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第七四話 「名前をくれた地」

 昭和15年10月12日。

 横浜沖にて整列していた観艦式参加艦艇の全てでは、寥々たる課業始めのラッパと供に乗組員達総出での電飾索納め作業が始まっていた。数年に一度しか施す事ができないであろう電飾策は乗組員にとっても艦魂達にとっても名残惜しく、甲板に輪にして積み上げた索が艦内の倉庫へと向かう光景を無言で見送る。各艦の電飾索はこれから艦内奥深くの倉庫へと運ばれ、そこでまた数年後の空で輝きを放つ事を夢見ながら長い眠りへとつくのだ。

 昨夜の間は美しさに溢れていた自身の姿を見学者と供に楽しんだ明石(あかし)も、乗組員に担がれて艦内へと運ばれていく電飾索を見守る。艦魂の明石にしたらそれはただのお船の備品程度の代物ではなく、自身の外見を綺麗に飾り付けてくれる大切な装飾品。満艦飾に使用した各種信号旗ならば信号所甲板にていつでも目にする事が出来るが、電飾索はそれに反して日常では全く使用されないので艦内でも出入りの最も少ない備品倉庫に納められる。艦の命である明石でさえも、そう簡単には目にする事が出来なくなるのだ。

 普段からねずみ色のみの色合いしか持てない明石には残念な事この上ないが、これも帝国海軍艦艇である自身のさだめと思って電飾索を見送る。観艦式の終わった横浜は国際港らしくすぐ様民間の商船や客船の往来が始まり、明石は式場海域を迂回して航行していく白い船体の船舶を横目に、中々残り香となって消えない残念な気持ちを拭うのだった。





 そしてこの日を持って連合艦隊所属の各艦隊では、11月の艦隊再編も近い事からこれまで続けてきた艦隊訓練が終了。明石艦が随伴してきた第二艦隊でも所属の各艦は母港へと帰り、新編成と来年に備えての整備を受ける事になった。もう既に一年以上も波間に浮いている明石艦にも呉での入渠整備が計画され、艦底に溜まった垢落としと化粧直しの予定が組まれる。それは連合艦隊司令部を宿す長門(ながと)艦とて例外では無く、姉妹艦の陸奥(むつ)艦と供に所属鎮守府である横須賀へと戻る事になった。

 長門がいない呉に戻るのは明石としても初めての事で、艦尾に遠くなって行く長門の分身に彼女はちょっと寂しそうな表情を浮かべる。大らかで底抜けにテキトーな性格の長門には明石ですらも手を焼く時もあるが、姉と慕ってきたその気持ちは決して嘘偽りな訳ではない。常に自然体である長門の人柄と笑みには何度も助けられているし、同じ師匠に教えを請いだ者として明石が抱いている彼女への親しみは、仲良しの神通や那珂にすらだって無い物だ。

 故にほんの少しだけ不安を抱く明石であったが、頼れる姉はそんな彼女に自身の整備が終わったらすぐに呉へと回航する予定となっている事、そしてお互いに母と慕う朝日(あさひ)が11月には現在の支那方面艦隊隷下の任務を解かれて内地帰還となり、さらには明石や長門と同じ連合艦隊に付属艦艇として名を連ねる予定である事を教え、明石の表情を明るくさせてくれた。長門にとっての横須賀での日々は久々に与えられた帰省休暇のような物で、彼女は呉へと帰る明石に数日前の宴会の際に話した大和(やまと)という名の新米艦魂と仲良くしてあげて欲しいとお願いし、心の不安を払拭された明石は二言返事でそれを了承。別れをお互いに笑顔で済ませたのだった。




 こうして呉への帰途へとついた明石。横浜の波間を発ってしばらくすると、今度は右舷の向こうに横須賀の軍港を認める。お世話になった富士(ふじ)に直接別れの挨拶をする事ができないのは残念であったが、明石は甲板の上から深々と腰を折って大先輩への感謝と敬意を示す。

 彼女はしばらく無言のまま頭を上げなかったが、それは富士と供にもう一人、横須賀の波間に今も暮らしているであろう人物への想いを彼女なりに募らせているからだった。


『森さん・・・。』


 呟いた声は東京湾の潮風に運ばれ、太平洋へと続く水平線の遥か向こうへと流されていく。もう既に呉への帰途についているという事実を胸の内で連呼して明石は諦めをつけようとするが、同時に彼女は会わない方が良いと考えた自分をちょっとだけ憎らしく思うのだった。






 翌、10月13日。時間はお天道様も真上に位置する1120。

 明石艦は紀伊水道を経て大阪湾を北上していた。

 8駆を除いた神通(じんつう)率いる二水戦や七戦隊の仲間達と昨日までは一緒に航行していたのだが、民間の船舶の往来も盛んな大阪湾の波間を掻き分けていくのは今は明石艦ただ一隻のみである。そもそもが前線に出てのドンパチを想定していない特務艦である明石艦は艦影に見合う大きな砲塔などは持っておらず、軍艦旗を翻す艦としては些か迫力に欠けるというのが誰にとっても正直な所。故にすれ違っていく民間船の乗組員達は甲板に出て、ゆっくりと波間を駆けて行く奇妙な海軍艦艇に首をかしげていた。

 当の明石艦の乗組員、そして艦の命である明石にとってはなんとも失敬な態度であるが、今日の明石はそんな自分への視線に気付いても頬を膨らませるような事はない。

 

 艦首旗竿の根元に立って水平にした右手をおでこにつけ、艦首の向かう方向に視線をキョロキョロと動かす明石。元より今の彼女にとっては、右舷から浴びせられる不思議そうな視線なぞ眼中に無かった。身体をくねらせたり背伸びをしたりして探索の視界を確保しつつ、彼女はふと口を開く。


『う〜ん、う〜ん。・・・どこかなあ?』


 しきりに何かを探すようにして明石が顔を向けるのは、明石艦艦首の先に広がる見渡す限りの陸地。以前の艦隊訓練では神戸に来た事もある明石だが、淡路島を左舷に迫る程に望んでいる今の状態からも解る通り、明石の分身の艦首は正確には神戸よりもだいぶ西の方に向かっており、当の彼女もまたそんな事は百も承知である。呉への帰り道としても瀬戸内とは海峡で隔てられ、民間船の通航量も多い大阪湾を航行するのはどこか変ではあるが、実は明石の分身は呉への帰り道においてとある地に立ち寄るようにとの命令を連合艦隊司令部より受けていた。彼女はその目指す地を艦首から望もうと試みているのである。

 やがて旗竿に腕を巻きつけて艦首から身を乗り出していた明石の耳には、いよいよ目的の地が視界に広がった事を示す艦橋配置の乗組員の声が響いてくる。そしてその声に含まれていた言葉に、明石は思わずにっこりと微笑んで眼前に広がる海岸地帯を眺めた。


『方位330度〜。"明石"港が見えます〜。』

『よし。当直甲板員、右舷錨用意。』


『おお! あそこかぁ!』


 つま先立ちになって艦首を望む明石が叫ぶように声を上げる。そこそこの大きさの桟橋を持つものの明石艦が向かう港は呉や横須賀のような大きな軍港ではなく、そも海軍関係の施設だって何一つ無い中規模の港湾である。しかし明石はそんな港の光景に肩を落とす事無く、むしろやっと目にした辺りの景色に子供の様にはしゃぐ。もちろんその理由は乗組員の声にあった、自身と同じ名を持つ眼前の港にこそある。

 やがて明石は胸の中で怒涛の洪水の如くうねる嬉しい気持ちに耐え切れず、相方と過ごしていた時によく歌っていた鉄道唱歌の一節を大きな声で歌い始めた。



舞子(まいこ)の松の木の間より

間近く見ゆる淡路島

夜は岩屋の灯台も

手に取る如く影あかし


明石の浦の風景を

歌に読みたる人麿(ひとまろ)

社はこれか島がくれ

漕ぎゆく舟もおもしろや





 ゆっくりとした速度で桟橋へと進む明石艦が目指したこの地、その名を兵庫県明石市明石港。古くはその周辺を指して「明石の浦」と呼ばれ、二代に渡って明石の名を持つ帝国海軍艦艇の命名由来地がここなのであった。

 旧播磨(はりま)国であるこの地は日本史の上でも大変にその名が知られており、歴史の授業でも必ず教えられる645年の大化の改新以前は明石国とも呼ばれていた過去を持つ。京や奈良といった古き日ノ本の中心だった地からは幾分離れてこそいるものの、鎮西こと九州まで続く山陽道と淡路島への海上交通路が交差するこの地は昔から交通の要衝であり、源平合戦の舞台としても大変に有名である。

 また、この明石という地を語る上で外せないのは、なんといってもこの地から生まれて日本史にその名を残した同名の氏族、明石氏の存在に尽きる。戦国時代後期において特に名を馳せ、竹丸に桐の紋所を掲げたその家柄の系譜はそのままこの地の歴史と捉えても決して過信ではない。

 その最たる人物はやはり、群雄割拠の戦国時代にあってもその名を残した明石全登(あかし たけのり)であろう。

 豊臣恩顧の大名としてこの地を治めた宇喜多(うきた)家に仕えた彼は熱心なキリシタンであると供に謀略と武勇に優れた屈指の武将で、仕えていた宇喜多家においても軍師格とも目された大人物。主君に従っての関ヶ原、主家滅亡後の大阪の陣という大合戦に一族を率いて参戦しており、百戦錬磨の上に十字架を引っさげて死を恐れずに襲い掛かってくるその勇猛振りは相対した徳川方を戦慄させたとも言われる。この恐ろしさは後年に至り徳川の世となってからも永く人々に記憶されたらしく、天下泰平となった頃に起きた島原の乱にて国内のキリシタン勢力が一掃されるまで、「明石狩り」と呼ばれる幕府による明石一族殲滅作戦が何度か実施された程であった。

 しかし戦国の世にあって実力をもってここまで勇名を馳せた明石氏の名が消える事はついになく、希代のいくさ人の血筋は脈々と後の時代にも流れ続けていく。そしてその流れの中で、またしても明石氏の名を輝かせる者が近代になっても現れた。

 日露戦争時に欧州での諜報活動、及びロシア本国での革命勢力支援工作にて有名な元陸軍大将の明石元二郎(あかし もとじろう)である。

 彼の出身は福岡県であり一見すると彼個人の出自に明石と呼ばれる地の系譜は見つける事は出来ないのだが、その家柄は豊臣秀吉公の軍師として名高い黒田考高(くろだ よしたか)公を祖とする黒田藩で庇護を受けてきた明石一族の末裔である。官兵衛(かんべえ)の通称で知られる黒田考高公は播磨の国で頭角を現した過去を持ち、彼の妻はその頃に娶った竹丸に桐の家紋を持つ正統派明石氏の出身で、その縁が明石一族を300年も続いた徳川の世にあっても残し続けていたのだ。

 故に直接の血統ではないものの、明石元陸軍大将は明石全登とは親戚筋に当たる事になる。

 ちなみに本人の遺言によって台湾に作られた明石元陸軍大将のお墓はキリスト教墓地に有り、日露戦役時の権謀術数の面も併せて図らずも歴史は彼とご先祖様の共通点を現代に残しているのだった。




 しばらくしてから明石艦は明石港に入り、明石市の市街地を目と鼻の先に望める桟橋に接岸する。さすがに古くから瀬戸内や淡路島、四国に大阪湾と多岐に渡る海上交通路の玄関口として栄えただけあり、6メートルと一等巡洋艦並の喫水を持つ明石艦でも悠々と接岸できるだけの桟橋であった。そして観艦式にて初めての民間へのお披露目を果たせたからか、明石艦がホーサーを張る桟橋には黒山の人だかりが出来ている。彼等は皆この明石市やその近辺に住む民間の方々で、自分達が住む地の名を冠した艦における建艦以来初の一般公開にこぞって応募してきた人達だ。

 観艦式では帝国海軍の花形である戦闘艦の仲間達に見学者の視線を独占されてしまった明石は、今日は間違い無く自分が主役である事を確信してご機嫌である。一般公開の予定を組んでくれた山本長官を始めとする連合艦隊司令部に深く感謝しつつ、彼女は自身と同じ名を持つ地でそこに暮らす人々との出会いを存分に楽しもうと胸を鳴らした。

 舷門が設置されるや甲板にまず登ってきたのは明石市の市長や市議会議員のお歴々で、整列する乗組員達の前に進み出た特務艦長に労いの言葉をかけてくれる。彼等にとってもこの度の海軍さんのお船が来訪してくれた事は大変に嬉しいらしく、満面の笑みを一同に甲板に咲かせて自分達が住む地と同じ名前を持つ明石艦の寄港を大いに祝う。桟橋の根元に当たる小さな広場で乗組員達を相手とした宴まで催してくれ、ご当地名産の鯛や穴子、イイダコを使ったたくさんのお料理で水兵さん達はおもてなしを受けた。特にこの地のタコは大変に美味な事で全国にその名が知られており、大八車数台分にも及んだ大量のタコは明石艦に食料品として贈られた事から、乗組員達と明石はしばらく美味しいタコ料理が艦内での食事としてだされるであろう事を予想して笑みの明るさを増すのだった。


 ちょうどお昼時だった事もあり明石艦の乗組員達は歓迎会にての美味しい一時に洒落込み、明石は烹炊所から失敬してきたパンやリンゴ、パイ缶、小さめの魔法瓶一杯に作ってきたカルピスを引っさげて測距儀の上で昼食を取る。艦から足を離せない艦魂である彼女は眼前にてわーわーと声をあげて楽しんでいる乗組員達の姿が羨ましかったが、今日だけはそれに伴う嫉妬心や自分だけが仲間はずれにされているような孤独感を感じる事は無く、辺り一面を圧する自分と同じ名を持つ地の景色を眺めながら笑顔での食事とする。


 陸地側に艦首を向けて接岸する明石艦の測距儀の上。

 まずその目に飛び込んでくるのは市街地の中ににょっきと生えた丘陵地帯で、その頂上にはかの剣豪、宮本武蔵との関わりも持つというお城がその威容を誇っており、その名もなんと明石城。自身の分身を浮かべる波間は明石港で、そこから少し西側で海に注いでいる清らかな河川は明石川。軍艦旗が翻る艦尾の方向に広がる淡路島までの波間は明石海峡と呼ばれ、特務艦長が市長さんより手渡されたお土産はこの地独特の卵料理で、その別名はなんと明石焼き。終いには明石の分身の中にて神棚に祭られている艦内神社は、眼前にそびえる明石城やや東側に位置する明石神社を総本社としているのだった。

 見る物、聞く物、食べる物、その全てが"明石"づくしである。


 もうここまで来ると明石にはこの地が自分の名前の大元とは思えず、何やら自分だけの国を持てたような感覚すら湧き上がってくる。カルピスが甘さを残して喉を通る間際に一望すると、彼女の心は民人に慕われる一国一城の主になった気分にすらも誘われる。実に清々しくて心根が晴れる一時で、日本という国を治める天皇陛下の気分とはこういう物だろうか、とバチ当たりな事まで考える始末。輪切りにされたパイナップルを缶詰から手で摘んで口に運び、自分の国での至れり尽くせりの食事を明石は存分に楽しんだ。


 やがて歓迎式も終わったのか乗組員の半分くらいが桟橋の上を明石艦に向かって歩き、その背後にぞろぞろと拝観券を握った人々が列を成す光景を瞳に入れ、明石はいよいよ自身の分身が自分の国の住人達に見せる瞬間がやってきたと察する。

 すっかり和気藹々な雰囲気で明石市の人々とも親しんだのか、軍人さんというちょっと怖い存在であるにも関わらず水兵さん達の周りには目を輝かせた少年達が輪を作っている。栄えある軍艦旗を引っさげた艦艇は、少年達にとってはまさに憧れの象徴。元気の良い歓声を高々と上げながら舷門を駆け、我が子の聞かん児っぷりを恥じて水兵さんに詫びる両親を背に艦首甲板にて空を睨む主砲へと集まる。


『なんや、この砲て結構デカイんやな!』

『あほ! これ12センチからあんねんぞ。陸軍やったら野戦重砲並や!』


 大砲談義に声を張り上げて主砲塔のあちこちに忙しなく視線を送る少年達。見栄も体面も気にせずにしゃがんだり跳んだりして主砲の周りをうろつき、明石も乗組員達と同じく笑顔でその光景を見守る。最初の内は彼らの元気さと自身の分身への褒め言葉に嬉しくて笑っていた明石なのだが、ふと目を輝かせる少年達の顔がいつも記憶の片隅に残る相方の顔とそっくりな事に気付く。

 いつだったか柱島の泊地にて長門艦と陸奥艦が揃って錨を下ろす姿を間近で見た際、子供の頃からの憧れだったと言って相方は飽きもせずに両艦の浮かぶ波間を一時間程もニヤニヤと眺めていた事があった。『大きいな〜。』の一言を5回は口にして突っ立ったままの相方の頭の中がどうなっているのか明石にはちっとも理解できなかったが、眼前にて乗組員達の厚意により座席やハンドルに直接触れて表情を明るくする少年達の姿が今更ながらそれを教えてくれる。男の中の男を自負して兵学校の日々を終え、海軍生活もそこそこ板についた相方も、その根本たる心の芯は少年とちっとも変わらないのである。違いといえば着ている服がちょっぴり値が張るくらいで、成長した身体を持つ為に大人になった"つもり"でいるのだ。


『ぷっ。あははは。』


 大きくした目を爛々と輝かせる少年達の顔に相方を重ね、明石はそれによって生まれる可笑しさに耐え切れず声を上げて笑った。何の事は無い。お仕事にせっせと励む横顔も凛々しいかった相方は、どちらかといえばお仕事が上手にもこなせる優秀さと乗組員の仲間からも慕われた器用な人物であったが、その根本は幼心の塊なのである。いまその顔を間近でじっくり見れないのは残念ながらも、これまで謎であった相方という人物をちょっとだけ理解できた事は明石にとっては嬉しかった。


 その一方で子供達の親に当たる見学者の方々は、明石がいる測距儀からは背後にあたる艦橋裏の甲板にて披露されている工作設備の様子に目を留める。彼等が住む明石市は元々が海上交通路が発達し、しかもすぐ東側には世界5大海運都市の誉れも高い神戸市を望む地勢もあり、近代では重工業にて発展を遂げてきた地。大きな物では神戸川崎造船所の明石工場がその代表例であり、他にもこの地に点在する各工場では海軍向けの工業製品を製造、次いで納入している業者も多い。それに伴って明石市の雇用事情は工員さんの割合が高く、住人である見学者のほとんどは工業に何かしらの関わりを生活の中で持つ者達であった。故に最新鋭工作艦である明石艦の設備は機械という物を見慣れた彼らの視線を釘付けにし、呉や横須賀の海軍工廠にすらも設置されていない代物も含んだ最先端の工作機械に溜め息を漏らす。


『おお、こらまた立派な旋盤やな。』

『見てみいや、この刻印。これ英語やないで、ドイツ語や。』

『ドイツ製の機械かあ。ワイらが働いとるトコの本社工場かて、こないに高価な代物あらへんで。さすがは海軍さんや。』

『こっちの穿孔器も精度がエライでそうな機械やな。設備公差はどんなもんなんやろか?』


 工作設備に対する見学者達の思わぬ食いつきは乗組員達も予想外で、急遽工作部の下士官が甲板上に呼び出されて見学者達からの質問に応じる事となった。一応は防諜の観点から甲板に並べたのは比較的小型で幾分は市場に出回っている機械ばかりであるのだが、普段からお目にかかる事はまず無い海軍の工作機械の品々に見学者達の興味が尽きる事は無い。そして彼等は声を張り上げて対応してくれた工作部の下士官によってその理解を深い物とし、自分達が住む地と同じ名前を持った海軍艦艇が極めて優秀な工作能力を持っている事に表情を明るくする。

 甲板には彼らによる絶賛と感心の声があちこちから木霊し、艦橋の上でそれを認めていた明石は益々機嫌が良くなった。なまじ軍医さんという艦魂社会での珍しい立場にある彼女は、その分身もまた帝国海軍では珍妙な存在の工作艦。観艦式の時に見学者の視線を集めれなかったのは記憶に新しく、乗組員を含めた海軍の人間達の中にも艦首に菊の御紋をつけていない特務艦を少しばかり軽く見る風潮もあるのだが、こうして今の様に自分を褒めてくれる人間達をその瞳に移せた事は彼女にとってはとても嬉しい事だった。おまけに彼等が住むこの地の名前が自分と同じだとくれば感慨も一入(ひとしお)で、明石は眼下に並ぶ人間達の一人一人に深い感謝と親しみを抱く。


 ただ艦中央に位置する甲板から中々離れない親達に反し、子供達は力の権化とも言うべき火器が無い事で退屈そうな表情を浮かべており、その内の一組の親子が放つ会話に明石は表情を一瞬で暗くしてしまった。


『父ちゃん、もう行こうで。父ちゃん働いとる工場にも、こんな機械ぎょうさん有るやん。』

『あ〜、ほんなら艦の後ろにある主砲、見てきたらどうや?』

『舳先にある奴と同じやん、あれ。この船、大砲も小さいし、魚雷もないからつまんないねん。ワイ、はよ桟橋の入り口にあった出店に行きたいんや。』


 幼心にはやはり解かりやすい代物が人気を得るようで、用途が戦闘と関係の無い工作機械などは見るべき物であると意識するには残念ながら及ばない。艦自体の大きさだってカルタにも謳われる程に知名度のある長門艦や陸奥艦に比べれば明石の分身はこじんまりとしているし、そもそもが高角砲である明石艦の主砲は外観上でも特に目を引けるほどの大きな砲塔に代わるには無理がる。海での戦を生業とする海軍の船としてそれは幾分魅力が欠ける事と同義であり、致し方ない事であっても艦の命である明石には辛い現実であるのが正直な所だった。

 もちろんその装備や艦の大きさも含んだ艦としての性能は、海軍における造船を担う者達が多くの試行錯誤の末に決めた事であり、主砲や工作機械の一つ一つに至るまでしっかりとした意味が込められている。むしろ計画設計から実際に竜骨を据え付けて建造の第一歩とするまで明石艦は実に4年の歳月を注ぎ込んでおり、帝国海軍としての持てる知識と技術を全て投入して建造された艦である。決して『こんな感じいいや。』というような一言を用いて決めた要目なぞ、明石の分身の中には一つとして無いのだ。

 もっともそんな長い能書きをくどくどと子供に説明して理解を得ようとする気になれないのは、その親子のやりとりを苦笑して見守る乗組員も明石も変わらない。やはり戦闘の際に文字通りの力と化す巨大な砲や魚雷は、子供でも解かる一目瞭然の強さの象徴。別にその認識は間違っていないし、動かしようの無い事実である。乗組員にも明石にも言いたい事はあるのが率直な所だが、仕方の無い現実という物だった。

 しかしその子供の父親は小さく笑い声を出すと至って端的な言葉を放って、眼前にある工作機械の用途と自分達が現在乗っている艦の役目を繋げてみせる。その言葉は彼らには決して見ることのできない筈の明石の身の上を正確に示しており、少しだけ落ち込み気味であった胸の内を明石は再び明るい物とするのだった。


『ええか。この明石っちゅう船はな、ここにある機械を使って他のお船を修理してあげるんや。お前もよく学校から走って帰ってくる時、転んで泣いて家に帰ってくる事あるやろ? なんぼ大きな大砲積んでる船かて、膝すりむいて泣いたままやったらまともに戦えへんがな。転んだらすぐにお薬塗ってくれるようなお医者さんがいつもおったら、安心してお前も学校から走って帰って来れるんやし、帰って来てすぐに友達とも遊びにいけるやないか。このお船はそうやって他のお船が思う存分動けるように働くお医者さんなんや。海軍さんにもまだ何隻もあらへんお船なんやから、今の内にしっかり見とかなアカンで。』


 自分の境遇も織り交ぜた父親の言葉に少年は返す言葉が無く、『ふぅ〜ん・・・。』とちょっとふて腐れた感のある声を放つ。どうにもまだ自分がいま乗っているお船の希少さと退屈が均衡をとれていない様で、少しだけ口を尖らせたその表情は彼が不本意である事を如実に物語っている。

 しかしその父親の言葉こそ、明石の表情を笑みへと変えてくれる原動力になった。極めてつまらなそうに父親の背後で控えている子供の姿は残念であるが、だからといって先程の様に明石の心が暗くなるような事は無い。退屈と戦うその少年がいつか大きくなった時、きっとお医者さんの有難さをよく理解してくれるであろう事を察したからだ。本当は今だってその事を薄々理解はしているのであろうが、それを湧き上がる強さへの憧れや好奇心によってどうしても優先度を低くしてしまう。なぜならまだまだ彼は幼心を当然とする子供であるからなのだ。


 今日という日に初めて目にした人間の子供に理解が及んだ明石だが、同時に実はそんな考察だけで笑みを浮べているのでもない。それはかつてはこの少年であった者達の一人に、いつも心の片隅に映している相方もまたいるのだと思ったからだった。そもそもが人間にして男性である相方であったのだから、艦魂にして女性である明石には首を捻る部分が今までにも一杯あったし、もう既に半年以上も顔を合わせる事が出来ていない現状の根本もそこにあったのではと今更ながらに思う。

 しかし彼女は、今しがた眼前に見た少年の心模様が相方にもあった事を責めるつもりは微塵も無い。


 きっとこうして一人で眺めなければ、別れた頃よりもそれなりに励んできた自負がある今でなければ、そして横須賀にて富士より諭された今という時間を大事にしようと思える自分でなければ、触れ合う事すらも出来ない者達を理解する事など不可能だったろう。


 そこまで考えた所でふと明石は夕暮れも近い瀬戸内の潮風が運ぶ寒さを妙に意識したが、同時に胸の奥から湧き上がる新たな発見に対する喜びを染みるように実感した。

 朱色も混じり始めた横殴りの陽の光に細める証の瞳に、同じ名を持つ地の風景が静かに映る。そこに住む人々、そびえる山、せせらぐ川、育まれた文化、揺れる波間と、それらが教えてくれた自身の一番大切な者への理解。彼女はその全てに感謝し、そこにいる誰一人として応えてくれない事を知りつつも大きく手を振ってその地に別れを告げた。

 その地の名前は明石の浦。素晴らしい場所であった。

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