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わだつみの向こう ─明石艦物語─  作者: 工藤傳一
第一章 巡り合わせ
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第八話 「輝く色」

 昭和14年10月1日。

 西の水平線へと陽が落ち、青白い月の輝きが目立ち始める呉海軍工廠。


 軍港内のとある桟橋に横付けし、昨日に続いて行なわれた工作訓練を終えた明石(あかし)艦。

 (ただし)の部屋では床に座って図上演習中の神通(じんつう)(かすみ)(あられ)の三人と、それをベッドの上から見守る明石、那珂(なか)の姿が有った。

 兵棋として使う小指程の艦艇模型を霞と霰は正座して小刻みに動かし、その都度それぞれが頭を捻りながら紙に行動項目を書き出している。この兵棋に使っている艦艇模型は木彫りで、神通に相談された明石が艦内の木具工場に忍び込み、廃材を失敬して彫刻刀を片手に自作した物だ。

 その一方、真剣に紙に鉛筆を走らせる二人の向かいに座る神通はベッドにもたれて脚を崩し、片手で持った物指しで肩をトントンと叩きながらその二人を眺めている。ベテランにして怖い上司でもある神通の厳しい視線に、霞も霰も取り組む表情は必死の色合いが濃い。


『・・・時間だ。』


 やがて響いた神通の声に霞と霰が気まずそうな顔で鉛筆を置き、行動項目を書き込んだそれぞれの紙を神通に差し出す。神通は表情を変えずに相変わらず肩を物指しで叩きながら二人の提出した紙を手に取って読み始め、霞と霰は冷や汗を掻きながら定まらない視点で床を眺めて肩を張って正座している。

 だが紙を読み始めてからしばらくすると、視線を髪に向けたままで神通が口を開いた。


『おい、霞・・・。』

『は、はい・・・!』

『お前、襲撃目標に接近する際にどう近づくって?』

『は、はい・・・。え、えっと、目標の艦首に自分の艦首を向けて航行し、最短時間で・・・。』

『この馬鹿が!!!』

『ひっ・・・!』


 神通の怒号と振りかぶった腕に、霞とその隣に座る霰の身体がビクンと震える。二人の身体はこの後に続いて問答無用で襲ってくる神通の拳をつい昨日まで何度も体験しており、反射的に二人は歯を食いしばって目を閉じる。


パシッ!


『ぉ・・・?』


 思いっきりぶん殴られると思っていた霞は、額に受けた予想外に弱い衝撃にゆっくり目を開ける。そこには神通の手から伸びた竹製の物指しが、自らの額に乗る光景があった。その光景に硬直したままキョトンとする霞と霰に、神通は鋭い目つきで睨みつけながらも腕を戻していく。やがて再び物指しで肩を叩き始めると同時に、神通は手にした書類に視線を流して声を放つ。


『真正面の針路をとれば敵にしたら阻止はしやすい。阻止砲撃の調整は俯仰角だけで済むからな。そんな事もわからんのか?』

『あ、す、すいません・・・!』

『こういう状況下での接近は敵を2時、もしくは10時方向に捉えて接近するんだ。敵の砲撃調整を混乱させ、艦を真横に向けない事による投影面積、即ち命中率の低減。そしてこちらの雷撃体制への移行を同時に狙える。』

『は、はい・・・。』


 ビクビクしながら俯いて返事する霞だが神通は彼女をそれ以上叱ろうとはせず、頭を掻いてため息をつきながら続ける。その声の内容は霞に対する叱咤ではなく、神通自身がその肌身越しに体験して得た教訓であった。


『まったく、私と同じ回答をしおって・・・。』

『は、はい・・・?』


 神通は首を傾げて頭を掻き、少しだけ眉をしかめながら霞に向けて語り始める。


『・・・昔、先任の二水戦旗艦である鬼怒(きぬ)さんに、私も同じ回答をして怒られた。』

『せ、戦隊長が、怒られた・・・?』

『ふん。当時は私も馬鹿だったという事だ。その後の演習でも自論を通した挙句、大恥を掻いた・・・。』


 初めて耳にする上司の過去、それも尊大で暴力的な姿勢を特徴とするこの人の事を鑑みると、かつての失態を惜しげも無く伝えてくれる上司の今の言葉が霞にはなんだか嘘のように思えてならない。無論、神通としてもド恥ずかしいかつての自分を引き合いに出す事に抵抗が無かった訳ではないが、それ以上に今日の彼女にはなんとか眼前の新兵に教育を授けようという使命感にも似た意識が満ち満ちていた。


『二水戦の者は同じ恥を二回も掻かいてはいかんぞ、霞。今言った事をよく覚えて、次に生かせ。』

『え?あ、は、はい・・・。』


 優しい言葉をかけながらも頭を掻いて恥ずかしさを誤魔化す神通の仕草に、明石と那珂は顔を見合わせて小さく笑った。神通はその二人に様子に気づいていたが、特に憤りの表情を浮かべる事も無く到って無視して紙をめくり、今度はその紙に筆を走らせたもう一人の部下、霰へと声を放ち始める。


『霰・・・。』

『は、はい・・・。』

『お前、一体何時になったら攻撃行動をとるんだ?』

『あ、はい・・・。あの、その、先頭の艦が旋回を終えはった所で、針路を変更して・・・。』

『馬鹿者が!』


 激しい剣幕で放たれた神通の怒号により霰もまた身を硬直して目を閉じたが、振り下ろされた物指しの衝撃に拍子抜けする。だが頭に物指しを乗っけられつつも、飛んできたお叱りの言葉に慌てた霰はすぐさま謝罪の声を返す。


『う、す、すみませ─。』

『解ってる。お前は先行する艦との安全距離を取ろうとしたんだろう?』


 すると霰の謝罪はその相手である上司の言葉で遮られるのだが、その際に放たれた言葉は奇しくも紙に書いた内容における霰の考えを極めて端的に捉えた物で、霰は二重の驚きを得てうわ言に近い音色の声で応じた。


『え・・・。あ、はい・・・。』

『判断は正しいがその為に隊形を崩すな。さらに後続の艦がいた場合どうするつもりだ? この距離の強襲ならどうせ敵にはもう発見されてる。こういう場合は発光信号や無電を有効に使って連絡を取り合え。』

『あぅ、す、すみません・・・。』


 是正された内容をなるほどと理解する霰だが、何分にもそれを口にした上司のお顔と声に対してまだまだ恐れという感情が(くすぶ)っている有様である。そんな中でなんとか彼女の口から紡ぎ出された言葉はまたしても謝罪の言葉であったが、神通もまた先程の霞と同じ様にかつての自分の事を話題に上らせて霰への教育にしようとするのだった。


『ふん。だが夜間における艦隊運動に対し、僚艦同士での衝突を真っ先に懸念したその判断は正しい。仲間内で衝突など一番やってはいかん。二水戦からは絶対に衝突事故等は起こさせん。私のようにはなるな。解ったな?』

『・・・。』


『返事をせんか、馬鹿者!』

『あぅ、は、はい・・・。すみません・・・。』


 呆けた顔で聞いていた霰の額に、再度物指しが振り落とされた。だが神通は物指しを持ち直すとすぐに顔から怒りの色を消し、霞と霰の行動に対しての講評を続ける。霞と霰は戸惑いながらも、神通の声に耳を傾けた。

そしてその光景を神通の背後から目にしていた那珂と明石も、どちらからという事も無くその光景に口元を緩める。


 明石と殴り合った翌日、神通は部下全員に全てを話して土下座して謝った。神通は見栄も対面も意地も、そして悲しみも、その全てを捨てた。そして自分の持つ経験と知識の全てを使って、二水戦旗艦として部下を教育していく事を心に決めたのだ。言葉遣いは荒いが神通の講評は、何故いけないのか?どうすればいいのか?を的確に射抜く丁寧な説明であり、生まれたばかりの霞と霰は自分の至らなかった点を難なく理解する事ができる。二人が対面する神通の顔には、もう獣のような表情は無い。そこにあるのは冷静沈着にして経験豊富な、そして花の二水戦の誇りと実力を全力で伝授しようとする立派な指揮官の顔だった。





 後年、この神通に率いられた第二水雷戦隊は日本が敗北への道を転がり始めた時期にあって、ソロモン方面で攻勢に出た連合軍艦隊を恐怖のどん底に叩き落すのであった。






 そんな中、重苦しい金属音を伴なって扉を開けたのは部屋の主の忠だった。いつもの通り、紙袋にお菓子や飲み物を詰め込んでのお帰りである。


『よ、やってるね。』


狭い部屋に絆創膏や包帯姿の女性が5人もいる光景は不思議だ。何だこりゃ?と思わず微笑む忠は、扉を閉めて机に紙袋を降ろす。さっそくその中身を机に出しながら、彼は口を開いた。


『差し入れだ。みんな、食べてよ。』

『あ、すいません森さん。今、教育中で─。』


 忠の優しい言葉に感謝の念が耐えなかったが、那珂は思い切って遠慮した。せっかく姉が昔の優しさを取り戻し、しばらく振りに見る部下への教育を止めたくなかったからである。だが意外な人物が、那珂の言葉を遮った。


『かまわん、課業時間外だ。それに私も、先任から教練を受けた時は同じ事を考えたもんだ。さあ、二人とも楽にしてご馳走になれ。』


 そう言って霞と霰に薄っすらと口元を緩めた表情を向ける神通の肩に、明石が手を触れて声を掛ける。


『へぇ〜、神通もそう思ったことあるんだぁ?』

『ああ、早く終わらないかって時計をチラチラ見てたもんだ。なあ、那珂?』

『ふふふ、そうだったね。』


 笑い合う上司達に、霞と霰もまたはにかみながらも笑みを浮かべる。


 この面子で笑い合えるとはなんと幸せなんだろう。


 眼前の様子からそんな思いを抱いた忠も、自然とその顔に笑みを作った。


 人数が人数だけに忠の調達した物品の消費は早く、机の上からお菓子があれよあれよという間に消えていく。もちろんお菓子の山の一角を鷲掴みで持って行ったのは明石。那珂と神通はお酒を飲んでいるが静かな飲み方で、助かったと忠は安堵する。実は明石が酒を飲むと声を張り上げて騒ぐので、同居人である彼はゆっくりと眠る事が出来ないのだ。

 しかしその和気藹々とした雰囲気にも、忠にはちょっとした疑問が有った。何食わぬ顔で部屋の木霊する彼女達の会話に耳を傾け、ふと話し声が一段落した所で彼は思い切って声を上げる。


『なあ、神通。一つ聞いていいか?』

『ん?なんだ、森?』


 神通はベッドに腰掛けて、持参した陶器の碗でお酒を飲んでいる。突然の忠の声を受けてもその表情を変えず、組んだ長い脚をブラブラと動かしながら彼の声を待っていた。


『なんで、オレの部屋で兵棋演習してるんだ?』


 忠の問いに、碗を口に当ててクイッと一口飲む神通。やがて彼女は小さくため息をしつつも笑みを浮かべて、一言。


『酒と菓子が調達できるからだ。』


 アンタら艦魂は、他人の財布をなんだと思ってるんだ?


 そんな言葉を脳裏に浮かべながらも、決してそれを口に出す度胸の無い忠は苦笑いして俯く。だが神通は彼のその態度を大いに笑いながら言った。


『ふははは。どうせ航海手当や訓練手当で儲けてるだろ?このぐらいいいじゃないか。』

『そうだ、そうだ〜!』

『いつもおおきに、森さん。』


 神通の言葉に乗っかる明石と霰。


 そういうセリフは自費で飲み食いしてから言ってくれ。


 悲痛な忠の思いだが、言って彼女達を怒らせると後が怖い。故に忠は愛想笑いして誤魔化すしかなかった。





『・・・う〜ん?』


 突如、神通はそう声を上げると椅子に腰掛ける忠の前に近寄り、その顔をマジマジと覗きこんだ。ほろ酔いしているのか、神通の両頬がほのかに赤い。ついこの間は鬼の形相だった神通だが、今の彼の瞳に映る彼女は中々に美人なお姉さんだ。忠はそんな神通の視線に耐えれず、ちょっと顔を背けながら弱々しく声を返す。


『な、なんだい・・・?』

『へぇ〜、こうやって見ると割と良い男だな。』

『ええ!?』


 その瞬間、まるで時間が止まったかのように部屋の空気が凍りついた。神通の口からそんな言葉が出るとは実の妹の那珂ですら想像できなかったらしく、彼女は口に碗をつけたまま硬直している。だが神通はそんな空気も露知らぬ顔で、今度は足元に座る部下達に向かって顔を向けた。


『おい、霞。お前、明石との訓練航海での射撃成績は五分って言ってたな?』

『え?ええ、まあ・・・。』

『ふぅん、じゃあ腕もよさそうだな。どうだ私の艦にこないか?』

『ちょ、ちょっと、神通、何言ってるのよ!?』


 神通がそこまで言うと、ベッドの端でその声を耳に入れた明石が慌てて忠と神通の間に割り込んだ。少し眉を吊り上げて口を尖らせた表情の明石だが、対する神通はすっ呆けた顔で首を傾げる。


『・・・私の艦は単装砲塔が艦首から艦尾まで7基もあるんだ、分火指揮なんかする時の為にも、腕の良い砲術士が欲しいんだよ。くれ、明石。』

『ダメに決まってるじゃない!!』

『・・・、ふぅん、そうか。』


 眉を吊り上げる明石によって拒否され、神通は渋々ベッドへと戻って行く。その間、明石はチラっと忠の顔を見たが、忠が視線を向けるとまた視線を逸らした。ベッドに腰掛けた神通はその右手に再び碗を持ち、那珂から酒を注いで貰っている。

 部屋の中を奇妙な静寂が支配し、ちょっとだけ険悪になってしまった感のある空気が辺りに立ち込める。そしてそんな部屋の雰囲気を何とか解そうと、明石の足元で脚を崩す霞が声を発した。


『せ、戦隊長。あの、森さんは明石さんにとっては大事な人だから・・・。』

『まあ、そうだろうな。私も水城さんは大事だった。』

『そ、そうですよ〜・・・。』

『でも、私にとっては父みたいな人だったが、この二人は親子には見えんぞ?』

『神通!!』

『怒るなよ、明石。かといって親密な仲な訳でもないんだろ?森には黙って私の所に喧嘩しに来たぐらいだし・・・。』

『なんだって・・・?』

『・・・!!』

『じ、神通姉さん、失礼でしょう!?』


 那珂の言葉にも、神通は首を傾げて酒を飲む。

 だが実は神通の言った事と同じ疑問が、忠にも有った。神通と衝撃的な出会いをしたあの日、忠が夕食から戻ると部屋には泣き疲れて眠る霞と霰しかいなかったのだ。明石の行方を聞いても解らないという二人の言葉を受け、忠は艦内のあちこちを見回ったのだが彼女の姿は無かった。やがてすっかり消灯時間を過ぎた頃になって、当の明石は顔の傷を増やしてひょっこりと帰ってきたのである。『もう大丈夫だよ。』と上機嫌で言う明石だったが、忠が訳を聞いても彼女は教えようとしなかった。翌日の朝になって神通が現れ、いきなり頭を下げてきたので忠は何がなんだか解らずに許して今に至るのだ。

 そしてもう一つの疑問を忠は持った。


 そういえばオレと明石ってなんなんだ?


 そう忠も考えた刹那、明石は部屋の扉を勢い良く開けて飛び出していった。そして目の前を横切る明石の横顔に、彼は目の辺りで光る物を一瞬認めていた。


『明石・・・。』


 力無く呟く忠を他所に、神通は俯いて目をつむりながらも、不思議と笑みを浮かべて酒をゆっくり飲んでいる。だが自分の言葉で状況を変えたことに対してあまりにも無関心な神通に、妹の那珂は神通の肩を擦って問い質す。


『神通姉さん!!なんであんな─!』

『ふん。森、追いかけてやれ・・・。』


 神通は静かながらも力の篭った声で、呆ける忠に諭すように話しかけた。そして彼女の口から放たれる言葉は、ゆっくりと忠の気持ちを揺らし始める。


『え・・・?』

『お前は明石の事、どうでもいいのか・・・?』

『・・・。』

『他の艦への転属なんて、士官じゃ珍しい事じゃないだろ。お前、そうなった時どうするんだ・・・?』


 忠はその言葉に意を決して部屋を出て行った。しんと静まり返った部屋に、神通が酒を注ぐ音が木霊する。那珂はそんな神通の行動に少し思い当たった事があった。姉の顔を覗きこむ様にして背を丸め、那珂はその事を確かめる。


『神通姉さん・・・。わざとあんな事を・・・?』


 すると神通はそれまで閉じていた瞼を持ち上げ、那珂に視線を流して寂びそうに微笑んだ。


『あの二人には別れという物を味わって欲しくない・・・。その為には二人でよく理解しあう事が必要なんだよ・・・。』







 明石は艦首の旗竿の下で膝を抱いて海を眺めていた。

 月夜に響く波の音、そして水平線の所々に光る艦船の灯火がどこか寂しい。細い目でそれを見ていた明石は後ろに走り寄る足音に気づいたが、その主に見当がついた彼女はそのまま海の向こうから視線を逸らさない。


『明石・・・。』

『・・・。』


 忠の声に明石は膝を抱く腕に力を入れて縮こまった。首の後ろで結った明石の髪が、水に浮かぶ根無し草のようにフラフラと風に揺られる。そんな彼女の後姿を目にしながらも、忠は脳裏に抱いていた彼女への疑問を投げつけてみる事にした。


『なあ、どうして神通の所に行った事、話してくれなかったんだ?』

『・・・森さんに言えば、止めたでしょ?』

『当たり前だろ。』

『・・・。』

『まったく、あんなに傷だらけになって・・・。』

『・・・ふ、ふふふ。』


 忠のトーンの低い真面目な声がそこには響いていたが、明石はそんな彼の言葉を受けて、肩を震わせていきなり笑い出した。


『・・・?』

『心配してくれた?』


 立ち上がりながら明石はそう言うと、呆ける忠に顔を向けて笑みを返す。明石のその笑みを忠は不思議に思って眉をしかめるが、明石はそんな彼の表情を無視して背を向け、夜空を見上げて話し始めた。


『私ね、佐世保から呉に回航されてくる時にね、大きな客船とすれ違ったことあるんだ。』

『客船?』

『うん、名前はわかんないんだけど。でもとっても大きくて、白と黒の塗装で綺麗なお船だったなぁ。』

『・・・。』


 突然と明石が語り始める自分の過去。それが自分の疑問に対してどう結びつくのかが忠には理解できなかったが、今まで知らなかった明石の過去を彼は素直に知りたいと願う。口を噤んで脚を崩す忠を背に、明石は続けた。


『でね、たぶんそのお船の艦魂だと思うんだけど、舳先に綺麗な和服を着た女の子が乗ってたんだ。私に気づいてお辞儀してくれてね、私もお辞儀をかえしたんだ。』

『・・・。』

『その時思ったんだ。なんで私はこんな地味な色をしてるんだろう?なんで私はあんな綺麗な服じゃなくて、黒一色の軍服なんだろう?って・・・。』

『明石・・・。』

『指をくわえてそのお船見ながら、呉に入ったんだ。でもね、そこには私と同じ色の艦魂が一杯いたから、そんなに気にはしなかったんだ・・・。でも違ったんだ。みんな同じ服を着てるけど戦闘艦でしょ、工作艦って私一人だけだった。だから誰も話しかけてくれなかった。辛かったなぁ、みんな強そうな大砲や魚雷を持ってるのに、私の艦って起重機ばっかりなんだもん・・・。』


 初めて知った明石のちょっと昔の記憶。だがそれに微笑ましい感じは覚えられず、むしろ自身と仲間の違いをまざまざと見せ付けられたという明石を、忠はとても可哀想に思う。だが哀れみの視線を向ける彼に反して、明石はどこと無く明るい声で続けた。


『なんで私はこんな姿で生まれたんだろう?って思った・・・。』


 明石は手を後ろで組んで、夜空を眺めたままだった。だが忠の瞳に映る寂しそうなその背中とは裏腹に、夜空が照らす明石の顔では口元が緩んでいた。


『いっつもそう思いながら測距儀の上からみんなを眺めてた。そんな時、森さんが測距儀の上に出てきたんだよ?』

『あ、ああ。あの時か・・・。』

『森さん、そこで私に言ってくれたよね?長門さんや赤城さんにも出来ない様な事が私にはできるって・・・。』

『あはは、そうだ─。』

『嬉しかったなぁ。とっても・・・。』

『・・・。』

『それから森さんとちょっと過ごして、こんなにも私って良い艦なんだって思うようになったんだ・・・。』


 そこまで言ったところで、明石は身体を艦首から忠に向ける。改めて忠に見せた彼女の笑みは、忠が浮かべていた哀れみの表情を失わせるほどに幻想的で綺麗な笑み。思わず息を飲む忠だが、明石は構わず続ける。


『私ね、それが全て他の艦魂にだって、胸を張って自慢できる事だと思ってる・・・。そして森さんが言ってくれた工作艦としての私も、霞が言ってくれた軍医としての私も・・・。』

『・・・。』

『私ね、神通さんの一件で霞と霰が泣きついてきた時、それを神通さんに否定されたような気がしたんだ・・・。』

『・・・。』

『那珂さんの話を聞いてから、余計そう思った。・・・だから、私一人で行ったんだ。』

『明石なりの誇り、か・・・。』

『どうかなあ、そんな大きな事は考えてなかったよ。でも・・・。』

『でも・・・?』

『・・・絶対に、譲りたくはなかった。私にそれを教えてくれた森さんや、霞や、霰や、乗組員の皆の事だったから・・・。』


 いつの間にか明石が立派な帝国海軍艦魂になっていた事を、忠は彼女の言葉から理解する。彼の目の前にいるのは、れっきとした帝国海軍工作艦明石の艦魂だった。己の在り方に誇りを持ち、それを身分や恐怖で左右させなかった明石の決意。それを強く胸に秘めたからこそ、彼女は神通とすらも殴り合えたのだった。

 そしてそんな明石の心情を察すると同時に、途端に忠は同じ様な想いを持っていない自分がなんだか恥ずかしくなる。


『なんか、ごめんな。明石。』


 突然の忠の言葉に、明石は僅かに瞳を見開いて彼の顔をみつめる。忠は苦笑いして頭を掻きながら、自身の想う所を正直に言った。


『正直、今までそんなに今の自分の立場を誇れるように思ってなかった・・・。』

『ふふふ、今は?』

『オレ、この艦の砲術士になれて良かった。誇り高い工作艦明石乗組みだからな、胸張ってこれからがんばるよ。』


 明石はその言葉に安堵したかのように胸を撫で下ろし、空に煌々と輝く月に負けない美しい笑顔で微笑んで、艦首に向かってゆっくり歩き始めた。その緩んだ口元から漏れる笑い声に忠もやっと笑みを浮かべる事が出来たが、明石の笑い声はすぐさま治まる。


『ふふふ、そっかぁ。─あれ?』

『ん?どした?』

『あはは、あそこ見て。』


 明石が笑って指差したのは、艦首のすぐ下にある桟橋の倉庫群の隅だった。見れば2人組の水兵と5人組の水兵が対峙して、何やら大声で言い争いをしている。


『テメエ等、明石艦の水兵だろうが!?軍艦の水兵に、肩ぶつけといて詫びの一つもねえのかよ!?』

『こちとら軍艦伊勢乗り組みだぞ!?テメエ等みてえな特務艦と一緒にしてんじゃねえよ!!』

『上等だこの野郎!!明石魂を見せてやらぁ!!!』


 聞き知った声でそう叫んだ2人組みの内の一人は、5人組の水兵と取っ組み合いの喧嘩を始めた。忠はその光景にため息をして額を抑えた。なぜなら明石艦内において、渦中のその人物を誰よりも知っているのが自分であったからである。


『はあぁ・・・。やってやがる、あの馬鹿・・・。5対2で・・・。』

『明石魂か・・・。ふふふ。』


 弟の鉄砲玉ぶりに呆れる忠を他所に、明石はその言葉に微笑んだ。


『こらあ、お前等!!何やってんだ!?』


 そう叫んで諍いを止めようと、艦中央に掛けられたラッタルに走っていく忠。その背中を見つめる明石だが、自身の乗組員による殴り合いを前にしつつも、その顔に浮かべた笑みを絶やす事はない。


 明石は嬉しかった。

 みんな、明石艦乗組みに誇りを持ってる。

 脳裏に浮かんだ言葉に、明石は口元を緩めて夜空を見上げた。そこに在るのはキラキラと無数に輝く星達。


 大小や色の違いこそあれど、光りを放たぬ星は無い。自分の光る色は何色なんだろう?


 そんな思いで見上げた満天の星空は、宝石のように綺麗だった。


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