悲劇のヒロインぶるなと言われましたので
その瞬間は、あまりにも唐突に訪れた。
「栞奈……!?」
目の前の御令嬢が目を見開く。
眩い金の髪、鮮やかな青色の瞳の持ち主だというのに、彼女が発した言葉は明らかにこの十六年間慣れ親しんできたものとは違う。
だけどそれは、間違いなくかつての私の名前だった。
懐かしい――――けれど、ちっとも嬉しいとは思わない再会。感情が表に出ないよう、私は静かに目を瞑る。
「間違いないわ。あんた、栞奈でしょう!」
令嬢――――と呼ぶには値しない口調で、少女が叫ぶ。喜んでいるのか、はたまた怒っているのか。よくわからない表情を浮かべている。
(まさか、こんな所でレイラに再会するなんてね)
再会、という表現が正しいのかは分からない。だって、この姿で彼女に会うのは初めてなんだもの。
もっと言えば、自分に『前世』なんてものがあるってことを思い出したのが、今からほんの数秒前。戸惑うなっていう方が無理がある。
「――――カンナの知り合い?」
その時、隣からそんな風に問い掛けられた。
見事なまでの銀色の髪に翠の瞳、この世のものとは思えないほどの美しく整ったご尊顔をお持ちの男性で、名前をユージーンという。彼は我が国の王太子であり、私の婚約者だ。
ユージーンはさり気なく、私を庇い、首を傾げる。
「いいえ、殿下。全く存じ上げない方ですわ」
ゆっくりと歌うように答えれば、ユージーンは穏やかに目を細める。
「では行こうか」
相手にするだけの価値はない――――言外にそう伝え、ユージーンは私をエスコートする。
「ちょっ……ちょっと、待って! ……待ちなさいよ! 栞奈、あたしのこと、覚えてるんでしょう? シカトするなんて良い度胸してるじゃない! あんたのせいで、あたしの人生めちゃくちゃになったのに――――」
叫ぶ彼女の目の前に、数人の男性が立ちはだかった。ユージーンの護衛だ。
「何よ、こいつら! 邪魔しないで!」
呆れた。わざわざ『殿下』って呼んで牽制したのに、全然気づいていないんだもの。
大体、血の気が多すぎるのよね。前世の記憶があるのにTPOも弁えられないなんて、真面目に問題なのでは?
「邪魔なのはあなたですわ。殿下の道を塞ぐなんて、あってはならないこと。まさか、そんなことも知らないで、この学園に入学しましたの?」
思わぬ再会で頭に血が上っているんだろうけど、それは私だって同じ。
大体、どうやったら私にも記憶があるって妄信できるのかしら? 突撃できるのかしら。普通は隠すでしょ。普通は。
「あたしは殿下じゃなくて、あんたに用があるのよ!」
醜いがなり声が耳を突く。忘れていた記憶が呼び戻される。
音が、映像がフラッシュバックする。
真黒な髪を振り乱し、レイラと揉み合いになって、私はそのまま道路へ――――
「カンナは俺の婚約者だよ。無礼を許すはずがないだろう?」
ユージーンはそう言って、私の肩を抱いた。震えが止まる。私はほっとため息を吐いた。
レイラは未だ、わーわー何かを叫んでいる。実にみっともない姿だ。これが前世なら――――ううん、前の世界であっても見苦しい行いだ。
「まさか、入学初日に仕事をさせる羽目になるなんて、夢にも思わなかったな」
護衛達を振り返りつつ、ユージーンが苦笑する。私も一緒になって笑った。
「ごめんなさい、ユージーン。あなたが一緒に居る時に、あんな風に言い掛かりを付けられるなんて」
「カンナは何も悪くないよ。しかし、どこの御令嬢だろう? あんな無礼を働くなんて。カンナは知ってる? 君の名前を呼んでいたように思うけど」
「いいえ。全く存じ上げない方です」
知らない。知りたくない。
出来ることなら、彼女の全てを忘れてしまいたい。
レイラと私は、前世で同じ学校に通う同級生だった。
美人で明るく裕福で、クラスの人気者だったレイラ。
入学当初は放課後一緒に出掛けたり、互いの家に泊まるほど、私達は仲が良かった。
だけど、ある日を境にレイラは変わった。
私のことを視界に収めず、声も掛けない。それどころか、声を掛けてもシカトするし、他のクラスメイトを引き連れて陰口を叩く。
ちょうどその頃から、私の教科書や筆箱、上靴に、財布やカバンまでもが隠されるようになった。
『返してくれない?』
犯人は明白。私だって、やられっぱなしだった訳じゃない。
『一体何のこと?』
『被害妄想が過ぎるんじゃない?』
『自意識過剰なんだよ』
『悲劇のヒロイン気取り?』
けれど数の暴力には勝てやしない。
段々相手をするのが面倒になって、私は何も言い返さなくなった。
だけど、そしたら今度はそれが面白くなかったらしい。レイラの行為はどんどんエスカレートしていった。
真冬にバケツ一杯の水を浴びせられ、服をズタズタにされ、インターネットであること無いこと拡散され、私の堪忍袋の緒はついに切れた。
『いい加減にして。私が何をしたって言うの?』
取り巻き達が居ないタイミングを見計らい、レイラの元に詰め寄る。あくまで冷静に。仲介役を交えた話し合いの場を設けさせるつもりで。
『は!? あんた、自分が被害者だとでも思ってるわけ? ふざけんじゃねぇよ! 自分の胸に手を当てて聞いてみな。マジで、悲劇のヒロインぶんなっつーの!』
――――それが、前世で私が耳にした最後の言葉だった。
(ホント、思い出さなくて良かったのになぁ)
完全なる黒歴史――――いや、生まれ変わっているのだから、今の私とは全く関係のない話だ。レイラの方は、そうは思ってないみたいだけど。めんどくさいことこの上ない。
大体、前世の記憶が戻るだなんて、小説や漫画の中だけの話だと思っていた。しかも、私一人だけじゃなくて、レイラにまで記憶があるなんて最悪。神様は私に対してどこまでもシビアらしい。
(いけない、こんなんじゃまた『悲劇のヒロインぶってる』って言われてしまうわ)
悲劇のヒロイン――――そんなものを気取るつもりは一切ない。メソメソ泣いたところで、あいつの思う壷だもの。返り討ちにしてやるぐらいの気概を持たなければ。
そうよ。
今の私には、前世の分までやり返すだけの力があるんだもの。お望み通り、加害者になってやろうじゃない。
(悪いのはレイラなんだから)
ユージーンに気づかれぬよう、私は小さく鼻を鳴らした。
***
「御機嫌よう、カンナ――――様」
レイラの引き攣った笑顔を目の前に、私は唇を引き結ぶ。
(……毎日わざわざご苦労なこと)
学園内のクラスは、家柄と学力を考慮して編成されている。私とユージーンは一番上、対するレイラは一番下だ。教室だって遠く離れているし、普通はズカズカと入室なんてできない。
因みにレイラの学力は下から三番目らしく、お金で入学を買ったと専らの噂だ。
「まあ、酷い。今日もだんまりですの? 折角こうしてお話をしにやってまいりましたのに」
ユージーンが居ない隙を狙い、レイラはこうしてやって来る。周りから『不敬』と咎められないよう、口調だけは令嬢を気取ることにしたらしい。そんな分別を持ち合わせていたことに、私は寧ろ感心した。
「ねぇ、カンナ様は公爵令嬢でいらっしゃるんでしょう? すっごーーい。羨ましいわぁ。
あんたなんて、親ガチャ失敗すれば良かったのに」
だけど、話の内容は相変わらず。私を罵倒するためのものだ。
「ホント、おかしな世界よねぇ。血筋だけで物事が動くんだもの。馬鹿みたいだわ。子どもがどんなに性悪でも、王太子の婚約者になれるんだもんねぇ?」
(……あほらし)
そういうレイラの方は、成金男爵の一人娘に生まれたらしい。礼儀作法をまともに習っていないようで、立ち居振る舞いが前世から殆ど変わっていない。いつから前世の記憶があるかは知らないけど、郷に入れば郷に従えよって思う。
その癖彼女は、前世では親の威光をこれでもかという程利用していた。社長令嬢というステイタスを用い、同級生をまるで家来みたいに扱っていた。
完全なるダブルスタンダード。
もしもレイラが私よりも上の身分で生まれていたら、間違いなく今とは真逆のことを口にしていただろう。
「――――いい加減何か仰っては如何です?」
レイラは眉間に皺を寄せ、私の言葉を待っていた。
が、生憎彼女と口を利く気はない。どれだけ挑発されようと、謙られようと、絶対に。
「酷い女。こんなのが王太子妃になるなんて、世も末ね。あたし、カンナ様に虐められてるの!って言いふらしたら、周りはどんな反応をするかしら? 王太子殿下はあんたのこと、見捨てるんじゃない?」
ドクン。一瞬だけ胸が騒めく。
そんな私の反応を、レイラは目敏く見逃さなかった。
「あら? あらあらあら? ……そっかぁ。嫌なんだ? 殿下に嫌われたくないんだ? それなのにあたしを無視するの?」
愉悦に満ちた声音。出来る限り心を無にする。
今の私は王太子の婚約者で、公爵令嬢。前世とは違う。
前世で彼女が用いた力は、現世では通用しない。
金持ちであることよりも、身分の方が強い。
人が苦しんでいるのを見て喜ぶような馬鹿はこの学園には居ない――――と思う。
無礼を働いて、評判が落ちるのはレイラの方。何も言わなければ、それだけでこの女に仕返しが出来る――――そう思っていたのだけど、嘘を吹聴されたら堪らない。
「――――礼を失している方とお話をする必要はないかと」
こちらが悪者にならない程度に相手をすべきなのだろうか。非常に面倒だし、腹は立つけど。
「馬鹿みたいに気取った物言いね! ホントにつまらない女。いつまで悲劇のヒロインぶってんのかしら? いい加減うざいんだけど」
水を得た魚の如く、レイラが勢いよく捲し立てる。
つまらないなら放っておいてよ。あなたに割くだけ時間が勿体ないんだから。
「中途半端なのよ、あんた。メソメソと泣くことも出来ない。ヒールになる覚悟もない。『私は辛いことに耐えてるんです』って、そういうのが滲み出てんの。分かる?」
だったらどうしろって言うのよ。
レイラのものを隠したところで、悪評を流したところで、何の意味もない。寧ろ虚しくなるだけだ。
「現世では必ず、あんたのその澄ました面を、涙でぐちゃぐちゃにしてあげる。ヒロインはあたしなの。あたしが王子様を奪って、幸せになるところを見ていてよね」
レイラはそう言って踵を返す。思わずため息が漏れた。
***
「レイラ嬢はすごいね」
「……え?」
それから数日後。ユージーンの言葉に、私は思わず目を見開く。
(ユージーンったら、もう絆されちゃったの?)
彼はそんな人じゃない――――そう思っていたからショックが大きい。
確かにレイラは美人だけど、性根が腐っているじゃない。あんな悪意の塊みたいな人、ユージーンが気に入ると思っていなかった。外面が良いし、処世術に長けているから、妃に丁度良いと思ったんだろうか?
お茶で潤したばかりの喉が、カラカラに感じられる。呆然とユージーンを見つめれば、彼は首を横に振った。
「ああ、良い意味じゃないよ。悪い意味で言ったんだ」
「……そうですか」
こっそり胸を撫でおろしつつ、私はユージーンへと向きなおる。
「具体的にはどのようにすごいのでしょう?」
「それがね、彼女は俺を誘惑しようとしているんだ」
ユージーンはクックッと喉を鳴らした。
誘惑。これまたド直球だな。
私は思わず目を見開いた。
「驚くだろう? 全く相手にしていないのに、何度も何度も追いすがって来るんだ。しかも、カンナの悪口まで吹き込もうとするんだよ? ここまで来ると、かえって感心してしまうね」
ユージーンの言う通り。いくら前世の記憶があるとはいえ、やって良いことと悪いことの区別もつかないのだろうか。
私は唖然としてしまう。
そんなことを明け透けに口にしているユージーンにも。
「――――もしかしてユージーンは、彼女のことが嫌いなのですか?」
「うん。嫌いだよ。大嫌いだ」
ユージーンが微笑む。寒気がした。間違いなく本気の『嫌い』。誘惑に負けなくて良かったと思うものの、彼はレイラと出会ったばかり。何となく釈然としない。
「カンナは、俺があの子を気に入った方が良かった?」
「いいえ、そんなことはございません」
視線が絡む。テーブルの上、手のひらがギュっと握られる。
出会って十年。婚約して二年。
五名の婚約者候補の中から、ユージーンは私を選んでくれた。
とはいえ、政略結婚であることに変わりはない。強い愛情で結ばれているかと問われれば、答えはどうしても否になる。
だけど私は、ユージーンのことがとても好きだった。
王子様って言うと、どうしても品行方正、堅実で誠実な良い人を想像するけど、ユージーンはそんな枠には収まらない。
天才肌で策略家。必要ならば、後ろ暗いことでも平気でできちゃうタイプ。涼しい顔の内側に熱い情熱を秘めた人。人を惹きつけるカリスマ性は、王子様っていうより革命家って感じ。ただ傅かれるだけじゃなくて、遥かなる高みから人を引っ張り上げるような――――追い掛けたくなるような人。
彼に認められたい。隣に並び立ちたいなら、ただの良い子でいちゃダメ。この十年間、そう思って生きてきた。
見た目は上品、嫋やかに。裏では権謀術策を駆使し、彼の矛と盾になれるよう、自分自身を磨いてきた。今更、彼の隣を奪われたくはない。
『中途半端なのよ、あんた。メソメソと泣くことも出来ない。ヒールになる覚悟もない。『私は辛いことに耐えてるんです』って、そういうのが滲み出てんの。分かる?』
レイラのあの発言は効いた。確かに私は、自分が完全な加害者にならないよう動いている。だけど、人間なんてそんなもんじゃなかろうか。自己犠牲の精神に溢れた大人しい妃なんて、ユージーンは求めていない筈だもの。
「ユージーンは、私のことだけ気にしていれば良いのです」
私の言葉にユージーンが小さく目を瞠る。
「あなたの婚約者は私ですもの。決して余所見はさせませんわ」
色々考えた挙句、そんなことを言ってみる。頬が僅かに熱い。
「カンナの言う通りだ」
ユージーンはそう言って、穏やかに目を細めた。ビックリするぐらい整った、悪戯っぽい表情。彼のこういう顔に私は弱い。
「君のそういう所、俺は好きだよ」
額に優しく口づけられ、唇が大きく弧を描いた。
***
(この世に地獄なんてもの、存在しないのね)
もしも地獄があったなら、レイラも少しは真面になっただろう。そう思うと、ついついため息が漏れてしまう。
レイラは相変わらず姑息だし、陰湿だし、しつこかった。生まれ変わった所で、やることはちっとも変わらない。
だけど、迎え撃つ側のこちらの状況は全然違う。
「ちょっと! どうしてあたしが責められるの! どうして皆、あたしの話を聞いてくれないの!?」
学園の至る所で、私の悪口を言って回るレイラ。けれど、彼女の行動は容易に想像できるから、事前に根回しをすることは実に容易い。
「カンナ様に無視されるですって? 当然でしょう。あなたが無礼な振る舞いをしていること、皆が知っておりますわ。わたくしだって、あなたに発言を許して無くてよ」
レイラが買収できるのは、親が爵位をもたない平民ぐらい。それだって、私の方が先に動いたから、彼女側に付くことは無い。普通は目先の利益より、将来の方が大事だもの。
それでも、数人はレイラに便乗して私の悪評を流したみたい。
だけど、生憎と悪口には慣れている。妃の位が脅かされるレベルじゃないなら、それで良い。
悔しそうに歯噛みをするレイラの姿は、大層見物だった。
レイラの嫌がらせはとことん幼稚だ。
小学生低学年レベル。いまどき私物を隠して喜ぶなんて、馬鹿みたいでしょう? だけど、それをやるのがレイラだ。
「――――カンナ様の席で、一体、何をしているのですか?」
レイラの背中がビクリと跳ねる。
放課後、誰も居なくなった教室に忍び込み、私の私物を物色するレイラ。絶対に言い逃れが出来ないよう複数人で囲めば、彼女は顔を真っ赤に染めた。
「ちょっと触っているだけでしょ!」
周囲が俄かに騒めく。
(――――馬鹿なのかしら?)
レイラに現世の記憶は残っているのかしら? いや、寧ろ、人格を乗っ取られたって言われた方がしっくりくる。
前世と今とじゃ私たちの身分も、文化も、法律だって、何もかも違っている。自分がどれだけヤバいことをしているのか、自覚していない辺りが恐ろしい。彼女の中では、今でも自分が一番なんだろうけど。
「恐ろしいわ……一体何をしようとしていたのかしら」
わざとらしく身体を震わせたら、レイラは腹立たし気に眉を吊り上げる。
「この件はお父様や殿下にも報告させていただきますわね」
扇の下でニヤリと笑う。彼女の望み通り、悪役が板についてきた気がした。
***
(全く、懲りないわねぇ)
以降も、レイラの愚行は続く。
私に直接手を下すのが無理だと悟ったレイラは、今度は自作自演を始めた。
「カンナ様にブローチを隠されたの! お父様に戴いた、大事なものでしたのに!」
めそめそと大袈裟に泣く彼女に、呆れてものが言えない。
レイラの教室に行ったことすらない私が、一体どうやって彼女の私物を隠すっていうのだろう?
そう疑問を呈したら、レイラはニヤリと口角を上げた。
「そんなの、口では何とでも言えますわ! 証拠は何処にも無いでしょう? あなたがやっていないっていう証拠!」
「ありますわよ」
おかしすぎて笑えて来る。
レイラ対策はバッチリ。身の潔白を確保するため、私は常に周りに人を置くようにしている。学園内で一人になることは決して無い。
また、レイラはある時は男性を差し向け、私の不貞疑惑を作り上げようとした。
当然護衛を付けているし、彼女の目論見が上手くいく筈はない。
「本当に、君は救いようが無いね。俺の婚約者が、そんな愚かなことをする筈がないだろう?」
嫌がらせの数々。こちら側の証拠が十分に揃ったところで、彼女を王城へと呼び寄せる。
ユージーンに立ち会ってもらい、王太子の婚約者を害したものとして、彼女の処遇を検討する。
悔しさのあまり、レイラは唇をわなわなと震わせた。
「殿下! あたし……あたしは…………」
媚びるような表情。けれど、ユージーンは首を横に振る。
レイラの目論見の一つ――――ユージーンの誘惑は、当然ながら上手くいっていない。
そもそも、半径五メートル以内に入ることができないし、話し掛けることすら許されていないのだもの。当然の帰結ね。
前世ではモテていたレイラも、現世ではからっきし。皆『彼女とは関わり合いたくない』といった様子で、距離を置いているのだ。
「――――殿下! 殿下はその女に騙されているのですわ! そんな性悪女、あなたの妃に相応しくありません!」
「……」
何も言わないまま、ユージーンがゆっくりと振り返る。私の肩を抱き、レイラを冷たく見下ろしながら、ほんのわずかに口角を上げた。
「性悪女、か。君に言えた言葉じゃないね。
――――本来なら、地獄に堕ちるべきだったのに、君はどうしてこんな所に居るの?」
「…………え?」
まるで彼女の『過去』を知っているかのようなセリフ。ユージーンを見上げれば、彼は私の頭をそっと撫でた。
「事故とは言え、一人の命を奪い、深く傷つけた君に、幸せな人生を送る権利があるのかな? 見たところ、全く悔い改めていないみたいだし、この世界が君にとっての地獄になれば良いなぁって俺は思っているんだ」
レイラが唖然としている。目を瞬き、ユージーンを見つめながら、ぺたりとその場にしゃがみ込んだ。
「悠仁……?」
その瞬間、私は大きく目を見開いた。
「え……?」
悠仁――――それは、前世におけるレイラの幼馴染の名前だ。
カッコよくて優しくて。文武両道で、品行方正。おまけに大会社の御曹司っていう、まるで乙女の理想をギュッと詰め込んだ、王子様みたいな人だった。
「悠仁なの?」
(ユージーンが悠仁君? そんな、まさか)
ユージーンと悠仁君はちっとも似た所がない。レイラを通じて知り合ったから、よく知らないせいもあるけど、少なくとも性格は正反対だったと思う。悠仁君はユージーンみたいな狡猾さとか、全く持ち合わせていなかったから。
「俺、言ったよね? 栞奈を虐めるなって。お前のことは絶対に好きにならないって。俺は栞奈が好きだから」
「そ、れは……」
ポロポロと涙を流すレイラを前に、呆気にとられる。
嘘でしょう?
私が標的にされたのは、そんなことが理由だったの? 悠仁君が私を好きになったから? 全く予想だにしていなかった。
「俺はね、反省したんだ。大人しくしていても、大事なものは守れない。多少ズルをしても、性格が悪いと罵られても、戦わなければ。今度こそ栞奈を――――カンナを守れるように」
いつから彼はそんな風に想ってくれていたのだろう。全然、気づかなかった。
「待ってよ悠仁! あたしは――――あたしの方が、ずっとずっと、あなたのことを好きだった! それなのに、栞奈はあたしから悠仁を奪ったのよ! あたしの方が可哀そうじゃない! 守られるべきはあたしじゃない! あたしは何も」
「悲劇のヒロインぶるなよ」
辛辣な一言。レイラが絶望に顔を歪ませる。
「もう二度とお前に会うことは無い。二度とだ」
ユージーンはそう言って踵を返す。私は彼の後に続いた。
***
しばらくの間、私たちはどちらも口を利かなかった。
正直言って、未だに状況が呑み込めていない。私にとってユージーンはユージーンで、前世と繋げて考えることは出来ない。
(だけど)
「俺はカンナが好きだよ」
抱き寄せられ、ユージーンの胸に顔を埋める。彼の鼓動は速かった。私と同じかそれ以上。
それだけで、色んなことがどうでも良くなった。
だって、もう過去に苦しめられることは無い。
レイラは一生を修道院で過ごすことになるだろう。彼女の前で読み上げた罪状の中には、私が摘発したもの以外が混ざっていた。毒薬の密輸に襲撃の計画――――ユージーンが私をこっそり守ってくれていたんだと思う。
「……悲劇のヒロインぶるなと言われましたので」
わたしはこれから先も、強く生きて行こうと思う。
被害者ぶることも、嘆くこともしない。
嫌な過去は忘れて、とびきり幸せになろう。ユージーンと一緒なら、私は絶対、幸福なヒロインになれる。
見つめ合い、微笑み合う。唇が重なり、胸が幸福感に満たされる。
「俺がカンナを幸せにするよ」
力強いユージーンの言葉。私は満面の笑みを浮かべたのだった。
本作はこれにて完結しました。
もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【☆☆☆☆☆】や感想をいただけると、今後の創作活動の励みになります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。