第八六話 「start on a voyage」
昭和15年11月1日。
東の空に登る太陽も水平線より顔を覗かせた頃に比べ、その輝きから朱色の光を完全に失った午前9時ちょうど。
長崎県長崎市にある国分地区は、南西から北東へと斜めに走る湾状の長崎港にて港の入り口にも近い所に位置し、南西約600メートルの地点に長崎港における天然の表札たる神崎鼻を望む漁師の町。浜辺に有る漁師小屋を点在させた砂浜には木造の漁船が乗り上げ、その周囲では幾重にも折り重ねられた魚網が休暇を過ごしている。雲が多いながらも青い空を仰ぐ今日は昼寝時には最高で、波が静かに打ち寄せる音以外に砂浜に響くのは潮風の音くらい。活気あふれる漁師達の荒々しい声も今日は鳴りを潜めていた。
だがそんな中、段々と砂浜には台風に伴う暴風を思わせるかのような轟音が迫り、砂浜に寄せては返すを繰り返す小波も轟音がその音量を大きくしていくのに併せて震え出していく。傍から見たら奇妙にして壮大な天変地異ともとれるその光景は、付近にてその日を生きているあらゆる命達にあっても敏感に察したらしく、ざわめく木々や舞い上がるカモメ達と供に浜を家の裏に望むとある家の外では一匹の犬が何かに向かってしきりに吼えていた。
茶色の毛並みと丸くなる尻尾を逆立て、犬小屋から首輪まで伸びる鎖を物ともせず、犬は時折張った鎖に身体の動きを抑えられながらも浜の北側を睨みつけて威嚇の鳴き声を投げる。凄絶で激しい叫びを規律無く繰り返し、合間に喉を鳴らす所を鑑みるとどうやらこの犬はその黒く丸い目で捉えている物を敵と判断しているらしい。背後にある主人の家に危害を及ぼす可能性を危惧し、何とか追い払うべく威嚇を続けていた。
そしてこの余りにも激しく猛り狂うその犬の様子は、主人である家の中にいる人間にもちゃんと伝わっている。普段は大人しく尻尾を振って身体を寄せてくるこの犬を良く知る家の住人の一人が、徐に家の裏にある勝手口の扉を開けて対敵行動の真っ最中である犬に歩み寄り声を掛けた。
『どがんしたとぉ、太郎ぉ。』
かすれ気味で酷くしゃがれたゆっくりとしたその声色にも示される通り、犬の隣へと歩み寄ってしゃがむのは幾筋もの深いしわが刻まれた顔の老人。すっかり髪の毛も無くなった頭に、まるでその犬の尻尾の様に曲がった腰。右手を乗せた杖が細くなった2本の足と供に老人の不安定な体重を支える。相当の高齢な身であるらしく、足元で激しく吠え立てる飼い犬の叫びも遠い耳にはちょうど良いくらいのようだ。
もっとも自然体の彼に反して長年連れ添った飼い犬が明らかに血相を変えて吼えているのは、間近にまで近寄ってその目で見た事で老人はしっかり認めている。大きく口を開いて叫ぶ犬の頭に手を乗せ、返答が日本語どころか言葉にすらもなり得ない犬の鳴き声であると知りつつ、老人は独特の語尾が延びる声でその理由を飼い犬に問うてみた。
『なんでそんげん吼ゆぅ? 何かいるとかぁ?』
老人の問いかけに犬は僅かにピンと立った耳を左右別々に動かしてみせるが、主人に対する応答はそんな耳の僅かな動きだけ。キッと向けた視線を微動だにせず、主人の声が止むまで喉を低い音階で鳴らした後、再びこれまで通りの凄絶な鳴き声を眼前へと繰り返し投げつける。
どうにもそんな飼い犬の様子が老人には不自然であり、先程からこの犬が睨んでいる浜の北側にきっとその元凶があるのだろうと察して彼も見てみる事にした。
海軍陸戦隊の市街演習により外出禁止が通達されている本日は、市街地や波間は至って静かで人々の往来が陸地にも波間の上にも全く無い。カモメがずいぶんと飛んでいるのも港湾として国内屈指の規模を持つ長崎港においてはいつもの事だし、長くこの地にて生きてきた老人は最初の内は変化点を見つける事は出来なかった。だが長くこの漁師町で漁師として生きてきたからこそ、老人は今日の波間に静かな喧騒が満ち満ちているのを認める。長崎湾の奥に当たるこの辺りの海面は常に静かで、長崎港の入り口に当たる南西から吹く潮風に弄ばれてゆらゆらと揺れているのが日課の筈だが、今日は波間を伝って行く揺らぎが潮風とは逆の北東の方角より連鎖しているのである。
やがてその波間の揺らぎの発生地を求めようと目で追った老人は、いま自分が立つ所から北側にある長崎港のちょうど真ん中辺りまで視線を流した。刹那、老人は大きく後ろに仰け反って尻餅をつく。
『ひゃああああぁぁー・・・!!』
『あ! おかあちゃん! おじいちゃん、おったとばい!』
『まあ、お義父さん! 大丈夫ですか!?』
老人がその細い瞳を大きく見開いて驚愕の声を上げる背後で、勝手口より出てきた小さな男の子とその母が慌てて近寄っていく。尻餅をついた老人の横では相変わらず犬が激しく吠え立てているが、母と男の子は老人の傍まで寄るや抱きかかえるようにして彼の身体を勝手口の方に引き戻していく。
『お義父さん、今日はお外には出てはいけません! さあさ、早く家の中へ!』
『な・・・。 なんばい、あいはっ・・・。』
呟くようにしてかすれ声を漏らす老人だったがそれに構わず彼は母子によって家の中へと連れ戻され、3人が吸い込まれた家の勝手口は硬く閉ざされると中から鍵の作動を示す独特の金属音が放たれる。吠え立てる犬も含め、浜を望めるこの家の周りはまた再び数分前と同じ光景へと戻った。
だが犬が吼える先にある北の波間。長崎港のちょうど真ん中に当たる海面上には、これまでには存在し得なかった大きな鉄の塊が姿を現していた。何本もの滝のすぐ近くにでも居るような轟音が次第に治まっていく中で現れたその箱型の物体は、海面と並行に走る上面に構造物が全く無いながらも、遠目にも舳先と艦尾を一応は備えているのが見てとれる事から巨大な船であるのは明白。それもなんと長さ263メートルにも及ぶ鉄の船であった。
重りとして海底に横たわるアンカーより艦首まで延びた鎖は張り詰め、未だ辺りの海面が振動している最中にあっても巨艦の動きを完全に静める。
その位置は艦尾に臨む海岸より220メートルの地点で、艦首に望む三菱長崎造船所の船台に設置された進水式場よりほのかな歓声があがる。声の主は式場の中にいる多くの濃紺の軍装に袖を通した海軍軍人ではなく、背広姿である三菱長崎造船所の人々であるがそれもその筈。眼前にてようやく波間に浮いた巨艦が静止した地点は、進水作業を担当した造船所職員達の事前の計算結果と比べると、なんと誤差僅かに1メートル。35737トンにも及ぶ眼前の巨艦を進水させるに当たっての結果としては、海洋国家たる日本の企業の底力を示せた物に等しい物である。
たかがお船の進水と侮る無かれ、歓声を上げている造船所の職員達はこの日の為に様々な努力をつぎ込んで来た。これまで自社で建造してきた分も含め、彼等は帝国海軍の軍艦51隻と商船121隻、次いで諸外国の軍艦27隻と商船34隻と、総計233隻にも及ぶ船舶の進水に関連した文献を収集して徹底的に研究し、過去30年分にまで遡るこの地の気温、潮位を記した測候所の記録を念入りに調査して、2年以上も前から本日の満潮時に当たる午前8時55分を進水日時と設定していた。加えて艦体を船台上から海面へと運ぶ進水台を構成する滑り台や固定台は一年半も前から準備を始め、進水台が船台の上を滑走する際の潤滑剤である獣脂も大阪の岡田油脂化学工業に依頼して値が張る事も承知で特注品を調達するまでに至ったのである。
それらは民間企業である造船所の職員達にとっては時に涙を呑み、絶える事の無い汗の中でひたすらに頑張った努力の足跡。その足跡は今、眼前にて静かに浮かぶ巨艦にまで海面を伝って確かに繋がっており、目に映る光景は彼等が一流の造船技術集団であるこれ以上ないくらいに体言している。その事に湧きあがる喜びを噛み締め、背広姿の男達は丸眼鏡を僅かに外して目頭を押さえながら互いに抱擁を交わすのであった。
そしてこの巨艦の名は今より時間を遡ること約10分程前に、艦が舳先を向けている船台の式場にて放たれた声で高らかに宣言されていた。
『進水命名書。軍艦武蔵。昭和13年3月、工を起し、今や船体成るを告げ、ここに命名の式を挙げ進水せしめらる。昭和15年11月1日。海軍大臣、及川古志郎。』
未だ宙にてそよぐ潮風と踊り続ける5色の紙吹雪や紙テープに彩られ、それらと供に空へと舞い上がった7羽の鳩に上空直援を受ける中、静寂を取り戻そうとしている波間の上に浮かぶその巨艦こそ、帝国海軍最新鋭にして最後の戦艦として茨の運命を科せられる事となる大和型戦艦二番艦。
戦艦武蔵こと、武蔵艦の誕生であった。
昭和15年11月6日。
極東有数の国際港として花咲く東洋の秘宝、上海市。
大陸独特の黄土色の水面で形成される黄浦江の北岸沿いに欧州文化を滲ませた洋風の建物が数多く建ち並ぶ共同租界は、いつもの如く賑やかな人々と水運の往来で活気を維持している。大陸の奥へと続く道を辿った先では未だ中国と日本による殺戮の応酬が止んでいないながらも、日本を含めた列強各国の資本と思惑が渦巻くこの地は各国が本音と建前を使い分けた腹の探りあいをする場所でもある。時には虚勢を張り、時には紳士的に振る舞い、時には進んで慈悲の手を差し伸べたりと、常に周囲の視線を気にしながらも自身の意志を相手へと強要しなければならないそれらは、決して力任せの選択肢では実施できない難しい物である。それは誰にとっても同じであり、過去に二度もこの地でドンパチを繰り広げた日本や中国とて例外ではない。例え租界を持つ多くの国々がこのアジアの東の端から遠く離れた西欧の国であったとしても、自分の都合のみで繕った大義名分が認められる程に国際社会は甘くないのだ。
故にこの地においてはそれぞれの国がある意味では良く共存しており、狡猾にお互いのつけ入る隙を探しながらも握手と談笑を交えるのがこの街で頻繁に目にする国旗を掲げる者達の光景である。だがおかげで上海の街は花の香りと黄土色の水面が放つせせらぎによって染まり、殺す殺されるを当たり前とする戦争の日々からは一歩距離を置いた時間が流れていた。
往来の激しい黄浦江の支流である蘇州河を跨いだガーデンブリッジ。近代的な鋼鉄のアーチが連なるその外観を自慢とするこの橋も、日本とイギリスの海軍陸戦隊が警備に当たってはいるが、身分証の提示を課す以外に特に人々の往来を遮るような事は無い。縦横無尽に街の中を駆ける事を日課とする路面電車や馬車も同じで、ガーデンブリッジから南の金陵東路まで続く1500メートルのバンドには時計台の鐘の音が鳥達の鳴き声を従えて木霊する。特定も許さぬ程の多様な国旗を翻す商船が集う港はひっきりなしにトラックが出入りし、世界中から集まる物資の数々を今日も市街地へと流通させて行く。根が逞しい支那人達も積荷の上げ下ろしや車の運転といったお仕事に汗水を流し、時には現地で商店を営む者が流暢に西洋の言葉を操って荷主との交渉も行っている。
多種多様な言語での喧騒も、自動車の放つクラクションも、その全てが近代的な文明の息遣いと化す上海。
そんな上海の街並みの中、日本領事館を目にする事も出来る蘇州河と黄浦江の合流地点付近には、辺りにて錨を下ろしている沢山の船達に混じって後部マストに大軍艦旗を掲げた朝日艦の姿もあった。
黄浦江の岸にある日本領事館と日本郵船上海支社の庁舎の向こうには、子供が積み木で組んだお城の様な外見を持つブロードウェイマンション。蘇州河をガーデンブリッジで跨いだすぐそこには、河口の形状を上手く利用した緑も残るパブリックガーデン。共同租界の中心であるその光景は至って近代的で、それに混じる朝日艦とそのすぐ背後に当たる位置にて同じく黄土色の水面に錨を下ろしている出雲艦が持つ古き良き時代の船達の影は、40年来の時の流れをこの街並みの空気に程良く滲ませていた。
もっとも出雲艦と朝日艦の命たる者の二人は既にこの地に赴いて3年にもなる為に、この素晴らしい街並みの眺めも今ではすっかり見慣れてしまった。忙しなくその場を駆け抜けていく大小の船舶の汽笛もこの二人にあっては少々煩わしく感じてしまう事も最近は多く、汽笛に伴われる人間には聞えない喧騒を避ける様にして二人は分身の中で静かな時を過ごす。
そして40余年前に軍艦旗を背負う船として励んだ頃より極めて仲の良かった二人は、今日もいつもの様に朝日艦の艦尾にある長官室へと集って憩いの一時に浸っていた。
『ん〜・・・、んまいねぇ。やっぱ朝日のティーが一番だよ。』
『何言ってるのよ。どうせ自分で淹れるのが面倒なだけでしょ、出雲。』
室内のスタンウォークを控えた艦尾側にある茶色の木目が輝く机と、艦首側にあるこれまたニスによって鈍く輝くドアのちょうど真ん中。小さなテーブルを挟んで向き合う形で置かれたソファに、艦の主である朝日と出雲は深く腰を掛けてティータイムを楽しんでいる。
背筋をマストの様に垂直に伸ばして両脚を揃える朝日は、顔にサラサラと流れ落ちてくるその琥珀色の髪を耳元に掛けなおしてティーを含んだ口元を緩ませる。今日も自分で淹れたティーの味わいと香りは目指した物と同じで、少しだけ自画自賛の感情を得て胸の内を明るくしてみせた。対して出雲はソファに身体を斜めに流すようにして腰掛け、前髪も含めて全て後ろに流したブルネットの長髪を片手でサッと払いながら、もう片方の手に持ったカップの中にある深いオレンジ色の湖面に笑みを向けている。濃紺の第一種軍装を身に付けているのは朝日も出雲も一緒だが、軍装と色合いが良く似た髪の色を持つ出雲は赤みがかった琥珀色の髪を持つ朝日に比べるとその姿はちょっと派手さに掛ける。
だが性格はその限りではなく、歳相応に落ち着いた朝日とはうって変わって出雲はその言葉遣いや動作に未だ残る若さの片鱗を覗かせてみせる。小さく薄っすらとしたしわを口元や目尻に浮べるという40代くらいの女性の外見は朝日と同じなのに、この出雲はその砕けた明るい性格からその姿を見る者に年齢を感じさせない事ができるのが大きな特徴だ。さすがに40年以上もそんな出雲をその青い瞳に映してきた朝日は、友人である出雲のそんな所が微笑ましくもあり、羨ましくもある。人それぞれだからと言えばその理由としては十分なのかも知れないが、生来が大人しかった自分が出雲と場を共にする都度、ちょっぴり残念に思える事もしばしばであった。
ただ出雲にとっても眼前の朝日は、自分に無い物を昔から持てている羨ましい人物でもある。特にいま口に含んでいるそれはそれは美味しい紅茶を用意できるのは、40余年にも及ぶ出雲の生涯でもこの朝日しかいない。故に出雲は笑みを朝日に向けて友人の紅茶の入れ方を讃えると同時に、この美味しい一時がしばしの間はお預けになってしまう事への憂いを率直に伝える。
『いやあ、やっぱり朝日のティーは格別。あたしは正直、富士先輩よりも上だと思ってるよ。』
『ふふふ。ありがとう。』
『あ〜あ、でも明日からは飲めなくなるのかぁ。困ったモンだな〜。』
出雲はそう言うと僅かに眉をハの字にし、名残惜しそうにカップの中にあるオレンジ色の湖面に視線を落とす。同時に朝日も口元を緩めたまま、少しだけ表情を歪めて出雲の顔を眺めた。お互いを長く慕い、一緒に励んできた仲の二人なのだが、先程の出雲の言葉にもある通り、実は二人がこうして朗らかなティータイムを楽しむ事ができる3年にも渡った上海での日々は、本日をもって一旦終わりとなってしまうのである。
なぜなら明日、すなわち11月7日に朝日の分身である朝日艦は艦隊編成に備えて内地帰還の予定となっており、その後はこれまで籍を置いてきた支那方面艦隊から連合艦隊への転籍が決まっているのだった。加えて連合艦隊旗艦の長門艦を始めとする第一艦隊や、朝日の教え子である明石も属する第二艦隊など、戦闘を生業とする実施部隊は希に海上での警備や封鎖に助太刀する格好でこの上海に足を伸ばす事もあるのだが、そうではない特務艦艇である朝日艦になるとその可能性もかなり薄い。つまり明日の内地帰還となったら最後、これからも支那方面艦隊旗艦の任務をこなす事が決まっている出雲は、40年来の親友である朝日としばらくの間は会う事もできなくなってしまうのである。その上で所属の鎮守府も出雲は佐世保で朝日は呉となっており、内地における整備補修の機会の面でもまた朝日と会う事は難しい。朝日の紅茶を心底好きな出雲にとっては、その言葉通りなんとも困った事であった。
『ど〜してまた、こう、時間ってのは二人の愛を別つのかねぇ。あたし発狂するかもよ、朝日ぃ。』
『うふふ、あははは。』
表情豊かな出雲が堀の深い西洋人の顔つきを大きく歪めて言う。富士山の様に唇をすぼませ、左と右の目の大きさを変えて眉の角度も器用に別々の角度にして放った言葉は、出雲らしい冗談めいた言葉で表す友人との別れへの惜しい気持ち。これ以上にないくらいに不満だという顔で出雲はカップを口に近づけるが、朝日はそれに対してこの人にあっては珍しく口に手をかざして大笑いする。もうずっと昔になるが朝日が出雲と出会ってしばらく経った頃に、今と同じく「愛」という言葉を使って出雲は朝日の紅茶を欲してみせた事があるからだ。
日露戦役も始まっていなかったあの頃から、眼前の出雲は口元と目尻にしわがちょっと浮かび、陽の光を浴びると第一種軍装と同じ色である濃紺の川の様だった髪に幾筋かの白いラインが混じった以外に何も変わっていない。掴み所の無い雲を思わせる言動と陽気さは、まだ朝日が今の教え子の明石くらいの歳に目に映した時と寸分も違わぬ物。成長という言葉が全く当て嵌まらないその可笑しさに、あらゆる物事に豊富な経験を持つ朝日もさすがに抗う事は出来なかった。
出雲なりの別れの惜しみ方であるが上手く彼女自身が企図してみせた通り、そこにはお互いの遠慮の無い笑い声が木霊する。長い付き合いである友人、朝日の悲しむような表情は出雲の最も嫌う所で、ようやく室内に灯った明るい空気に身を任せるようにして出雲は続ける。
『カンヤム・カンニャムの茶葉は、富士先輩のニルギリと同じ様になんとか商船の子達から手に入れるからさ。せめてあたしが帰った時は淹れてよ。それまで断食だぁ。』
『あはは。解かったわ、出雲。私も六甲の水を用意しておくわよ。』
どこまでも紅茶の心配をする出雲に朝日がカップを掲げて笑みを向ける。それに続いてどちらからという事も無くお互いの口から出てくるのは、3年に及んだ上海での生活での思い出話。多くの国が権益を持つ上海港は世界各国からの船舶がたむろする国際港でもあるのだから、何もそこにいるのは商船ばかりではない。朝日や出雲と同じように、この地における自国の権益を守る任務を帯びた国家の船は何隻もいるのであり、そんな上海港の事情で最も付き合いがある者達の名を挙げ、出雲は朝日に別れを惜しんでいるのが自分だけではない事を伝えた。
『オーガスタ達とペトレルも会いたがってたんだけどね。残念だ。』
『ふふふ、そう。ペトレルは確か、黄浦江の上流よね?』
『ああ。警備任務だそうだ。ま、イギリス海軍は今は欧州戦線で手一杯だからねぇ。租界を留守にする訳にもいかない筈だから、常駐のあの子はすぐに戻ってくると思うよ。それとオーガスタ達はフィリピンさ。整備補修だってこの間言ってたな。ははは、事を起さないでくれって釘刺されちまったい。』
静かにオレンジ色の流れを口に運びながら放つ出雲の言葉を、朝日は優しく微笑みながらもその青い瞳を細くして耳にし、出雲が口にした者達の名に纏われる思い出を懐かしむ。
『あの子』という呼び方で指す所を鑑みると出雲や朝日からすれば後輩格にあたる艦魂である事は明白だったが、話題に挙がった二人は漢字に変換するには無理のあるその名前が示すとおり、決して十六条旭日旗を掲げる帝国海軍の軍艦ではない。
まず現在はフィリピンに滞在しているというオーガスタとは、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦の重巡洋艦オーガスタ艦の艦魂である。
1930年生まれで朝日や出雲に比べれば船の命としてはかなり若い人物だが、就役して訓練航海を終えた直後に合衆国艦隊隷下の偵察艦隊に艦隊旗艦として在籍し、3年後の1933年にこの極東アジア方面を担当するアジア艦隊の艦隊旗艦として赴任してきたという、輝かしい経歴を持ったアメリカ海軍艦魂社会の期待の新人だった。進水から僅か3年の若さ溢れるオーガスタは出雲や朝日が来る4年も前からこの上海にて行動し、翌年には東郷元帥の国葬に参列する為に日本の横浜港にも来訪した事がある。故に彼女は若いながらも中々のアジア通で、元来がイギリス人である事から英語を流暢に話す事が出来る出雲や朝日の事情も功を奏し、初めて出会った際は有らん限りの礼を持って朝日と出雲を歓迎してくれた女性であった。ただし、若いながらもお仕事にはメリハリを設けるオーガスタは、艦魂における先輩だとか、国葬にも参加した東郷元帥と同じ時に同じ場で戦っていたという経歴も持つ事、などで朝日や出雲を前にしても臆する様な所は無く、支那事変が勃発した今から3年程前にはパナイという名の仲間が日の丸を翼に描いた航空機によって経緯はどうあれ撃沈されてしまった事態に際し、当時から支那方面に展開する帝国海軍の艦艇を旗艦として束ねていた出雲の所に怒鳴り込んできた事もあった。世に言うパナイ号事件である。
『オーガスタは真っ直ぐな情熱を持つ良い子だったわね。』
『いやあ、しっかしあの声のデカさは参ったよぉ。落ち着かせるのは大変だったんだかんね、朝日ぃ。』
肩を上下させて笑う出雲。声を放つや彼女はカップを握っていない左手で顔に掛かろうとする髪を払い、小さく溜め息をして当時の心労を再現してみせる。だが当時を知る朝日はそんな友人の仕草にもただ笑うばかりで、手近に置いていたポットに手を伸ばして空になった出雲のカップにオレンジ色の滝を作り始めた。
実は出雲も自身のオーバーな仕草に反して、それ程話題に挙がったオーガスタを嫌っている訳ではない。第一次大戦の頃にはアメリカへの出張も経験し、その後の兵学校練習艦時代にも何度と無くアメリカへと足を運んだ経験のある彼女であるから、遠く故郷より離れた僻地たる上海で頑張る事になったオーガスタは、自分が生まれる前のアメリカを知る出雲とは基本的に話が合う者同士であった。
『カリフォルニアはもっかいくらい行きたいなぁ。改装すりゃ太平洋横断もまだできると思うんだけどね、あたしは。』
明治生まれの古参の分身ながらもその命たる出雲にあっては、自身の経歴を顧みて年齢的な面で身の程を思い知る事など屁とも思っていない。日露戦役でのドンパチの以前より特徴だったユニークで根無し草のようなその物言いはオーガスタも気に入ってくれ、年齢差が30歳近くもあるにも関わらず片や帝国海軍の艦隊旗艦、片や合衆国海軍の艦隊旗艦として時に衝突しながらも友情を育んだ間柄だった。
それをよく知る朝日は出雲の言葉に何度も頷きつつ、そんなオーガスタと供にこの地で親交を深めたもう一人の友人、ペトレルの話題を切り出していく。
『ふふふ、そうだったわね。でも、来月であの子は交代なんでしょう? また寂しくなるわね。オーガスタが怒鳴り込んで来た時は大変だったけど、ペトレルが上手く間に入ってくれたのはさすがだと思ったわ。』
『ああ〜、ペトレルは本当は芯が強いんだよ。"イズモさんの話も聞いてあげましょうよぉ〜"、なんつってさぁ。ははは。』
『あははは。そ、そうだったわねぇ・・・。あはははっ。』
出雲はそう言いながら何か海中の海草の真似をするかのように身体を揺らし、テーブルにカップをおいてから肩より少し高い位置に両手を挙げて身体と一緒に左右にくねらせてみせる。部分的に発した裏声での音階の高い声も含め、それはお互いが話題に出したペトレルという同じ船の命たる者の真似。それがとても似ているのか、それとも余りに滑稽だったのか、朝日は出雲の言動を目に映して口元を抑えてまたも高笑いを始めてしまう。極めて愉快な気分に浸る両人だが、その真相は出雲の物真似も然る事ながら話題のペトレルという艦魂の人物像が本当に愉快の一言である事に理由があった。
ペトレルは1927年に生まれたイギリス海軍の河川用砲艦であるペトレル艦の艦魂で、朝日や出雲と同じ正真正銘のイギリス生まれ。排水量僅か310トンで全長およそ54メートルという、出雲や朝日の分身と比べると豆粒のように小さな艦体の持ち主であったが、栄えある王室海軍の伝統を重んじて礼儀も正しく、ただひたむきに頑張るその姿勢と持ち前の甲高い裏声のようなオクターブの声、140センチ台の小さな体躯、既に20代後半にも差し掛かる年齢の筈なのに丸い大きな目を持つ童顔、そして何事にも一生懸命だったというその人柄は、上海の艦魂界隈の中ではとても人気があった。故郷より遠く離れたこの上海で一言半句の文句も言わずに常に全力投球の彼女はいつも額に汗を掻いていて、シンガポールやインド洋に展開するイギリス海軍東洋艦隊や同インド洋艦隊の艦魂達に比べれば階級も低いが、上海港一の働き者として朝日や出雲も一目置いていた人物であった。
ただ生来のおっちょこちょいな性格が災いし、健気に頑張る本人に反してお仕事の成果はいつも今一つ。可哀想な事にペトレルという彼女の名前のスペルまでも、海鳥の一種であるミズナギドリを示す「Petrel」をイギリス海軍の造船官が「Peterel」と間違えて登録してしまったという筋金入りで、就役した後に気付いてしまった為に修正も加えられなかったという経歴を持つ。
なんとも酷い話である。
だがそんな境遇もなんのそのと僅か55人の乗組員と供に日夜上海における祖国の権益を守ろうとするペトレルだからこそ、出雲や朝日は懐かしい生まれ故郷の良き空気を彼女に感じずにはいられなかった。ずっと昔、出雲や朝日も日本海軍へと嫁入りする前にどこかで耳にした、伝統あるイギリスの艦魂社会に伝わる「常に誠実に、常に希望を、常に慈愛を」という教え。その言葉は愚痴の一つも溢さずに黄土色の黄浦江の波間を忙しなく駆け、『次は必ず上手くやるぞぉ!』等と言って失敗にもめげず、港内で立ち往生してしまった漁船ほどの大きさしかない現地の小さな貨物船の艦魂に自身の分身の倉庫から持参したパンとミルクを差し入れてあげるという、ペトレルの普段の励む姿と見事に一致するのであった。
そしてそんなペトレルの汗が絶えない上海での奮闘劇を青い瞳に入れ、出雲も朝日も最初は静かに涙を流した物である。もうずっと忘れていた栄えある大英帝国の船の命の在り方。いつの間にか旭日の旗を掲げた海軍の者である自分を当たり前と思い、何やら子供っぽい艦魂もいるなくらいに捉えていた自分を各々が恥じた。決して自分達を含めた帝国海軍の艦魂という物自体をダメだ等とは微塵も思ってはいないが、純血のイギリス人である朝日と出雲が思い描く艦魂の理想像は、理屈や境遇を飛び越えてペトレルの汗が輝く横顔に無意識の内に重なって行くのであった。
故に二人は3年に及ぶ上海の日々で、このペトレルを非常に可愛がる。
『まあ、グラスゴー? ふふふ、近いわね。私はクライドバンクの生まれなのよ。』
『なんだよ、二人ともスコットランドかぁ。はは、あたしはイングランド。ニューカッスルの出身だよ、ペトレル。』
『おお! イズモさんもアサヒさんも英国生まれなのですかぁ!』
久々の英国訛りが利いた英語での会話は3人の舌を弾ませるのに十分であった。3人で集った日は朝日が淹れる極上のティーを片手に、遠い生まれ故郷の風景や思い出話へと大輪の花を咲かせる。仕事もそっちのけで同郷の仲を互いに暖めあい、軍艦旗も降ろされる夕方になってもまだ会話を終わらせる事も無く、すっかり真夜中になっていた事に気付いて締めくくりに日本では「埴生の宿」という名で知られる歌の原曲、「Home, Sweet Home」を歌って別れるのが3人の間での恒例だった。
世界地図の東の外れで巡り会えた幸運を、3人は心の底から祝福したのだった。
それは実弾も飛び交う戦地へと派遣された事で得た思い出。もちろん今から36年前に見た血の赤さを改めて目にする機会だって幾度と無くあったが、その狭間に有した朝日と出雲の記憶は内地で余生を過ごすだけでは絶対に得る事などできなかった物だ。
朝日はやがて出雲と供に放つ笑い声を静めて行き、一度静かにカップを口に運んで喉を動かすと溜め息を放つ。微笑こそ欠けてはいなかったが、出雲はこの時に朝日の碧眼から僅かに寂しさの色が放たれているのを察する。それと同時に朝日は呟くように声を放ち、瞳の奥からあふれ出す感情を言葉に滲ませる。
『楽しかったわ・・・、上海は・・・。』
『ははは・・・。そうだね、楽しかった・・・。』
弦楽器の音色を思えわせる朝日の声が響き、出雲もそれまで放っていた笑い声を急に静めて感慨深そうに小さく頷く。これから先も出雲はこの多忙ながらも楽しい上海で日々を過ごす事が確約されてはいるが、3年の間いつも傍らにいて一緒に笑った親友がそうは行かないという事情はやはり口惜しい。お互いまだ日本語すらも覚えていなかった頃からの仲だし、喧嘩だって一回こっきりしかした事が無いくらいにウマも合うのがこの二人なのである。これまで帝国海軍の艦艇として励んできた中でも一時の別れを何度か経験してもいるのだが、出雲も朝日もお互いに離れ辛い胸の内を吐息の流れのみで言葉無く伝え合った。
やがてしばらく部屋の中を満たしていた沈黙を、朝日がまた笑みを整えながら口を開いて破る。それは彼女としても心残りを拭えない上海とそこに残る友人に、別れと同時に再会を約束しようと思っての言葉だった。
『海岸線も南支から仏印まで延びたし海南島の基地の設営もあるから、工作艦の私はきっとすぐに呼び戻されると思うわ。その時にはまた上海に来たいわね。それまで留守番をお願いよ、出雲。ふふふ。』
『ははは。結局あたしは朝日のお使いかぁ。ま、ティーが飲めるなら文句はないけどね。』
カップを持った手を肩の高さに掲げて出雲も笑みを返す。どんな時も元気で朗らかな彼女らしい言動は朝日の笑みを一層明るくさせ、お互いに口元や目尻のしわが深くなるのもお構い無しに顔を綻ばせる。同時に朝日もまたカップを手にして肩の高さまで掲げ、眼前の友人と合わせる様にしてカップを唇へと添えて傾けた。
二人の間にはオレンジ色のせせらぎが響き、湖面から舞い上がる茶葉の芳香がお互いの高い鼻をくすぐって行く。その香りの清々しさと落ち着いた奥深さを愛でる朝日は、ゆっくりとした動作で傾けていたカップを唇より離す。至福の一時を手放す練習がてらともとれる程に鼻腔に残る香りの余韻が恋しかったが、深い深呼吸を放ちながらカップの重さに任せて握った手を揃えた両脚の膝の上に置いた。
しかしこの時、朝日はふと青い瞳に映した友人の表情に、本人も意図していないであろう曇り模様がある事を認める。
視線をカップの中にある湖面に落としたままの出雲。前髪も含めてその濃紺の長い髪を全て後頭部に向かって流している彼女は、おでこは元より表情の変化で最も重要な眉の動きが正面に座している朝日には良く伝わってしまう。眉間にほんの僅かに発生したクラックもその例外ではない。難しい事を考えている時でも常に陽気な出雲の人柄を鑑みると、その表情は朝日に友人の胸の内がただならぬ状態に瀕している事を示す物だった。
朝日は不思議に思って浅く上半身を折り、眼前の出雲に顔を近づけて友人が巡らす思考の内容を問おうとしたが、それよりも早く手に持ったカップの湖面へ碧眼を映りこませたままで出雲が声を放つ。
『なあ朝日・・・、どうして帰るんだ?』
突拍子の無い言葉に朝日はちょっとだけ面食らうが、すぐに消えていた笑みを作りなおして出雲に応じる。
『ふふふ・・・。どうしてって、私は古いから整備補修に新しい機材の調達なんかが必要なのよ。それに今、帝国海軍では新たに進水した空母や戦艦が結構多いから、自ずと工廠の作業配分はそっちに取られてしまうわ。でも他の艦艇の整備補修や改装工事中の艦艇を投げ出す訳にも行かないでしょ。だからそのお手伝いをしてくるの。まだまだ明石だけじゃ役不足だし、こんな年寄りの工作艦でも居ないよりはマシなのよ、きっと。』
舷窓から漏れてくる優しげな陽の光を代弁するような笑みを湛え、朝日は自身の工作艦としての役割と現代の帝国海軍の事情を合わせた内地帰還の理由を述べてみせた。
事実、現代の帝国海軍は新型の大型艦艇を何隻もここ数年で進水させており、長門艦以来20年ぶりとなる最新鋭の戦艦や翔鶴型航空母艦2隻がその代表例であった。その上で軍縮条約と相次いだ艦艇構造の欠陥から発生した事故により、改装工事中の艦艇は巡洋艦等も含めるとかなりの数に登る。おまけに帝国海軍の巡洋艦や戦艦の類は既に艦齢15年以上という艦がそこそこに多く、羅針儀や通信設備といった軍艦としての有り触れた装備への対応も相当数を控えている。そこに掛かる工数は決して低い値ではなく、そも船渠の数だって海軍艦艇の全てを賄える程に足りている訳ではない。桟橋に繋いだままで工事を終える事ができるならそれだけで儲け物なのであり、その際に力を発揮するのは接舷して停泊したまま工作能力を発揮できる朝日や愛弟子の明石の様な工作艦と呼ばれる艦艇なのであった。
それを笑みを交えてとくとくと説いてみせる朝日だが、その意識の中では友人の問いが抱く本当の意味を薄々ながら気付いている。
眼前にいるのは40余年の間、公私に渡って互いに切磋琢磨しながら友情を育んできた親友だがそれだけではない。少しだけ青い瞳を尖らせて眉間のしわを深くするこの出雲は、実は朝日以上に頭の良く洞察力に優れた人物。いつもは陽気な人柄で海面を浮遊する根無し草のような言動を持ち味としているが、その裏では物事の変化とその真相に対して常に冷徹に考察の刃を突き立てている。残忍な程に理論というメスでもって事の真相を切り開く頭脳の持ち主でもあり、誕生から40余年も経ても尚、「天才」の渾名をもって現代の帝国海軍の艦魂社会では一目置かれる所以なのである。
そんな出雲が今更になって朝日の分身が内地帰還となった理由に欲した答えは、朝日自身が今しがた声に変えた工作艦たる彼女の必要性などではない。朝日はその事に気付きながらも敢えて工作艦としての理由を口にして応じてみせたのだが、長い付き合いである出雲には通用しなかった。
『誤魔化すなよ、朝日。工廠の支援だけなら何も所属の艦隊を変える必要なんかないだろ。何より少し前に朝日の中から陸上に移った工作部には、転籍の話なんか及んでないよ。』
『・・・・・・。』
返す言葉を失う朝日だったが、出雲の放った言葉には反論するだけの余地が無い。彼女の言葉通り、支那に展開する全ての海軍艦艇を率いる支那方面艦隊の旗艦として励んでいる出雲なのであるから、隷下の部隊や組織がどこでどのような活動をしていて如何なる活動予定を汲んでいるかなどは全て頭に叩き込んでいる。上海の街並みに場を移し、今も職場としている工作部においても抜かりは無い。
鋭い考察が生む出雲の低くトーンが利いた声は切れ味を増し、朝日が包もうとしていた出雲への回答からベールを次々と毟り取って行く。
『こないだ内地から来た運送艦の子に聞いたけど、なんで御召艦やってた比叡が戦艦籍に復帰したんだい? 新型の戦艦が進水したってさっき言ったけど、金剛達の代艦じゃない事は比叡の復帰で明らかじゃないか。でなきゃ、誰がわざわざ代わりの船が出来たっつうのに艦橋まで付け替えて復帰させるんだよ。連合艦隊は増勢している。松島さんや厳島さんらで第三艦隊を作ってたあの頃と同じようにさ。違うかな、朝日?』
そう語りかけながらやっと青い瞳を向けてきた出雲だが、入れ替わりに今度は朝日が視線を下へと向ける。膝の上で両手に握ったカップの中、涼しげなオレンジ色の水面を伝う波紋が映りこむ朝日の顔を歪めていく。秘めた想いの核心を突かれた事は、波紋が治まっても未だにカップの湖面に映ったままの朝日の僅かに歪んだ顔に表われていた。
出雲が例として言った「あの頃」という言葉も、当時を知る朝日は瞬時に察する事ができる。日清戦争を戦った10年落ちの艦体を分身とする先輩達で新たな艦隊を編成し、僅か数年で揃えられた朝日や出雲の分身を含む当時最新鋭の軍艦旗を掲げた艦艇達が数多く集った日々。多くの仲間と出会う事ができた当時は艦魂である彼女達にとっては毎日が発見の連続であったが、それは気の合う者達が極東の島国に集った程度の出来事ではない。まだまだ生まれて間もない日本が強力な海軍力の中核を得ようとしていたのが、出雲と朝日が記憶に蘇らせた「あの頃」。すなわち日露戦役を目と鼻の先に控えた時代なのであった。
その上で出雲がこの重苦しい影がついて回る日常を友人である朝日の内地帰還へと結びつけたのは、現代の日本が新たな敵と刃を交える為の準備をしているという可能性への示唆以外に捉えようが無い。すると朝日の脳裏には、36年前に耳にした荒波の叫びと悲鳴、自分を目掛けて放たれるロシア海軍艦艇の備砲による咆哮、過熱による腔発事故で根元よりもげた自身の分身の主砲とその激痛がありありと浮かんでくる。同時にじわじわと不快感を覚え始めた腹部に片手を当て、腰を折り曲げえう角度をそれまでより深くした朝日は緩く唇を噛んで襲い来る記憶の波頭に耐える。
出雲はそんな朝日を細めた瞳に映しながら再び語り始めた。
『朝日みたいな工作艦の利点は場所を選ばない所。確かにそれは朝日が言いたかった様に船渠に入らないままでの整備補修が行える事に繋がるけど、内地から遠く離れた海域での整備補修にも対応できるって事だろう? 離島への基地設営も、海南島だけじゃなくて南洋の島々だって同じな筈だ。連合艦隊その物の増勢。そして長期に渡る遠隔地での艦隊行動を支援する、朝日みたいな工作艦の隷属化。・・・まるで、内地から離れた所でどっかと戦をおっ始めようとしてる勢いにも見えるんだけどね、あたしには。』
『出雲・・・。』
言うか言うまいかと悩んでいた朝日の一抹の憂いは、出雲にはお見通しであった。これまでの上海での日々では一度たりとてこんな大それた話題で語り合った事も無いのに、出雲は朝日が自身の内地帰還となる事情の裏に一人巡らせていた考察を全て言葉へと変えてしまう。内容もまた正鵠を得ていて、出雲らしく狭い視界では構築しないその理論は、彼女が遠い南洋や内地から離れた海域での艦隊行動に言及した事にも示されている。朝日はそんな彼女に対して胸の内にアーマーを設置する事も出ず、見事に見透かされたその憂いは現実味を帯び始めた。
『戦は・・・、ご免被りたいわね・・・。』
ずっと手にしていたカップを朝日はテーブルの上に音も無く置き、腹部をゆっくりと擦りながらもう片方の手で自身の肩を抱く。師走も目前の11月の寒気とはまた違う何かにより僅かに震え出す朝日の肩は、力なく乗せてみた片手のみではその動揺を抑えきれない。対して出雲は眼前のそんな朝日の様子を目にし、彼女が抑える肩の辺りに日本海海戦で負った古い裂傷の跡があるのも知っている故に、これ以上の語りかけはやめる事にした。
『ああ、朝日・・・、ごめんよ・・・。悪かった・・・。』
珍しく表情を曇らせて朝日の気持ちを代弁するように声を放ってきた出雲は、当初から大切な友人たる朝日を苦しめるつもりで声を放っていた訳ではない。長い付き合いである上に洞察力に優れた出雲にとって朝日という友人の想いが持つ透過率は余りにも希薄過ぎるのであり、常に笑みを持たせてやろうと企図するが故に意識せずとも読み取れてしまうのである。憂いがあるなら自分が取り除いてやろうという、40余年の間ずっと注いできた出雲なりの友人への心配りの一端であった。
ただ今回は少し行き過ぎて空回りしたのは、朝日の苦悶にも似た表情がこれ以上無いくらいに物語っている。出雲はすぐにカップをテーブルの上に置いて立ち上がり、うずくまるような姿勢であった事から近い所にあった朝日の肩にそっと手を当てて温もりを送る。
もっともお互いの胸の内を長い付き合いで良く知るのは朝日だって程度の差はあれど同じであり、鋭く切り込むような言葉を放って自身の身体に不快感を与えた出雲を憎い等とは決して思わなかった。肩に伸ばされた友人の腕を軽く叩いて自身の健全を伝え、朝日は折り曲げていた背筋をゆっくりと再び垂直に戻していく。それに伴って見上げた所には心配そうにして覗き込んでくる出雲の顔があり、朝日はちょっと奥歯を噛んで幾分強引に口元を吊り上げて呟くように声を放つ。
『ふふ・・・。いいえ、大丈夫よ・・・。』
ようやく姿勢を戻して弱々しいながらも笑みを浮べた朝日がテーブルの上に置かれていたカップに再び手を伸ばす仕草を認め、出雲は謝罪と心配の念が入り混じった表情のままソファに腰を下ろす。次いでどちらからという事も無くお互いに少しの間の沈黙を利用してティーの味わいに浸り、眼差しも語りかけも伴わない会話で自身の友人に向ける真心を交感した。
その事で出雲は胸を撫で下ろして小さく溜め息を放つが、続けざまにもう一度謝罪の言葉を述べようするのに先んじて朝日の語りかけが響いてくる。その内容は地獄の日々と化した日露戦役に纏わる記憶にあって、唯一輝きを放つ物だと信じる思い出を友人もまた抱いている事を示していた。
『あの頃・・・、日露戦役が始まろうとしていたあの頃・・・。初瀬達をその後の戦で失った事を思えばとても不条理なんだけど・・・、あの頃は本当に楽しかったわ・・・。』
力がまだまだ篭らないその声は震えも混じっていそうな物。だが緩やかに端が吊り上がる唇より発せれた朝日の声はどこか半笑い気味で、出雲もまたそんな色合いの声を持ち前の低くトーンが利いた自身の声に感染させて応じる。その言葉も眼前の友人が口にした当時の事を補完して行き、朝日は弱々しいながらも優しげな笑みを出雲の顔になぞらせて耳を澄ませた。
『ああ・・・。楽しかったなぁ、あの頃は。美味いティーを淹れてくれる朝日がいて、怒りんぼの敷島がいて、厳しかった八島先輩や高飛車な富士先輩がいて、いっつもニヤニヤしながら本を持って走り回ってた初瀬や常盤がいて、ブーブー言ってたあたしらにも熱心に説教垂れてくれた松島さんや鎮遠さんらがいて・・・。ははは、そしてなんてったって三笠がいたからなぁ・・・。毎日うるさくて寝れやしなかったモンさ。』
出雲の口から紡ぎ出されて行く記憶とその光景は、そこにいたかつての仲間達の名で二人の脳裏に昨日の事の様に浮かび上がってくる。備えるという意識の下に励んでいたのであるから決して毎日を笑って過ごせた訳ではなかったが、海軍艦艇の命としてこの世に生を受けて故郷より遠く離れた貧乏島国の海軍へと嫁入りした出雲と朝日にとって、良くも悪くも波乱づくめであったその当時を思い出してみると、二人の顔は意識せずとも微笑を形成していく。
憤りを隠せずに怒った事だってある。憎しみにまで昇華させた心に任せて殴り合いの喧嘩をした事だってある。どうにもならぬ事態に頭を抱えて落ち込んだ事もある。悔しさや悲しみといった感情を昂ぶらせて涙を流した事だってある。迫り来る恐怖に慄いて逃げ出したいと思った事すらもある。
喜怒哀楽の全てが遺憾無く詰め込まれた時間であったのに、出雲も朝日も笑みを持って当時を振り返ってみせる。その中心に居たのは出雲が口に出した者達に始まる、それぞれが各々の考え、心情、経歴を持ちながらも世界地図の東の端で巡り合い、そこで同じ軍艦旗をその身に翻したかけがえの無い仲間達であった。
そこまで二人が同時に想いを巡らせるや、出雲は荒い手つきで首筋を掻きながら口を開く。
『なんであの時、気付けなかったのかねぇ。あたしらは・・・。失ってからなんて、もうまっぴらご免だ。』
少し断片的な物言いで短く語った出雲。主語が抜けたその言葉は第三者がもしその場に居たなら理解できないであろうが、ほぼ同じ40余年に至る時間、同じ場所で一緒に頑張ってきた朝日は出雲の言わんとしている事をよく理解している。ゆっくりと息を吸い込みながら、朝日は首の両側辺りでカーブを描く琥珀色の髪を手ぐしで整え、やがて手を膝の上に戻すと大きく胸を張って少し強めの口調で言った。
『私は、初瀬達が犠牲になったのは艦魂として当たり前の事だなんて思っていないわ。私達はただの剣や盾程度の物なんかじゃない、剣や盾として"生きる者"。そしてそれに対して邪魔だてする存在には、実力を持って事に当たるのが私達。それをもう一度、内地に帰ったら長門達に伝えてみるわ。』
『ああ。あの地獄の中で、陛下への万歳や君が代を叫んだ程度で死を受け入れる様なオメでてー奴は、あたしらの中には一人もいなかった。大事な物、護る物をはき違えた末路を知るのはあたしらだけで十分だ。それを長門みたいな若い子等には是非とも伝えてやんなきゃね。帰れなかった初瀬達の分もさ。』
声を返した出雲は首筋を掻いていた手をそのまま残し、首を鳴らして朝日と同じく力の篭った笑顔を浮べてみせる。ニヤリと歯を覗かせた唇を鋭角に折り曲げ、不意にその場に立ち上がって半分ほどにまで減ったティーを湛えるカップを握る右手を正面にいる朝日の方へと伸ばした。すると朝日もテーブルの上に置いていたカップを右手に取り、その場に立ち上がって眼前の出雲へと伸ばしてみせる。
するとお互いが伸ばしたカップを持つ右上では僅かに肘を視点にして折れ曲がり、出雲と朝日の胸の高さで斜め十字に交差する形で接した。カップから伝わってくる暖かさと、手首と肘のちょうど真ん中の辺りで密着した部分に感じるお互いに温もり。その二つの温度こそ、40余年の間ずっと変わらなかったお互いへの親愛の熱だと改めて感じ、二人はそれぞれの顔に深いしわが出来るのも厭わずにニッコリと笑って静かに声を交えた。
『軍艦というのは死を積荷とする船。でも私はそんな軍艦として生まれた自分を不幸だとは思っていないわ。妹も仲間も何人も死んだけど、私は帝国海軍の艦艇としてこうして今も生きていられる事を心底良かったと思ってるわよ。出雲。』
『ははは、あたしもだよ。なんたって朝日と会えたからな。ホワイト・エンサインが羨ましかった時もあったけど、もう頼まれてもマストに掲げる気なんかこれっぽっちも無いよ。』
『ふふふ。誰も頼まないわよ、もう歳なんだから。』
『そりゃお互い様だ。内地に行ってもあんまり無理し過ぎるなよ、オバハン。あははは。』
お互いの年齢に関する応酬に笑い合う、出雲と朝日。目元にも口元にもクラックが消えない顔立ちに、変わらないのは高い鼻と奥まった目という西洋人の顔つきのみ。白い航跡も混じった琥珀色のカールが掛かった海流とブルネットの真っ直ぐな滝もまた、二人は同時に瞳に入れて笑い声の根本として行く。言葉を伴わせずにしばらく笑った後、彼女達は全く同じタイミングで口を開き、それぞれがイギリスという同じルーツを持つ事から別れの時に口ずさむ歌を歌い始める。
だがこの時、別れという物に伴われる二人の感情は負の代物とはならず、それは出雲と朝日が交差した形で絡める右手をそのままに、身体を歌のテンポに合わせて左右に揺らしながら歌声の音量を叫ぶ様な大きさにまで次第に上げていくという、それぞれの歌い方にも示されているのだった。
Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and auld lang syne ?
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
(旧友は忘れていくものなのだろうか、古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。)
And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine !
And we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
(我らは互いに杯を手にし、いままさに、古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。)
We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ;
But we've wander'd mony a weary fit,
sin' auld lang syne.
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
(我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。)
We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ;
But seas between us braid hae roar'd
sin' auld lang syne.
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
(我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。)
And there's a hand my trusty fiere !
And gies a hand o' thine !
And we'll tak a right gude-willie waught,
for auld lang syne.
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.
(いまここに、我が親友の手がある。いまここに、我らは手をとる。いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。古き昔のために。友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。)
もうすっかり落ち着いた40代の女性の外見を持つ二人。その身体だって老いが蝕んでいる状態で、ここ最近の生活で腹の底から声を振り絞って叫んだ事など皆無である。生来が大人しい性格の朝日には特にそれが顕著なのであるから、歌い終ると彼女は友人に反して肩で大きく息をしている始末であった。ましてその歌も40余年の生涯で使い慣れた日本語では無く、同じ時間だけ封印していた遠き故郷で使われる言葉である。
規律を失った吐息と軽い動悸に苦しみながら、朝日はその辛さを出雲の笑みに投げた。
『はぁ、はぁ・・・。久しぶりにQueen's Englishで歌ったけど、舌が疲れちゃったわ・・・。はぁ、はぁ・・・。』
若干の汗も浮べてそう言った朝日を出雲はケラケラと笑う。支那方面艦隊としてお仕事に励んだここ数年、オーガスタやペトレルといった英語圏の艦魂達との会話で英語を用いている事から彼女は多少の免疫を持っていたのであり、友人のように疲労の色を全開にするような事は無い。胸の前に拳を握って僅かに背を丸める朝日の背中を擦りつつ、出雲は友人のそんな英語への苦労を独特の言い回しでちゃかした。
『おいおい、forgotの"t"の発音が無かったぞぉ、朝日ぃ。スコットランド訛りだとしても、朝日は"t"には人一倍拘ってる筈だろう?』
そう言いながら出雲は片手に握ったカップを顔の横まで持ち上げ、左右に小刻みに傾けて朝日の視線を誘う。昔から陽気で頭の回転の速い出雲らしい、アルファベットの発音とカップの中にあるオレンジ色の湖面をかけた冗談だ。
してやられたと朝日はまだまだ静まらない胸の鼓動に耐えつつ半笑い気味の声を返し、対して出雲は友人が笑みの中で悔しい気持ちを示した事に高笑いしてみせるのだった。
『はぁ、はぁ・・・。んもう・・・。』
『あ〜はっはっは! いやあ、朝日のティーはやっぱんまいよぉ! もいっぱい!』
こうして朝日と出雲は変わらぬ友情と互いが抱く現代への想いを示しあい、翌日の朝に再会を約束して上海の波間で別れる事となる。
もうすぐ雪を運んでくるであろう冷たい風が勢いを増す、昭和15年の11月7日の出来事であった。