータス!!!』
昇れ、震えろ地球!!心識るならば!!!