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第七三話 「紀元二六〇〇年記念特別観艦式/後編」

 明石(あかし)艦と同じ番外列の各艦はそれぞれが見学者を乗せており、頭上を駆け抜けていく壮大な空の大艦隊を瞳に映して大喝采となる。拍手と万歳の声に混じる声は栄えある帝国海軍が海だけでなく空をも制するだけの実力を絶賛する物ばかりで、特務艦長以下の明石艦乗組員達も鼻を高くする。

 艦橋頂上にある測距儀天蓋の上に立って心踊る明石も、見上げ続ける事で首にちょっと痛みを覚えても顔を下げる事は一向に無い。

 527機の航空機が10数機ほどの編隊を幾重にも連ねて東から西へと向かっていくその様は、まるで巨大な龍が青空という我が家の庭を悠々と散歩している様。空のあちこちにて輝く銀翼に描かれた日の丸は身体を覆う鱗。波間を揺らすほどに轟々と鳴り響くエンジン音は大きな口から放たれる鳴き声。波間にて浮かぶ長門(ながと)艦や赤城(あかぎ)艦すらも、この大空の龍の前では木の葉のような大きさでしかなかった。


『すんげ〜・・・!』


 大きくした黒い瞳を輝かせて呟く明石。初めて見た航空機の一大空中分列飛行は圧巻の一言で、友人達の様にただの一機の水上機すらも持っていない明石には見飽きるという感覚が一向に湧いてこない。何種類もの機体が混じった上空の光景の中でどの飛行機がなんという名前なのかすらも解かっていない明石なのだが、今はそんな疑問をも抱かずにただ海軍航空隊の勇姿を瞳に焼きつかせる。一機一機が等間隔をとって組む編隊の姿その物も明石には美しく見え、普段の艦隊訓練で航行序列を組んでいる時は空から見ると自分達もあんな感じなのかと考える明石。大空の色をそのまま写す海原に龍を描ける自分を嬉しく思うが、同時にそれを見るには今とは逆に空から見下ろさねばならない事を察して彼女はちょっぴり残念だった。

 やがて龍の尻尾、すなわち空を駆ける大集団の末端に当たる編隊が頭上を通り過ぎて行き、式場海域上空を埋め尽くしていた一大航空劇も終わりを迎えてしまう。楽しい事や夢中な事を体感している際には時間の流れが早く感じるのは人間も艦魂も変わらない物で、明石は西の空へと小さくなっていく末端の編隊をしばらく目で追った。


 するとその時、明石艦の甲板には号令の声が続けざまに飛んだ。


『一番内火艇用意!』

『一番内火艇員整列!』


 号令の声が終わるや明石艦内からは整列を命じられた兵員達が駆ける音が響き、何事かと思った明石が測距儀の上で艦尾の方を振り向くと、後部マスト近くの甲板にて駆け足で集合する兵員達の姿があった。天幕が張られていないそこは本日乗艦している見学者達がいない場所であるが、水平甲板で甲板上に大きな突起物が無い明石艦であるから兵員達の動きは見学者からは丸見えだ。しかし明石の分身が一応は海軍艦艇であるなら、彼らもれっきとした「月月火水木金金」の日常を送っている帝国海軍軍人。普段の訓練で鍛えたキビキビとした動作は不意にかかった整列の号令にもしっかり適応されており、一列に並んで点呼をとるその様子を見学者達は溜め息混じりの声を放ちながら眺める。


『おお〜・・・。』

『さっすが海軍さんだなぁ・・・。』


 内火艇やカッターに始まる装載艇の用意は明石艦に限らず海軍という組織においては日頃から頻繁に出くわすお仕事で、銃砲を扱う訳でもないこのお仕事は栄えある海軍の物としてはかなり地味な物。なまじ今日の様に皇礼砲や航空隊の空中分列飛行が実施される最中に、揚艇用デリックを用いて11メートルの内火艇一艘を海面へと降ろすという作業は逆に華やかさが欠落していて目立ってしまう。

 そしてそんな作業をまじまじと見つめる見学者の視線の中、整列した兵員達は内火艇の用意をテキパキとこなさねばならない。仮にここでどんな小さな事象でも失態として犯してしまったなら、言うまでも無く海軍の事を何も知らない民間人である見学者達からの目線はちょっと冷ややかな物になる。海軍軍人にとっての観艦式における怖い所だ。

 だがせっせと励む乗組員達とて、伊達に精神注入棒という名の樫の棒で理不尽な理由を元に尻を叩かれる日常を送って来た訳ではない。嫌だ嫌だと思いながら我慢強く耐えて来た彼等の身体は、無意識の内にでも各々の作業をこなしてくれる。とびぬけた海軍生活における厳しさの御利益とも言った所か。無駄な会話も作業手順の抜き飛ばしもする事無く、いつも通りに内火艇はデリックで吊り上げられて危なっかしい雰囲気など微塵も発せずに海面へと下りていくのだった。


 ただ突然の内火艇の用意に首を捻る明石は不意に視界を仲間達の分身に向け、そこに自分と同じ様にそれぞれの艦が内火艇を海面に降ろす光景を認める。駆逐艦のような小さな艦艇に限らず赤城艦等の大型艦までもが一艘の内火艇の用意をしている事と、ついさっき明石が立つ測距儀の根元に位置する艦橋天蓋にて艦内幹部に何事かを告げて一人そそくさと艦内に戻っていった特務艦長の事も考えるに、どうやら各艦の艦長格の人物達が艦を離れてどこかへ移動するらしい。

 再度明石が後ろを振り返ると、内火艇の運行を指揮する艇指揮官(チャージ)に任命された士官が赤い(ふち)の付いた小さな毛布を内火艇に持ち込もうとしている。日常から頻繁に使用される内火艇の事情は明石もよく知っており、彼が大事そうに手にした毛布の縁の色からそれが艦長用の敷物である事を察した。と言ってもこれは明石の分身の責任者である特務艦長の私物ではなく、れっきとした海軍における規則によって用意が決められている物である。敷物の縁の色が黄色なら将官で赤は艦長、みどり色なら士官という具合であった。


 余りにも海軍生活の日常では見慣れ過ぎていて、そも内火艇に乗る事は無い艦魂には割りと知らない者も多いが、それに反して明石は新米艦魂ながらもその事をよく心得ている。それはかつての彼女の相方が、チャージのお仕事をこなす機会が多かった事にその理由があった。なにしろこの艇指揮のお仕事は艦内の若手士官がお船を操る事の実務実習として帝国海軍では捉えられており、自身と同じく新米士官だった相方は頻繁にこのチャージに任命されていた事があるのだ。

 遠目から一端の指揮官として励む相方を眺めているのは明石にしても面白く、特務艦長が乗艇する際に敷物の用意を相方がうっかり忘れてしまった時の事で彼女は内火艇の敷物事情を学んだ。当時の特務艦長であった宮里(みやざと)大佐は『気をつけなさい。』と気さくに笑ってくれていたが、その日の夜に相方には直属の上司である青木砲術長から大きなカミナリが落とされてしまい、今にも泣き出しそうな顔で落ち込む相方をあの手この手で元気付けてやろうとしたのも楽しい思い出である。


『ふふふ・・・。』


 全く意図していなかったのに唇から漏れた笑い声。記憶に纏わる感情は楽しい一辺倒とは行かないが、明石はほんの少しだけ笑みを歪めながら特務艦長が内火艇に乗艇する様子を見守る。

 やがて軽快な機関音の間隔を短くして打楽器を思わせる様な音を残し、内火艇は明石艦の左舷を離れ始める。小さな航跡を引きずる内火艇は艦尾方向に向かって進み、式場海域の南端の端っこを列先頭に向かって駆けて行った。同時に明石艦以外の参加艦艇各艦からもそれぞれの艦長を宿した内火艇が発進し、一様に列先頭にて受閲艦艇と直交する形で錨を下ろした比叡艦へと白波を立てて行く。

 御召艦である比叡(ひえい)艦に向かっているのであるから艦長連中は皆、陛下のご拝謁を賜るのだろうと明石は察するがその予想は正しく、内火艇が比叡艦の両舷に列を作ってしばらく経つと電信が参加艦艇の各艦に発信され、『複雑微妙な国際情勢の下、太平洋の波しばらく高まらんとして帝国の使命重大を加える時、皇軍将兵の益々奮励努力すべし。』なる陛下の御勅語が乗組員達の一人一人に示された。

 その時間はちょうど1145。もう既にお日様は真上に昇り、明石のお腹も絶え間無く鳴り始めた頃で、式場海域の至る所において午食のお時間となる。



『これよりお弁当とお茶を提供させて頂きますので、拝観券を持って並んで下さるようお願いします〜。喫食は艦内大部屋に食卓を用意しておりますので、お弁当を受け取りましたら案内員の指示に従ってください〜。』


 天幕の下にいる見学者達に乗組員の声が届くや、見学者達は僅かに気になりだした寒さで身体を縮こまらせながらも笑みを浮かべて声に従う。海軍艦艇の中でお昼ごはんを食べるという珍しい機会も去ることながら、栄えある帝国海軍が提供してくれるお弁当その物も彼等の笑みには貢献している。横浜の市街に点在する仕出屋さんに頼んで用意した海軍のお弁当は、鮮やかな朱色で塗られたわりごのお弁当で、白いご飯にお刺身まで盛り付けられた高級弁当。艦内に装備された湯沸し器による暖かいお茶もつき、支那事変下の日本の事情を忘れてしまう程に贅沢な食事である。

 当然の事ながら食いしん坊の明石は測距儀の上からじっと自身の分身中央にある甲板を眺め、一つ一つ手渡されていくお弁当の行く末を見守る。先程の乗組員の声にもある通りお弁当は拝謁艦に乗る為の拝観券と引き換えらしく、一人一枚とされている券の事情もあって100人近い見学者の人々全てににお弁当が行き渡るのは少々時間がかかった。山と積まれているわりごの弁当箱が崩れていくのも待ち遠しい明石は測距儀の上に腰を下ろし、冷たい感覚が敏感になり始めた指先に息を吹きかけながら銀バイの機会を待っているが、どうも思いの他お弁当の消費が激しい事にここで気付く。


『あれえ・・・?』


 首を捻って漏らした言葉が潮風に乗って流れていく最中、明石はお弁当の引渡し場所にできた見学者の列を目で追って数えてみた。お弁当を貰った人々はそのまま甲板にいる乗組員に案内されて艦内へと消えており、既に列を成している見学者の数は少ない。しかもお弁当の数も残り僅かだ。


『も、もしかしてぇ・・・。』


 脳裏を過ぎった空腹の明石にとっての非常に憂慮すべき事態が、今日はこれまで一時たりとて薄まる事は無かった表情の明るさを彼女の顔から奪っていく。拝観券と引き換えというお弁当の提供の仕方を目にした時点で気付いておけば良かったものの、見た目からして美味な雰囲気を漂わせるお弁当を見て有頂天だった明石は、この時になってやっとお弁当が見学者の人数分しか用意されていない事に気付く。

 やがて見学者の最後の一人が笑顔で唯一つだけ残っていたお弁当を受け取り、美味しい一時を期待して見守っていた明石の願いを無情にも粉微塵に砕いた。


『あ〜〜! お・・・、お弁当〜・・・。』


 背を向けて美味しい一時に望まんと去っていく見学者を目にし、測距儀の上で膝を抱いて腰を下ろしていた明石は苦しみと悲しみが入り混じった声を放ってそのまま横倒しになる。朝から緊張感を保って陛下による御親閲を受けた事もあり、まだお昼だというのに多少の疲れも覚えていた明石だが、おいしい食べ物があれば彼女は大概の事は我慢できる性分。その根本は単に、海軍のお祭りのような本日食卓に並べられるお昼ご飯にあった。しかし残念ながら目をつけていた高級弁当は一つ残らず見学者の人々へと渡されてしまい、いつもの様に銀バイを敢行するだけの元気ももはや無い明石は膝を抱いて横になったまま起き上がることが出来ない。何時にも増して寒さを覚える横浜の潮風を浴びながら、お腹から発せられる空腹の信号ラッパを耳にする。


『腹減った〜・・・。』


 せっかくのめでたい観艦式であっても食欲においては打ち勝つ事が出来ない。この世で最も辛い物は相方との別れを懺悔するのと空腹に耐える時、という明石にとっては無理も無い事であった。

 だがこの時、測距儀の上にて横になった明石の背後で淡く白い光が弾けたのに彼女は気付いていない。明石自身も普段の生活で用いているその光はほんの一瞬だけ眩いばかりに輝きを増すと、粉雪の様に散って明石の背後にゆっくりと降っていく。そして光の輝きがすぐに弱まり始めると、その中には明石と同じ艦の命たる者の姿があった。


『あはは。どうしたんだい、明石?』

『う?』


 軽快な笑い声と明るい語り掛けを受けた明石は、膝を抱いたまま背後に顔を向ける。そこにあったのは、いつもその笑みを絶やさぬ事と運んで来てくれる独自の品物で艦魂達から人気がある人物の影。ほんの少しぽっちゃりとした身体つきに袖を捲くった白い作業衣を身に付け、その上から肌身離さず常に装備している白い前垂を着ている。これまた白い作業帽も被った女性で、姿格好だけを見るとどこぞの工場で働く女性工員さんにも見えるが、これでも彼女はれっきとした帝国海軍の艦魂。

 つい先日に初めて出会った事から明石はすぐに眼前にてにこにこと笑う女性の名を思い出し、相手が20代半ばも過ぎた外見にも関わらず彼女の渾名を呼ぶ。もっとも気さくなこの女性自身が渾名で呼ぶ事を勧めているのであり、明石が声を放つと彼女は緩んでいた頬をさらに吊り上げた。


『あ、マミャーさん。』

『ぶっ倒れてるのが見えたから来てみたんだけど、腹減った〜て顔してるねぇ。あはは。』


 ケラケラと笑う彼女はマミャー、もとい間宮(まみや)という名の艦魂で、その分身は明石の分身の右舷側すぐ横にて同じく御親閲を受けていた給糧艦の間宮艦。明石と同じ特務艦の艦魂だ。どうやら測距儀の上で力なく倒れている後輩を心配して来てくれたらしく、間宮は見事に明石の空腹っぷりを言い当てみせる。

 帝国海軍艦魂社会において腕の立つ料理人として名を馳せる間宮の事もあり、明石はすぐさま見学者に振舞われたお弁当の始末を語った。


『マミャーさん、私もお弁当食べたい! お刺身〜! あっついお茶〜!』

『なんだい、見学者のお弁当を狙ってたのかい?』


 上半身を起すや両手の握り拳を上下させて、明石はお弁当が自身まで行き渡らなかった不遇の身の上を訴える。人間達が食べる物を普段から簡単に調達できない事は明石だって解かっているのだが、せっかくのめでたい観艦式で自分だけ侘しいお昼ご飯を食べねばならないのは我慢ならない。明石は些かの我が儘も混じった不条理に対する憤りを隠さずに放つのだった。

 しかし間宮はそんな明石の心なぞ底に至るまでお見通しであり、眉を吊り上げて頬を膨らませていく明石を前にしても笑みから明るさを失せさせる事は無い。実は間宮はただ後輩の心配をしてここに来た訳でも、腹をすかせて涙目で怒りの表情を浮かべているという明石の顔を笑いに来た訳でも無く、むしろ空腹の明石にあっては極めて嬉しい朗報を届けに来たのだった。それは間宮が明石の分身の中にもある烹水所で勤務する乗組員と同じ様な格好をしている事にも現れており、ほんのりと湯気を放つ湿った両手を前垂の裾で拭いながら間宮は明石に声を掛ける。


『あははは! ちゃあんと午食は有るよ明石。なんで私がこんなカッコしてると思ってるのよ?』


 間宮の言葉を耳にした明石は頬を膨らませながらも、チラっと横目で間宮の姿を捉えてみる。観艦式がまだ終わっていない中で第一種軍装を身に付けていない事に言われてみれば変だと思った途端、明石は表情をコロリと変えて間宮の足元へ跳び付く様にして近寄る。だらんと長い間宮の前垂は白い生地の所々にシミのような物があって使い古し感が目立つが、明石はそんな前垂の色合いを微塵も気にする事無く顔を埋めて鼻を鳴らす。刹那、明石は鼻腔をくすぐるほのかな香りを認めて叫んだ。


『あっ! ソースとお肉を焼いた匂い!』


 僅かな香りだけでそう判断した明石だが、間宮は明石の放った言葉が見事に正鵠を射ていた事に笑い、そのきっかけとなった鼻の力に苦言を漏らしながらも自身がここにきた理由を教えてやった。


『どういう鼻してるのよ、明石。あはは、大当たり。みんなの分のお昼は長門中将に頼まれて作ってあるよ。お刺身とはいかないけど、余り物の牛肉をミキサーにかけてハンバーグにしたんだ。ま、98人全員分を作るのは大変だったけどね。』

『は、ハンバーグ!!』


 艦内におけるお食事でごく希に見た事のあるハンバーグの名が間宮より出て、明石はすっかり空腹で挫けていた心を再び上向きにさせる。食べ物の中でも明石が最も好きな物はやはりお肉で、間宮が調理してくれたとあらばその味も保障済みだ。


『なんでも長門中将達みたいな大きい艦は後で陛下が御召しになされるらしいから、私のトコの大部屋で食べる事になるよ。あとお米が炊けなかったから余り物の生麺麭(せいめんぽう)が主食になっちゃうけど、それでもいいかい?』

『やった! ハンバーグ!』


 余り物という言葉が何度も出てきたように、艦魂たる者が食べ物を調達する事は結構大変だ。間宮は一言もその大変さを言葉に変えず、他人にそれを話すつもりも毛頭無いが、自身の分身の中にある調理設備を使用するのは実はいつでも可能という訳ではない。そも電熱機器や蒸気機器が主流である艦内のそれらは乗組員達が使用する場合のみ電気や蒸気を分配するもので、常日頃からスイッチを入れれば動くなどという事は無いのだ。その上で調理器具がひとりでに動き出すという幽霊騒ぎを起したくない艦魂事情も勘定すると、毎日バレないように調理器具をコソコソと使っている間宮はなかなか豪胆でもあり、伊達に10年以上も船の命として励んできた訳ではないベテラン艦魂の片鱗をよく見せてくれる。本当ならこんな華やかな日にはもう少し良い食べ物を用意してやりたかったのが正直な所だが、自身の分身の中にある糧秣倉庫から発掘したパンも余り物のお肉も、艦魂である間宮にとっては精一杯の代物なのである。

 もっとも腹に入ればなんでも良いというグルメスタイルの明石は、余り物だろうがなんだろうがお腹に入るのならば関係ない。数日前の艦魂達の宴の場にて豪華な料理を腹十二分に楽しんだ事もあり、間宮が作ってくれたハンバーグを想像して大はしゃぎする。急かすようにして間宮の腕を引っ張り、当の彼女の分身である間宮艦へと向かった。






 水兵さんと士官は一緒に食事をしないのが帝国海軍だが、艦魂達の中ではみんな仲良く同じ部屋にて和気藹々とした雰囲気でのお食事とするのが常。お皿の数が違うという差はあるが、今日は間宮が作ってくれたハンバーグとパン、紅茶やコーヒーといった洋食を一様に食す。もちろんそこには賑やかな笑い声が響き、美味しい一時に瞳を輝かせる明石に表情を更に一層明るくする。

 すると明石の耳には、彼女とは違う食卓にてハンバーグに舌鼓を打っている長門達の声が響いてきた。どうやら一戦隊の仲間で集まっての食事をしているらしく、長門が腰を下ろしている食卓には陸奥(むつ)山城(やましろ)の姿もある。


『そういや昔、香港に行った時なんだけど、租界警備してたアメリカ海軍の奴らもハンバーグと生麺麭を食ってたなぁ。』

『あ〜あ〜。みんなで一緒に行ったねぇ。アタシもあの時に初めて知ったんだけど、アメリカの海軍って毎週水曜日にはパンとハンバーグ食べてるんだって。陸奥も見た事あったでしょ?』

『うん。それも一緒にして食べるのよね。アメリカの人達は"はんぶうがー"って呼んでたわ。』

『なにそれ、ハンブルグから来てるのかな? ドイツ生まれの食べ物? ま、アタシらが毎週食べてるカレーだって日本生まれじゃないけど。』

『ふぅ〜〜ん。でも結構イケるじゃないか。食器も一つで済むし、洗い物も少なくて済むぞ、これ。』


 長門や陸奥よりさらに年上の山城はそう言いながら、早速ハンバーグを上下からパンで挟んで口に運んでみる。頬骨がちょっと目立つ細長い顔の山城は30代半ばの容姿を持ちながらも、ちょっと男っぽい言葉遣いと時折見せる無邪気な一面は帝国海軍の艦魂の中にあっても好かれている。頬を大きく上下に動かして微笑を浮かべ、口の周りに薄っすらとハンバーグのソースを着けた山城はアメリカ式の食べ方を気に入ったらしく、二枚のパンにサラドの生野菜とハンバーグを添えて今度は口に運んだ。


『ん〜。うまい、うまい。さすがアメリカ海軍、馬鹿にできないな。これなら野菜の摂取も同時に出来るし、味噌汁やら魚やら米やらで烹水設備をあれこれ一緒に使わなくても作れるじゃないか。持ち運びも便利だし。』


 その分身に供える立派な艦橋を思わせる長身の山城は、大きな体格に見合ってアメリカ式の食べ方を絶賛するその声も大きい。だがそのおかげでハンバーグに関する耳寄りな情報を得た明石。すぐさま半分に切ったハンバーグを上下からパンで挟み、大きく開けた口へ詰め込んでみる。


『むお、んめえ!』


 初めて食べ心地と味に明石は大満足。お肉とパンの連係はさも洋食という感じが滲み出ており、珍しい食感と味が明石の噛む動きを加速させる。隣に座った(かすみ)(あられ)も初めてのハンバーグの味に表情を明るくし、お互いに笑みと浮き立つような声を交えた。


 ちなみに彼女達が頬を緩めるこの食べ物はハンバーガーという名で米国では親しまれており、ちょうどこの年には米国カリフォルニア州パサデナ市のとあるドライブインにて看板メニューとなり大変な好評を得ていた。そしてこのドライブインを経営していた二人の兄弟の名は、世界最大にして最も有名なファーストフードチェーン店の名前として後年に至るも残されて行く事になる。

 その兄弟は兄がモーリス・マック・マクドナルド。弟はリチャード・ディック・ジェイ・マクドナルドといった。






 1330。

 お昼の休憩も終えて英気を養った艦魂達と人間達。お昼にもなると横浜の空気にもだいぶ暖かさが帯び始め、観艦式の式場海域である波間の色合いもその蒼さをより一層深く濃い物としている。そしてその波間は98隻の艦艇が放つ皇礼砲の音と同時に海面をざわつかせ、ポカポカと陽気を伴う横浜の潮風は式場海域に薄っすらとかかる残煙のカーテンを拭い去って行く。

 本日4度目の皇礼砲が盛大に鳴り響くが、皇礼砲の相手は式場海域に艦尾を向けてゆっくりと横浜港へと戻っていく。その相手とは21発に及ぶ皇礼砲が示す通り、天皇陛下に御乗艦して頂いた御召艦の比叡艦である。式場海域にてそれを見送る全艦艇の艦首や舷側には再び登舷礼式整列した乗組員達が立ち並び、明石も含めた各々の艦魂達もまた艦橋天蓋にて直立不動の姿勢をもって比叡艦の後姿を無言で眺めた。

 その後、横浜港内へと軍艦旗を進めた比叡艦は観艦式が始まった際と同じ位置に錨を下ろし、ラッタルの準備も完了して陛下が比叡艦から御召艇へと御乗艇なされたのは1420。駅のすぐ近くである御召桟橋へとお戻りになり、1430には御召列車が汽笛一斉、車輪を回して東京へと向かい始める。及川(おいかわ)海軍大臣や山本(やまもと)連合艦隊司令長官らが深々とお辞儀するのを車窓越しに流れる景色として認め、全帝国海軍将兵を統率する大元帥陛下は皇居への帰途へと御つきになった。


 まさにこの瞬間をもって本日の式典は終了の時を向かえ、歴史に名を残す帝国海軍最後の大祭典、紀元二六〇〇年記念特別観艦式は閉会となった。御召列車の汽笛と蒸気の音の余韻が残る駅の構内ではさしもの及川海軍大臣も安堵の溜め息を下ろし、比叡艦からの電波送信によって無事に観艦式が終わった事を知った式場海域にいる者達が一斉に緊張の束縛から解放される。

 御召艦である比叡艦の命である比叡も『ぷは〜っ。』と盛大に息を吹いて測距儀の上に腰を下ろし、7年間にも及ぶ経験を持ってしてもちっとも慣れる事のない御召艦の役目から開放されて胸を撫で下ろした。港の外にて待機している先導艦の高雄(たかお)艦や、供奉艦の加古(かこ)艦、古鷹(ふるたか)も時を同じくして役目を追え、安堵の息を漏らして心と身体を楽にする。


 しかしそれは御親閲艦隊を成している4人だけで、式場海域では幾分は緊張感が和らいだものの、まだ全部の艦艇の艦魂達は自由気ままに仲良しの下へと赴いてお話しするような様子は見せない。特に明石を含めた番外列の艦にあっては尚更で、ここからが本日最後にして唯一となる彼女達のお仕事が始まるのだった。




『航海当番配置に就けー!』

『当直甲板員、錨鎖縮め方! かかれー!』


 明石艦の甲板上にも号令の声が響き渡る。艦内にて待機していた乗組員達が甲高い靴音を上げて颯爽と持ち場に掛けていき、見学者達はそれを目にして普段の海軍軍人の勤労を偲ぶ。

 測距儀天蓋に戻ってきた明石もいよいよ自信のお仕事が始まる事に気を高ぶらせ、頭から軍帽を取るや後ろに流した髪を両手で撫でて整えた。艦首にて錨鎖巻揚げの作業に就いている乗組員達を眺めつつ、明石は瞳にキッと力を入れて足元から響く特務艦長より発せられた号令を耳にする。


『明石艦出港用意!』


 明石の足を着ける測距儀の下に位置する艦橋からその声が放たれ、それに続いて信号員の信号ラッパがけたたましく鳴り響く。艦尾側の煙突より黒い煙の塊がもくもくと上がって風に靡き、艦全体を静かに回転を上げ始めた機関の鼓動が包んだ。

 明石は少しだけ笑みを殺して表情を律すると列先頭方向である左舷へと視線を長し、そこに自身に先駆けて微速前進でゆっくりと動き出す迅鯨(じんげい)艦の姿を認めた。左舷すぐ隣に位置する駒橋(こまはし)艦は錨鎖巻揚げこそしてはいるがまだ出港の信号ラッパを甲板の上に鳴らしてはおらず、艦首に小さな白波を起し始めた明石艦は駒橋艦とそのさらに左舷にいる勝力(かつりき)艦を横目に迅鯨艦の後ろへと進み出ていった。その理由は観艦式が既に終わっている事と、艦首にてゆっくり回頭しつつ前方の第一列先頭艦である赤城艦を右舷に眺めて半周する迅鯨艦の後ろを明石艦が追従する事、そして迅鯨艦や明石艦を含んだ番外列を成した各艦が拝謁艦という役目を観艦式で担っている事にある。つまり同じ山下公園近くの桟橋から出発した明石艦と迅鯨艦は、これより陛下が御乗艦なされた比叡艦と同じ航路を辿って式場海域を航行し、その身に乗せた見学者のお歴々に帝国海軍の栄えある艦艇達の姿を間近で見せてやりながら出発港への帰途に着くのだった。

 海軍関係者ではない一般人の見学者にとっては観艦式最大のお楽しみであり、明石艦の艦中央部では彼等が一斉に舷側へと歩み寄る。天幕が無くて僅かに西に傾きかけた日差しが眩しかろうが、防諜の目的にカメラの類を持参できなかった事も彼等には関係ない。そのはしゃぎたてる声は測距儀の上で真面目な表情を浮かべる明石の耳にも届き、民間の人々の笑顔に貢献できた自分を彼女はちょっと誇らしげに思った。

 だが明石の分身が右舷90度に赤城艦を捉えるようにして艦首の方角を整えた刹那、左舷から突如として明石を呼ぶ人間には聞えない声が発せられる。


『明石〜〜! お疲れちゃ〜ん!』

『あ、長門さん。』


 赤城艦とは明石の分身を挟んだ所に艦尾を見せて浮かぶ大きな艦は、明石が姉の様に慕っている長門の分身。満艦飾と第一、第四砲塔を隠すように展張された天幕が見慣れた長門艦のシルエットを僅かに変えているが、大きな軍艦旗がヒラヒラと宙を舞っている艦尾旗竿の根元に艦の命たる者がいた事で明石はその艦を長門艦だと正確に判別する。既に天皇陛下よりご拝謁を受け賜る機会も無事に終えたからか、長門は昼食の時にはちゃんと着ていた筈の軍装をいつもの様に崩して着ており、ボタンやフックを全て外した上着の裾と彼女の長い髪が軍艦旗と同じテンポで風に靡いていた。

 このまま明石達が港に戻ってしまう事から夜の晩餐を供に出来ないのを知る長門は、律儀にも艦尾に出て目の前を通っていく番外列における各艦の艦魂達に労いの言葉をかけているらしい。普段は些細な事でも面倒臭がる長門にしては珍しいと思いつつ明石は手を振ったが、彼女はそれが栄えある帝国海軍の艦艇達を統べる連合艦隊旗艦たる者の役目として精を出しているという長門の心の内を知らない。陸奥や山城などの仲間達にはできない、仲間達へ向けた上級階級を頂く者としての細かな気配り。それが艦魂としての長門の優れた所で、サボりの常習犯であっても帝国海軍の艦魂達から一様に尊敬されるという彼女の優れた部分でもあった。


『お疲れさまです〜!』


 口の前に手を添えて応えた明石は、右手を頭上に高々と上げて左右に流す。長門は旗竿に寄りかかって肩の高さで手を振り、柔らかな笑みを伴って眼前を横切る明石を見送った。この場を供にする全艦艇を率いる身として、長門も本日の観艦式が何事も無くフィナーレを迎えた事を喜んでいるらしい。どこか満足そうな表情を浮かべる長門に明石も気持ちを良くし、両舷に並ぶ大小の仲間達の分身が成す列の間を胸を張って進んだ。

 その合間にも見学者達の興奮した声が明石艦の甲板には絶え間なく木霊し、乗組員や明石も一様に本日の空の様に晴れやかな表情を浮かべる。特に観閲も終盤となる第三列の先頭付近には帝国海軍最新鋭にして、民間へのお披露目は今回が初めてとなる最上(もがみ)型、利根(とね)型の二等巡洋艦が揃って錨を下ろしており、間近で見た見学者達からは絶賛の声が絶えない。

 一応は利根型とは同じ年代に当たる明石の分身だって帝国海軍最新鋭で、民間へのお披露目も同じく今回が初めてなのだが、やはり花形である戦闘艦と地味な特務艦では認知度に気温差があるらしい。ちょっと明石には残念であり口を尖らせかけたが、こんな日に不機嫌な姿を仲間達の前で曝してシラけさせる気にも彼女はなれない。


 仕方ないか。


 そう脳裏で一言呟いて明石は表情を律し、第三列の先頭艦である金剛(こんごう)艦を左舷に眺めつつ式場から南の方角へと艦首を向ける。ずっと先には横浜の街と山並みが広がり水平線は全く無いが、明石艦の艦首が向いた方角のその陸地こそ出発地でもある本牧地区だった。




 背後にて絶景となっている式場海域に弱冠の名残惜しさを感じながら、明石の分身は僅かに陽も暮れ始めた頃になって桟橋に接岸。見学者達は艦を降り、明石艦には潮臭さが滲んだ顔を持つ者ばかりの日常が戻る。戻ったら戻ったで艦のお掃除に、見学者達が腰を下ろしていた無数の椅子の片付け、展張していた天幕と満艦飾索の格納などやる事が多い。

 乗組員達が清掃作業に励む姿を明石は変わらず測距儀の上から眺めていたが、水平線に沈まんとする太陽と入れ替わりに10月の寒さが再び横浜の空気を支配して行き、肩を小さく震わせた彼女は外套の襟をキュッと閉めた。


『う〜、寒い〜・・・。』


 どうにも寒さという物に弱い明石は呟くと同時にその場にしゃがみ込み、街灯もつき始めた横浜の街並みをしばし眺める。弱点でもある寒さを感じても艦内へ入ろうとしない明石だが、低下した気温を鑑みて暖かい場所へ退こうとしないのは彼女だけではない。それは乗組員もさる事ながら、ついさっき桟橋へと下艦していった見学者達もまた同じであった。明石と同じく寒い寒いと口々に声を放つ彼等だが、それを推してでもその場に留まらんと皆一様に決めている。その理由は実は見学者達も明石も同じ物であり、やがて明石艦の艦内に木霊したとある号令によってそれは実現される運びとなる。


『艦橋より分電室。電飾索へ電流送れ。』


 その瞬間、明石の頭上高くからはバチバチという火花が散るような音がにわかに鳴り出し、やがて艦首旗竿から前楼頂上、後楼頂上、艦尾旗竿と、満艦飾と入れ替わりに張り巡らされた電飾索には無数の電灯が輝き始めて辺りを照らし出す。辺りはもうだいぶ薄暗くなってきたが、明石が立つ測距儀の天蓋を含め、明石艦の周りの波間や桟橋は煌々と電灯の輝きによって明るくなった。すると桟橋に留まっていた見学者達からは一斉に歓声と拍手が湧き上がり、それまで静寂に包まれていた桟橋を一気に賑やかな雰囲気へと変えた。


『おおお! 電飾だ!』

『わあ〜、綺麗だなぁ。』

『すげえや! まるで昼間みたいだ!』


 暗い波間に電飾の明かりで浮き上がる明石艦の姿には見学者達も息を飲み、生まれて初めての電飾を施した明石も測距儀の上から目を輝かせて眺めてみる。だが艦からちょっと離れた桟橋にて明石艦の電飾姿を愛でる見学者の人々とは違い、あまりにもすぐ近くで自身の分身の姿を眺める明石にはその全体像が上手く把握できない。頭上にあるのは空を一刀両断するように展張された電飾索が灯る光景だけで、激しいとも形容できる程に輝く青白い光の列は何かイカ釣り漁船のようだ。


『う〜〜ん・・・。』


 昼間の満艦飾に代わって夜のおめかしをした自身の分身の姿をなんとか見てみたい明石。顎の辺りに手を添えて首を捻ってみるものの、陸地に足を着けれない艦魂である彼女にはそれを実現する策が全く思いつかない。その最中、明石艦の艦尾側すぐ後ろに錨を下ろしている迅鯨艦も電飾を灯し始めて桟橋からの歓声の音量がさらに上がる。明石は桟橋から木霊する拍手と嬉々とした声につられる様にして艦尾方向へと視線を流し、迅鯨艦へと見る位置を移してみてはどうかと考えるが瞳に映る迅鯨艦の姿は自身とあまり変わらず、艦首から上部構造物を唐竹割りにしたような電飾の有様に早くも考えを却下した。

 だが不意に響いてきた桟橋からの声を明石は認識するや、その声が示していた北側の海上へと視線を向ける。自身の分身に関しては桟橋にいる見学者達と同じ様に鑑賞できない明石であったが、瞳に映った光景は今度は見学者達と全く同じ代物であった。


『おおお! 式場の艦にも点灯したぞ! 見ろよ!』

『ん? おおお!』


 明石艦が接岸する桟橋の北方に広がる沖合い。昼間は式場海域として皇礼砲の轟音と残煙で圧せられた波間には、在泊各艦が電飾によってその艦影を止みに浮かび上がらせている。特に長門艦に始まる戦艦群はその高い前檣楼をくっきりと光の索で形作り、暗い波間にそびえた光の山の様相を呈していた。中型の艦艇に関しては残念ながら小さ過ぎてよく解からないが、空母はそのまま長方形の輝きを持ってその存在を見る者達に示す。電飾を施しているのは駆逐艦や潜水艦、小さな掃海艇にあっても同様で、明石の瞳に移る仲間達の姿はまるで夏の夜空に輝く天の川だった。

 やがて式場海域の波間では、大型艦に搭載された探照灯が起動されて光の帯を夜空に向かって放つ。外套を着ていても肌寒さが拭えない夜であったが、見学者や乗組員達、そして明石は海上で交差する探照灯の光線の下、星空を反射する漆黒の海面に浮かび上がった電飾の山々をしばらく眺め続けるのだった。





 それはまごう事無き帝国海軍の栄光の日々。

 この勇壮な姿を色褪せる事無く爛々と輝かせて人々の目に映る艦艇達が、僅かこの5年後にその9割以上を海底に横たえる事になろうとはこの時だれが予想し得たであろうか。見学者達も、乗組員達も、明石を含めた艦魂達も皆、自分達こそ世界で最も精強にして栄華を極めた海軍だと信じて疑わなかった。


 しかし明石艦が身を湛える桟橋から僅かに内陸へと目を移すと、彼女達帝国海軍を支える日本という国家には微塵も余裕が無いという現実が無造作に転がっている。明治33年の日本初の観艦式より恒例であった市井の記念絵葉書もその対象で、毎度観艦式が行われる度に稼ぎ時を迎える事が出来る印刷所や出版業者には国家総動員法の名で統制が掛けられ、既にこの年の正月には『不要不急の物は排除されねばならない。』との世論もあって年賀状の流通すらも当面の間は中止となっているのだった。

 皇紀二六〇〇年祝奉とは言うものの、その余韻すらも残す事が出来ない程に日本は疲弊していた。もはや国家としての余裕なぞどこにも無い状態であった。


 それが波間に輝く光景に見て取れなかった事が、この時代の最大の不幸であり、同時に最大の罪であった。

◆拝読に当たって◆

 読者皆様、いつもご拝読くださり有難う御座います。

 さて拙作を拝読している最中、同じ物を違う言い方で表している部分が御座いますが、ここにはちょっとした意図が御座います。


 前々回のお話辺りから「パン」と「麺麭(めんぽう)」という言葉が出てきておりますが、この二つの言葉は放つキャラの年代によって使い分けておりまして指し示す物は全く同じです。基本的に昭和生まれの艦魂には昭和11年の献立簿洋式という海軍正式書類にて「パン」という語句が含まれている事から「パン」と呼ばせておりまして、それ以前の大正、明治の頃に生まれたキャラには「麺麭(めんぽう)」と呼ばせております。昭和5年の海軍における献立にはまだ「麺麭」の語句がありますが、小生自身が混乱するリスクも考えて昭和とそれ以前という区分で分ける事に致しました。


 また拙作では海軍献立にしっかり記載されている料理を登場させておりますので、食の面からも当時の帝国海軍の生活を楽しんで頂ければ幸いです。

 では今後とも明石艦物語をどうか宜しくお願い致します。


 2010年 2月15日 明石艦物語作者/工藤 傳一

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